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1.白い獣Ⅱ
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休憩してから数刻後。憂炎は木々の生い茂る森の中に、ひとりぽつんと立っていた。
「これは……迷ったな」
頂上まで道がある麓の村で教えてもらい、その通りに歩いてきた筈だった。けれど今、憂炎がいるのは獣道さえない森の中。傾斜はなく、なだらかな地面がどこまでも続いている。うっそうと茂った木々は天を覆い、冷たく薄暗い空間だった。
「どこで道を間違えたんだ? 確かに道を真っ直ぐ歩いてきたのに……」
記憶を掘り返してみても思い当たる節はなかった。少しばかり記憶がおぼろげになっているところもいくつかあるが、それでもまさか一本道を間違えるはずがない。
「引き返すか……? と言っても東西南北同じ景色だからどこ行ったらいいのか分からないな……。取り敢えず前に進んでみるか」
そんなことを呟きながら、憂炎は道なき道を進んでいく。鳥の声も、虫の声も聞こえない静かな森に、落ち葉の鳴る音だけが響いていた。
「こんなところに霊獣がいるのか? ……いや、霊獣が見つからなかったら、俺はこのまま遭難してしまう」
なんとしてもそれだけは避けたい。霊獣を探しに行くと明殷を立つとき、父と兄をとてつもなく心配させてしまったのだ。なんとか言いくるめて出てきたが、これまでずっと味方でいてくれた二人を悲しませることはしたくない。その程度の家族愛は持っているつもりだった。
竹筒の中の水を一口飲み、「よし」と声で気合を入れる。そして再び進もうとしたその時、前方の暗がりの中に、一点の白い光が見えた。目を擦っても消えないという事は、どうやら見間違いではないらしい。
「あそこに何かあるということか」
慎重に鳴りながらも、その光に向かって歩きだす。一歩むたびに光は徐々に大きくなり、そして数分後、その光にまで到達した。
「……!!」
躊躇いもなく光の中へ飛び込んだ憂炎は、そのまぶしさに目を細める。そうして光に慣れてきたのち、そこに広がる光景に目を見開いた。
「なんだ、ここは……!」
そこには、開けた土地があった。四方を森で囲まれて周囲と隔絶されている。地面には短い草が青々と生い茂り、スミレやカタバミなどの野花が花を咲かせていた。そしてその土地の中央辺りには茅葺屋根の家が一軒と、小さな畑がある。
「ここに誰か住んでるのか? いやそれよりも、こんな場所はおかしい。麓から見た時はどう考えてもこんな開けて平坦な場所がある山じゃなかった……」
憂炎が混乱していると、家の扉が開いて中から人影が現れた。
白くて長い髪を結びもせずに遊ばせているその姿は、遠目から見れば老婆のよう。しかしそれにしてはしっかり腰を立てて歩いているので、もう少しくらい若いのかもしれない。魄の姿は見当たらないが、きっと家の中にいるのだろう。
「丁度良い。あの人に何か聞いてみよう。ついでに霊獣のことも教えて貰えばいい」
屈んだ姿勢で作物を取っている相手に近づき、憂炎は「あのー」と声をかける。
「ちょっと聞きたい事があるんですがー……」
そこで、思わず息を呑む。俯いていた相手が、顔を上げてこちらを見たからだ。
「お、おまえ……」
言葉も忘れてしまう程に、その相手は美しかった。
雪のような純白の髪に透き通るような肌。垂れ気味の目の中には辰砂のような赤い瞳が輝いている。決して老婆などではない、二十代前半と思われる若い男が、来訪者である憂炎をじっと見つめていた。
「……あ。えっと……」
相手は同性。なのに胸のざわめきが止まらない。憂炎がそのまま言葉も忘れてまごついていると、目の前の男が口を開いて呟いた。
「鴻……?」
小さく、男にしては少し高めの心地のいい声。しかし発せられたその言葉に、憂炎の頭に疑問符が浮かぶ。
「え? 確かに俺の名前は鴻憂炎だが……」
すると男は少しばかり目を伏せた。その悲しげな表情に、思わず憂炎は右手を伸ばす。しかしその指先が肩に触れる寸前に、ぱん、とその手は振り払われた。
「痛っ!」
右手を左手で撫でながら、憂炎は男をじとりと見下ろす。彼は先程の表情とは打って変わって、険しい表情で憂炎を睨みながら立ち上がった。
「……誰」
「言っただろう。鴻憂炎。龍黎国第十一代皇帝、燕帝の第二子だ」
「龍黎国皇帝……」
男は「ふぅん」と鼻を鳴らして言葉を切る。しばしの沈黙の後、再び彼は口を開いた。
「人間がここに何の用? 魄も連れずにこんなところに来るなんて不用心だと思うけど」
