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再会
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詩木先生が教師を辞めたのは、別に不祥事を起こしたからではない。本人の人間性に問題があるとはいえ、法に触れるようなことはしていない。
けれど、先生は俺が卒業すると学校を辞めた。俺は春休みにそのことを知ったが、どうして先生が辞めたのかは分からなかった。友達も、親も、誰もその理由を知らなかった。
先生がもう学校にいないと思うと寂しかったが、心のどこかで先生らしいなと思った。適当に、そして自由に生きている先生がふらりといなくなる姿は、子供の俺でも容易に想像できた。
大人になったら、俺は先生に直接そのわけを聞いてみようと思った。あと十年経ったら、俺は先生を探して会いに行くと決めていた。
それから十回目の夏がきた。待ちわびていた夏を迎えて、俺と先生は十年ぶりに再会した。俺は二十五歳に、先生は三十五歳になっていた。
昔と変わらない蝉の声を浴びながら、俺は先生に訊ねた。
先生は、学校を辞めた理由をあっさり教えてくれた。当時、長く付き合っていた彼氏に振られ、もう何もしたくなくなって学校を辞めたのだそうだ。ここもすぐに引き払うつもりだったらしい。
「・・・先生らしいね。何にも考えずに全部放り出しちゃうところが、本当に先生らしい」
「・・・三堂。お前はそんなことを言うために、俺に会いにきたのか?」
「まさか。久しぶりに先生に会えて、ちょっと緊張しているだけです」
「・・・まあ、別にいいけど」
十年ぶりに顔を合わせた先生は、ゆっくりと目を細めた。昔と変わらない表情に体が熱くなる。俺は玄関のドアを掴むと、遠慮なく一歩を踏み出した。
「・・・とにかく。俺は先生に会いに来ました。ここで話すのも何ですから、上がらせてください」
「お前がそれを言うなよ。・・・ま、入れば」
昔と変わらない適当な態度が、この人は本当に先生なんだと思わせてくれた。雨のように降る蝉の声も十年前の夏とひどく似ていて、一種のノスタルジーを感じる。
けれど、それ以上の激情が体中を駆けぬけていく感覚に、俺は思わず目を瞑った。待ちに待った、約束の夏だった。
詩木先生は、俺の中学校の先生だ。俺のクラスの担任であり、また数学の授業を受け持っていた。
先生は性に奔放な男で、思春期の生徒たちを前にして自分の性癖をあっけらかんと語るような教師だった。おかげで早くも性の知識は増えていったが、彼がゲイであるため、その知識は男同士のことばかりだった。
先生はとにかく恋と性に対して正直な人だったが、何故か生徒には好かれていた。休み時間には、いろんな生徒に付き合ってる彼氏がどうのこうのと惚気ていた。
けれど、同じ教師からの評判はよくなかった。ただ、体格のよいがっしりとした男性教師からの評判だけは妙によく、あれは体で黙らせているんだと噂がたっていた。
俺は、そんな先生の特別になりたかった。自分のことを大っぴらに話すくせに、どこか謎めいた雰囲気を持っている先生の、誰も知らない一面を知りたかった。
この想いは思春期を過ぎても消えることはなく、俺はひたすら先生に焦がれていた。元々の恋愛対象がどちらの性だったのか悩む暇もなく、俺は先生を手に入れることばかり考えていた。
十年経っても、俺は変わらなかった。俺はどうしようもなく先生が好きだった。だから俺は先生を探した。先生は俺のことを忘れているかもしれないが、構わず探すことにした。
手掛かりは卒業アルバムだけだった。巻末の職員名簿には、先生が住んでいたアパートの住所も載っていた。ただ、もちろんこれは十年前の住所だった。
すでに引っ越しているだろうとは思ったが、俺は景気づけにその住所へ立ち寄ってみた。そのアパートはお世辞にも綺麗ではなく、昭和の気配が残っていた。けれど、その部屋に目的の人物はいた。
俺が何も考えずにチャイムを押すと、上下スウェットという自堕落極まりない恰好で先生が出てきた。まさかどこにも引っ越さずに住み続けているとは思っておらず、扉を開けた先生の姿を見て、俺は呆然とした。
