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率直に言って、Nはセックスが下手だった。とにかく乱暴で、思い切り腰を突き上げる。すぐに首や肩を力任せに掴んでベッドへ押さえつけたがり、皮膚を食い破るほど柔らかい場所へ噛みつくこともある。項に歯を立てられないのが奇跡だった。「大丈夫か?」と口先では尋ねるものの、すっかり欲情に溺れたCが答えられない事を知ってなのだからたちが悪い。
悲しきΩの性は、どろどろに愛液を溢れさせる場所へ突っ込むペニスを、問答無用で快感に結びつける。それに己へ被虐性質が全くないのかと問われれば、Cは否定することが出来ない。激しい行為が嫌いという訳でもなかった。五十も半ばの男が、若い恋人をくたくたにするほど貪欲に盛る事は褒められてしかるべきなのだろう。だからこれは目を瞑ることが出来る、今のところ。
もう一つCを辟易させるのは、デリカシーのなさだった。結局は交合時の技巧にも関係してくるのだろうが、Nは相手を慮るということに欠ける。身体を繋げると言う行為にコミュニケーションを求めてない。それこそがセックスにおいて、最も重要だと言うのに。
ただこれは、本人も幾らか自覚している節がある。例えば三ヶ月に一度の煩わしい期間、強制的に高められた性感にぐったりと横たわるCの傍らで、平然と別れた妻の話をする時など。
と言うか、彼の感覚だと、まだ別れた事になっていないのだろう。そもそも離婚手続きだって済んでいない。平凡だったβの妻は、同時に平凡と安息を履き違えてしまうような、浅はかな女だった。あんなやくざな起業家にすぐ愛想を尽かして、戻って来たがるはずだ、等々。
彼がしつこく妻をあげつらうたび、自らはあくまで二号なのだとまざまざ突きつけられる。この不快感は、覚えるのを当然許されるべき心理だろう。Cとしては彼女の代わりを勤めるつもりなど更々ないし、いくら心身の相性が良いとは言え、番にすらなっていない相手だが、それでも。
もし貴方が言う通りに彼女が戻ってきたら? どうするつもりです。今俺が寝ている場所に彼女を置くため、俺をここから放り出しますか。
何度も訪れた絶頂で口を開くのも億劫なので、そう問いかけたことはなかった。最悪のピロートークは、寧ろ妻への同情を一層強固なものにする。もしもその地位を返せと言うならば譲ってやっても良いが、そんな機会は絶対に訪れないとCは確信していた。一度広い外を見て、賢くなった女が、こんな鳥籠じみた世界へ舞い戻ってくる訳がない。
写真でしか見たことのない、年相応の皺すら美しい女が、瞼の裏で嘆息する。
「狂ってしまったのね、彼は。教え子に手を出したことなんか、一度もなかったのよ」
そうでしょうね、と頷くとき、Cはいつもベッドの中にいる。シーツが生き物の如く四肢に絡みついて、身動きがとれない。「助けて下さい」そう訴えても、彼女は首を振るだけだ。
「諦めなさい」
貴女は諦めなかったでしょう。ここから飛び出して行った。心底の賞賛を込めてそう口すれば、何故だろう。見下ろす彼女の目つきは、間違いなく険しさを帯びた。
「ええ、そうよ。でも貴方は違う」
どうして。
「どうしても何も、本能よ。だって貴方は、広い世界からここに飛び込んだじゃないの」
微睡みから醒めると、そこはカウチの上だった。発情期が終わって数日。理性は目覚めたが、肉体はまだ気怠い。負荷を掛けられた股関節が鈍く痛む。思わずぎゅっと太腿同士をくっつけ、身体を丸めた。
もういくらもしないうちに日も暮れるだろう。眠る前と変わらず、枕元に腰掛けたNは分厚い本のページをめくり続けている。講義に用いるものではなく、自らの趣味に関する学術書。二つの区別は曖昧だった、どちらものめり込むものであるという事に違いはない。だるいから夕食はお願いしますと頼めば、さぞや渋る事だろう。
いつの間にか掛けられていた毛布を、もぞもぞ身じろいで押し上げれば、それを戻すように分厚い手が肩へ触れる。背中へ向け、ゆっくりと滑らされる感触が心地よい。Cは素直に、持ち上げかけていた頭を戻した。
「先生」
「もう少し横になっていなさい」
ほとんど独り言へ近い囁きを、Nはこまめに拾う。活字から目をそらすことはしないものの、灰色になった髭に覆われた口元は、笑みを湛えている。
「まだ本調子じゃないんだから」
慣れてるんですね。奥さんにも同じ事をしたんですか。余程そう尋ねようかと思ったが、Cはデリカシーがあると自負していたので言葉を飲み込んだ。
「電気をつけないと、眼を悪くしますよ」
「停電なんだ。どうやらあと数時間は続くらしい」
「ならなおさら。最近は眼鏡を作るにしても、納品まで二年待ちなのに。遠近両用なんてかっこわるい……」
「君は本当に、歯に絹着せず物を言うな」
口調こそ呆れるようなものだが、笑いは益々深まっている。仕方がない。お仕込みがよろしかったんですから。これも結局口にすることはなく、CはNと自らの匂いが混じった毛布に鼻先を埋めた。
何せ明かりが戻るまでは、料理だ何だと煩わしいことに悩まされず済む。大体、自らは彼の妻ではないのだ。
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