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1.白い獣Ⅰ
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「はぁ。ようやくここまで来た……」
龍黎国(りゅうれいこく)南部のとある高く険しい山の中腹。大人の背丈ほどある大岩の上で、憂炎(ゆうえん)は麓の村で貰った竹の皮の包みを広げ、中に並べられた握り飯を頬張っていた。
「都の噂と麓の村の話を組み合わせれば、この山の中で間違いないはずなんだが、こうも山道が険しいとは……。鍛えていたとはいえ、宮廷育ちの俺には少々きつい……」
来た道とこれから行く道を見比べて、憂炎の口がへの字に曲がる。明殷(めいあん)の都から着てきた絹の服もここに来るまでに随分と傷んでしまったし、結い上げた藍の髪もぼさぼさになっていた。特に袴など、白い布が土に染まって茶色くなり、ところどころ糸がほつれてしまっていた。
憂炎は握り飯一つを食べ終えて、二つ目に取り掛かる。そのときふと、弁当を貰った時を思い出した。
「いや、彼らの反応は普通なんだ。普通なんだが……。やはり頭にくる」
麓の村で首飾りと引き換えに弁当と情報をくれた村人と猫の姿をした彼の魄は、憂炎を見るなりこういったのだ。
魄はどうした、と。
「どう見ても二十歳は超えてるのに魄がいないなんてあり得るんですか、とはな。仲睦まじげに二人そろって首を傾げて……。俺も知りたいさ。何故俺に魄がいないのか」
龍黎国第十一代皇帝・燕帝の第二皇子、鴻憂炎。彼には誰しもが持つ魄がいない。
聡明で優しく、民からも慕われる皇帝の息子として生まれた憂炎は、幼い頃から活発で、家族を始め、臣下や明殷の人々たちに可愛がられてきた。
兄の憂青(ゆうせい)が生まれつき病弱だったため、一時は彼の代わりに皇帝を継ぐのではないかと噂されたこともあった。
しかしそんな話も憂炎が十歳を過ぎた辺りにぴたりとやんだ。憂炎の魄となる精霊が現れなかったからだ。
魄は生まれる前に魂から切り離された己の片割れ。故に、魄を持たない人間などいない。
皇帝から奴隷に至るまで、遅くとも十歳までには皆等しく自分の魄に出会う中、二十を過ぎても魄のいない憂炎は、他の人間からすれば魂が欠けたままの異質な存在。
これまで何人もの医師や祈祷師、呪術師までにも診てもらったが、皆口をそろえて原因は分からないと首を横に振った。
身体に異常がないのならそれでよい。初めの頃はそうやって納得しようとしていたのだが、周囲の人間がそうさせてはくれなかった。
魄は人の現身で、強い魂を持つ人間ほど魄も強く美しい姿になる。皇帝の魂などは最たるもので、魄の姿が力の象徴。故に皇帝の家系に生まれたものは、強い魄を持たねばならない。なのに魄がいないなどとは言語道断。次期皇帝どころか、皇帝の一族としてふさわしくない。
そう言って皇帝の権力を狙う宰相たちは、そろって憂炎を腫物扱いした。父の燕帝と兄の憂青は憂炎を気にかけ何度も彼らを窘めたが、十歳の誕生日から今に至るまで彼らの陰口が止まる日はなかった。
別に権力も次期皇帝の座も一切興味はなかったが、馬鹿にされ続けるのは癪に障る。それに他人――特に兄が魄と接する姿を見て、かねてよりできる事なら自分にも魄が欲しいと思っていた。だからこの数年間、憂炎は書庫の中に籠り切り、そしてようやく見つけたのだ。
「もうすぐだ。この指輪があれば、奴らを見返せる」
握り飯を食べ終えた憂炎は、左手の薬指に付いた指輪を見つめて軽く微笑む。
確かに魄を持たない人間はいない。しかし例外はあるもので、たった一人、魄を持たない者として歴史に名を残した者がいる。それが龍黎国初代皇帝・鴻帝であった。
彼は魄を持たなかったが、それでも龍黎国を建国した偉大な皇帝として歴史に名を刻んでいる。その理由は、彼の敏腕な政治力と豊富な知識、そして呪具と呪術を使って自然に生きる何匹もの強力な精霊や霊獣と契約を結ぶ力にあった。言い伝えによれば、鴻帝は精霊達を自分の周りに置き、彼らを魄のように扱うことができたという。
その記述を見て、憂炎は考えた。契約の術を使えば、鴻帝と同じようにそこらにいる精霊を疑似的に自分の魄にできるのではないかと。皇子としてあらゆる事を学ぶ中、呪術方面にも多少の知識があった憂炎は、数年に渡る研究を重ね、ついに術を練り込んだ指輪を使って魄を作る方法を完成させた。
「紅焔(こうえん)がいてくれて助かった。あいつがいなかったら、呪術師たちの知識を借りることはできなかったしな」
紅焔とは、鳳凰の姿をした燕帝の魄で、人の心を読むことができる力を持つ。彼を始め強い力を持つ魄は人に姿を変えることができるため、嫌厭されている自分の代わりに呪術師たちへ人の姿で訪ねて貰い、情報を手に入れてもらったのだ。
ちなみに、憂炎の計画は家族である燕帝と憂青には話しているので、紅焔に協力してもらうのも燕帝の了承済みである。
「お陰で呪具に指輪を使うのがいいという事も分かったし、それからこの国の南にある山――この山に、凄い霊獣が住んでるっていう話もつかめたし」
魄にするなら、それなりに強い力をもつ精霊がいい。鳳凰の紅焔や、憂青の魄である黒麒麟の熇白(こくびゃく)のような、神獣や霊獣の類でなければ、これまで自分を馬鹿にしてきた宰相たちを見返すことはできないからだ。
しかし自然に生きる精霊たちは滅多なことがない限り人前に姿を現さず、見つけることは至難の業。どうしたものかと考えていたときに、紅焔を通じてとある霊獣の噂を聞いたのだ。
「数百年前からこの山に住み着いているという白くて美しい獣……。人の言葉を話して、あとは物知りなんだったか。人の言葉を話せるってことはまあ、それなりに力の強い精霊なんだろう。けどそれ以上はよくわからないな……」
麒麟。鳳凰。龍。霊獣の類は自分の家族や他国の王族の魄で何度か見たことがある程度だが、噂の獣はそのどれにも当てはまらないような気がした。強いて言うなら九尾狐だが、狐なら噂の中でも狐と指摘されているような気もする。
「まあとにかく白い獣を見つけたら話しかけてみればいいだろう。それで会話が成り立てば、そいつが噂の霊獣ということだ」
憂炎は握り飯を包んでいた竹の皮を丁寧にたたんで荷物の中にしまい込み、岩の上から飛び降りる。そして更に上を目指して、再び山道を歩み始めた。
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