先生は、俺を見ても誰だかしっくりきていない様子だった。それもそのはずで、俺は中学時代から遥かに成長していた。身長は先生を見下ろせるほどに高くなったし、体も逞しく鍛えてきた。先生が好きそうな男の体型を目指した結果だった。
先生はというと、十年経っても変わっていなかった。見目だけは良いがどこかやる気のなさそうな雰囲気そのままに、明らかに誰か分からないという表情で俺を見ていた。
かすれる声で元生徒の三堂ですと名乗ると、彼はやっと俺のことを思い出した。先生は驚いたように俺をみたが、特に何も言わなかった。
そして、今。初夏の日差しが降り注ぐ七月に、年季の入ったアパートの一室で俺たちは再会した。
成長とともに別人のように姿が変わった俺と、年齢を重ねているとはいえほとんど昔と変わらない先生。初対面ではないのに、静かな沈黙がこの場を支配していた。
「・・・で? 元生徒の三堂くんが、元教師の俺に何の用があるのかな」
どこか他人行儀な言い方で俺がきた理由を訊ねながら、先生は俺にペットボトルのお茶を差し出した。遠慮なくいただくが、中身はすでにぬるくなっていた。
「・・・その前に、ひとつ聞きたいんですけど」
「ん。なに?」
「先生、学校を辞めてここも出ていくつもりだったって言ったよね。なのに、何でまだこのアパートに住んでるんですか?」
「何でって言われてもなあ・・・」
先生は何か言い訳を考えているのか、ぼうっとした表情で空中を見つめていた。どうせ荷造りが面倒だったんでしょうと先を促すと、先生は薄く笑って首を縦に振った。
「相変わらず適当な生き方してるね。あの頃と何も変わってない」
「お前は変わったな、三堂。タッパも伸びてガタイもよくなったし、随分と賢そうに見える。見違えるほどいい男になったよ」
「・・・そう、ですか?」
「ああ。昔は童貞のガキって感じだったけど、今なら男が放っておかないだろうな」
先生は笑いながら、俺に渡したばかりのペットボトルを取り上げた。そして躊躇いなく口をつけると、豪快にお茶を喉に流し込んだ。別に俺にくれたわけではなかったらしい。
時代に取り残されたような懐かしい雰囲気の畳一部屋で、先生は扇風機のスイッチを入れた。
「それなら、早速本題に入りたいんですけど・・・」
「おう、先生に何でも話してみなさい。気が向いたら聞くから」
「・・・本当に変わらないね。そうやって、冗談ばかり言ってとぼけるところも好き」
「・・・ん?」
「先生。俺、やっぱり先生が好き。だから今日、告白するためにここに来ました」
「・・・え?」
「十年前の約束を果たしに来ました。・・・先生、俺と付き合ってください」
「・・・ええ?」
先生は、俺の言葉をすぐには理解できていないようだった。俺の顔を見つめたまま黙り込んだかと思うと、何度かまばたきを繰り返した。
俺はそんな先生を静かに見守っていたが、やがて理解した。この人は、まだ何のことだかわかっていない。
「・・・先生、さすがに鈍すぎでしょ。元教師の名が泣きますよ」
「いやいや、これに関しては、俺の察しが悪いわけじゃないぞ」
「でも、俺は前にも、先生にちゃんと好きだって言いました」
「いやいや、それはそれとしてだな・・・」
「別の話じゃないですよ。今日も、前も、俺は同じ話をしています」
先生は俯いて、指先でスウェットの裾をいじっていた。俺がその様子を見つめていると、不意に先生と目が合った。先生はどこか気まずそうに、俺から視線を外した。
「・・・先生。覚えてるよね?」
「・・・何を?」
先生はちらりと俺を見た。同じタイミングで旧式の扇風機もこちらを向く。
「俺が、先生に告白したときのこと。先生は、俺が大人になったら、俺とのことを考えるって約束してくれました」
「・・・そうだったか?」
「そうだよ。だから先生、俺と付き合ってください」
「・・・はいわかりました、と受け入れるわけにはいかないけどな」
のらりくらりと逃げる先生。曖昧な言葉で濁して、やんわりと俺の行く先を阻むずるい男。
ずっと前から変わらない愛しい人を前に、俺は昔の学校生活を思い出していた。先生に告白した日も、今日のように暑い日だった。
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