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番
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「俺、付き合うならベータの女子がいいんだよね」
あいつがそう言ったのは、一体いつだったか。そして俺は、何て返したんだったか。
「起きた?」
目を覚ますと、着替えを済ませ家を出るばかり幼馴染の姿があった。
「ヒートはもう大丈夫そう?」
「……おかげさまで」
身体を起こすと、酷く身体が怠い。腰には鈍い痛みがあり、無意識に項に触れると剥がれかかったガーゼが貼りついていた。
「悪いけど、俺もう出るから。今日はおばさん夕方までいないって。メシは冷蔵庫にあるから温めて食べて、だって」
まくしたてるように連絡事項を言い残すと、じゃ、と早足に部屋を出て行った。ぼんやりと雅志が出ていくのを見送り、ベッドサイドのデジタル時計を見た。午前9時17分。中途半端に貼りついていたガーゼを剥がすと、ガーゼには茶色く変色した血が付いていた。痒くて項を掻くとかさぶたが剥がれて指先が血で染まる。爪の間に入り込んだ血を眺め、手を洗いたいと思った。幼馴染が部屋を出てから5分後、ようやく俺は床に足を付けた。立ち上がろうとした途端、足に力が入らずそのままベッドの下に滑り落ちた。とっさにシーツを掴むと、シーツや掛布団が一緒に床に落下する。思わず深い溜息を吐いた。最悪の目覚めだ。
最初、人類には男と女しかなかった。いつしか特殊変異が現れ、両性有具だったその性はオメガと呼ばれるようになった。それからアルファと呼ばれる存在が現れて、二百年が経った今、人類は2つの性を持つようになった。1つは、男と女。これは生まれ落ちた時の身体的特徴で決まる。2つは、アルファとベータとオメガ。生まれ落ちた赤子には、二次性徴期を迎えるまで2つめの性は存在しない。2つめの性は、早い子供で10歳で発現する。俺が発現したのは、13歳の時だった。
アルファやベータなら問題ない。オメガとして発現すると大問題だ。そして俺には、オメガとしての特徴が出てしまった。オメガと判明すると、国や親によって保護という名目で世間から隔離される。オメガという性は、普通に暮らしていく上で危険だからだ。オメガには、月に一度ヒートという症状が現れる。ヒートが起こると、フェロモンが過剰に分泌され他者の発情を促す。隔離政策が成立していなかった頃は性犯罪や人攫いが横行していたらしい。保護という名目で隔離されたオメガについてだが、彼らは隔離された先で教養を身に付け、アルファと引き合わされ、俗世へと戻る。言い換えれば、商品価値を身に付け、アルファへ売られていく。オメガのフェロモンはアルファと番になることで番のアルファにしか効かなくなる。オメガが俗世へ戻るには、アルファと番になるしか道がないのだ。
俺の幼馴染はアルファだった。知らない人の元へ嫁がされるくらいなら俺が番になってやると、雅志が言った。
雅志のおかげで俺は今こうして自宅でシャワーを浴びることができる。オメガにもアルファやベータと同じく義務教育があり、高校を卒業するまでは山奥に隔離される。番持ちのオメガには月に一度、ヒートが起こる1週間だけは帰宅することが許されている。隔離されているとはいえ、携帯電話などの通信機器の使用は認められているし、条件付きではあるが親兄弟、友人との面会は認められており、最低限の人権は保証されている。
