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大前提として、久米の記憶は十年前のものである。何なら、箱根の容姿さえうろ覚えだ。衝撃的な事件は覚えているものの、細部の記憶力までは少しばかり怪しいものがあった。
更に言えば、久米の覚えている箱根という男はいつもサングラスとマスクで顔を覆い隠していた。人相までばっちり覚えているわけじゃない。もっと言えば、十年も月日が経過している。顔に変化がない方がおかしいというものだ。…以上の理由から、大井が箱根であるという確固たる証拠は一つもなかった。
問題点はまだある。石で殴り倒した時、久米はこの目で見たのだ。夥しい量の真っ赤な血液とぐったりして動かなくなった箱根の肉体を、である。鈍器だって相当な大きさと重さだった。あれで死んでいないなんて化け物じみている。
「箱根以外に、僕が箱根を殺したと知っている人物がいて、そいつがあの男を仕立て上げたとか…。」
言いかけて、久米はあっと声を上げる。…一人だけ、可能性のある人物がいる。
「…佐藤さんだ。佐藤さんが物陰に隠れて僕の犯行を目にしていて…。」
いや、と久米は大きく頭を振った。…なら、佐藤が真っ先に向かうべき場所は連絡手段のある旅館か警察である。久米はあの後、どこに逃げようと捕まっていたに違いない。十年後の旅館で、再会するなんて遠回りなシナリオを用意する必要がない。
第一、佐藤が物陰に隠れておく理由がない。久米が持つ、箱根への殺意に気づいていた…とはちょっと思えない。久米の犯行は、衝動的なものでしかなかった。
「…なら、どうしてあの男は箱根烈だなんて名乗るんだ??」
独り言を続ける久米にも、一つだけ揺るぎない真相がわかっていた。真相とは、箱根が幽霊なんて生易しいものではない、という点だ。
久米は昨晩、あの男に激しく抱かれた。肌を合わせ、互いの熱を貪り…。あの男にはしっかりとした肉体があり、荒ぶる血潮が滾っているのを久米は身をもって知ってしまった。
「箱根烈の弟や息子だとか…。いや…。」
久米のこの提案も却下だった。箱根と名乗る男は、聞き間違えるわけがない至近距離…久米の耳元で囁いたではないか。
『十年前はよくもこのオレを殺してくれたなぁ、久米征久。』
あの冬の日、旅館の裏山で遭遇した事件は久米と箱根、後は辛うじて佐藤くらいしか知る人がいないはずだ。…やはり佐藤か、と考えかけて、久米ははぁっと溜息をつく。どれだけ考え込んだところで久米を十年間も泳がせておくメリットが見つからない。つまり、久米を陥れる計略を思いついた黒幕が、佐藤である可能性はかなり低いのだ。
熟考している内に、天から舞い落ちてくる雪はだんだんと粒が大きく重くなっているように見えた。穏やかに吹いていた風は、今や荒っぽくなってきていて、時折ゴウゴウと久米を不安にさせる音が山のあちこちから聞こえてくる。
無理矢理突っかけた靴の中で、足はどんどんと体温を失っていた。雪の中を泳ぐように歩を進めていたためか。今では指の感覚がほとんどなくなっていた。
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