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2.契約Ⅲ
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山の中を歩き回り、どれだけの時間が経っただろうか。出かけたのは太陽がようやく地上の空気を暖め始めた頃だったのに、気付けば空はあかね色に染まっている。
「全然、見つからないではないか……」
場所は山の頂上付近。額に汗を流しながら、憂炎は深いため息をつく。遠くから聞こえる烏の声がむなしさを余計に助長させた。
ここまで登って来た課程で、いけそうなところはすべて探したつもりだった。たとえ山道から離れた場所でも、どこかに岩がないかと危険を承知で向かっていった。しかしどこを探してもそれらしき薬草は見つからない。
「このままでは夜になってしまう……」
紅い空が紫に変わるのは早いのだ。後半時もすれば辺りは暗くなるだろう。雲嵐から貰った獣よけの霊符があるため、野生動物から襲われる事はないだろうが、薬草を探すことはほぼ不可能になってしまう。そうなれば今日中に帰るという条件を満たせない。つまりは、彼を魄にする事ができなくなるということ。
「駄目だ、それだけは……!」
彼以外など、考えられない。絶対に、日が沈む前に薬草を採って、あの場所に戻らなければ。
そんな思いを胸に抱え、憂炎は腕で汗を拭って足を速めた。そしてさらに注意深く辺りを見渡していると、目線の端に岩のようなものが映り込む。
「ん? あれは……」
大きな岩。山道から随分離れた場所にあるのに、尚もそう言える程の岩だった。
「頼む。あの岩であってくれ……!」
祈るように、憂炎は道を外れて岩の方へと向かっていく。やや下り坂になった地面は飛び出た木の根や落ち葉で足場が悪く、憂炎は立ち並ぶ木の幹や蔓草を掴みながら慎重に下っていった。
しかし思ったより遠いのか、なかなか辿りつく事ができない。徐々に薄暗くなっていく森の中、焦りを感じながら道なき道を下っていく。
やがて日が沈む直前、憂炎はようやく岩の場所まで到達した。そしてその岩の本当の大きさに目を見張る。
「これは……これまで見たどの岩よりも大きい……」
大きい、よりもむしろ巨大と言った方が良いかもしれない。縦は憂炎を縦に二人並べたのと同じくらい、横は両手を広げても抱えきれない程の丸い岩が、ずしんと目の前に鎮座していた。その向こうはぎりぎり飛び降りる事ができそうな高さの段差になっている。
「今度こそ、雲嵐の言っていた場所だろうか……」
空に残った僅かな光を頼りに、憂炎は岩の周辺を探し回る。そして、岩の下の隙間を見た時、憂炎は目を輝かせた。
「あった! これだな!」
段差との境目のところに、本で見た通りの植物がこっそりと生えていた。蔓で別の植物に巻き付いており、ところどころに小さな花を咲かせている。そして花が枯れた後の部分には、爪の先程の小さな種が付いていた。間違いない。これが雲嵐の言っていた瑤草だ。
「こんなに小さいのなら、蔓ごと取って帰った方がいいか……」
憂炎は岩の下に上体を差し入れて、なんとか瑤草の蔓を掴む。岩に右手をついて身体を支え、左手で瑤草をぐいと引っ張って、とりついている植物から引き剥がした。
しかしその時、ここ数日の疲労がたたったのか、くらりと目の前の景色が歪む。同時に木の葉で足を滑らせて、憂炎の身体は完全に支えを失った。
「……!!」
何かを掴もうとした右手は宙を掻く。左手に瑤草を掴んだまま、身体は重力に従い倒れるが、頭側に地面はなかった。
「しまっ……!」
憂炎は思わず声を上げる。しかしどうすることもできないまま、憂炎は岩の先の段差の向こうへ滑り落ちた。
「うあっ!」
土にたたきつけられる衝撃。ごきん、という嫌な音。全身を走る激痛。内臓がよじれ、口の中から体内のすべてを吐き出してしまいそうになる。
「落ちた…のか……」
浅い息を吐きながら、動く両足と左手の力を使い、激痛に耐えながらうつ伏せからなんとか仰向けの姿勢になる。
見上げると、木々の間から月が顔を出していた。辺りは既に闇につつまれ、落ちる前にいた場所さえもはっきり見て取ることはできない。
「くっ……。これはまずいな……」
右前腕の感覚がなく、腕を曲げようとしても動かない。おそらく落ちる時に無意識に手を突こうとして、衝撃に耐えきれず折れたのだろう。先程の嫌な音は、右腕の骨の断末魔だったに違いない。そして、落ちたときに胸を強打したこと、それから胸に感じる激痛の事を考えると、肋骨も数本折れていそうだ。
「両足は無事ということと、瑤草は手に入れているということ、不幸中の幸いというところか……」
左手にしっかりと掴まれている瑤草を見て、憂炎は口元に笑みを浮かべた。
しかし、ずっとここでこうしているわけにもいかない。雲嵐の要求に応える為には瑤草を今日中に彼の元へ持って行かなくてはならないのだ。それは即ち、この身体で森の結界をくぐり抜け、あの場所に帰らなくてはならないという事。
憂炎は長い息をつき、瞳を閉じて身体の状態を再確認する。右手と胸以外の痛みは、随分とましになってきているような気がした。
「よし」
意を決し、腹と左手に力を入れる。筋肉の緊張が胸にも伝わり、息苦しさが加速した。体中が軋む音が響いたが、しかしなんとか苦痛に耐えて上体を起こす。そこで一息ついた後、もう一度気合いを入れて一気に身体を持ち上げた。
「なんとか……いけそうだな……」
身体は重く、痛みは全く治まらない。けれど足は動かせる。帰りはただ帰りたいと望むだけで森の結界に入れるのだから、なんとか帰ることはできるだろう。
憂炎は左手で瑤草を握ったまま、右腕の上腕を支える。そして雲嵐のいるあの場所の事を考えながら、一歩足を踏み出した。
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