俺と雅志の関係は、雅志の善意の上で成り立つ番の関係だ。雅志がベータの女と付き合いたいと言った時、俺はさほど気に留めていなかった。しかし、ずっと心のどこかに引っ掛かっていて、やがてそれは時間が経つにつれて不安へと姿を変え、夢に出てくるほどに大きくなっていた。番の関係は、結婚と同義ではない。だからアルファには番がいても番以外と結婚することができるし、オメガを何人も番にすることができる。逆に、オメガには番のアルファとしか結婚する権利が与えられていないし、アルファのように何人もとの間で番の関係になることはできない。つまり、俺は雅志に捨てられたらおしまいだ。
同情から始まった関係だから、番にしてくれただけで感謝しなければいけないのかもしれない。
「うわ、その恰好……」
学校から帰ってきた雅志の第一声がこれだった。
「だって暑いんだもん。大丈夫だよ、上着着てきたから」
傍らに脱ぎ捨ててあった青いパーカーを拾い上げて見せると、雅志はならいいけど、と言いながら学生服を脱ぎ始めた。半袖のTシャツに、ハーフパンツ。特別おかしな恰好はしていないけれど、昨晩付けられた首周りの噛み痕や手首の痣が雅志には目の毒らしい。
「うち来るなんて珍しいな。もしかして足りなかった?」
「いや、別に平気」
「じゃあなんで」
「来ちゃダメだった?」
「別にダメじゃないけど……」
言い淀んだ雅志はちょっと困った顔をして、何か飲み物を持ってくると言い残して部屋を出て行った。雅志のベッドに上がり、枕に顔を埋めて大きく溜息を吐いた。いつからこんなによそよそしくなってしまったんだったか。一緒に小学校に通っていた頃は、放課後よくサッカーをして遊んでいたのに。
ダークブルーの寝具と、ダークブラウンで統一された家具。雅志が現役で使用している学習机は小学生の頃から変わっていないようだ。雅志の家を訪ねたのは久しぶりで、昔一緒に遊んだおもちゃは片づけられてなくなっていた。
「はぁっ、はぁ……」
部屋に入るまではなんともなかったのに、雅志の姿を見て、声を聞いたら駄目だった。部屋は雅志の匂いが満ちていて、特に枕からは雅志が使っているシャンプーの匂いがする。
「はぁ、はぁ」
右手を唾液で濡らして、ズボンに手を突っ込んで後ろを弄る。後ろが疼いて仕方がなかった。雅志の枕を片手に抱き、そこに顔を埋めて指を動かし続ける。雅志雅志と、何度も番のアルファを呼びながら。
飲み物を持ってくると出て行った割には、戻ってくるのが遅かった。廊下を駆ける足音がして、ドアが開いた時、雅志は手ぶらだった。
「お前……大丈夫じゃなかったのかよ」
乱暴にドアを閉め、大股で近づいてくる。発情した俺のフェロモンに中てられ、目を血走らせていた。ベッドに乗り上げ俺に覆いかぶさると、俺の両手首を顔の横に押さえつけ、思い切り肩に噛み付いた。
「あ゛ッ」
痛みに声を上げると、頬を一発叩かれ、首を絞められた。体重を掛けてぎゅう、と一瞬強く絞めると、雅志は俺の上を退いた。フェロモンに中てられると、アルファは凶暴性を増すと言う。普段の雅志は温厚だが、フェロモンに中てられるとまるで人が変わったように凶暴になる。
「かはっ、はっ、はぁ」
横を向いて首を押さえて懸命に息を吸う。いくら息を吸っても息苦しくて、肺まで酸素が下りてきていないようだった。そんな俺にお構いなく肩を掴まれてうつ伏せにさせられる。ズボンと下着を膝まで下げられ、腰を押さえつけられる。
「待って!」
挿入されそうになり、慌てて声を上げた。
「ゴムして!妊娠しちゃう」
「……はぁー」
雅志が深い溜息と共にベッドを降りた。雅志が離れた間に息を整える。引き出しを開けてゴムを出す小さな物音を、身動きできずに聞いていた。
「おい」
肩を引っ張られ、顔を上げた。先程の俺の肩をベッドに押し付けた時とは違って力加減は優しかった。
「首絞めてごめん。それから、叩いてごめん」
雅志がベッドサイドに腰掛け、俺と視線の高さを近づけた。今日初めて雅志と目が合った。雅志の目は興奮で血走っていたが、怖いとは感じなかった。言われて初めて、頬に熱を持っていることを自覚した。
