アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
いい子になりたくて。
-
「佐倉、バイト詰め込みすぎじゃない?そのうち倒れるよ?」
とある日の帰り道。
たまたまシフトが入れられず、意図していなかった暇ができた俺は齋藤と同じ帰路についていた。
春も終わりに近付きもうすぐ梅雨に入る、そんな蒸し暑い日の事。
「俺去年1回も学校休んだこと無いから、心配ないって。心身共に丈夫だから。」
こうしてたまに空いた日に齋藤と肩を並べて帰るのはちょっとした息抜きにもなっているし、正直かなり感謝している。
「ならいーけど!そういえば母さんが“みつる君は次はいつ来るの〜?”って毎日のように聞いてくるんだけど、今日飯食ってかない?」
「それはありがたいけど、そんないきなり行って大丈夫なのか?」
「大丈夫大丈夫。母さんには伝えとくし。」
齋藤はそう言ってくれているが、本当は内心、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
一人暮らしと言うことを知って気遣ってくれているのだろうけれど。
こいつの親がそんな風に良くしてくれるのは、俺がまだ何も出来ない子供だからだ。
生きるために精一杯の余裕のなさが、余裕のある大人には直ぐにバレる。
「…じゃあお邪魔しようかな。」
それでも齋藤の好意を無下にはしたくなくて、素直に誘いを受け入れる。
俺のその返事だけで齋藤は笑顔で喜びの言葉を返してくるのだから、とても敵わない。
隣でタタタと端末の画面をタップする齋藤を横目で見ていれば、「あ、」と小さく声を上げ。その指の動きが止まる。
「兄ちゃんが話したいことあるらしいんだけど、大丈夫?」
そうか、と内心その問いかけに納得した。
先生が話したいという内容に心当たりなら十分にある。
「大丈夫だよ。」
「…でも、…」
先程までキラキラとしていた齋藤の目が気が付けば暗く曇を帯びる。
そんな顔をお前がしなくてもいいのに。
唯一俺の詳しい事情を知っているからか、それとも感受性が豊かで感情移入をしやすいタイプだからか、…いや、その両方があるから、齋藤は酷く心配性なんだ。
「三者面談の話でしょ。俺最近学校終わったらすぐバイトで話す機会無かったし、丁度いいんじゃない?」
「…お前がそう、言うなら…」
俺は、この表情をする友人にかける言葉の正解が未だに分からない。
齋藤だけだったから、ここまで俺を気にかけて、心配してくれるのは。
だからこそ、今自分の中にあるもので精一杯の言葉を紡がないといけない。
バシンッ、と少し強めに同じ背丈程で並ぶそいつの背中を叩いてみる。
同じ、と言っても彼の方が数センチばかり高いのだけれど。
「大丈夫ったら大丈夫!担任なんだし、お前の頼れる兄ちゃんなんだろ!」
「そ、そう!そうだよな!」
ほら、元気になった。正解じゃないかもしれないけど、間違っては無い。
こうやってちょっとずつ、適切な言葉を紡いで行けばいい。
お前が俺を心配しなくても良くなる、その日までは。
ーーーーーーーーーー
齋藤の家にお邪魔して、家族の時間であろう食卓に混ぜて貰って、暖かい空間を身体に刻んでいく。
その傷がだんだんと深く抉れて、治らなくなる事も知らずに、俺はただ今この瞬間だけを楽しく過ごしていた。
食事を終えたあとは2人揃ってリビングで課題に手をつける。
齋藤は成績は酷くはないが良いとも言えない。
今は身近に頭のいい従兄弟がいるから昨年よりは苦労も減っているとは思うけれど。
どれもこれも運動以外は平均よりも少し下、それが齋藤秋人だ。
「それ、公式混ざってる。1回見直してみ。」
「うわ、ほんとだ…これこっちのでいい?」
「合ってるよ、それにこれをそのまま当てはめて計算してみて。」
「おー、なるほど!みっちゃん天才!」
「だぁれがみっちゃんだ!」
年相応に、子供らしく。
この家で過ごす俺はいつもそう。
考えるけど考えない、考えないけど、どこよりも、何よりも考える。
人を不快にさせないように、傷つけないように、嫌われないように、失わないように。
でも大人び過ぎないように適度に。
