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第一話「推しに認知される」⑩
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「あっ……」
「もういいよ」
吉備さんに手を振り払われて、思わず惜しむような声が出てしまう。恥ずかしくて、唇を噛み締めて下を向いた。
「付き合おうよ」
「ッ……」
優しい声音で急にとんでもないことを言われ、驚いて顔を上げる。吉備さんが近くにあったティッシュで手を拭きながら、俺を見ていた。
「や……それは……」
情けない顔で視線をそらすと、吉備さんはおかしそうに笑った。
「お試しってことで良いからさ」
吉備さんの手が俺の頬を包む。親指でふにふにと唇を触られ、何も言えずに口をつぐんだ。
「……ね?」
当たり前のように唇にキスをされて、何だかよくわからなくなってくる。
あれ……?
俺、なんで付き合いたくないんだっけ……?
チュッチュッと何度も口付けられるたび、思考がどんどん鈍くなっていく。
「いいよね?」
何度か同じような言葉を囁かれ、気づけば小さくうなずいていた。
「決まり」
吉備さんがフッと笑って、俺の頭を撫でる。
「んー、立川…直人か……なおちゃんでどう?」
「え……?」
突然の言葉に、トリップしていた頭がわずかに引き戻される。
「俺のことは……何でもいいや。好きに呼んで」
楽しそうに笑う吉備さんを見て、俺はもしかしてとんでもないことをしてしまったのではないか、とようやく気がついた。
「よろしく、なおちゃん」
ニコッと弧を描く唇に見蕩れている間に、吉備さんは手早く俺と自分の身支度を整えていく。よく状況が飲み込めなくて、『何がよろしく……?』と呆然とイスに座り込んで、目をぱちぱちさせた。
「……え? う、うそッ……?」
俺がようやく言葉の意味を理解して、そう呟いたときには、吉備さんは当たり前のように俺の仕事を片付けてしまっていた。
「帰るよ、なおちゃん」
そう言って笑う吉備さんに、もう何も言えなかった。
これが、夢じゃなければいいのに……。
知らず知らずのうちに、唇をぎゅっと噛み締める。
……夢でも良いから、もう少しだけ覚めないでほしい。
吉備さんに手を引かれながら、心の中で何度もそう願っている自分がいた。
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