「どうする?……続ける?」
「挿れて欲しい。ローション使って」
「わかった」
切羽詰まった声で返事をすると、また引き出しの前へ戻って行った。いつもなら、俺を気遣う余裕なんて雅志にはない。俺も、もっと訳がわからなくなっている。ヒート中に番が行うセックスは、人の営みから逸脱している。野生の獣が、本能に突き動かされて繁殖のためだけに行う行為だ。
昨日したから、俺のフェロモンが薄れているのかもしれない。今の状態はイレギュラーなもので、ヒートとは違うのだろう。
「挿れるよ?」
「うん、あ」
勃起した雅志の性器にゴムが装着され、ローションが塗られる。ゆっくりと俺の中に挿ってきて、ビクリと大きく腰が跳ねた。
「大丈夫?」
「うん、うん……あっ、あ!!」
徐々に中を暴かれていき、雅志のすべてが腹に収まる頃には上半身が崩れて顔を枕に埋め、シーツを握りしめてぐしゃぐしゃにしていた。
「はぁ、はぁ」
背後で、雅志の荒い息遣いが聞こえる。ゆっくりと俺の腹を行き戻り、そのたびに俺の身体は快楽を拾ってビクビクと震えた。
「きもち、い、なにこれ」
腰を打ち付けられるたびに勝手に声が漏れる。開いた口が塞がらず、唾液が漏れて枕を濡らし続ける。胸がシーツに擦れてジンジンする。足はずっと小刻みに痙攣していて、支えられていなければ腰を上げていることができない。
背中に重みがのしかかり、乱れたベッドの上で潰れた。雅志の息遣いが、すぐ耳元で聞こえる。噛まれると思って、身構えた。熱いものが首筋を這った。
「雅志?」
「宗司、すっげぇ甘い匂いする」
「あは、はっ!くすぐった……あ」
「笑うとナカうねってすげー気持ちいいよ」
耳元で低い声を聞いて、ゾクッとした。それから、ぐわっと耳が熱くなる。慌てて耳を隠すと、いとも簡単に両手を剥がされてシーツの上で押さえ込まれる。
「んっ、んっ、はぁ、あ」
全身が熱っぽいのを自覚しながら、ただただ気持ち良くて腰が揺れるのを止められなかった。ヒート時のセックスはただ食い散らかされているようで、ひたすら痛みと暴力的な快楽を刻み付けられるが、今はまるで骨の髄までじっくりと味わわれているかのようだった。
「どうした? 今日はやけにおとなしいな」
からかうように雅志が耳元で低く囁いた。
「あっ、あっ」
雅志の声を聞いただけで、ビクビクと身体が縮こまり、射精を伴わずにイった。執拗に傷だらけの首筋を舐められ、身体を押さえつけられて快楽を与えられ続ける。ボロボロと涙が零れ、頭がおかしくなりそうだった。
「おい、起きれる?メシだって」
雅志に揺さぶられ、目を覚ました。いつの間にか気を失っていたらしい。寝癖を付けて、着衣をぐしゃぐしゃに乱している自分とは対照的に、雅志は清潔な衣服を身に付けて石鹸の匂いをさせていた。
「起きれる?」
「……ん」
肩に乗せられていた手を払い、身体を起こす。
「これ着て」
ベッドでぼんやりとしている俺に、雅志がクローゼットから適当に服を出し投げて寄越した。先に行ってるから、と俺を置いてさっさと部屋を出て行く。
雅志の変わり身の早さを前にするといつも思う。俺は一体、雅志の何なんだろう。
雅志の服に着替えると、背丈はさほど変わらないはずなのに上はぶかぶかで、下は裾を引き摺った。なで肩で貧相な体格の俺とは違い、雅志には肩幅があり胸板に厚みがあった。アルファとオメガという違いはあるけれど、同じ男としてなんだか腹が立った。
渡されたTシャツの上にパーカーを羽織ってリビングへ向かうと、雅志と、雅志の母親が向かい合って席についていた。雅志の隣にひとり分の食事が用意されており、慌ててそこに座る。
「いただきます」
