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02 グラウンドの彼 -2
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校舎の3階にある1年2組の教室から見えるグラウンドでは、野球部の男子生徒が大きな掛け声と共に走っていた。窓の桟によりかかりながら、その群れを目で追う。隣にいる枝本も、窓枠に手をかけながら、野球部の姿を真剣な眼差しで追っていた。
「....あ。宍戸(ししど)発見」
「え!?うそ、どれ!?」
枝本の声のトーンが2つほど上がった。背伸びして、ねえどれ!?と興奮気味に窓から身を乗り出す姿が健気で、可愛らしかった。恋する女の子はいくつであっても可愛いものだな。
「嘘だよ。全員同じ格好してんだからわかるわけないだろ」
「ほんっとありえない!なんでそんな意地悪するの!?」
「それは誤解だ、意地悪じゃない。からかってるだけだ」
「まじで人間性疑うんですけど」
白い目でこちらを一瞥して、枝本は再びグラウンドの野球部の群れに視線を戻した。真っ直ぐと、まるで青空みたいに澄んだ目でグラウンドを見つめる横顔は、羨ましいほどに青春という光で輝いて見えた。
「......先生。宍戸先輩って、好きな人いるのかな」
職員室を出て1年2組の教室にたどり着くなり、枝本は俺に尋ねてきた。
枝本が抱えていたのは、恋の悩みだったわけだ。
枝本が恋心を抱いている男子生徒、宍戸元(ししど げん)は、2年の野球部だ。彼は今まさにグラウンドで走っているあの群れのどこかにいる。
「宍戸のことが好きなのか」
枝本は気恥ずかしそうに俺から目線を逸らし、「まあ...そんな感じ」と呟くように肯定した。
「チバセン、去年まで宍戸先輩の担任だったんでしょ?」
部活か委員会が同じでない限り、上級生との接点はほぼないに等しい。なんで俺なんかに恋愛相談を持ちかけたのかと疑問に思うところだが、枝本の現担任であり、宍戸の元担任でもある俺が、一番相談しやすかったのかもしれない。
「そうだけど、そういう話は聞いたことがないな」
教師に恋愛話を持ちかける男子生徒なんてほとんどいないだろう。実際宍戸の口からも聞いたことは無かった。
枝本は、そっかあ、と声のトーンを落とした。
「ていうか、お前ら確か委員会同じじゃなかったか?」
こくん、と枝本は深く頷いた。なるほど、それで宍戸との接点が生まれたわけだ。
「だったら探ってみればいいじゃないか」
「むりむりむりむり!!できるわけないじゃん!!」
枝本は顔を真っ赤にしながらぶんぶんと横に顔を振った。
「お前案外ウブなんだな。初恋か?」
「大きなお世話デス!」
こいつはどうやら初恋らしい。
自分の初恋はいつだっただろうか。もう随分遠い昔の話だ。
「こんなコソコソ嗅ぎ回ってたって何も変わらんぞ」
「だってむりなんだもん」
はあぁ、と枝本は深いため息をついた。窓枠に両方の腕で顎ひじをつき、野球部の群れを眺める。いつの間にか走り終えた野球部員たちは、バッティング練習に切り替えていた。
「先生には言えるのになあ」
「何を」
「好きって」
私、せんせーのこと好きだもん。
さっき職員室で枝本が言っていたセリフだ。
「ああ。そりゃあそうだろうな」
「ちょっとチバセン、自惚れないで」
「そういう事じゃない」
「じゃあなに?」
「お前の俺への好きはlikeだろ。宍戸に対する好きとはモノが違う」
数秒経って、俺の言った意味を理解したらしい枝本の顔が、みるみるうちに赤くなる。それから小さく唸りながら両腕に顔を埋めて、また深くため息をついた。唸ったりため息ついたり、忙しい奴だ。
「.....チバセンはさ、」
「うん」
「好きな人いる?」
「今はいないな」
ここ最近恋愛はご無沙汰だった。
恋人がいたらいいなとは思う。
心から誰かを愛せて、自分を愛してくれる誰かがそばに居てくれたら、このなんの変哲のない日常が穏やかに、鮮やかに、優しく彩られることだろう。
仕事、結婚、家庭。
歳を重ねるに連れて、恋愛をする中で前提にしなければいけないことがだんだん増えてくる。この子のようにただ真っ直ぐに好きという感情を露わにすることが、いつの間にかできなくなってしまっていた。
「付き合うってどんな感じかな」
純粋無垢で真っ白なこの若者の心が微笑ましい。俺の幾分か濁ってしまった恋愛観でこれを言うのは忍びないが、枝本の背中を押したかった。
「幸せだよ。すごく」
「....そっかぁ」
枝本は顔を上げ、野球部員を見つめる。とてもいい表情をしていた。
俺はこの立場から、優しく枝本を見守るだけだ。
「先生」
「ん?」
「ありがとうございました」
その後少しだけ話した後、生徒玄関まで付き合って、枝本を見送った。去り際、枝本は俺の目を見て一言だけそう言い残したのだ。俺は何も言わずに笑いかけて、ヒラヒラと手を振った。
こんなにも心が満たされる瞬間があるから、教師は辞められない。
職員室に戻って、俺も荷物を手にして校舎を出た。途中グラウンドを様子見ながら、どれだか見分けのつかない宍戸を探すように野球部員を眺めた。
枝本が羨ましかった。
俺もそろそろ、誰かをあんな風に好きになるべきなんだ。
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