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スフレ
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あれから、俺は小説を何回も書き直した。
もう一週間、何が面白いのか、自分のアイデアを疑いつくして、それでも頑なに書いて書いて書きまくって。SFについても小説についても、危うく俺自身の存在にすらゲシュタルト崩壊が起きかけて、それで、バイトを休んでこの喫茶店に来た。
そこで、あっさりと俺の隠し事はばれてしまった。
草稿を書いていたら、ルカに見られた。めちゃくちゃに恥ずかしくなった。
俺の原稿を見たルカは、危うく仕事を忘れそうなくらいに興奮していた。
「ハル、まだ書いてたんだね!そうだったらいいと、思ってたんだ。」
「本当に?」
俺はルカの気持ちがよくわからなかった。もう俺は、自分の作品の良さがさっぱりわからない。
筒井先生の「旅のラゴス」を三日前に読んでからその民族的な雰囲気にインスパイアされて、最初の草稿で近未来だった舞台を、少し退廃した、旧文明的な雰囲気にしてみたが、それでは自分でなにひとつ考えてないような気がして、やり直そうとしていた。
それを、ルカは俺から無理やり気味に奪い取って、「読むから!」と言う。
「消さないで!もったいない!」
嬉しかった。案外と俺の小説は期待されていたのだと思った。でも、少し怖かった。期待はずれだったら、どうしよう。その時は、今度こそ俺は、ショックだ。まあ、ショックだったら筆を折る、二度と小説は書かない、なんて出来るくらいには、俺は器用ではないんだが。
「僕、ハルの書く小説好きなんだ。没にして消しちゃうくらいなら、僕が読むよ。今度会うときまでに読んでおくから。」
「お、おう・・・」
「なつかしいなぁ。ハル、高校の時SF少年で新人賞取ってたろ。まだ書いてたんだなぁ。」
SF少年とは、俺が賞を始めて取った雑誌の名前だ。
「覚えててくれたんだ。」
ルカも、その頃は一緒に小説を書いていた。ルカが書くのは、クトゥルフ神話とか伝奇小説とかが混ざったようなSFで、それはそれで、結構面白いと俺は思っていた。ふと、高校生で、お互いの作品を見せ合いっこしていた頃が懐かしくなり、訊いてみた。
「ルカはもう書いてないのか。」
「いや、忙しくて・・・仕事に慣れてきたら書きたいかも。」
ルカの髪が揺れる。そういえば、この一週間で髪を染めたみたいだった。優しい枯れ草の色はゆるくカーブを描いて、ルカの輪郭によく似合っている。
「そっか。楽しみだ。」俺が言うと、
「ハルこそ、早く書き上げなよ。」
一番に読んであげるから、と、ルカが嬉しそうに言った。
「多分また賞をねらってるんでしょ?」
と、どうやら、ルカは俺のことをお見通しらしい。
「で、でも、最近スランプで・・・・」
思わず、たじろいだ。何もかも見抜かれていて、恥ずかしい。
それに、ルカはちゃんと夢を実現しているのに、俺だけがここでくすぶっていて、それが、ルカにはどう見えているのか、不安だった。
もしかしたら、楽しみだのうんぬんも、俺を勇気付けるためだけに言っているのかも知れない。
「スランプならなおさら、第三者の意見が必要でしょ。」
「ほんとに俺の作品、読んでくれるの?」
「あたりまえだ。」
「・・・俺、すごく嬉しい。・・・・俺の作品、最近はどこの雑誌でも受賞すらしてないからさ・・・講評ももらえてなくて。読んでもらうの、久しぶりかもしれない。」
さらっと受け入れてくれるルカの前で、思わず、本音が出た。どころか、ちょっと、涙さえ出た。自分の弱さを見せられる友達って、本当に大切だ。
「ハル、まだ学生なんだから、思い切り自分を試しなよ。」
ルカの茶色い眼が、優しくこちらを覗き込んでいた。
「スランプなら、別のことを考えるのはどうだろう。」
僕もお菓子ばっかり作ってると嫌になるもの、と、ルカは言った。
「今度、二人でどっかいこう。気分転換に。」
「うん・・・」
「やった!二人で出かけるの、久しぶりだ。」
ふわっと微笑むルカは、、相変わらずの癒し系だ。その様子を見ていると、俺も出かけるのが楽しみになってくる。
「ルカのいいときでいいよ。一日くらいなら、講義休んでも大丈夫だ。」
「うん・・あ、仕事中だった。・・・後でメールする。」
「わかった。・・・ルカ、今日は俺、これにする。あ、あと、この前のコーヒー。」
俺は、メニューの中でスフレと書かれた、ふわふわとしていそうな焼き菓子を指差した。
「かしこまりました。焼きあがるまでに30分くらい掛かるから、待っててね。」と言い残し、ルカは厨房へ戻っていった。
その30分で、俺は次の小説の構想を考える。不思議だった。さっきまで俺は、ずっと自分の考えに否定的で、何を書いても雑誌の新人賞なんて受賞できないのではないかと、そればかりに考えがつながっていった。
けれど今は、自分が何を書きたいのか、何を読者に伝えたいのか、少し思い出した気がする。まるで、ルカが俺の作品を楽しみにしてくれている気持ちが、俺に伝染したような感じがした。
「お待たせしました、スフレとコーヒーです。」
ルカが盆に載せて運んできたそれは、上品ないい匂いがした。何だこれは。
こんな匂い、初めてだ。
「・・・実は、スフレって食べるの初めてなんだ。」と白状すると、ルカは、笑いながら教えてくれた。
「スフレはね、外側はケーキスポンジに似てるけれど、中身はカスタードクリームなんだ。割ると、中身が出てくる。アングレーズソースを掛けて、召し上がれ。」
俺は、言われた通りに中身を割って、湯気と一緒に出てきた黄褐色のクリームに白いソースを掛けて、一口掬って口へ入れた。瞬間、白いソースの濃厚なバニラの香りと、ソースの甘さが生地に絡み、生地が口の中でふわっと解けてなくなった。
何だこれは。味わったことのない食感に、俺はもう一口、スプーンを進めた。
「生地がなくなっちゃう。」と感想を述べると、
「あったかい雪、ってかんじだろ?」と、ルカはいたずらっぽく笑った。
「うまい。」
俺は、小説家志望の癖に語彙力が少なすぎる自分の感想を恥じつつ、でも、食べるのがとまらない。
「ハル、どうして僕が料理を好きか、わかる?」
急にルカが言った。
「え?」
「それはね、料理には時間がかかるからだ。その時間が、料理を食べさせる相手に掛けた時間になるからだよ。」
ルカが微笑む。
「いつか、ハルに僕が作ったスフレを食べさせてあげたいな。」
優しいルカは、夢見るような表情でそう言った。
「そういうのは、・・・言う相手間違えてるよ。」
そういうのは、惚れた女の子にでも言うことだろう。
「ふふ・・・、そうだよね。」
俺はスフレを食べ終えて、そのまま喫茶店で小説を書いた。
一週間前は、菓子を食べただけで満たされてしまったけれど、今は、創作意欲に満ちていた。
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