雅志はとっくに食べ始めていたが、雅志の母親は俺が座ると手を合わせて箸を持った。やはり、待たせてしまっていたようだ。いただきますをしてから箸を拾い、小さくハンバーグを切り分けて口に運んだ。
「美味しいです、これ」
「そう、それはよかった。お茶碗お姉ちゃんの物なんだけど、足りなかったらおかわりあるから遠慮なく言って」
にこりともせずに、おばさんが言う。
「はい、ありがとうございます」
どうも雅志の母親は苦手だ。口調こそは優しかったが、目がとても冷ややかで、恐らく、雅志の部屋での声が漏れ聞こえていたに違いない。雅志とサッカーをして遊んでいた頃はよく遊びに行って可愛がってもらっていたが、雅志と番になった頃から俺を見る目付きが変わり、雅志の家に寄り付かなくなった。
俺の家も同じだが、雅志の家もベータ一家だった。ベータの家からアルファが発現し、ご両親はさぞ喜んだに違いない。アルファとして発現するということは、出世コースが約束されたようなもので、ゆくゆくはアルファのご令嬢と婚約して逆玉ということも珍しい話ではない。そこに、何の取り柄もないオメガの俺が現れる。発情することしか能のないオメガは、アルファにとって目の上の瘤以外の何物でもない。ヒートでアルファの自由を奪い、結婚しようものなら、お荷物になる。言う迄もなく、雅志が俺と結婚するメリットなど何もない。また、法律の上では同性婚は認められているが、男女で婚約するカップルが大半を占め同性婚は番に多かった。オメガは病気で、だから隔離されるんだとかオメガは性風俗勤めに多いとか、他国ではオメガが奴隷として人身売買されているケースもあり、偏見の目で見られることも少なくない。つまり、おばさんは俺が嫌いなのだ。
「まーちゃん、今日テストどうだったの?」
「んー……回答欄は全部埋められたかな」
おばさんの問いかけに、テレビから目を離さず雅志が答えた。白米を口に運びながら、雅志は今日テストだったのかと思う。ただやることだけやって、お互いのことはあまり話さないから、知らなかった。それにしても、高校生にもなってまだ「まーちゃん」と呼ばれているなんて思わなかった。濃い眉毛のくっきりした顔立ちに、「まーちゃん」なんてとても似合わなくて笑えてくる。当然、顔には出さなかったけれど。俺には親子の会話に踏み込む度胸などない。空気になることに徹していた。
「今日は何時に学校行ったの?」
おばさんの問いにドキリとする。
「10時ぐらいかな。いいじゃん、別に。テスト全部受けさせてもらえたんだしさ」
雅志は相変わらずおばさんの方を見ず、面倒臭そうに答えた。
「明日は何が残ってるの?」
「英語と数学と地理。テストは午前で終わるけど、部活が再開するから帰りは夕方になる」
「雅志、俺、夕飯食ったら帰るよ」
「なんで?」
ずっとテレビから目を離さなかった雅志が、身体ごとこちらを向いた。目を丸くして、何故俺が帰るなんて言い出したのか見当もつかない、と言った顔をしている。
「明日もテストあるんだろ?邪魔しちゃ悪いし、帰るよ」
「気にしなくていいよ」
そこは、わかった、気を付けて帰れよと言って欲しかった。明らかにおばさんが俺を邪険にしていて、遠回しに帰れと言っているのがよくわかったから。雅志の反抗的な態度も、それを感じ取ってのことだと思っていたのに。
「身体辛いだろう?」
わざとなのか、天然なのか。それとも、俺が気にしすぎているのだろうか。大丈夫とか平気だよとか言って、この場を切り抜けるべきだった。声を発するタイミングを見失い、おばさんの視線が鋭くなったのを感じた。雅志は何事もなかったかのようにまたテレビに身体を向けてご飯を食べ始め、俺は下を向いてなるべく小さくなって白米を口に運んだ。やはりおばさんは俺を帰したいらしく、お客さん用の布団は干してないと言った。雅志が素っ気なく一緒のベッドで寝るからいいと返す。双方の機嫌が悪くなっているのを肌身で感じ、生きている心地がしなかった。
