アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
ラブホテルにて
-
俺が同性愛者だと自覚したのは、片想いの相手が男だったからだ。性欲の対象が恋愛の対象とはよくいったもので、俺もそれで自分の性癖を知った。
相手は同じマンションに住む同級生だった。名前は土橋晃一といい、小学校から高校までが一緒で、同じクラスになったこともあった。
土橋はさして目立つ存在ではなかったが、何だか妙に男をそそるものがあった。それはさらさらの黒髪だったかもしれないし、触り心地のよさそうな肌だったかもしれない。
俺はいつの間にか土橋のことが好きになっていた。けれど、彼の周りにはいつもたくさんの男が群がっていた。男友達が多かっただけかもしれないが、俺とって彼らは全員ライバルだった。
彼とは顔を合わせれば挨拶程度に話すものの、それ以上でもそれ以下でもなかった。俺はどうにかして彼と仲良くなりたかった。同じマンションに住んでいることは強みだったが、何の進展もないまま時間だけが過ぎた。
高三の秋、本格的な自由登校が始まる前に俺は彼を呼び出した。もはや友達から始めたいなんて言っていられなかった。俺は高卒で就職したら家を出るし、彼は推薦枠で合格が決まっている。告白するなら今しかないと思い、俺は初めて彼を自宅に招いた。
突然誘ってきた俺を不審がることもなく、土橋はすんなりと俺の部屋に来てくれた。いつも見ていた笑顔で俺に話しかけてきてくれて、俺は感激しつつも興奮した。そしてそれは衝動となって彼に襲いかかった。
両親は共働きで不在、兄弟も出かけている。そして、目の前にはベッドの上で俺に押し倒されている彼。すべての状況が俺に味方していた。俺はがっつくように彼に告白した。
ずっと好きだったこと。土橋がどこにいても、ずっと目で追っていたこと。何度も話しかけようとしたが、いつも周りに他の男がいてできなかったこと。でも、いつでも彼だけを見ていたこと。
土橋は、呆けた顔で俺を見上げていた。その表情すら可愛くて、俺は彼にキスを落とした。俺にとって初めてのキスで、その相手がずっと好きだった男で、それだけで俺は興奮した。
彼はキスも、それ以上も拒まなかった。制服のシャツを脱がせても、肌を撫でても、全裸に剥いても、彼のものに触れても、彼はずっと可愛い顔で喘いでいた。
俺は俺の想いをこれ以上ないほどぶつけた。ずっと溜め込んでいたのは性欲も感情も欲望も何もかもが混ざり合ったもので、その想いをすべて伝えるには、体で、声で、表情で、俺の全身を使ってもまだ足りないくらいだった。
好きだ。大好きだ。ずっと抱きたかった。ずっと触りたかった。想像していたよりずっと可愛い。もっと触りたい。もっと可愛い声が聞きたい。俺の名前を呼んで。俺のも触って。足を開いて。もっと開いて。俺を受け入れて。
もっと奥まで入れさせて。俺を最後まで受け入れて。可愛い顔が見たい。いやらしい声が聞きたい。気持ちいい。腰が止まらない。奥を突くことがやめられない。
気持ちよすぎていきそうだ。もう我慢できない。好きだ。お前が好きだ。ああ駄目だ。もう出る。キスしながらいこう。俺とキスしながら一緒にいこう。ああもういく。好きだ。大好きだ。
嵐のような激情とともに欲望を吐き出すと、俺はようやく落ち着いて彼と対峙できた。見下ろした先でぐったりとしている彼はとても綺麗だった。
俺の欲を受け止めて放心している彼が、愛しくてたまらなかった。俺を拒むことなくすべてを受け止めてくれた彼を、抱く前よりはるかに好きになっていた。
だから、俺は改めて彼に気持ちを伝えることにした。付き合ってくれと頭を下げるべきだと思った。ベッドの上で息を整えている彼に、俺は改めて想いを告げ、愛を伝え、どんなに俺が彼を好きだったかを語ろうとした。
だが、そうする前に彼は俺を拒絶した。しばらくぼうっとどこかを見つめていたが、やがて冷たく俺を一瞥すると無言でティッシュに手を伸ばした。俺がショックで言葉を失っているうちに彼はさっさと体液をふき取り、制服を身に着け、何も言わずに俺の部屋を出ていった。
嫌われた、と思った。その瞬間、自分のしでかしたことが頭の中を駆け巡った。行為に没頭していて気づかなかったが、俺はどう考えても彼を無理やり襲っていた。俺は、冷めた頭で俺自身を責めた。
翌日から土橋の顔を見れなくなった。遠くで誰かが彼の名前を呼ぶたび、俺は自分がしでかしたことの重圧に押しつぶされそうになった。もうあんな風に俺に笑いかけてはくれないのかと思うと、過去の自分をぶん殴りたくなった。
