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記憶
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アイツが記憶を失くした。
俺の事を…忘れた…
いや、正確には…俺との関係を忘れたんだ。
[………。]
まるで初めからそんな関係が無かったかの様な…
そんな感じだった。
それが…苦しい…
[…っふ…ぅ…っ…くっ…]
駄目だ…泣くな…
こんなの…
こん、なの…
[うっ…ぅぁ…ああっ…ああああああああああっ!!]
みっともなく声を荒げて泣くのは…いつぶりだろう…
そもそも、ずっと泣いていなかった。
いや…泣く暇がなかった…
彼が…
龍が隣に居てくれたから…
だから俺は、笑っていられた。
なあ…
なんで…
何でだよ、どうして俺との事を忘れた?
悲しい顔なんて二度とさせない…って、言ってたじゃねぇか。
それなのに…なんで…っ…
{あれ?叶先生、最近ずっとラフな格好ですね。}
[あぁ…やらかしちゃって、全部クリーニングに、…]
{あら、珍しいですね〜…ふふっ、でもその格好も充分素敵ですよ!}
[はは、どうも…]
ネクタイが結べなかった、口が裂けても言えない。
今朝挑戦はしたが…嫌でも思い出してしまう。
ー〔かなちゃん…ネクタイ結べないんだ!あっははは!〕ー
ー[うるせぇ…っ…]ー
ー〔もー、ほら貸して。〕ー
簡単に結んでいくアイツの手が…
ー〔これから毎日結んであげる。〕ー
そう言って、嬉しそうに微笑む顔が…
ネクタイを見る度に…浮かんで…
このままじゃ駄目だ。
踏ん切りをつけないと、俺はこのまま縛られ続ける。
それならいっその事…手放してしまおう…
〔ただい、ま…?〕
[………。]
荷物を纏め、後はここを去るだけだ。
そのタイミングで、龍が帰って来てしまった。
[おう……俺ここ出るわ。]
〔え…何で……あ、いや…えっと…〕
[………。]
もう少し…余韻に浸っていたかった。
けど、こいつが苦しむのは見たくない…
俺と顔を合わせる度に、引き攣る。
こんなの…嫌だ…
[元々勝手に居座ってただけだからな。]
〔………。〕
[一応荷物は、纏めたけど…余ってたら捨てて良い。]
〔叶先生…〕
やめろ…
その呼び方…
胸が締め付けられるんだ。
これ以上顔は見たくない…耐えているのが溢れてしまう。
[……またな。]
〔叶先生…待って!〕
勢い良く扉を締める。
堰を切ったように、涙が溢れた。
今すぐ戻って欲しい…俺の隣で笑わせて欲しい。
泣くのは…弱く見えるから嫌なんだ…
こんなの誰にも見せられない。
そうなると必然的に、真羅の所へ行く事も出来ないし…暫くは学校に居よう…
[………。]
徒歩で来れる範囲で良かった。
直ぐに一人になれる…
見廻りをしている守衛を見つけた。
仕事が溜まってると伝え、中に入る許可を得て自分の準備室へ向かう。
その途中、アイツの教室を通って行く…遠回りも面倒くさいし…
と、思ったが身体は勝手にアイツの席に向かっていた。
この席で…授業を受けている顔が思い浮かぶ。
俺に会えただけで、嬉しそうにする顔が…
[……っ…]
それだけでも涙がまた出そうになる。
俺は…お前が居ないと弱いんだな…
隣に居てくれたから、強く居られたんだ…
それをこんな形で気付かされるとは、思っていなかった。
俺は…馬鹿だな…
[ふっ……]
嗚呼…好きだ…
もっとちゃんと、言葉にしておけば良かった。
なんでずっと言わなかったんだろう…
ごめん…
[ごめん、な…]
涙が溢れて、震えた声音で…
こんなの俺じゃない…
こんな弱いのは…俺じゃ…