夕食後、改めて雅志に帰ると伝えたが、雅志もすっかり意地になって帰らせてくれなかった。助け舟を求めるつもりで母に連絡を取ろうとスマホを見ると、今日は残業で遅くなるとメッセージが入っており、迎えは望めそうになかった。
風呂を借りて雅志の部屋に戻ると、雅志は机に向かってテスト勉強をしていた。ざっと部屋を見回し、どこに座ろうか迷った挙句ベッドに腰掛ける。俺が風呂に入っている間に雅志がベッドを片付けたらしく、ぐしゃぐしゃだったシーツが皺ひとつなくピシッとしていた。スマホを立ち上げて特に連絡がないことを確認し、本棚に目を移す。教科書や難しそうな参考書がぎっちり収められており、下の段にはスポーツ雑誌やサッカー漫画が収納されていた。その漫画は、遊びに来た時によく借りて読んでいたものだった。昔懐かしさに、ベッドを離れて本棚に近づいた。一冊手に取ると、本の後ろにも別の本が入っていることに気付いた。
「花束を君に?」
タイトルを声に出すと、雅志がこちらを振り返った。
「それ、ねーちゃんが置いてったやつ」
「雅志、昔これ好きだったよな」
俺も昔読ませてもらったことがあるから知っている。花束を君に。ベータの男女の恋愛少女漫画だ。タイトルになっている花束は結局最終回まで登場せず、特に何が起こるわけでもなくとにかく地味な話だった。俺はつまらないと思っていたけれど、雅志は夢中になっていた。手に取ったサッカー漫画を置き、色褪せた少女漫画をペラペラめくる。昔から、キラキラした目が異様にでかいことが気になっていた。
「なぁ、今でもベータの女子と付き合いたいって思う?」
思い出した。雅志はこの漫画に感化されて付き合うならベータの女子がいいと言ったんだった。
「はぁ?なんだそれ」
「昔お前が言ってた」
「そんなこと言ったっけかな」
雅志が机にペンを置き、椅子を回転させて身体をこちらに向け、考え込む仕草をする。
「まぁ、有紀ちゃんは可愛いよな」
有紀ちゃんというのは、花束を君にの主人公だ。
「けど、姉貴とかおふくろとか見てみろよ。ベータの女なんておっかないだけだろ」
「違いない」
自分の母親を思い浮かべて、小さく笑って同意する。
「学校でいい子いないの?」
「番がいるのに、なんで彼女作る必要があるんだよ」
雅志の答えに、ホッとする自分がいた。
「番がいても彼女作っちゃダメとかないだろ」
「必要ないね。なんでお前がそんなこと聞いてくんの?」
俺の質問が癇に障ったらしく、雅志がムッとする。雅志の反応に、俺は密かに安心感を覚える。
「だって、お前昔言ってたじゃん。性別関係なく自分のことを好きになってくれる子と結婚したいって」
「それはまだ2つ目の性が発現してなかった頃の話だろ。あの頃とはもう、訳が違うんだから」
俺の番は、現実主義で可愛げがない。何て言って欲しかったのかは自分でもわからないが、雅志の答えは俺の欲しかった回答とは違っていて、心がズンと重くなる。
「じゃあ、俺もお前もベータだったら?」
「さぁね、考えたこともねぇよ。そしたら俺のこと好きになってくれた子と結婚してるんじゃない?」
そう言って雅志はまた机に身体を向けてしまった。手に持っていた少女漫画を棚に戻し、少女漫画を隠していた本も元に戻した。僅かに残されていた雅志の部屋の昔の思い出から一切興味がなくなり、手ぶらのままベッドに戻った。
俺と雅志がベータだったら、当然、番にはなっていなかった。もしかしたらずっと友達でいたかもしれないけれど、それぞれ別のパートナーがいたと考える方が自然だった。頭ではわかっているのに、雅志の傍に俺ではない誰かがいること想像すると気分が落ち込んだ。そもそも、保身の為に確認がしたかっただけなのに、何をこんなに落ち込む必要があるのだろう。自分がこんなに嫉妬深い奴だとは思わなかった。
