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よくある犬猿の仲【2】
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■□■□
「……北の山の同胞が倒されたようです」
細い光の帯が宙を漂う。
メドロームがそれを捕まえ、指で絡めるように巻き取った。
「……聖職者殺しの妖刀も、本体を知られれば脆いものですね」
「では、すぐに北に向かい、目ぼしい者を血祭りに……!」
「待ちなさい」
メドロームは手元に目を凝らした。
目が痛くなるほど細かい光の文字が絡み合い、ひとかたまりとなって帯の形を作っている。
「最後の一撃は剣での殴打……直前に呪文の炎にも焼かれたようです。戦士、あるいは剣士と魔導師のいる群れでしょう」
「あ、あの……失礼ながら、なぜそんなことが?」
「私には読めるのですよ。我が同胞たちの死の間際の記録が。そこから推測すれば、各地での出来事など手に取るようにわかります」
メドロームが両手を広げた。
「毒バチたちの最期は、結界に阻まれた直後の火炎呪文。距離と時間からして同じ相手でしょう。女の力であの剣を折るのは不可能ですから、剣士、または戦士は男のはずです」
「おお……!」
「ちィと空けてくれ」
小柄な影が魔物たちの腰辺りをかき分ける。
メドロームはそちらを見て鼻にしわを寄せた。が、何もなかったように別方向を見る。
「あの妖刀と出会った以上、しばらく聖職者は使い物にならないでしょう。欠けた戦力で山を降りようとする人間は、決まって一番近いロッジを目的地にする」
「そのボロ小屋なら燃したぜ」
「ッなんですって!?」
魔物たちがどよめきながら左右に分かれた。
空いた通路の真ん中でフェルニクスが肩をすくめる。子供の姿ではないが、青年と呼ぶべき姿でもない。
和毛の残る翼と二本の尾羽が鮮やかなオレンジに燃えている。
外見年齢は12.、3才といったところか。
「たき木にゃシケてたが、ひよこ羽根じゃ見栄えが悪ぃんでの」
「どこまで勝手をすれば! あのロッジは、死に損ないを始末するための布石なんですよ!」
「ハ! あんな掘っ建てに誰が寄り付くかい」
「……ッ……!」
メドロームがぶるぶると肩を震わせた。手元の光が針のような直線に形を変える。
「こォのッ!!」
「おっと」
「ギャア!」
投げつけた光線がフェルニクスの翼を掠め、その後ろにいた魔物の眉間を貫いた。
フェルニクスが勢いよく翼を開き、打ち出された火の玉の群れがメドロームの髪を数束焼き切る。
「ぐわぁっ!」
「ひいい!!」
巻き添えを食らった魔物が悲鳴を残して灰と化した。
だが両名は互いから目を離さない。
「燃やす相手ぁたんといるぜ。一部隊全滅が望みかえ?」
「お好きに。命を落とした魔物の数だけ、私の武器が増えることもご存じですよね?」
頭上の渦からいくつもの光の帯が降り、メドロームの腕に巻き付く。フェルニクスが口の両端を吊り上げて構えをとる。
「お、お二人とも落ち着いて……!」
「もうよせ、巻き込まれるぞ!」
光線と炎が交差し、決して狭くはない洞窟の壁に穴を開ける。
飛び散る火の粉がフェルニクスの顔にかかり、三十路を過ぎつつあった顔立ちを僅かに若返らせる。
流れ弾を食らって倒れた魔物の体から光の帯が現れ、メドロームの手元に吸い寄せられていく。
「あと何発打てるんです? 同胞たちを焼き尽くしたところで、その頃にはあなたも老いぼれでしょう!」
「くかか、そンときゃあ生まれ直すだけよ! お前ぃこそわしを仕留める策があンのかえ?」
「うるッさいですよ!!」
一際勢いの乗った光線の束が天井を撃ち抜いた。
ばらばらと土ぼこりと砂が落ちる。
「っと………」
フェルニクスが猛禽の指をかざしたまま眉間を寄せる。関節には深いしわが浮き出し始めていた。
「はぁ、はあっ……!」
メドロームが片膝をついて息を乱す。
数体の魔物がその背にすがった。
「メドロームさま! これ以上の損害は作戦に響きます!」
「いいえ、今日こそは許しませんよフェルニクスゥ……! 来なさい、その手羽を裂いて天井から吊ってやります!」
「ほ、達者に動く舌だの。火種が手に入りゃ、余分の体は燃してやッからそう思いねェ!」
「負け惜しみを!」
メドロームが手に残った光線を投げつける。
それをかわし、フェルニクスが壁の穴から飛び去った。
半分ほどに減った帯の群れがぼんやりと洞窟内を照らす。
「………火種……ですって……?」
メドロームが荒い息のまま呟く。
ややあって、こわばった口元が三日月型に釣り上がった。
■□■□
「なんだコレ」
ソルは半眼で呻いた。
地図上ではロッジが建っているはずだが、目の前にあるのは炭と化した残骸だけだ。
「派手に燃えてる割に延焼はしてねえ。ただのボヤじゃねえな」
ウィザが焼け跡を睨んだ。
付近の木々はほとんどが立ち枯れており、マッチからでも大規模な山火事に発展するだろう。
しかし、魔力による炎は威力が高い反面、数分と保たずに消えるという特徴がある。
「離れた方がよさそーだな」
ソルは後方を振り返った。
山道に戻る少し手前で、イストが枯れ木に背中を預けている。
「もーちょい休むか」
「……ん、大丈夫だよ。キミが心配してくれるなんて雨でも降りそうだ」
「茶化してんじゃねえよ」
ウィザが目つきをきつくした。
「あの商人が血止めの薬を持ってなきゃ、最悪失血死もあったんだぞ」
胴を斜めに横切った斬り傷は、きわどいところで大きな血管を外れていた。
現在はその傷も回復呪文で処置してあるが、流れ出た血液までは補充できない。
「ふもとまで下りりゃでかい休憩所があるみてーだけど」