ー〔かなちゃん…俺、かなちゃんが好き。〕ー
溶けるように微笑んだ顔が、滲んでいく…
行かないでくれ…俺の記憶まで失くならないでくれ。
[俺も…好きだ…]
ポツリと呟いた言葉は、誰も居ない教室に吸い込まれて行った。
叶うなら…今度こそちゃんと伝えたい…
けれどそれは叶わない…
アイツは俺の記憶を失くしたまま、幸せになる。
それなら…幸せになってくれるなら…俺は…
静かな準備室の中、規則正しく秒針の音が響く。
すっかり冷えた珈琲を見つめたまま…何時間経ったんだろう…
目が熱くて…痛い。
〔………。〕
仕事をしなきゃ…そう思うのに身体が動かない。
それどころか、ずっとアイツの顔を思い出しては泣きそうになっている。
『叶。』
突然呼ばれ、アイツかと思って振り返った…
が、そこに居たのは真羅だった。
[っ!…………何だ、お前か…]
あからさまに落胆した俺に、クスリと微笑みかける。
『何でここに居るんだ?』
[別に……仕事が溜まってるだけだ。]
『…パソコンも使わずか?』
[………。]
嗚呼…パソコンを点けていなかった…
溜息を吐き、顔面を覆う。
こんなんじゃ駄目だ…頭では何度もそう思うのに…
『辛いか?』
[………。]
その問いかけが、胸を突き刺す。
辛いに決まっている……けど、人前で泣くなんてしたくねぇ…
目に溜まってく涙を、零さないように耐える。
そんな俺を見てまた真羅は笑った。
『我慢しなくても、俺しか見てねぇよ…』
[うるせぇ…っ…]
『泣けるならまだマシだ。』
[………っ…]
『人間、泣くのにも体力が必要だ…。それが無きゃ涙すら出ないらしい……けど、お前は今泣く事が出来ている。』
[っ…くっ……ぅ…っ…]
上着を脱いだ真羅は、俺の顔を隠す様に掛けてくれた。
抑えていた筈の嗚咽が、堰を切って溢れだす。
情けねえ…声を荒げて泣くなんて…
けれど、自分の声が悲鳴の様に響いて…それが余計に辛い。
『叶…こんな時にまで強がらなくて良い、泣きたい時は泣くんだ。』
頭を撫でる真羅の手が優しくて…
次から次へと溢れ出て来る涙は、止まることを知らない。
今の俺には…何も出来ない。
強がる事さえも…笑う事も…
『………。』
声は出なくなったが、涙は止まらない。
そんな中、頭はやけに冷静で…横目で真羅を見ればぼやけてはいるものの、少しだけ見えた…
一人にはさせたくない…そう言いたげな表情だ。
『……叶、お前しばらく家に来い。』
急な投げ掛けに驚いて、涙が引っ込んだ。
[は?]
『あー……いや…うん、なんっつーか……』
言いにくそうに、口籠る真羅。
恥ずかしそうな顔をしながら、頭を乱雑に掻き毟っている…
何を言われるのか分からない…と言うか、俺邪魔にならないか?
中々発言しない真羅に、次を促す。
[なんだよ…]
『日下君の傍には勇間が居る、それなら俺は叶の傍で…って言う…』
[………。]
情けない表情で言う真羅が、何だか面白い。
コイツは相当心配してくれてる、嬉しい反面擽ったくて思わず吹き出してしまった。
[ふっ……お前、教師のくせに下手くそだなぁ…]
『…うるせぇよ。』
国語教師の癖に、言い訳が下手くそで…
それでも、優しさが伝わってくる。
『じゃ、帰るぞ。』
[…暫く世話になる。]
『働かざるもの食うべからずだからな。』
[は?]
『洗濯、家事、その他諸々…ちゃんとやってもらうからな。』
[お前…]
『あ?』
[…ふっ、絶対すぐ出てやる。]
『おーおー、そうしてくれ。勇間との時間が減るんでな。』
相変わらずお互いに減らず口を叩き合う。
それでもコイツは、何の疑問も抱かず俺の荷物を持った。
『………。』
急にニヤけだした真羅…
コイツまで頭おかしくなったのか?