することもなくてベッドに横たわって目を閉じていると、ベッドが揺れて再び目を開けた。机に向かっていた雅志が、スタンドライトを消してベッドに入ってきた。
「もう勉強しなくていいのかよ?」
「まぁ、なんとかなるだろ」
涼しい顔で雅志が言う。そういえば、小学生の頃放課後ずっと一緒に遊んでいたのにテストはいつも満点だった。第二次性徴の前から、雅志はアルファの片鱗を見せていた。
「何か話があって来たんだろ?何?」
鋭い、と言いたいところだが、しばらく寄り付かなかったこの家を俺が訪ねてきた時点で何か察していたのかもしれない。
「別に。もう解決したからいい」
俺を捨ててベータの女と一緒になるのか、なんて突拍子もないことを聞いたところで、頭がおかしい奴だと思われるのがオチである。腑に落ちないところもあるが、一応は問題が解決した今、根拠のない妄想だけで家に押し掛けた自分の異常さを自覚して居た堪れない気持ちになっている。
「さっきの俺もお前もベータだったらって話だけど」
「終わった話を蒸し返すなよ。大体、話終わらせたのお前だろ?」
布団を深く被ると、雅志に背を向けるように寝返りを打った。これ以上話していたら、惨めで泣いてしまいそうだった。ひとつしかない布団を取り返そうと雅志が引っ張る。
「それは悪かったよ。せっかくだから、もっと話そうよ。番になってから俺たち全然話してねーじゃん」
月に一度、ヒートのたびに帰宅をして雅志を呼ぶ。用が済んだら、それっきり。俺から進んで連絡を取ることもなければ、雅志から連絡が来ることもなかった。雅志が布団を取り返すのを諦めて部屋の照明を落とした。雅志が寝返りを打ち、ベッドが小さく揺れた。
「答えたくなかったら答えてくれなくていいんだけど、オメガじゃなきゃよかったって思ったことある?」
暗闇の中で、雅志が独り言のように言った。
「そんなの、しょっちゅうだよ。だけど、あえて考えないようにしてる。番がいるだけ俺はだいぶマシだから」
雅志が独り言のように言うから、俺も独り言のように返した。隔離された中で番を持つオメガはごく僅かだ。番を持たないオメガは、18歳になると強制的に見知らぬアルファに引き合わせられる。合意の上で番の関係を結ぶことが前提だが、実質オメガには拒否権はないに等しい。月に一度のヒートにしても、一度肌を重ねればだいぶ楽になれるのだが、番を持たぬオメガは一週間発情状態に苦しめられる。発情抑制剤は存在しているが、将来不妊になるリスクや胎児への影響から推奨されておらず、保護施設では原則使用が許可されていない。政府のオメガへの扱い、世間からの軽蔑の眼差し。思い通りにならない身体。オメガじゃなきゃよかったと思う理由なんていくらでも挙げられる。
「俺も、アルファじゃなきゃよかったって思うことあるよ。アルファじゃなかったら、今頃宗司とはどんな関係だったんだろうって」
ピクッと動いた口の端を、ぎゅっと引き結ぶ。言いたいことはたくさんあったが、どの言葉も喉に詰まって出てこない。
「なぁ、宗司。俺と番にならなきゃよかったって思ったことある?」
「ないよ。考えたこともない」
考えるよりも先に口が動いていた。
「ならいいけど」
安堵したように雅志が言い、暗闇に静寂が訪れる。そのうち、隣から安らかな寝息が聞こえてきた。
「おい!」
「えっ、何!?」
部屋の明かりを付けて一喝すると、雅志がビクリと身体を跳ねさせる。
「もっと話そうって言っておいて先に寝るなよ」
「だって宗司、あんまり話したくなさそうだったし」
眩しそうに眼を細めて雅志が言う。俺は完全に目が覚めてしまっているというのに、話を振ってきた雅志が先に寝るなんて許せなかった。