「地図貸せ」
「ん」
ソルは歩きながら物入れを開いた。
昨日の村もまた、日照りによる悪循環の渦中にあった。医学や回復呪文の心得があるものはおらず、備蓄してある食べ物は村人の分で精一杯だという。
せめてもの心付けに、と渡された麦パンをかじり、無言のまま袋に戻す。
「いっそさっさと野宿しねえか? 下山には回り道になるが、こう……」
ウィザが地図をなぞった。
現在地から西に逸れた場所に小高い丘がある。
日照りによって砂山になっているだろうが、山の中で夜を迎えるよりも安全なのは明らかだ。
誰の目にも、明らかだ。
ソルは地図をたたんだ。
「ふもとまで突っ切るぞ」
「あ゛ぁ? 正気か?」
「正直参ってるけど、」
ソルは額を拭った。日差しをしのぐためとはいえ、体全体を包む布はなかなかに蒸す。
視界を遮る片手の陰で何かが跳ねた。
「ッ!?」
ソルは長剣に手をかけた。
ウィザが弾かれたように同じ方向を見る。
比較的見通しのいい山道である。もとは川沿いの林道だったのか、枯れ木と流砂がどことなく景色の面影を残している。
「……気のせいか?」
「いや、何かいるぜ」
ウィザが油断なく視線を配る。
イストが細く息を吐いて教典を開いた。
肌がひりつくような気配が徐々に濃くなり、突き刺すような殺気に変わる。
「――――下だ!」
飛び退いた三人の影を掠め、二十あまりの魚の群れが飛び上がった。
一匹のサイズは大人の足程度か。鋭利な歯をがちがちと鳴らし、空振りを食らった魚たちが地面に消える。
「地中魚か……!」
土の中を自在に泳ぎ回る魔物の一種で、群れで狩りをする習性がある。
石畳や板の上に避難するのがよいとされているが、あたりは一面の荒れ地だ。
ソルは小脇から飛び込んできた一匹を叩き斬った。
「はじけろ!」
爆発が地面を抉って土の中の群れを吹き飛ばした。
その土煙を裂き、新たな地中魚たちがウィザを狙って飛び出す。
「加護を!」
半円状の障壁が広がり、弾丸のように突っ込んできた四、五匹を弾き返した。
と同時に、障壁が空気に溶けるように消滅する。
「イスト、無理すんな!」
イストが血の気の薄い顔で片手を上げた。その肩をかつぎ、ウィザがソルを見る。
ソルは付近を見渡した。
左には元来た道、右には西の丘へ伸びる細道が伸びている。そして振り返れば、ふもとへ続く下り坂が続いていた。
地中魚の群れを撒くのは少々手間だが、『最善の手を選ぶなら』ウィザの考えに乗るのが妥当だ。
ケガ人を抱えての下山はこちらまで体力を消耗する。さらに安易で確実な解決法は、『ここでイストを放り出して地中魚を引き離す』だろう。
「(つっても一応、色々借りがあるしな)」
すでに癒えた腹の傷がうずいた。ような気がした。
「急ぐぜ」
「あ゛ぁ!? だからどういう、」
「あとで話す」
ウィザが虚を突かれたような顔をした。
ソルはむずがゆい感覚をこらえてその顔を見つめ返した。
「あとで全部言うから。下まで走ってくれ」
「いいよ」
返事をしたのはイストだった。ウィザとソルの顔をそれぞれに見て、とりなすように笑う。
「オレは大丈夫だよ、ウィザ。ソルも考えがあって言ってるんだろう?」
ソルは言葉を選びかねてウィザを見た。
ウィザが短く息を吐く。
「……わぁったよ」
「サンキュ」
交差した視線がどちらからともなく逸れた。
険悪と呼ぶような空気ではないが、何事もなかったかのように仕切り直すには座りが悪い。
そのズレを嗅ぎ付けたように、再び地中魚の群れが地面から飛び出した。
「火炎よ!」
火柱が魚群の渦を撃ち抜き、翻った長剣がこぼれた地中魚たちを不揃いに一閃する。
「イスト、先に行け。しんがりは無理があんだろ」
ウィザが波打つ地面を油断なく睨む。イストが頷き、危うい足取りで下り坂に足を向けた。
「あと何回いける?」
「結界なら二、三回かな。……ごめん、強度は期待しないで」
「りょーかい」
ソルはイストを追い抜いて先頭を走った。
今のイストに全力疾走は無理だろう。が、ある妄想じみた予感が足を急がせる。
追ってくる地中魚の群れを何度も焼き払い、時に斬り飛ばし、山道を下る。
その背中を焚きつけるように、ソルたちに熱風が吹き付けた。
「よう火種ぇ。厄介ぇモンに追われてンな」
「っ、てめえ!」
ウィザが警戒をあらわにして身構える。
昨日の『青年』――フェルニクスが行く手を塞ぐように地面に降り立った。
あの子供の姿からなにがあったのか、今の見た目は初老に差し掛かる手前といったところだ。
フェルニクスが景色を透かすように地中魚の群れを見る。
遠目になる程度引き離しているとは言え、立ち止まっていては数秒のうちに追いつかれる。
「奴らぁしつこいぜ。狩ると決めたが最後、千でも万でも集まりやがる」
「とぼけやがって……! てめえがけしかけたんじゃねえのか」
「ここらぁわしの庭の池だぜ? 呼びもしねェのに沸くボウフラよ」
ばざっ! と、フェルニクスが翼を広げた。毛羽だった羽根にぽつぽつと炎が灯り、かげろうのような揺らめきを生む。
「ちィと腹に据えかねる野郎がいての。わしと来るなら、あのボウフラどもは焼き飛ばしてやろうサ」
「……二度目だぜ」
「三度は言わねェ」
フェルニクスの笑みが尖った気配をはらむ。
ウィザが油断なくその瞳を睨み返す。
イストが肘でソルの腕をつついた。
後ろからは次の魚群が迫っており、このままいけばはさみうちになるだろう。
ソルは長剣に手をかけてウィザの横へ踏み出した。
「ウィザ、一応聞くけど行く気は」
「ねェよ」
「だってさ」
「……通訳ァ要らねえぜ」
羽根のひとつひとつに灯る炎が翼全体に広がり、大きな炎となって燃え上がった。
と同時に、死角にいたイストが呪文の詠唱を終える!