そして俺は地元を離れて就職し、土橋は俺の知らない大学へ行った。俺たちはいとも簡単に疎遠になった。
「土橋・・・」
それでも、俺は彼を忘れられなかった。彼に似た男を身代わりにしたこともあったが、やはりそれはただの別人だった。
今夜のように、納期前に仕事を終わらせてほっとした日には、土橋の顔が浮かぶ。きっと、俺が一番会いたい人はいつも彼なんだなと思った。
「・・・俺もいい加減しつこいよな」
目頭をぐっと押さえてから顔を上げる。すると、ふと向けた視線の先に、俺が求めてやまなかった男がいた。高校生のときの面影を残したまま、好きで好きでたまらなかった男が、スーツ姿で雑踏の中に立っていた。
「・・・え?」
幻かと思った。しかし、彼は確かにそこにいて、腕時計で時間まで確認していた。信じられないが、現実だった。
どうしてここに土橋がいるんだ。俺はどうすればいいんだ。俺は突然のことに自分が何をすればいいのかわからなかった。彼に話しかけていいのか、それとも知らないふりをするべきなのか。
だが、俺は彼に話しかけていた。気づかないふりなんて、できるわけがなかった。
「ちょっとすいません」
声をかけて初めて、土橋が知らない男と一緒にいることに気づいた。俺と同じくらい体格がよく、土橋から何かを受け取っている。それがここらで有名なハッテン場のメンバーズカードだと気づいた途端、この男が俺と同じ種類の男だとわかった。男の趣味も似ていると直感した。
「悪いけど、あんたには遠慮してもらいたい」
こいつは俺のものだからさっさと消えろ。俺はあからさまな敵意を隠すことなく男を見た。彼は少し名残惜しそうに土橋を見たが、やがて大人しく身を引いた。意外と童貞っぽかったから、すぐに諦めてくれたのかもしれない。それももうどうでもよかった。
土橋は俺を見ようとはしなかった。その姿は、俺が無理やり彼を抱いてしまったあの日の彼と重なった。彼はずっと俺を許さずに生きてきたのだろうと思った。
けれど、それを承知の上で俺は土橋に謝りたかった。許されたいわけではなく、ただ俺が傷つけてしまった彼に正面から向き合いたかった。
不躾ながらも二人きりになりたいと言った俺の意図を汲んで、土橋は俺とラブホテルに入ってくれた。彼が指先で示した先がそこそこ高級なラブホテルだったことは少し意外だったが、土橋が男と二人きりと聞いてラブホテルを連想することに少しだけ胸が痛んだ。
だが、彼もいい大人だ。性癖については俺が言えたことではないし、仮に土橋が先ほどの男とそうなっていたとしても、俺が口を挟めることではなかった。
無言でチェックインした薄暗い部屋で、スーツのジャケットをソファに投げる。俺は土橋を振り返って声をかけた。
「何か飲むか?」
「いや、大丈夫」
土橋はソファに座ると、まだ新しそうな鞄を横に置いた。少しスーツを着崩した俺とは違い、彼はボタンひとつ緩めてはいなかった。それが俺を静かに拒んでいるような気さえして、少し怯みそうになる。
「元気そうだな」
「まあ、おかげさまで」
土橋は伏し目がちに答えた。その声と表情からは、俺に対する敵意は感じられなかった。彼の横顔を見ていると、その奥にあるベッドサイドのコンドームも目に入る。気が散りながらも、俺は彼に話しかけた。
「さっきのやつ、知り合いか?」
「いや? さっき初めて会った」
「・・・そっか。何、話してたんだ?」
「神条には関係ない」
先ほどのことを探ろうとした俺に、言葉の棘が容赦なく刺さる。俺は彼に悟られないように深く息を吐くと、震える手をたしなめて言葉を落とした。
「土橋。あの日のこと、覚えてるよな?」
「・・・ああ」
「俺、ずっとお前に謝りたかったんだ」
一方的に土橋を抱いてしまったこと。無理やり体を繋げて、思いのまま性欲をぶつけてしまったこと。好きだという感情や抱きたいと思った衝動を抑えられずに土橋を傷つけてしまったことを、俺は彼に詫びようとした。
だが、土橋は言葉を遮るように俺を視線で居抜くと、俺の代わりに言葉を続けた。
「・・・別に、神条が謝ることじゃないよ」
「え?」
「俺は、あの日のことは気にしてない」
「まさか。そんなわけないだろ・・・」
俺が思わずそう呟くと、土橋は眉を寄せて俺をにらんだ。
「・・・何がまさか、なんだよ? 俺がいつまでも気にしてると思った? 俺がずっとお前を好きでいるとでも思ったか?」
「土橋・・・」
「あれから何年経ったと思う? 俺はもうあの頃の俺じゃないし、お前だってそうだろう?」
「・・・・・・・・・・」
「あのときは、お互いに子供だったんだ。でも、今は違う。昔のことをいつまでも引きずるようなことはしない」
