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カステラシャーベット
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昔から、何かを表現することが好きだった。
それが、俺が小説家を目指している理由だと思う。
俺は今、藁にもすがるような気分で、パソコンへ向かっていた。
和室の、静謐な畳に日が差して、窓の外では小鳥が鳴いている。
なんて気持ちの良い朝だ。これがもし、受賞結果待ちの朝でなかったら。
初夏の 日差しが、胸を射す。
なのに、体が冷えていくのを感じた。
結果は・・・・落選だ。
嘘だ、と呟きながら、自分のペンネームを探す。
だけれど視線はむなしく紙面を滑って、ついに俺は自分のペンネームを見つけることはなかった。
どうして。あんなにもがんばったのに。
俺には、才能がないのかもしれない。
いくら努力しようが根を詰めようが、この世には、どうしようもないことがあるのか・・・・
きっかけは、高校時代に何気なく投稿した雑誌だった。
SF好きの文芸部員で、各自が書いた小説をある雑誌へ投稿した。
俺は、昔からSFの世界が好きだった。
SFとはサイエンス・フィクションと言って、科学を使った物語のことだ。
SFジャンルの中でも冒険的なジュール・ヴェルヌの世界に魅了されていた俺は、軽い気持ちで作品を書いた。
その作品が、意外と好評だった。
それから俺は、暇さえあれば小説を書いている。
国語以外でほめられたテスト結果を出したことのない俺からしたら、雑誌の受賞は、何かの天啓だった。
俺には、これしかない。そう思った。
作品を、もう30くらいは書いた。
確か、短編が15、中編が9、長編が6か7、あったはずだ。
しかし、受賞した作品は両手で数えるくらいしかなかった。
高3の時、ある雑誌の准賞を受賞したのをピークに、俺の作品はそれ以上の賞を受賞していない。
大学の3年間を通して書いた作品は、箸にも棒にも掛からない。
そうして、俺は焦っている。
何でだ。何がいけないんだ。
自分なりに、色々と研究は重ねてきたつもりだった。
色々な小説を読み、人気の小説家の講演会にも行ったりした。
なぜなら、SFは、読者のよっては科学がとっつきにくく感じるから、なかなか読んでもらえない。
それではもったいない気がして、俺は誰にでもわかる面白さを考えてきたつもりだった。
だが、俺の作品は毎回のように、講評すらされなかった。
何が悪いのか、客観的な意見さえも聞くことができない。
感想を、ルカに訊きたい。が、ルカはルカで、2年制の学校でぎゅっと教育を受けていて、しかも今年は就職したばかりで、俺は遠慮していた。
もう、自己肯定感がとても低くなってしまっている。
ルカの時間を下らない俺の小説で潰すのが、申し訳なく感じる。
ルカというのは、俺の親友。俺の大学進学と共に、あちらは製菓の専門学校へ行くことになり、疎遠になってしまったけど・・・・今でも、会えば話の弾む相手だ。
自分に才能がないかもしれないと思いつつも、俺の小説はくだらないと思いつつも、すぐにアイデアが湧いてきて、ワープロに向かわざるを得なくなる。
「あー・・・」
講義の合間に、また、文章を書いている。
でも上手くいかなくて、俺は頭を抱えた。
頭を抱えながら俺は、、人は本当に困るとマジで文字通り頭を抱えるのだ、と、妙なことに感心していた。
イヤホンを耳にねじ込みなおして、集中、集中、と、自分に言い聞かせる。
最近は、星新一という作家にはまっていた。スランプに陥ると、彼の短編を読み直す。書くことを断念した俺は、星先生の名短編集の文庫をカバンから出し、静かな図書館の机に置いた。
読み始めたはいいが、「ボッコちゃん」を読み終えて、つい泣きそうになった。
すばらしいのだ。先生の短編には、余分がない。
それが、苦しい。
俺にはない何か、そう、才能やセンスと呼ばれるものが感じられて。
辛くなったけれど、ひとまず泣かないことにした。
俺は、そそくさと広げていた筆記用具をまとめ、何食わぬ顔で席を立った。
そして大学図書館を出ると、学生街を歩き出した。
大学の外は、若い人向けの飲食店であふれていた。