「英知を!」
イストの投げつけた光球が強烈な閃光を放ち、あたりを白く塗りつぶす。
それよりもわずかに早く、ソルはウィザの目を覆って横の斜面へ飛び込んでいた
「うおおおお!?」
目を押さえたフェルニクスに、同じく目標を見失った地中魚の群れが突っ込んだ。
昨夜使った照明の呪文だが、呪文の内容を書き換えれば、維持時間と引き換えに光量を増やすこともできる。
最大光量を直視すれば、しばらくは目が利かないだろう。
ソルは数メートルの坂道を滑り降りてウィザを降ろした。少し遅れて、イストも二人のあとに追いつく。
「お前つくづくあーゆーのにモテんな」
「代わってやろうか?」
「考えとく」
ソルは下りの方向に顔を向けた。
ばぢぃ、と耳がかゆくなるような音がして、あたりが赤い光に照らされる。
「えっ?」
一陣の閃光が数歩横の木を貫いていた。
乾燥した木肌は一瞬で黒く変色し、帯電するように火花を散らす。
ソルとウィザはぎょっとして呪文の出どころを振り仰いだ。
デーモン、あるいはインプだろうか、簡素な鎧をつけた魔物の群れが頭上を固めている。
「…………誰?」
「見つけたぞ!」
思わず洩れた声をかき消し、大量の攻撃呪文が上から降り注ぐ。
「ンだよ次から次へと!」
ウィザが舌打ちとともに吐き捨てる。
「はじけろ!」
沸き起こった爆発が隊列をまとめて吹き飛ばした。
辛うじてかわしたうちの一体が、ウィザ目がけて手持ちの槍を振りかぶる。
しかし、横から飛び込んできた火の玉がその魔物を飲み込んだ。
「っぐぁぁぁあ!」
「わしの火種をかっさらおうたぁ、どういう了見だぇ?」
くらんだままの片目を押さえ、フェルニクスが殺気をむき出しに下草を踏み分ける。燃え盛るほどの勢いはないが、足元の草は見る見るうちに炭の色に変わっていく。
あれほどいた地中魚たちの姿がない。代わりに、同じ色の灰が鮮やかな衣服の裾にまとわりついていた。
魔物の群れが怯えたように顔を見合わせた。
「ーーーー吹き飛べ!!」
扇状の衝撃波がその一帯を薙ぎ払った。
不意をつかれたフェルニクスが数歩よろめき、魔物たちは宙でぶつかりあって地面に転がる。
「さっすが」
「任せろ」
「逃げるよ!」
ソルはウィザとイストを先に行かせて後列に着いた。
戦士や格闘家は前に出るのがセオリーだが、後ろから敵が迫ってくるなら配置は逆だ。
「向こうだ、追え!」
「ッ火種ぇ!!」
ソルは頭上から突き込まれた穂先を打ち払った。
フォークのような三ツ又の槍を構え、二体の魔物が交差するように急降下する。
「火炎よ!」
斜めに伸びた火柱が二体をまとめて飲み込んだ。
「しめた!」
フェルニクスが歓声を上げて火柱に飛び込んだ。炎をくぐり抜けた羽が鮮やかに色を取り戻し、しおれていた尾羽が枝葉の伸びるように膨らむ。
「くかかっ!」
勢いの乗った羽ばたきが魔物を四、五体まとめて消し飛ばした。
フェルニクスがソルの上を越え、ウィザへ手を伸ばす。
ソルは鉄製の鞘を腰から引き抜き、フェルニクスの顎を垂直に突き上げた。
「ご…………っ!!」
のけぞるように空中へ逃れ、フェルニクスが顎を押さえる。
「こッ……のォ……!」
「吹き飛べ!」
直線状に絞った衝撃波がフェルニクスの胴にめり込んだ。軌道上の枯れ木に縫い付けられるように吹き飛び、一抱え程の幹が音をたててへし折れる。
「直撃してようやくかよ……!」
ウィザが息を切らして呻いた。
残り僅かな魔物の群れが上空へ距離を取り、口々に呪文の詠唱を始める。
最初の攻撃呪文と同じものだとしても、人数分の威力と範囲はそれなりのものになる。
ソルは周りの斜面に目を凝らした。
数メートル先の枯れ木の根元に不自然な空洞がある。
「ウィザ!」
ソルが指差した先へ、ウィザが面食らいつつも狙いをつける。
と同時に、頭上から大量の攻撃呪文が降り注ぐ!