そんな風に課題を進めていれば残りも少なくなり、あと数問で終わると言う時、ガチャリと玄関から鍵の開く音がした。
齋藤の従兄弟、元い東雲先生が帰ってきたようで、チラリと部屋の時計を確認すれば21時を過ぎた頃。
良い子の小学生なら寝ている時間だ。
「悪い、遅くなった。」
「おかえりー!」
「お邪魔してます。」
ぺこり、小さく頭を下げる。人に教えながらの勉強は自分の理解にも繋がると言うが、かれこれ2時も2人で勉強をしていたらしい。
「課題してたのか?」
「んー、佐倉頭良いから教えて貰ってた。課題あと少しだし部屋で終わらせる。」
手を机に置き、それを支えに立ち上がると齋藤は教科書やノートを雑にまとめて片手で抱えれば、空いた手は椅子近くに置いてある鞄を持ち上げる。
「佐倉、話長くなるなら遅いし泊まって!兄ちゃん俺上にいるから終わったら声掛けてー。」
そんなふうに2階にある自室に上がる齋藤を見てか、ご両親も邪魔にならないようにと同じく2階にある自室へと戻っていった。
「そんなに急がなくても…先生お腹とか空いてるんじゃないですか?先に何か食べた方が…」
そんな事を言いながら立ち上がるも、俺の家では無いので勝手に台所を使う訳にもいかない。
とりあえず広げていた勉強道具は1度鞄へしまうことにしよう。
「いやいい、先に話をしよう。…秋人から聞いてるか?」
勉強道具一式を片付け再び座り直し、先生を見上げれば自らの口を開いた。
「軽くだけ聞きました。」
返答すれば先生の指が1度シャツの胸ポケットへと運ばれる。
けれどその手は何も物を取らずに空を掻いて机の上へと下ろされ、俺の正面にある椅子を引き腰を下ろした。
ああ、そうだった。
机の上、片隅に置いてある灰皿は先生のものだったっけ。
チラリと横目で忘れていたそれの存在を確認する。
この家で煙草を吸う人は居ないはずだ。
それでも机の上に置いてあるということは家が近いのか、秋人を可愛がっているのかは分からないがこの人がかなりの頻度でこの家に来ている証拠にだった。
「先生、煙草吸いながらでも良いですよ。」
ならば生徒の前だからと言って自分のプライベートの空間ということになる。
普段なら一服出来る環境でそれを味わえないというのは大人特有のストレスに感じるだろう。
正直、煙草の匂いは嫌いでは無いし気にならない。
「…そうか。」
ありがとう、と一言口にすると同時に度数がキツそうな赤と白のパッケージを取り出せば、そこから煙草を1本手に取り口に咥えた。
先端にライターで火を付け深く息を吸えば、俺に煙がかからないようにか顔の向きを変えてから、はぁ、と落ち着いた様に煙を吐く。
独特な苦味のある匂いが部屋に広がった。
「で、話なんだが。」
「三者面談の事ですよね。俺両親居ないんで…」
まさか自分から口にするとは思っていなかったのだろうが、これを言わないと本題に入れないのならば当事者の俺から口にするのが普通だろう。
「去年はどうしてた?」
「俺孤児院の育ちなんで、その孤児院の人を連れてこいと言われましたが、誰も捕まらなかったので1人で面談しました。」
俺が何も躊躇わずに口に出せば先生はうーん、と唸るような声を上げた。
「…お前の髪色、地毛だよな?」
「地毛ですね。黒にした方が良いですか?」
「いや、うちの高校そんなに校則厳しくないからな、受験の時だけでいい。」
確かにうちの高校は良くも悪くも緩い。
制服の気崩しは当たり前だし、アクセサリーをつけていても何も言われない。齋藤だってあの髪色で去年も1年間過ごしている。
「…孤児院の人とは仲悪いのか?」
「えっ、…と…」
髪色はまだ分かるが、まさかそんな事を聞かれるとは思っておらず、直ぐに返答出来ずに口ごもってしまった。
こんな反応、はいそうですと言っているようなものなのに。
早く何か弁明しなければ、これ以上深く踏み込まれると余計に上手く返答できなくなる。
「…向こうも忙しいので、あまり迷惑をかけたくなくて。」
「でも、お前の将来の話でもあるんだ。少しぐらい時間取って貰えないのか?」
本当にこの人は、人の心の柔くて脆い部分に土足で蹴りを入れるような、そんな人だ。