[何一人でニヤついてやがる、気持ち悪ぃぞ。]
『うるせぇな。』
これからどうなるのか、俺達には分からない。
けれど、必ず彼の記憶が戻る…そう信じている…
『と言うわけで…』
「は、はい…」
[暫くここに居る…悪い…]
「それは…全然良いです、けど…」
真羅は家に着くと、倉沢に説明した。
申し訳ない気持ちで俺は頭を下げた。
その行動に焦りながら、安堵の表情を浮かべている…
真羅だけじゃなく、倉沢にも心配を掛けていたのだと気付かされる。
「じゃあ俺、日下君の所に行きます。」
『え…』
「辛そうにしてましたし…あ、もちろん叶先生の事も心配です!」
[…そこは別に良い…]
「思い出そうとすると、頭が痛むのか…たまに顔を歪ませてて…」
『……分かった、お互い連絡はちゃんと取り合う。これだけは約束しよう。』
「はい。」
話がトントン決まっていった。
初めは違和感しか無かったが…まぁ、仕方無い、か。
今、俺は何かを言える立場では無い。
『お前…ネクタイ結べ無いとか……マジか。』
[うるせぇな!別に結べなくても]
『良くねぇからな??教えるから覚えようぜ。』
[………。]
朝支度をしてる時、ネクタイと戦っているのがバレた。
龍以外に見られるとは…
諦めてまたワイシャツとセーターだけにするか…
夜になるとどうしても思い出してしまう…
アイツの顔…声…匂い…
けどここには、何も無い。
[…っ…く…ぅ…ぅっ…]
声がアイツに聞こえない様、枕に顔面を押し付ける。
嗚咽が止まらない…
大丈夫、明日にはいつも通りに出来る。
笑ってりゃ、こんな痛みは直ぐに無くなる…
大丈夫……大丈夫。
どうせあっという間に過ぎ去る。
今の龍を困らせるくらいなら、俺なんか…
ー[ただの生徒と教師だ…それ以下でもそれ以上でもねぇよ。]ー
だから俺が選択した事は間違いなんかじゃねぇ。
確かに…俺らは恋人と言うハッキリとした関係では無い。
お互い…想い合ったとしても、簡単に忘れられる程…っ…
嗚呼…駄目だ。
この思考は良くない…
ズルズル引き攣るなんて…駄目だ…駄目…なのに…
どうしても頭の中から消えない。
楽しそうに笑う顔……愛おしそうに見つめる瞳…
俺の名前を呼ぶ声が…離れない…
[た、つ……っ…]
呟いた言葉は、思いの外寂しそうで…
俺は全然前を向けない事を悟った。
その瞬間、部屋の扉が勢い良く開かれた…
そこには真羅が立っていて、慌てて目を擦った。
[お前…まだ起きてたのか。]
いつもの様に言えてるだろうか…
いつもの様に振る舞えてるだろうか…
喋らない真羅に、少し違和感を抱き目を向ける。
眉を顰めて、何かを訴える様な…苦しそうな…
それでいて真っ直ぐ俺を見据える…
だが、その顔を直ぐに引っ込め、鼻で笑った。
『誰かさんの啜り声が煩くてね。』
[……チッ…]
聞こえていたのか…情けない…
心配をかけるだけなのにな…
『叶…』
[あ?]