「貫け!」
圧縮した衝撃波が木の根元を撃ち抜いた。這ってぎりぎり入れる程度だった空洞が広がり、支えを失った枯れ木が傾く。
ソルたちはそこへ飛び込んだ。
直後に枯れ木が倒れ、ほかの木々と折り重なるようにようにして入り口を塞ぐ。
「っ、と」
ソルは二メートルほど落下して腐葉土の上に着地した。
ほどなくしてウィザとイストも転がり込んでくる。
予想通り穴の持ち主の姿はない。
穴全体の三分の二ほどが地面の下にあり、三人が膝を折って潜めるほどの空間が広がっている。
「これ、なんだい?」
「熊の巣」
「くっ……!?」
イストが青い顔で左右を見回した。
「見つけても近づくなって言われてたけど、冬眠の時期じゃねーから」
「誰に言われた?」
「……今する話じゃねーよ」
ソルは耳を澄ませた。
土の向こうで響いていた地響きが収まり、不鮮明な話し声が聞こえてくる。
攻撃呪文であらかたの枯れ木を吹き飛ばし、死体がないことに気づいたか。
「―――――! ……、……!!」
けたたましい怒号から察するに、フェルニクスが追い付いてきたらしい。言い争うような声と悲鳴、武器のぶつかる音が混じりあう。
「(潰し合いが終わるまで待つ……にしても、あの鳥はヨユーで残るだろうな)」
元より熊の巣に籠城できるほどの強度はない。
ソルは日除けマントの襟元を緩めた。
「ウィザ、さっきの話だけど」
「あ゛ぁ?」
「てめえらよくも要らねえ手出しを!」
吠えると同時に放たれた火の玉が数体の魔物を灰にした。
フェルニクスがフゥフゥと息を切らす。
「どういうつもりか知らねえが、ここはわしに譲って帰ンな」
「それは……できません」
「はァン?」
魔物の群れが槍を構える。
「何をおいてもフェルニクスさまの『火種』を持ち帰れ、と、メドロームさまから仰せつかっています」
「あンの野郎……! てめえらも大した忠義モンだの」
フェルニクスがひきつった頬を吊り上げた。艶の褪せかけた翼が振り絞るような火勢を上げる。
魔物の群れがじりじりと間合いを詰める。
ひた、と、フェルニクスが一歩を踏み出す。
ーーーーよりも早く。
「はじけろ!」
土中からの爆発が魔物の群れを残らず飲み込んだ。大量に吹き上がった土煙がフェルニクスにかかり、炎の勢いを削ぐ。
ソルたちは熊の巣穴から飛び出し、再び下山ルートに向かって走り抜けた。
「っは、ははッ! 火種ぇ!!」
土煙を羽ばたきでいなし、フェルニクスがそのあとを追う。
「あれ! 橋じゃないかい!?」
「急ぐぜ!」
本来は豊かな谷川だったのだろう、切り立った崖の間に細い吊り橋がかかっていた。大人が二人乗れば踏み抜けそうな足場の板に、砂嵐に擦れてすり減ったロープが嫌なきしみ方をしている。
幸い下は砂の海だが、落ちれば骨の数本はどうにかなるだろう。
「逃がすかぇ!」
炎を纏った大量の羽根が橋に吹き付ける。
「はじけろ!」
沸き起こった爆風が羽根の群れを押し返した。
その余波に耐えられなかったのか、あるはそもそもガタがきていたのか。
吊り橋を支える縄が音もなく切れ、斜めになった足場が空中でばらばらになる。
「な!?」
「加護を!」
水平に広がった障壁がイストを受け止めた。
しかし、万全でない状態で発動した結界は、術者一人分の体重でも大きくたわむ。
イストが奥歯を噛んで振り仰いだ。
逆光の中で鉄製の鞘が反射し、ローブがはためく。
二人が結界に着地するよりも早く、眼下の砂の海から巨大な地中魚が跳ね上がった。
「しまっ……!」
空中では身を翻す場所もない。
戸板ほどあるあぎとを目一杯開き、地中魚が人一人を丸のみにする。
閉じた牙の隙間からローブの裾がのぞいた。
「てめェ!」
伸びてきた火柱をかわし、地中魚が砂の中へ姿を消す。
フェルニクスが文字通り飛んでくる頃には、地中魚は完全に土の下へと逃れていた。
「これもあの野郎の差し金かぇ……! ――――っ、ぐぅっ!?」
振り抜かれた鉄の鞘がフェルニクスのこめかみを掠めた。
宙に張られた結界を足場に、次の一撃が振り下ろされる。
「ッ、このっ!」
フェルニクスが反射的に腕を振り上げた。
瞬間、イストが結界を解除する。
障壁の上にいた全員が短い距離を落下し、フェルニクスの手が空を掻いた。
その間にも、イストが次の呪文の詠唱を終える。
「戒めよ!」
放射状の稲妻が宙を走った。
大きく羽ばたいてそれをかわし、フェルニクスが滑空とともにイストを蹴り飛ばす。
「うぁっ!」
フェルニクスが回し蹴りのように体を返した。二股に分かれた猛禽の足先でマントの裾を巻き込み、続けざまに二人目を崖に叩きつける。
「ぐっ……!」
鉄の鞘先が砂に擦れた。
「身内を追うよりわしを狙うかえ。ご立派なこって……と、ほだされるほど腑抜けちゃいねえぜ」