無意識なら最低だし、分かっていてやっているなら最悪だ。
その奥の奥にある、本当のことなんて誰にも言える訳もないのに。
苦くて渋い、言葉にできない感情が込み上げてくる。
これがなんていう感情なのか、誰かに教えて貰えれば、もう少しは楽になるかもしれないけれど。
自分の中に渦巻くドロドロとした感情に蓋をして、顔に笑顔を貼り付ける。
「大丈夫です、俺高校出たら直ぐに働きたいので。」
平凡に生きて平凡に死ねればいい、ただそれだけの俺にやりたい事も何も無い。
大学や専門学校に行く金なんて無いし、高校の奨学金を返すのでいっぱいいっぱいだ。
「成績は良いのに勿体ないな。何か目指してるものとか無いのか?」
「今はそれほど無いと言うか…」
今までも、これからも、そんなものを考えるつもりは無い。
とっくに俺の人生は終わっていても仕方ないのに、今までダラダラと生き続けて今ここに居る。
生きるという事、それ以上に何を求めるのか。
「まぁそうだな、まだ2年だし。これからいくらでも見つかるか…。もうひとつ確認していいか?」
「はい、なんですか?」
これ以上何を聞かれるのか、と身構えて居れば、進路でも、得意不得意の教科でもない、思いも寄らない、考えもつかなかった事を聞かれた。
「お前の光って名前、誰が付けた?苗字は?誕生日は本当の生まれた日か?」
「っ……なんで、そんな事を?」
これ以上、踏み込んでくるな。
俺の内側を、仮面の裏側を探らないで欲しい。
ただの先生が、そんな事まで気にするなんて、普通じゃない。
やっぱりこの人は教師の皮を被った狼だ。
弱みを握って、弱らせてから獲物を取って食らう、そんな人。
「単に気になっただけだ。俺は孤児院で育ったわけでも、その関係者でも無いからな。お前がどうやって生まれて、どんな風に生きてきたかを知らないと教師としてお前を理解してやれない。そう思っただけ。」
この人は、俺を理解しようと、本気でそう思っているんだろうか。
その上であの質問責めをしているらしい。
大人から見れば肉親でも無い人間は面倒くさくて鬱陶しい、目障りな存在、そのはずなのに。
「俺にとっての常識や当たり前が、お前を傷つける原因になる事だってあるだろ。まだこれから先俺と関わることも多い。学校生活っていう長い日常でもお前はそうやって作り笑い浮かべて生きてくのか?」
吸いきった煙草を灰皿に押し付け消せば、すぐさま慣れた手つきで2本目を取り出す。
やっぱり、この人も余裕のある大人、ということなんだろう。
そんな事は分かっていたが、教師をしていて生徒の些細な事に気づける人は至極稀だ。
新学期が始まってまだ数ヶ月の今なら尚更。
俺ははぁ、と1つ小さな息を零して、貼り付けていた笑顔を脱ぎ捨てる。
大人に弱みなんて見せてもいい事なんて無いのに。
それでも今これを貫き通せばこの人はいつまでたっても突っかかって来そう、そんな気がした。
「…名前は、同じ孤児院に居た子が付けてくれました。苗字は1度引き取られた家の苗字で、まぁその後すぐ孤児院に返されたんですけど。」
秋人にも言っていないことを、聞こえるか聞こえないか位の小さな声でぽつり、ぽつりと繋いでいく。
思い出したくないもの、考えたくない事で頭の中がぐちゃぐちゃになって行くのがわかった。
ずっと閉じていた蓋を少しだけずらせば、いつの間にか収まりきらなくなっていたものが少しずつ溢れる、そんな感覚。
「誕生日は、…孤児院で1番仲が良かった子の誕生日と同じにしただけで、拾われた日も本当に産まれた日も分かりません。…正直自分の本当の年齢さえわかりませんよ。」
望まれずに産まれる子供って、思ったよりも沢山いる。
その中の一部が産まれる前に死んで、産まれたら殺されて、捨てられて。
それらをスプーンで掬ったほんの少しの量だけが世間で広がるニュースになる。
「孤児院の人達は忙しいのは本当ですけど、俺に関心も興味も無いので時間は取ってくれません。不仲以前の問題なのでご心配なく。」
「…そうか。」
そっちが聞いてきたから答えただけなのに。
凄く悲しそうな顔をするその教師は煙草の火種部分を灰皿に潰し入れれば、俺の頭へと手を伸ばしてきた。
