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一一、
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──今夜は望月のようだ。
夜ももう随分と更けているというのに、未だ天高くに居座る青白い光が部屋を無遠慮に照らす。
寅松…怒っていたな。
あんな顔は初めて見た。
…当たり前だ。
3日ぶりに顔を合わせた恋人が突然突き放すような態度を取れば、機嫌を損ねるが当然。
畳の上に寝そべり、窓から覗く月光に目を細めた。
すると
すすすとこちらに向かうよく知った足音。
それは予想通り、部屋の前でピタリと鳴り止む。
間違っても音を立てぬよう袖口に指先を忍ばせたものの、否応無しにふすまを開かれてしまえば
為す術はない。
俺を捉えて途端に険しくなる表情が
月を浴び、痛々しいほどよく見えた。
「…仙之助。疲れたんだろう。何故寝てないんだ。」
「…っ。」
逆光は俺の顔を隠してくれている事だろう。
今宵が満月で…本当によかった。
今、どんな顔をしているのか
自分でもわからない。
寅松はあからさまに不機嫌さを醸し出し
余りの恐怖にひくりと喉が鳴る。
美人が怒ると、これほどまでに威圧的であるのか
そう納得するよりも前に、
視界を寅松の影が支配して。
「…俺の事、避けてないか。」
こちらを睨む鋭い目つきと交われば、まるで猫に狙われた野ネズミのように
怯えて身体が動かない。
寅松を怖いと思うは初めてだった。
「…何言ってんだ。」
震える喉に力を込めて
平心を装うものの
訝しげにこちらを見つめるそれに耐えられず
俺はついに、視線を月へと向けた。
あぁ、苦しい。泣きたい。
息の仕方も忘れるほど
枯れ果ててしまえるほど。
だが、それでも
俺は寅松を幸せにしたいと
その思いだけが、飼い主である俺の先を走る。
「…あぁそうだ。お前に言いたい事があったんだ。」
振り返る事も無く
煌めく明かりを虹彩に取り込んで。
「俺、嫁ぐ事になったよ。
だからもう俺達はここまでだ。」
今、寅松が一体どんな顔をしているのか俺にはわからない。
いつものような優しい笑みではないと言う事くらいしか、
もうわからない。
ただ、ほんの一寸程度先で
畳がザリ…と音を鳴らしたのみでは何も。
「……セン…それ、本当なのか。」
「ああ。……だから“柘榴”もどこぞのお偉いの所へ行ったらどうだ。
初めから俺達貧乏人がどう足掻いた所で、この先なんか目に見えてるだろう?」
ゆっくりと瞼を伏せれば
遠い記憶を映し出し、心が穏やかになる。
いつでも俺に笑いかけてくれて
温かく、美しく、誰よりも素敵な君がそこには居るのだ。
「現に、俺達は今何をしている?
知らない男に毎日抱かれて…そんな汚い金で幸せになれると思うのか?」
偽りの言葉は次々と現れた。
寅松を傷つけると知りながらも
縛り付けた鎖から放ってやれると解るから。
“偽り”こそが、“人”の“為”。
君の幸せの為ならば
俺は迷わず君の元を離れられる。
「……俺は幸せになりたいんだ。」
今も、これまでも
幸せだった。どうしようもなく。
君が居れば、それだけで。
…だから
俺はもう、たくさん貰ったから。
君の幸せの妨げになることだけは願い下げだ。
どんなに酷い事を言おうが、どんなに嘘を吐こうが
寅松が、俺から離れて正しい道を歩んでくれるのなら。
この生き地獄から抜け出して、温かな毎日を送れるのなら。
──寅松の幸せが、俺の一番の幸せだ。
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