「…………ッ!」
フェルニクスはフードの襟首を掴み上げた。
「コレ幸いと目の前から消えてりゃ済ましてやったもんを。庭の羽虫を気に留めねえとは言ったが、たかりゃ潰しもするんだぜ?」
「ッ!」
鞘を握っていないほうの手がフェルニクスの腕を掴む。
フェルニクスはその指先に目を留めた。
「……うん? お前ぃは……」
■□■□
「ああ、下手に動かないほうがいいですよ」
メドロームは満足げな笑みを浮かべた。
無人となった鍾乳洞の中で、巨大な地中魚が主と向き合っている。
地中魚が細く口を開けると、ありふれた日除けマントの裾と魔導師の象徴であるローブがのぞいた。
「あの馬鹿の火種になるならどれほどの大魔導師かと思えば、……ふふ、まだ子どもじゃありませんか」
ぽたり、と、地中魚の口の中から滴った血が小さな血だまりを作る。
辺りに他の魔物の姿はない。がらんどうとなった鍾乳洞の天井で、いくつもの光の帯が渦を巻いている。
「これはね。この地で果てた同胞たちの記録……みたいなものですよ」
メドロームが片手をかざした。漂ってきた光の帯を指先で巻き取り、頭上の渦へと放りやる。
「我々魔物が命を終えると。その体と魔力は砂になって散る。でも限りなく細分化されただけで、情報は『ある』んです」
『ギゴルルゥ……』
「……っふふ、あなたには難しいですか」
メドロームが地中魚を振り返り、恍惚の眼差しで頭上を示す。
「見えないほど細かくなった『その魔物』の一部……私はそれを自分の魔力と融合させ、形作れるんです。情報を読み解く頭脳と手駒があれば、最低限の労力で目的へ至れる。……だというのに、それを乱す馬鹿がいましてねぇ」
メドロームが表情を歪めた。
「エネルギーに限りがあるなら節制すればいい。私の指示通り働けば、若さを保つ程度の炎は得られる。なのにあいつは気ままで無駄ばかりで、己の道楽しか考えちゃいない…………ッ!」
ぎりぎりと歯を鳴らしかけて、思い直したように口を閉じる。
「いいですか。奴に炎を与えていいのは、私が許した時だけです。あなたを捕らえたのは私ーーーー火種の持ち主は私! この盤面の指し手は私だと、あの極楽鳥に理解させるのです!」
メドロームは振り向いた。
そして固まった。
捕えたはずの魔導師の姿がない。ただ、顎を裂かれた地中魚が息絶えている。
――――裂かれた?
「やっぱり居たのな、指し手サン」
翻った刃が鈍く光った。
■□■□
「吹き飛べ!!」
迸った衝撃波がフェルニクスの羽根を散らした。掴まれたままの日よけマントがちぎれ、フードが地面に落ちる。
「ぐ……っ、くっ、くかかかかかかかっ!! これぁ! まぁ! 大ぇした変装だのぉ!」
フェルニクスがふらつきながら腹をかかえて笑った。
耐刃ジャケットに接近戦向きのボトム――ソルの服を着たウィザが血の混じった唾を吐き捨てる。
「ああ、あの理屈屋のマヌケ面が目に浮かぶわ! くかっ、くかかかか!!」
■□■□
「ぐぅッ……!」
刃に引っかかって裂ける上衣がノイズじみた音を立てる。
メドロームは転がるように切っ先の間合いから逃れた。
「なぜ戦士がここにっ……いえ、人間ごときが私の存在に勘づいたとでも!?」
「ご丁寧に回復役から潰してくれたおかげでな」
ソルはボトムに絡まるローブの裾をさばき、長剣を向け直した。
何事にもセオリーはある。
敵の群れに回復役がいるなら、まずそこから潰す。辿り着いた街に休める場所がないなら、できる限り早いルートで次の集落へ向かう。
それらは戦術の基礎であり、常識であり、正確な判断を下すための土台となるものだ。
だが『セオリー通りの妥当な判断』は、時として選択肢を狭め、先の行動を予測されやすくなる。
そして共通のセオリーを知る者は、なかば直感的に、そこからにじみ出る指し手の意図を嗅ぎ取る。
「どーせ西の丘も砂場なんだろ。『見通しの利く場所で休もうとしたら、360°からあの魚に襲われる』とか?」
「ぐっ……!」
メドロームが奥歯を食いしばった。
「つっても、こんな苦し紛れが効くとと思わなかったぜ」
ソルは片手で日よけマントをはぎ取って落とした。
変装とも呼べないような服の交換である。フードとマントで多少のごまかしが効くとはいえ、喋ればすぐにばれる。
「一度でも自分の目で見てれば間違わなかったかもな」
「~~~~ッ黙りなさい!!」
頭上の光の群れが甲高い音を立てて軋んだ。四、五本の光の帯が群れから離れ、宙を泳ぐようにソルに向かう。
ソルは後方へ跳んだ。
床を打った光の帯は音もなくかき消え、斧を打ち込んだような傷跡だけが残る。
「逃がしません!」