「俺明日テストなんだけど……まぁいいや。何について話す?」
渋々といった様子で雅志が身体を起こした。
「特に話したいことがあるわけじゃないんだけど」
「なんだそれ?」
その後、お互いの学校の様子を聞いたり、共通の友達についてなど、思いつく限りを話題に上げた。途中沈黙が何回もあり、盛り上がったとは言えないが、久々にお互いに腹を割って話せたと思う。日付を超えたところまでは覚えているが、いつの間にか寝てしまって気が付いたら朝だった。
「宗司、悪いけど起きて。俺学校行かないと」
2日連続番に起こされる。眠りを邪魔されるのはあまり気分のいいものではないが、相手が雅志ならそう悪い気はしない。服は雅志に借りて、着て来た服は紙袋に入れて持ち帰る。雅志の家で朝食をご馳走になって、一緒に家を出た。雅志が家まで送ると言い、一度は断ったのだが、俺の番には世話焼きなところがあり甘んじて受けることにした。
「今日戻るんだっけ?」
「うん、今日じゃないと母さん休み取れないらしくてさ」
オメガの隔離施設は山奥にある。施設までの公共機関は存在せず、足がない俺は行き帰りには親の送迎が必要だった。
「着いたら連絡してよ。俺も連絡するから」
「……うん」
昨晩、嫌われていると思ってた、と雅志が言った。
「会いに来るな、連絡も寄越すなって言うから、俺、お前に嫌われてると思ってた。俺と番になったこと後悔してるのかなって、ずっと考えてた」
それは話し込んでだいぶ経った頃、日付が変わる前だった。
「アルファの面会となると手続きが面倒なんだよ」
俺はその頃には眠くなり始めていて、口先ではそう答えながらも眠い頭で記憶を巡らせた。そんなことを言った憶えがなかった。俺の方こそ、何の連絡も寄越さない雅志に対して自分に興味がないのではないかと思っていた。すぐに話題が次へ移ったが、俺はずっと頭の片隅で当時の記憶を探っていた。そして、寝落ちする寸前に思い出す。それは、番になった日の朝だった。
10歳の時に受けた性別診断でオメガと診断された時も、隔離された先で初めてヒートを発症した時も自分がオメガだという実感が今一つ持てなかったが、初めて雅志と身体を重ねて、うなじを噛まれてから自分の身体を作り替えられたような感覚があった。そして自分はオメガで、雅志のモノにされたんだという実感があった。それと同時に、オメガとして生きることへの不安に駆られていた。本能的に、雅志を失ったら生きていけないと思った。だから俺は、雅志が他に番を作ることを恐れてオメガが大勢暮らす施設には来るなと言ったのだ。連絡を寄越すなと言ったのは、一晩のうちに雅志に向ける感情が変わったことへの戸惑いから。昨日までは友達だと思っていたのに、一晩で友達とは思えない存在になっていた。それは身体の交わりがあったからだけではない。自分にとって雅志がどんな存在なのか、未だにうまく説明できないのだが、とにかくあの時の俺には雅志が自分の知っている幼馴染ではなかったのだ。
このことは、これから先も本人に話すことはないだろう。
「じゃあ、俺はここで」
近所だから、あっという間に自宅に着いてしまった。送ってもらった礼を言って、またな、と言って別れた。家の前で、制服姿の雅志の姿が見えなくなるまで後ろ姿を見送る。ヒートによる帰省は1週間認められているが、初日にすることを済ませると他にすることもないので大体2、3日でとんぼ返りをしていた。これからは、たっぷり1週間俗世で過ごそうと思う。来月会う時は、雅志に対して素直に接することができると思う。早くも来月のヒートが待ち遠しくなっていた。
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