今日は、執筆にぴったりのいい喫茶店を捜そう。そう思った。
落選でいちいちへこたれるわけにも行かない。
星先生の作品が素晴らしいからといって、泣いて過ごすわけにも行かない。
そんな暇があれば、書く。書くしかない。
俺は、それしか出来ないしそれしか知らないのだから。
まだ5月とはいえコンクリートで舗装された道路は、日光を照り返して暑い。
しばらく歩くと、よさそうな喫茶店を見付けた。
アルバトロス、と英字で書かれた看板が洒落ているし、店の中が、・・・
俺好み、としか、言いようがなかった。
真ん中に、宝石で出来たようなきれいな蒼の地球儀が、大きく鎮座していた。天井は、風合いのいい落ち着いた色の金属が翼の形をしたものが、空を舞うように飾り立てられている。ほかにも、色々な、実験器具のようなものとか。18世紀くらいの発明品のようなものとかが飾られていて、スチームパンク、とか言うのだろうか、アンティーク調家具の中に、不思議な雰囲気を醸し出している。
まるで、俺の好きなヴェルヌの作品の世界だった。「タイムマシン」に出てくる、怪しげで魅力的な実験室のようだ。足が吸い寄せられるように、俺は店内へ入った。店の中は微かにコーヒーの匂いと、品のいいジャズの音がした。
いらしっゃいませ、と店員が出てくる。
「え・・・?」
そこには、白いシャツに黒い薄手のベストを着たルカがいた。
いきなりの顔見知りの登場に、俺は思わず固まった。
それは、相手も一緒だったみたいで、俺たちは暫く、互いの顔を黙って見つめていた。
「・・・席はお決まりですか。」
と、紋切り型の接客文句で口を利いたのは、ルカからだった。
「あっ、はい、中央にお願いします。」
つられて、俺も敬語を話してしまう。
結局どこで友達の言葉に直るべきなのか、わからなかった。
わからないままメニューの説明を受け、ルカの後姿を見送った。
地球儀を眺めながら、水を飲んだ。
ポットにミントとレモンが入った氷水は、コップから俺の喉へ伝わって、爽やかに体へと染み渡る。ああ、やっぱりいい店だ。
ルカのことは残念だけれど。また、いつか話すチャンスはあるだろう。
今は新しい小説を、と思い直し、俺は、小説の構想を練り始めた。
何分経ったろう。
俺は、いつの間にか、小説に夢中になっていた。
すると、目の前あたりでトントン、と音がした。
目を上げると、ルカが立っていた。
「お客様、ご注文はお決まりになりませんか?」
色素の薄い眼が、こちらを覗き込んでいた。丁寧語ではあるが、どこか親しげな言い回しに、俺は、少し嬉しくなった。
「ルカ。」
呼ぶと、ルカの茶色い目が笑った。
「ハル。ここで僕、働いてるんだよ。」
ルカは、俺の越谷 吉晴(こしたによしはる)と言う名前の最後二文字をとって、俺をハル、と呼ぶ。
ハルの大学から近いから、もしかしたら会えるかとは思ってたんだけど、と、ルカはほかのお客もいるので、小声でささやく。
俺は、俄然嬉しくなった。
ルカは俺のことを覚えていてくれたんだ!そのことが、無性に嬉しかった。
「会えて嬉しい。久しぶりだなぁ。」
「僕も。ほんとに久々だ。」
ルカが顔をくしゃくしゃにして笑う。
「ここ、いい店だな。これから毎日のように来ちゃいそうだ。・・・メニュー、おススメある?」
そうだなぁ、と言いながら、ルカの細い指先が「期間限定」と書かれたメニューを差す。
「この辺は?」
メニューの中で、、カステラ・シャーベットと書かれた涼しそうな菓子がひときわ眼を引いた。
「じゃあ、これと、・・・コーヒーをお任せで頼む。」
「シャーベットにソースが付けられるけれど、どうする?」
「それもお任せで。以上だ。」
ルカとは味覚が似てるのか、あいつに任せておけば俺にとって最適なものが出てくるのだ。
「承りました。」と微笑むルカ。
ルカはもてるタイプではなかったけれど、おっとりしていて、癒し系、と言うのか、そんな雰囲気がある。
俺は、そんなルカがほとんど以前と変わっていないことにほっとした。
「実は、カステラシャーベットは僕の担当なんだ。・・・作るから、待っててね。」とはにかみ笑いするルカ。
「もう料理もしてるのか。」俺は素直に感心する。
「いや、注文取ったり皿洗いがメインだよ。・・・ハルは、大学で何やってるの?」
