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第六章「過去の香り」《8》
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「大丈夫……?」
薄暗い店の廊下。
今日の分の指名を終えたレイは、自分の部屋に帰るためにフラフラと廊下を歩いていた。足取りは覚束ず、左右に大きく揺れながら足を引きずっている。
その後ろから、艶やかな黒髪が顔のラインを縁取る大人しそうな青年が声をかけた。
「ッ……」
その声に反射的に身体が跳ね、レイは反動で膝から床に崩れ落ちた。
「うわ、ごめん! 大丈夫!?」
青年は慌ててレイに駆け寄ると、その華奢な腕を掴んで引き起こそうと手をのばす。
「さわ、るなッ」
しかし、青年の手に酷く顔を強ばらせたレイに、彼は思わず動きを止めた。あまりに痛々しい掠れた声だった。
「……何もしないよ」
青年はガタガタと肩を震わせるレイの前にしゃがみ、安心させるように微笑みを浮かべる。
「……俺、カオル。大丈夫、君と同じオメガだよ」
不安に揺れるレイの瞳が、初めてカオルの目を捉える。
「触ってもいい? 何もしないからさ」
レイが困惑した表情を浮かべるのに苦笑を返しながら、カオルは震える手にそっと自分の手を重ねた。
優しく華奢な身体を立ち上がらせ、肩を貸す。
「部屋まで送るよ。君を犯すつもりはないからさ、安心してよ」
フワッとやわらかく笑ったカオルは、そう言ってゆっくりと歩き始めた。
レイが十四歳、カオルが二十四歳の時だった。
それ以来、二人の付き合いは十年にわたって続いた。
しかし、ボーイ同士が客を奪い合うこの店において、二人の交流はよく思われるものではなかった。特にレイの母親であるジュリにとって、従順なレイが自我を持つことは面白いことではない。
「レイ、これ美味しいよ。一個あげる」
営業後の静まり返る店の中で、備品が所狭しと置かれた倉庫だけが、二人の話せる場所だった。
「……ありがとう」
カオルの前でだけ徐々に言葉を取り戻しつつあったレイは、差し出されたカップケーキを両手で受け取った。
「──そんでさ、今月はノルマが厳しい子が多いみたいなんだよね。やっぱり今の時期はただでさえお客が減るから、指名取るのも難しいし」
倉庫の壁に背をあずけ、横並びで床に座る。掃除のあまりされていない倉庫内はホコリっぽく、窓から入り込む日差しがキラキラと埃に反射した。
レイが少しずつカップケーキを噛じる隣で、カオルは自分の膝に頬杖をついて重いため息を吐いた。
「先月もノルマに届かなかった子が何人かいた。もし、今月も指名を取れなければ……」
そこまで言って、カオルは気まずそうに顔を歪めた。
「あー……ごめん」
レイは何に謝られたのかわからず、不思議そうにカオルの顔を見る。その視線から逃げるように、カオルは顔を逸らして静かに表情を暗くした。
「………?」
半分ほど無くなくなったカップケーキを手に持ったまま、レイはカオルの顔を訝しげに見つめる。
「ごめん、今のはレイを責めたわけじゃないから。……今日はそろそろ戻るよ。また明日」
カオルは気まずい顔のまま立ち上がると、レイが何かを言う前に倉庫を出て行った。一緒に居たことがバレないように、少しの時間をあけ、レイも静かに倉庫をあとにする。
「ッ………!」
自分の部屋に戻ったレイを迎えたのは、誰もいないはずのベッドに腰かけた母親だった。
「……どこに行ってたの」
ジュリの冷たい視線が、レイを見据える。
「ぁ………」
何かを言おうと思うのに、レイの喉は詰まったように言葉を発せなかった。
「来なさい」
温度を感じさせない手が、レイの腕を乱暴に掴む。そのまま引きずるように連れて来られたのは、今まで来たことのないフロアにある扉の前だった。
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