とげのある物言いと、自分にとっての禁忌の言葉に、一瞬顔をしかめたが、憂炎は努めて冷静な振りをして口を開く。
「……俺はここに、霊獣を探しに来たんだ。お前、この山に棲む霊獣の話を聞いた事ないか? 白くて人の言葉を話すらしいのだが」
「ああ、なるほど。つまり君は僕に会いに来たわけか」
「は? お前に?」
「そう。だって多分僕のことだよ。この山に棲む霊獣って」
男は「ほら」と言ってゆるりとした衣の袖を振る。するとたちまち、目の前の男の姿が変化した。
「……!」
そこに立っていたのは、人ではなく、一匹の四足獣だった。顔は麒麟や龍に似ているが、足は虎の鉤爪のよう。頭には角が生えていて、その眉間には瞳に似た文様が刻まれている。瞳は赤く、そして全身が長い白銀の毛で覆われていた。
人語を話す、白く美しい獣。目の前の獣はまさにその噂通りの姿をしていたのだ。
「で、僕に何の用? 何か知りたいことでもあるわけ?」
獣が先程の男と同じ声で言った。美しさに見蕩れて放心していた憂炎は、我に返って霊獣を探していた理由を話す。
「つまりお前に、俺の魄になって欲しいということだ!」
「……馬鹿なの? 魄は君たち人間の為だけに生まれた特別な精霊だよ。この世に人が生まれ落ちた瞬間、その魂の一部がこぼれ落ちて魄になる。自分の魂の一部でもなんでもない、その辺の普通の精霊を魄にするなんて無理だよ」
獣は男の姿に戻り、憂炎を見下すかのようにあざ笑った。どうやらこの霊獣、見た目はとても美しいが、性格は随分と歪んでいるらしい。
しかし初対面の、しかも霊獣に怒りをぶつける訳にはいかないと、憂炎は感情をこらえながら懐の中に手を入れる。
「けれど俺の先祖である鴻帝は、魄がいない代わりに精霊や霊獣を魄のように扱っていたという。ならば、擬似的に魄のようなものを作れるという事なんだ。この、指輪を使えばな」
取り出したのは小さな巾着。憂炎はその中に手を入れて、小さな指輪をつまみだした。
「これが、呪具だ。俺がつけている指輪と同じもので、術を施してある。これをお前につければ、お前は俺の魄になるんだ」
自慢げに話す憂炎。しかし男は腕を組んでため息をつく。
「……それ、魄をつくる術じゃない。高位の精霊と契約を結ぶ術だよ」
「そうなのか? まあ似たようなものだろう」
「全然違う。それは呪具を媒介に自分の霊力――魂が発する力を精霊に与える代わりに、精霊に自分の命令に従って貰う契約を結ぶだけ。魄みたいに一心同体のような関係になる訳じゃない」
「それでもいい。俺は魄のような存在が欲しいんだ。頼むから願いを聞いてくれ!」
憂炎は思い切り頭を下げて目の前の男に懇願する。そんな憂炎を男はしばらく見つめていたが、やがて静かに口を開いた。
「……嫌だ」
「何故だ?」
「これまで自由に暮らしてきたのに、いきなり人の命令に従わなきゃなくなるなんて嫌だから。それくらい、少し考えたら分かるでしょ? それとも頼めばすぐに『はい、いいですよ』なんて言うと思った?」
「……」
一言一言、どこか気に障る言い回し。紅焔もなかなかの皮肉屋だが、さすがにここまでではない。
こんな男が寝ても覚めても隣にいることを想像すると正直嫌気がさしてしまいそうだが、しかし今から他の霊獣を探すのは骨が折れる。それに長く付き合えば、少しは慣れて来るかもしれない。
「頼む。なんでもするから」
憂炎はそう言って更に頭を深く下げる。その言葉に、ぴくりと男の耳が動いた。
「なんでも……?」
「ああ、俺にできる事はなんでも!」
「ふーん? なら、考えてあげても良いけど?」
「本当か!?」
歓喜しながら、憂炎はがばっと顔を上げる。すると視界の中に飛び込んできたのは、綺麗な顔を意地悪そうに歪めた男の表情だった。
嫌な予感が頭をよぎる。しかし訂正するには既に遅い。
「じゃあ、しばらく僕のところでいろいろ手伝って貰おうかな」
「は……?」
「一人で暮らしてると何かと人手が足りないんだよね」
丁度よかったと言いながら、男は楽しそうに笑った。一方の憂炎は顔を蒼白させている。
「……しばらく、とは、いつまでだ?」
「そりゃ僕の気が済むまでだよ」
「無理と言ったら?」
「それ、言わなきゃわかんない?」
「……わかった。やってやろう」
がっくりと肩を起こし、うなだれながらそう答える。そんな憂炎の返事に、男は満足げな表情を見せた。
「交渉成立、だね」
「……」
悪態をついていたとも思えない、綻ぶ花のような笑顔で、男はこちらに向かって白磁の手を差し伸べる。
「僕は雲嵐(うんらん)。これからよろしくね、憂炎」
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