メドロームが人差し指で虚空を一巻きした。地中魚の死体から短い光の帯が浮き上がり、細い指に摘ままれた瞬間、鋭く尖る。
「ーーッ!」
飛針のような一撃がソルの頬を裂いた。
とっさに閉じた片目側に死角が生まれ、そこを狙って次の光が迫ってくる。
ソルはやむなく開けている目の方へ体を翻した。行く手を横切るように飛んできた一本をよけ、前方へ転がった背中を別の一本が掠める。
風にさらされた頬の傷が鈍く疼いた。数ミリずれれば耳が落ちていただろう。それほどの切れ味にもかかわらず、出血は驚くほど少ない。
ソルはあたりに散らばる落石の陰へ回り込んだ。
魔物同士の小競り合いでもあったのか、人の二三人は軽く押し潰せそうな岩の塊がいくつも転がっている。
光の帯は落石に触れ、なんの抵抗もなくすり抜けた。
ーーーーと、錯覚しそうな切れ味で、落石を滑らかに両断した。
横へ転がったソルの肩先数センチを光の帯が行き過ぎる。
「隠れても無駄です!」
メドロームが哄笑を上げる。
ソルは舌打ちとともに岩陰を飛び出した。鞘はウィザに預けている。抜き身の長剣一振りでは、間合いを詰めなければ反撃のしようがない。
「っ!」
一歩踏み込もうとした地面に、牽制の短い光が刺さった。速度が削がれた数秒を狙い、四方から長い光の帯が突っ込んでくる。
ソルは前転するように斜めへ飛び、重なった光の隙間へと転がり込んだ。
その逃げ場が、おそらく意図的に作られたことは承知の上で。
「ーーーー馬鹿め! 食らいなさい!」
光の帯が雨のようにソルへと降り注いだ。
片腕で顔をかばい、一手前に光の帯があった方向へ地面を蹴る。
足や腕への直撃を避けてなお、焼けた鉄であちこちを刺されるような痛みが走る。
それらを意識の外に追いやり、ソルは着地した片足を軸に、メドロームを斬り上げた。
「このっ……!」
手を伸ばせば指先が掠めるほどの距離である。ダガーのような短い光で間合いを縫われれば、避けることは難しかっただろう。
だがメドロームの指が手繰ったのは、宙を泳いでソルに向かう、長い光だった。
当然それが届くよりも早く、下から振り抜いた一撃がメドロームの胴を薙ぐ!
「ぐぁぁぁあっ!!」
メドロームが傷を押さえて後ずさる。
ソルは長剣を引き戻して床を蹴った。
魔力で形作られてこそいるもの、光の帯の性質は飛び道具に近い。
ならば知るべきは、『残り何発、何を撃てるのか』だ。
隠し玉を仕込める矢や銃弾と違い、残りの光の帯は天井近くで煌々と輝いている。
ソルは踏み込みの勢いを乗せ、真横に構えた切っ先を突き込もうとした。
メドロームが足をもつれさせて尻餅をついた。
――――ッズズズズ……!!
鈍い地鳴りが洞窟全体を揺らす。
かつてフェルニクスが出ていった天井の穴を砕き、二人の間に巨大な光の帯が割り込んできた。
■□■□
「吹き飛べ!」
何度目かの衝撃波が空を裂いた。
それを苦もなくかわし、フェルニクスが口の端を吊り上げる。
「お前ぃの十八番はそれじゃアねえだろう? いいかげん見飽きたぜ」
「はじけろ!」
爆風の余波が数本の枯れ木を薙ぎ倒した。しかしフェルニクスは僅かに後退しただけで、ダメージを受けた様子はない。
「加護を!」
「んっ!?」
空中を後退したフェルニクスの背に、結界の障壁がぶつかった。
ほんの数瞬、不意の障害物にフェルニクスの動きが止まる。
「貫け!」
ハンマーでガラスを砕くような音がした。
しかし、その場にフェルニクスの姿はなく、穴の開いた障壁だけが音もなく消える。
「大ぇ概にしねぇな。わしァ命を寄越せと言ってんじゃねえ、火種代わりに横に居れと言ってるだけサ」
上へと逃れたフェルニクスが山向こうの景色を指す。
「駄賃にゃ悪くねぇ眺めだぜ。次はあの辺りを焼き払や、いっそう見通しがよくなるか」
「あの辺りって……昨日の村じゃないか!」
「お前ぃにゃ聞いてねえよ」
フェルニクスが睥睨するように地上を見下ろした。
「うつつのモノはいずれ朽ちる。人の住み処なんざ数百年と持たんぜ。どの道最後が枯れ山水なら、今わしの庭にすンのが上等ッてモンさぁ」
「…………ッ、てめえ!!」
ウィザが見開いた目を釣り上げた。
燃え立つような眼差しがフェルニクスを射抜き、術者の周囲に漂う魔力が膨れ上がる。
「はじけろ!!」
「ウィザ、いけない!」
イストの制止は爆発音にかき消された。
高温の爆風が先ほどの枯れ木を焦がし、舞い散る火の粉がフェルニクスを若返らせる。
「くかかっ! 癇癪起こすたぁ子供のやるこったぜ!」
「言ってんじゃねえよ若造りが!」
双方から放たれた炎と暴風が中央でぶつかり、火の粉と砂塵を巻き上げる。
「ウィザ! 忘れたのかい、炎は……!」
「吹き飛べ!」