「・・・・・・・・・・」
「お前とは、もう生きる世界も違う。だからもう、放っておいてくれ」
「・・・そんなこと、言うなよ」
俺の願望かもしれないが、淡々と話す土橋はどこか寂しげにみえた。あの日の記憶を忘れようと、もがいているように思えた。
土橋は俺の考えていることがわかったのか、少し面倒そうに声を荒げた。
「・・・じゃあ、さっきの質問に答えようか? 俺はあの人に、俺を抱いてくれるか聞くつもりだった」
「・・・え?」
「童貞っぽかったから、俺の好みだと思ったし。お前が邪魔しなければ、今頃ここにいたのはあの男だったかもしれない」
「つ、土橋・・・」
「もともと俺は男だらけの人生だし。別に、お前のせいじゃないよ」
だから、お前が謝ることはひとつもないんだ。そう言い放つと土橋は黙ってしまった。
だが、俺はもう土橋の話を聞いていなかった。俺の頭は、数分前の土橋の言葉を耳にしてからずっとフリーズしていた。
「・・・お前。さっき何て言った?」
「だから、俺はあの人と・・・」
「違う、もう少し前の・・・」
土橋が、意味がわからないとでも言いたげに眉を寄せる。俺は必死で彼の言葉を思い出した。
『俺がずっとお前を好きでいるとでも思ったか?』
頭の中で土橋の言葉がリフレインする。俺は呆然として彼を見つめた。
聞き間違いかと思ったが、そうではなかった。確かに土橋は言った。俺のことを好きだと言った。その言葉を理解した途端、俺の体は燃えるように熱くなった。
俺が土橋をみると、土橋も俺を見ていた。だが、何がおかしいんだという顔をしていた。俺は震える声で土橋に聞いた。
「・・・お前、俺のことが好きだったのか?」
「・・・は?」
「だから、お前、俺のことを・・・」
「それが何だよ? そんなこと、とっくにお前は知ってるだろ」
俺は土橋の腕を掴んだ。土橋は顔をしかめたが、俺は構わず口を開いた。
「土橋、俺は知らない。今、初めてお前の気持ちを聞いた。すげえ嬉しい、お前も俺のことが好きだったのか」
「は・・・?」
土橋は唖然としていた。思わず俺が土橋を抱きしめてしまっても、彼は何も反応しなかった。
あの日、土橋は俺に大人しく抱かれ、可愛く喘ぎ、俺を最後まで受け入れた。けれど彼の口から発せられたのは愛の言葉ではなく、すべて快感による嬌声だった。土橋を腕に抱きながら昔の彼を思ったが、頭の中の彼は俺に愛を伝えてなどいなかった。
「なあ、俺、すげえ嬉しいよ。ずっと、お前には何とも思われてないと思ってた。いや、むしろあの日からは嫌われてると思ってたんだ」
「・・・ちょっと待て。俺、お前の言ってることがわからない」
「土橋・・・」
土橋は、片腕だけで俺を引きはがした。その拍子に彼から石鹸の香りがして、興奮で頭がくらくらした。俺は自分を抑えるように息を吐くと、彼の表情を伺った。
「・・・今さらだよ」
「土橋・・・」
「神条。俺たちはもうどうにもならないよ」
「・・・・・・・・・・」
伏し目がちな表情のまま、土橋は静かに呟いた。俺とは違い、至って冷静な声だった。
「確かに、俺はお前を忘れられなかった。あの日のことは、何度も思い出した」
「土橋・・・」
「でも、俺は寂しいとは思わなかった。お前がいなくても、俺は寂しくなんてなかった」
「・・・それは、あいつみたいな男がいるからか?」
土橋に何と言えばいいのかわからず、俺は思いついた言葉を挟んだ。けれどそれは核心をついていたらしく、土橋は少し言葉を濁らせてから、小さく頷いた。
膝と同じ高さのテーブルに置いたままのキーが、俺たちの雰囲気を察して鈍く光る。俺は土橋の言葉の続きを待った。土橋は俺と目を合わせないまま口を開いた。
「・・・そうだよ。俺は男を知ってから、ずっと誰かに満たされてきた。名前も知らない相手だけど、別によかった」
「土橋・・・」
「名前なんて関係なかった。童貞なら誰でもよかった」
「・・・え?」
素朴な疑問はすぐに声に出た。土橋が街中で夜の相手を探していることは何となく察していたが、童貞なら、というのは話がみえない。俺が土橋をみると、彼は小さく息を呑んで口をつぐんだ。
土橋にとっては失言だったようだ。彼はどこか気まずそうな顔で俺をみると、観念して続きを話し始めた。
「・・・まあ、おかげさまで。俺はあの日から、童貞にしか興奮しなくなったから」
だから新しい童貞を探すしかないんだよ。小さい声ながらも、土橋は平然と言い放った。その告白は俺の想像を超えていた。
童貞にしか興奮できない? 土橋が? それで、あの男にも声をかけていたというのか?