「・・・まあ、色々やってる。最近は就活とか・・・。」
小説を書いてるんだ。小説家になりたくて、今も書いてるよ。
ルカやほかの文芸部員に誉められたのが、嬉しかったから。一通のファンレターが、嬉しかったから。
そういう本当のことを、なぜか、言えなかった。言ったらどんな反応が返ってくるのだろう。それを考えるのが、怖くて。
ああ、俺は弱虫だ。恥ずかしがること、ないだろう。ないと思うが、夢を追う自分に引け目を感じている。だから、
「そっか、・・がんばってね!」と、屈託ない笑顔を向けてくるルカに、うん、としか返せなかった。
料理を待つ間、キッチンの中のルカをぼんやりと眺めることにする。
真鍮色の粋な料理器具に囲まれたルカは、生き生きと、手際よく料理を進めていく。
そのうち、ルカが新人にも関わらずこの料理を任されている理由がわかった。この料理は、仕込みこそ大変そうだけれどその後は比較的、簡単なんだ。
凍らせたカステラ(これをつくるのが大変そうだけれど)を崩し、赤いソースと絡めて盛り付けるだけ。仕上げに、何かクリーム色のソースを載せている。文にしたなら、たったそれだけ。
しかし実際には、きれいに盛り付けるのははかなり難しそうだ。
多分、ルカの仕事はそういうところから初まって、次にカステラを仕込んだりとか、徐々に、料理そのものへとシフトしていくんだろう。
何事も基礎から。・・・なんだか、真剣そのもののルカを見ていたら、俺のざわついた心は鎮まっていった。そうだな。やっていることは違うけれど、ルカのように、俺も堅実に進んだらいい。他人を見たら切りがないから、自分の作品を、とりあえず書いてみよう、という気になった。
「はい、お待たせしました。」
と、ルカがカステラシャーベットと、その隣で湯気を立てるコーヒーの載った盆を持って来た。
「ありがとう。」
と俺は言い、一口、シャーベットを掬った。
赤い果物のソースはイチゴではないようだ。その上に掛かるクリーム色のソースは、バニラの甘い香りがした。
食べてみる。口に入れると、とろけるような甘みと、果物のすっぱさが絡み合う。カステラシャーベットのシャリシャリした食感が、すぐにクリームにとろけて消える。その食感をもっと味わいたい、と思い、ついもう一口。
「どう?」
ときかれたから、
「最高。」と答える。
ルカは、昔から料理が好きだった。
俺は巻き込まれて、ゲーセンへいきたいのにパンケーキを作る手伝いをさせられたり、ゲームで釣られてケーキのクリームをホイップすることになってしまったり(そのころルカは泡立て機を持っておらず、クリーム作りはなかなか重労働だった。)したが、最終的においしいものが食べられるので満更でもなかった。
そんなルカが製菓学校へ行くことは、俺にとって何の不思議もなかったし、現に今のそのたたずまいも、ルカらしいと俺は思った。
「おいしい。この上についてるの、これ、イチゴじゃないよな。」
イチゴよりも酸味が強いそのソースは、カステラとバニラのような香りのクリームの甘さとぴったり合う。
「ラズベリーだよ。今が旬なんだ。」
「そうなのか。じゃあ、この黄色っぽいクリームは?」
「カスタードソースだ。バニラビーンズに卵の黄身と砂糖を混ぜて作る。」
昨日、僕が作ったんだ、と、少し誇らしげにルカは胸を張った。
「旨い。本当に、うまい。」
これも、昔からそうだが、俺はルカの作った菓子を食べると、悩みとかはあまり感じなくなってしまう。もちろん、後から暗い思いが押し寄せてくることもあるけれど、ルカの料理を食べている時だけは、もう、無敵だ。
何にも脅かされないくらいに、幸福になってしまう。
食べて、コーヒーで甘みを緩和して、また、食べる。
それを繰り返し、カステラがなくなる頃には、何でこの喫茶店へ足を運んだのか、すっかり忘れていた。いや、正確に言うと、覚えてはいたが、満たされてしまった満腹中枢のせいで、始めの目標へ向かう意思が削がれてしまった。
「・・・また来よう・・・」
結局、俺がその料理の後頭の中で描けたのは、甘いカステラとすっぱいラズベリーと香り豊かなカスタードソースの三重奏だけだった。
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