扇状の衝撃波がフェルニクスの炎を散らした。その余波がイストを後方へと突き飛ばし、砂に尻餅をつかせる。
「っ、うわっ!」
イストは熱風から顔をかばって目を凝らした。
砂塵の向こうでウィザの口が動いた。
ように見えた。
「火球よ!!」
数十の火の玉が空中に生まれ、一斉にフェルニクスに降り注ぐ。
誘爆しあうするように激しく燃え上がった炎に呑まれ、フェルニクスの姿が見えなくなる。
「っ……」
ウィザが浅く息を吐き、あごに伝った汗を拭う。
「くっかかかか……今のがお前ぃのとっておきかえ?」
声ははるか上空から聞こえた。
フェルニクスが両の翼を羽ばたかせ、悠然とウィザたちを見下ろしている。
乱れなく生え揃った羽根は金色の輝きを放ち、衣の裾から伸びた十数本の尾羽が長い曲線を描いていた。
それら全ての先に炎が灯り、かげろうを上げながら揺れている。
「分からねえ野郎だの。火球だろうが火柱だろうが、わしの尾羽一本燃やせやしねえのさ。こゥまで足し火してくれりゃあ――――当分は火の気に困らねぇだろうさァ!!」
フェルニクスの纏う炎が数倍に膨れ上った。翼が大きく空を打ち、脱皮のように押し出された炎が地面を走る。
焦げた枯れ木を一瞬にして黒く散らせ、熱した砂の色を変え――――ウィザの前髪を僅かに炙って、火炎は音もなくかき消えた。
「な……ッ!?」
ぼしゅっ、と音がして、フェルニクスの翼から中途から燃え尽きた。
ガス漏れのような音を伴い、黒ずんだ羽毛が宙に散っていく。
傾いたフェルニクスの背に薄い感触が当たった。
「こりゃあ……っ、結界……!?」
フェルニクスは砂ぼこりを透かした。
ごく薄い障壁がコップを伏せたような形をとり、ウィザとフェルニクスを閉じ込めている。
「いつの間にっ……! さっきの火球の勢いに紛れたのかえ!」
「そう」
イストが教典を片手に立ち上がった。
「結界呪文は意外と自由でね。結界自体を限界まで薄くすれば、維持時間と範囲をある程度伸ばせるんだ。密閉された中で炎を打ち合えば、燃焼に必要な酸素は薄くなる」
と、肩をすくめる。
「問題はそれまでウィザの息がもつか、ってことだけど……オレも、少しは旅仲間のことを知ってるんだよ」
「………………ッ!!」
フェルニクスが視線を戻すより早く、ウィザがその胴に狙いを定める!
「貫け!!」
圧縮した衝撃波がフェルニクスの胸を撃ち抜いた。
背中の羽根がぼろぼろと燃え尽き、炭くずのようになって四方へと散っていく。
不死鳥、火の鳥、鳳凰――――名前の違いこそあるが『死してなお火の中から蘇る鳥』の伝説は多くの土地で語られている。
彼らは死の間際に自らを燃やし、炎の中で体を再構成する。イモムシがサナギの中で自分の体を溶かし、蝶の体を作り直すように。
故に、彼らは限りなく不死に近い。
自らを蘇生する炎ーーーーそれを燃やすための、酸素さえ十分にあれば。
「尾羽一本燃やせねえ、だったか?」
ウィザの声に答えることなく、フェルニクスの体は砂となって消えた。
ーーーーそして、一陣の風が吹きだまる熱を何処かへ押しやる。
「びっくりしたよ。キミがすごく怒ったのはわかったけど、怒りに任せて意味のない攻撃を続けるタイプじゃないから」
「…………」
ローブの裾を撫でようとして、テクニカルボトムであることに気づいたらしい。ウィザが手の甲でススを払う。
「俺の故郷は」
「うん」
「……まあ、どこを見ても草原しかねえ田舎、なんだが」
「うん」
ウィザが砂煙の向こうを透かすように眺めた。
「お前が生まれる前から草原はあった。お前が去ったあとも草原は在り続ける。ーーーーだから火の始末は念入りにやるんだ、ってガキの頃散々聞かされてな」
「……そっか」
ウィザは苦笑いとともに肩をすくめた。
■□■□
地響きを伴い、巨大な光の帯が洞窟に流れ込んでくる。
「ふ……ふふ、あははは……! なんてザマでしょう…!」
「は?」
ソルは眉根を寄せた。
メドロームが喜悦の表情で顔を上げた。
「あなたのお友達がたった今、フェルニクスを始末してくれましたよ。死してようやく私に従うなんて、本当に馬鹿な道楽者ですねえ」
す、と細い指がソルを指す。
とぐろを巻いた光の先端がぴくりと跳ね、指と同じ方向を向いた。
「さあ――――これで終わりです!」
叩きつけるような一撃が床を打った。
放電のような余波が周囲に走り、かわしたにもかかわらず皮膚がちりつく。
先程までの光の比ではない。直径だけでも人間一人は軽く飲み込むだろう。
「くっ!」
跳ねあがった光がソルを追ってジグザグの軌道を描いた。そのまま数度空振りしても、なお消えることなくあとを追ってくる。
「(いや)」
ソルは目を凝らした。ろうそくの芯が燃え尽きるように、光の帯の先端は少しずつ消滅しつつある。