怖い。
本能的にそう感じてしまって、慌ててぎゅっと目を閉じる。
けれど何を恐れていたのか分からないほど、優しい手のひらが俺の頭をくしゃりと撫でるだけだった。
「秋人に今の話は?」
「…孤児院に居た、ということしか言ってません。」
「わかった。」
言わないでいてくれる、と言うことなんだろう。
何度も繰り返し俺の頭を撫でるその温もりに、出したくもない涙で視界が潤む。
そうか、初めてなんだ、誰かに頭を撫でられたのは。
父も母も、兄弟も家族も知らずに生きてきた。
誰かからの愛情なんて与えられた事もない俺は、このゴツゴツした男の手に心を掻き回されて乱されて、初めて他人の前で泣きそうになっている。
「他にも言える事があるなら全部教えてくれ。昔の事じゃ無くてもいい、最近の悩みとか、なんでもない話でもいい。もっとお前の話を聞かせてくれ。」
ただの教師の癖に。
誰かが誰かを責めている時にも無関心で、喧嘩や虐めは見て見ぬふり、自分が良ければそれで良いだけの大人な癖に。
弱みなんて、見せたくないのに。
「っ…すいません、帰ります!!」
その言葉も手も全て払い除けて、鞄を手にすればすぐさま立ち上がり玄関へと駆け足で向かう。
「お邪魔しました!!!」
2階の自室にいるであろう友人と、その両親にも聞こえるように声を張り上げながらスニーカーの踵を押し付けるよう乱暴に履いて、その家を飛び出した。
失敗した、と思ってしまうくらい、考え無しに行動してしまった事はわかる。
「っ、…ふ、…」
わかるのに、後悔しても、それ以上の安堵が込み上げる。
誰にも見られたくなくて、聞かれたくなくて、ぼろぼろと涙が零れるに気付かないフリをして、近くの公園へと駆け込んだ。
「っ、…ひ、っ…ぅ、…」
泣きながら走ったせいで、息が出来ない。
それでも、あれ以上俺の中身を見せてはいけないと、そう思ったから。
制服の袖でゴシゴシと涙を乱暴に拭き取れば、皮膚の弱い部分が擦れてヒリヒリした。
期待、してしまった。
期待してもいい事が無いと分かっているのに、それでも“この人なら”と思ってしまった。
誰も居ない、何もいない、その公園でベンチに腰を下ろすも、いつ以来か分からない涙は止まること無く、次々と溢れ出して膝に落ちて広がる。
「…はは、っ…」
自分がこんなにも泣ける人間だったと知らなかった。
「っ、佐倉!」
誰も居なかった場所で、いきなり名前を呼ばれて、心臓が口から出そうになるくらいに跳ねる。
慌てて目元を再び拭って声のした方に顔を向ければそこには先程まで話をしていた教師が立っていた。
「な、んで…」
秋人だったら、まだ誤魔化せたんだろうか。
いや、この状況ではさすがにあいつでも誤魔化すことなんて出来なかった。
なら、追いかけてきたのが先生だったのは不幸中の幸いだったと考えるべきなんだろうか。
1を教えたのと10を教えた、それくらいの誤差と考えれば、大したことなんて無いだろうけれど。
「…なんで、って…あんな顔で逃げられたらそりゃ、心配になるだろ…」
少し息は荒れているが汗はかいていない、チラリと公園の入口を見れば先生の車らしきものが停められていた。
「…悪い、深く聞きすぎた。」
「いえ、…別に。」
「別に、って思ってる奴がそんな目元真っ赤になるまで泣かない。」
「こ、れは、違いますから!!」
当たり前のように泣いていた事を指摘され、それを否定して、目元を擦るも、自分の力では止められないものなんだろう。
「後で腫れるから、それ。」
そう言われ涙を拭う事を制止するように手首を捕まれ、腕ごと引き寄せられる様に動かされれば反動で俯いていた顔を上げてしまった。
それを見逃さんと言わんばかりに、濡れた頬に角張った手が当てられた。
「っ、やめっ…」
夜で誰もいないと言ったって、顔を上げれば街灯の光があるし、こんなに距離が近ければハッキリと見えてしまう。
「やめねーよ。」
優しく涙を拭き取る、ポケットから取り出したであろうハンカチは先生と同じ煙草の匂いがした。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
4 / 4