『俺はお前が弱ってると気が狂う…それは日下君も同じじゃないのか?』
[………。]
『いつも通りになれとは言わねぇ…けど、少しは向き合ってアイツの記憶を取り戻そうとしろよ。』
そんな事が出来たなら、とっくにやっている。
[……っ…アイツは……アイツにはこれから先がある。俺なんか忘れて、もっと幸せになれる道があるんだ…]
俺がいなくても笑えるなら…それなら…
[それを俺が縛り付けて良い訳がない……]
『叶…』
[苦しい、辛い……けどそれは長く続かねぇよ。いつも通り笑ってりゃ、きれいサッパリ忘れて貰える。]
言葉に出せばそれはいつしか真実になる
アイツが幸せになるなら、俺なんか居なくていい。
それで構わない。
『………。』
[俺はもう……良いんだ…]
自嘲気味に微笑み、床をただ見つめる。
もう何も考えたくない…見たくない…
そう思った瞬間、真羅が掴みかかって来た。
思わずその腕を抑えるが、力が入らず…ただ添えてる様にしかならない。
『お前は…何でそう悲観的なんだよ!!』
[……っ…]
『自分の気持ち押し殺して、それで良いのか!?』
[なら……っ…ならどうしろって言うんだよ!!!]
『………。』
[記憶が無いアイツにはもう届かない!!俺の気持ちも!俺の声も!!全部!!逆に苦しめたくねぇんだよ…っ…分かれよ!!!]
怒鳴りにも近い叫びが…打ち明けたくなかった筈の想いまで、素直に口から出ていく。
嗚呼…もう…嫌だ…
真羅を抑えていた手が、だらし無く垂れ下がった…
持ち上げる気力すらもう無い…
言ってしまった…
打ち明けてしまった…
『しっかりしろ!!!!』
[…………。]
『お前は日下が好きなんだろ!?それなら掴んだ手を自ら離そうとするんじゃねぇ!!』
[……っ…]
『死に物狂いで掴んで、苦しさに藻掻いて、それが生きる事だ!!お前がそれを諦めてどうすんだよ!!』
真羅の声が、胸に突き刺さる。
俺が…諦めて…どうする……?
『日下君だって苦しんでる……楽になるならないとか、そんなのお前が決める事じゃねぇ。』
[………。]
『お前には日下君が必要なんだよ……どんなに辛くても、向き合う事を諦めるな。』
突き飛ばされた勢いのまま、ベットに倒れ込む。
向き合うことを…諦めるな、か…
こいつに言われたらお終いだよな。
[……真羅。]
『あ?何だよ…謝んねぇからな。』
[違ぇよ…]
俺が諦めるな……確かにその通りだった。
勝手にアイツの幸せを決め付けて、離れる事を押し付けていた…
[お前に怒鳴られる日が来るとは思ってなかった……ありがとな。]
『………。』
少し嬉しそうに、真羅は俺の頭を軽く叩き笑った。
完全に元気が出た…と言う訳では無いが、なぜか腹が減ってきた。
『ま、お互い様だろ。』
[………腹減った。]
『は?お前さっき食っただろ?』
[あんなちょっと足りるかよ。]
『いやいやいや、お前が勝手にメソメソして食べなかったのが悪いだろうが!』
[は?]
『あ?』
暫く軽く睨み合いをして、お互い同時に吹き出した。
いつもの雰囲気…
いつもの俺…なのか分からないけど、真羅のお陰で笑えている。
前向いて、死に物狂いで掴んで、苦しさに藻掻いて、それが生きる事…
格好良いこと言うじゃねぇか…
『仕方ねぇ、ラーメン行くぞ。』
[お、ナイスアイデアだな…乗った。]
『大人の醍醐味だもんな。』
ニヤリと二人で笑い、身支度をして外へ出る。
冬独特の匂いを深く吸い込めば、鼻の奥がツンとする…
吐く息が白くて、また思い出しそうになった。
すると突然真羅は電柱を指差した。
『あそこまで競争な。よーいどん!』
[あっ!お前ズリぃぞ!!!]
フライングをして駆け出した背中を追いかける。
冷たいのに…暖かい…
走るのなんていつ振りだろうか。
笑ってりゃ何とかなる、なんて撤回してやる。
龍が嫌いな顔…そんなの絶対してやんねぇ…
記憶が戻ったらぶん殴ってやる。
俺との関係を忘れた事、後悔しろ。
俺を泣かせた事……死ぬまで悔め。
だから龍、またお前の隣で笑わせろよ…
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