「(長い分、燃え尽きるまで時間がかかるだけか?)」
ソルは地中魚から立ち上った光を思い出した。あちらが針程度だったのに対し、こちらはちょっとした屋敷を一巻きできそうな長さがある。
ソルは舌打ちとともにその場を飛びのいた。一瞬前にいた場所を光の帯が砕き、左右の壁にに跳ね返ってひびを走らせる。
「ッ……!」
ソルのこめかみをぬるい汗が伝った。先ほどめった刺しにされたあちこちが嫌な軋み方をしている。もって五分、いや数分走れればいい方だろう。
「ふふふ……息が上がっていますね」
メドロームが指をうごめかせる。
「逃げ回っても良いんですよ? 運が良ければ、片足くらいは残るでしょうから!」
電磁波のような重いノイズが響いた。
メドロームの姿を隠すように一巻し、光の帯が再びソルへ向かう。
不器用な子供が引いたようながたついた軌道を描きながらも、帯の中心はソルを真芯に捉えていた。
ざり、と、かすかな音を立てて長剣の切っ先が地面に触れる。
ソルは長剣を支えに体の軸を起こした。は、と、息を整え、迫りくる光を迎えに行くようにそちらへ駆け出す。
「馬鹿め、やけを起こしましたか!」
ノイズにメドロームの声が混ざる。光に視界が覆い尽くされる。
瞬間、ソルは光の真下へとスライディングした。
頭の上数センチを掠めて光の帯が行き過ぎ、ローブをちりつかせて通りすぎる。明滅する視界の中で、メドロームの驚愕の顔がくっきりと見えた。
ソルは片足でブレーキをかけつつ、背中を斜めにして肩を浮かせた。
足を起点に振られる勢いに逆らわず、跳ね起きざまに長剣を一閃する!
「しまっ…………!」
ーーーーどんっ、という衝撃がソルの背を殴り付けた。
行き過ぎたはずの光の尾が大きく曲がり、ソルの背に横薙ぎにめり込む。
「は……! はは、ざまあみなさ」
メドロームの哄笑はそこで途切れた。
狂喜の表情に縦線が入り、中央から左右へ分かれる。
傷口からは一滴の血も落ちることなく、砂山が崩れるように体ごと消滅していく。
さらに遅れて光の帯が空気に溶け消え――――あとはただ、静寂だけが残った。
「あ゛ぁ――――――――!?」
ロッジの一角で悲鳴が上がった。
砂の山を下りきって少し先、山道と街道の交差するあたりに建てられた休憩所の一つである。
景色には少しずつ緑の木々が混じり始め、ちょっとした別荘ほどの建物の中には食堂と道具屋、出張の武器屋や防具屋が店を構えている。
そんな中で上がった悲鳴は、客と商人たち両方の注目を集めた。
「ッそ、ソ、ソルてめえ、どうすりゃこんな事に……!!」
ウィザが震える手でローブを掴み上げた。
耐火性では鎧に勝るヤクーのローブーーーーその背中部分が削り取られたように焼け焦げ、ほぼ完全に炭化している。
ソルは努めてウィザの顔を見た。
四方から押し込められるような心地がするのは、食堂の隅の席だから、ではないだろう。
「マジでごめん」
「軽いよ!?」
叫んだのはイストだ。
ウィザは内臓を削られたような顔色で、まだローブを見ている。
その視線がはっとソルに向いた。
「ソ、」
「ソル。キミ、ケガは?」
「一応、軽いヤケドだって」
ソルは肩をすくめた。
シャツに擦れた背中がわずかにひりつく。
「ヤクーのローブをこんなに焦がすなんて……一つ間違えれば腕が焼け落ちてただろうね」
イストが顎に手を当てた。
おそらく、メドロームの光の帯は熱線ーーーーレーザーに近い性質を持っていたのだろう。深手の割りに出血が少ないのも傷口を焼かれたからだ。
使い手がこと切れるのがあと少し遅ければ、ぞっとしない結果になっただろう。
ウィザが咳払いをして口を開く。
「ま」
「まあ、そこに出張の防具屋もあるし、修繕してもらえると思うよ。みんな無事で良かった」
爆発がロッジの屋根を吹き飛ばした。
「ウィザぁぁ!! 周りの人がびっくりするだろ!」
「うるっせえ!! イストてめえ黙ってられねえのか!!」
「フォローしなきゃこうなると思ったんだよ!」
「火に油なんだよ」
ソルは半眼で呻いた。
そう言えば、どこかの大陸には最大級の謝罪を表すジェスチャーがあるらしい。もっともソルは詳しいやり方までは知らなかったし、知っていたところでウィザとイストに通じるとも思えなかったが。
ソルは粉塵の中でテーブルを眺めた。ウィザに預けていた長剣の鞘は、これといった歪みもなくテーブルに乗っている。
ウィザがひょいとそれを取り上げる。
「修繕費はてめえが払えよ」
「晩メシ三日分もつけるよ」
ウィザが鞘を差し出した。
ソルは両手でそれを受け取った。
end.
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