そしてその性癖は、俺とのことが原因だと言ったのか。
「土橋・・・」
土橋は平気な顔をしていたが、俺にとっては衝撃だった。そんな彼にかけるべき言葉を、俺は見つけられなかった。
俺は、俺が思っていたより土橋との距離があったのだと思い知った。俺はただ土橋ともう一度会いたい、会って謝りたい、そしてできることならもう一度告白したいと考えていた。
けれど、土橋は違った。俺を好きでいてくれていたのに、それは報われないのだと思い込み、けれど俺のせいで偏ってしまった性癖を満たすために男を探し、そしてまた次の相手を探していた。
そんな彼に俺がずっと好きだったと伝えたところで、土橋は元に戻れるわけがないと言っているのだろう。爛れた夜を過ごしてきた自分が、今さら純粋な恋愛にかまけていられるわけがないと自嘲しているのだと、俺は彼の横顔から読みとった。
「だいたい、俺の好みは俺に興味がある男だ。お前は論外だよ」
「ちょっと待て、わけのわからないことを言うな。誰が・・・」
「わけがわからないのはお前だろ、神条。あの日、俺を抱いたお前は・・・」
土橋は途中で言葉を切ると、もうこの話はやめよう、と言った。俺は土橋の腕を掴み、彼の目をまっすぐに見つめながら反論した。
「お前の方こそ、わけのわからないことを言ってる」
「神条・・・」
「俺は、お前のことがずっと好きだって言ったんだ。一度だって、お前から興味をなくしたことなんてない」
土橋は、俺の言葉を信じてはいなかった。けれど、嘘だとはねのけることもしなかった。あの日の俺と目の前にいる俺と、どちらが正しいのかわからずに困惑しているようだった。
俺はそんな土橋の迷いを断ち切るため、彼に言い聞かせるように告げた。
「・・・俺は、ずっとお前が気になってた。自分勝手にお前を抱いてしまって、謝りたいと思ってた」
「・・・・・・・・・・」
「でも、それ以上に、お前にちゃんと告白したいと思ってた。あの日、俺がずっと言えなかったことを、今度こそ伝えたかった」
土橋は、俺の視線を受け止めたまま声を落とした。
「でもお前、やることやったら俺のこと全然見なくなったよな」
「ごめん。あれは緊張してお前のこと見れなかっただけだ。どうやって気持ちを伝えようか、必死に考えてたんだ」
「あれだけ、好きだ好きだ、って言っておいて?」
「・・・よく覚えてるな。でもそれは、セックスの最中だっただろ? 俺は、その後にちゃんと告白しようと思ってた。俺と付き合ってくれって、はっきり言うつもりだったんだ」
土橋の瞳の色はどことなく色素が薄く、とても綺麗だった。あの日もこれくらい近くで彼を見ていたはずなのに、俺は今まで知らなかった。
「じゃあ、あの日から俺を避けてたのは?」
「それは、お前に嫌われたと思ったから。酷いことをしてしまって、本当に申し訳なくて、顔が見れなくなったんだ」
俺たちはこの会話を最後に、しばらく黙りこんだ。
このラブホテルに入ってから、時計の短針が一周するほどの時間が経っていた。それなのに俺たちはいまだスーツも脱がずに、神妙な面持ちでソファに座っている。
土橋は何も言わずに俯いていた。俺はそんな彼を黙って見ていた。それは、あの日と同じだった。想い合っているのに、それを言葉にすることができない。
俺たちはまた、同じことを繰り返すのか。あの日から進めないまま、また同じ過ちを繰り返すのか。俺はゆるく頭を振った。
先に行動したのは俺だった。そろそろと手を伸ばし、土橋のあごに指をかけ、くい、と上を向かせる。土橋は拒まなかった。あの日と同じように、俺を受け入れてくれるようにみえた。
