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それぞれ部屋の荷物を纏め、旅館のロビーにやって来た二人は、カウンター前で立ち止まる。久米の腕時計は、午前十時ちょうどに針が回っていた。カウンターに出てきた、朝比奈とは別の仲居に二人は声をかけ、チェックアウトすると伝えた。後の手続きは箱根が済ませてくれる。久米は彼の一歩後ろに下がって、荷物の見張りに徹した。
…直後である。玄関から、久米の見知った女性が歩いてくる。…週刊誌の記者、水井だった。水井は久米を見かけると、嬉々として近づいてくる。
「あっ、久米さん。昨日はどうも。」
水井はぺこりと一礼した後で、カウンターの前で仲居と話している箱根を見て、問いかけてくる。
「ふぅ~ん。…チェックアウトですか??あの男の人は、お連れの方でしょうか??」
久米は一瞬面食らった顔をして、ほんのりと頬を赤らめ、控えめに頷いてみせた。
「…ええ。連れ、のようなものです。」
「この旅館から、帰ってしまうんですね…。」
しみじみと呟いた水井は、そういえば、と久米に顔を向けてくる。
「私、久米さんの名前を知りません。なんていうんです??手土産に教えてくれませんか??」
久米は口元に片拳を持っていて、くすりと笑った。
「久米征久です。…ゆきひさ。」
水井は、突如えっと短く叫ぶと目を丸くする。
「ちょ…っ、ちょっと待って下さい!!今、私ですね!!この旅館の人に無理を言って、十年前の宿泊客名簿のコピーをもらったばかりなんですよ!!そっ、その中にですね、『永嶋征久』って人がいて…。」
久米は微苦笑して、水井に告げる。
「世の中には、同姓同名の人がたくさんいます。同じ名前の人が、偶然十年前の事件の日に泊っていても、そう珍しいものでしょうか??」
「あ…、そうか。苗字が違いますもんね。」
水井はがっくりと肩を落としたが、まだまだ諦めるものか、という面持ちで相手を見据える。
「久米さん、失礼ですが御結婚されたとか!?」
久米は、隠すことなく水井に向けて苦笑した。
「…残念ながら、独身です。」
「はあ。」
水井は再び、残念そうに頭を垂れる。…そこで、カウンターで仲居とチェックアウトの手続きをしていた箱根が、年下の男を呼んだ。
「…おい、征久。チェックアウト、済んだぞ。」
「…ああ、ありがとう。」
じゃあ、と久米は水井に緩く片手を振った後で、くすっと悪戯っぽく微笑む。
「あと、十年前に宿泊していた“箱根烈”のことも、詳しく調べたって無駄ですからね??」
久米は言い終わるとすぐに、水井の前から駆け出し、愛しい男の隣に並んで旅館の外へ去っていく…。
二人の後ろ姿を見つめながら、水井は口を開く。
「…変なの。」
彼女は眉を顰め、首を傾げてみせた。
「十年前の宿泊客名簿には、“箱根烈”なんて名前、そもそもなかったのに。」
刹那。
久米の肩を抱いて、寄り添うように歩いていた魔物が振り返る。魔物は、水井に向けてにんまりと引き上げた口角の前に、ピンと立てた一本の人差し指をすっと翳してみせた…。
…不幸は、音もたてずにやって来る。
〈旅先の魔物 END〉
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