俺は土橋にゆっくりとキスを落とした。それは贖罪のキスであり、また愛を伝えるキスでもあった。ちゅ、と小さな音を立てて、俺たちは何度もキスをした。
土橋は慣れた様子ながらも、相手が俺ということに戸惑っているようにみえた。だが、決して嫌がってはなかった。その証拠に、彼はそっと俺の腕に手を置いてくれた。
俺たちの口づけは止まらなかった。俺たちの関係はあの日で終わっていたと思っていたのに、こうしてまた触れあえるなんて、こんな続きがあるだなんて思っていなかった。
やがて、土橋が顔をそむけた。しつこいよ、と苦笑されて、俺は初めてみせてくれた笑顔に胸が高鳴った。可愛い。好きだ。大好きだ。彼に対して抱く気持ちだけは、あの頃と同じだった。
「・・・なあ、土橋」
俺たち、今度こそうまくいくんじゃないか。俺たちはもう、言葉が足りずにすれ違っていたあの頃とは違う。きっと、俺たちは大丈夫。
そう言葉にして伝えたが、土橋は切なそうに眉尻をさげた。
「・・・でもさ。お前、童貞じゃないよな」
「・・・は?」
「俺、それだと困るんだけど」
可愛い表情でどんなことを言ってくれるのかと思ったら、土橋が口にしたのは夜の話だった。彼の言いたいことはわかったが、彼のデリカシーのなさは理解できなかった。この期に及んで童貞じゃないから、と俺を拒むのか。
お互いに好きだとわかったのに。やり直せるかもしれないと、お互いに思ったはずなのに。この男との未来は、俺が童貞かどうかにかかっているのか。
そんなことで諦めてたまるか。俺は土橋を捕まえたまま、彼をじっと見つめて口を開いた。
「・・・俺が童貞なわけないだろ。お前で童貞捨てたんだから」
「・・・だよな」
土橋は素知らぬ顔で目を逸らした。こいつ、絶対にわかってただろ。悔しくなった俺は、ソファにいる彼をそのまま押し倒した。スーツがしわになると怒られたが、もう俺は気にしないことにした。
童貞童貞とうるさい口をキスでふさいで、俺は決心した。俺のせいで童貞好きなどという変な性癖をもってしまったのなら、今度は俺のおかげでその性癖から脱すればいい。
土橋のスーツがぐしゃぐしゃになるほど強く抱きしめて、俺は彼に愛の言葉と少しの意地悪を贈った。
「だいたい、童貞とやるのが好きってどんな性癖だよ。今夜からは、俺とやるのが好きって性癖にしろよ」
「誰のせいでこうなったと思ってんだよ。お前があのとき・・・、ああもういいや。とりあえず今夜はもう童貞とやってきたから眠い」
「は? お前、誰かとやってきたのか?」
「うるさいな。俺がいつ誰とやろうと、神条には関係ないだろ」
「・・・くそ、何も言えねえ・・・」
落ち込みながらも彼にじゃれつくと、土橋は今度こそ声をあげて笑った。思わず可愛い、と呟くと、土橋からキスをしてくれた。俺は簡単に発情して、土橋のスーツに手をかけた。
土橋は眠そうにしながらも期待した目で俺を見ていた。それはあの日の彼と重なった。そうだ。俺は知っていたはずだ。俺を見つめる彼の目をみて、俺たちは両想いだと知っていたはずなのに。どうしてこんな遠回りをしてしまったのだろう。
俺は土橋の胸に顔をうずめた。心臓の音を聞いていると、ゆるく俺の髪を撫でてくれる。体を起こすと、土橋はくすぐったいよ、と笑った。幸せだ、と俺も笑った。
結局そのまま寝てしまった俺たちは、フロントからの催促で起こされ、そのまま滞在時間を延長した。やけに機嫌のいい土橋が体を許してくれたので、俺は遠慮なく彼を抱いた。それから数か月後に土橋と俺は付き合うことになるのだが、それはまた、別の話。
end
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
2 / 2