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主従
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「なんだか、肩が軽過ぎるな」
リンデルは、勇者の鎧を全て外し終えると、ゆるりと肩を回して呟いた。
夕刻、各所への挨拶を済ませ、城内の自室に戻ったところだ。
カーテンの引かれていない窓には、私服姿の自身が映っている。
リンデルは、毎日のように身につけていた勇者の甲冑へ視線を落とす。
何度も傷を受けたが、その度に丁寧な修復を受けてきた。もう二度と着る事が無いだろうそれを見ていると、今までの戦いが次々と脳裏を過ぎる。
「重い……鎧でしたから」
ロッソが、そっと答えながらその肩へ上着を掛け、
「まだ朝晩は冷えますので」と言い添えた。
この部屋も、今週中には出ることになっている。
来週からはここが新しい勇者の部屋となるのだろう。
リンデルは部屋をそっと見回しながら「ありがとう」と、小柄な従者に声をかける。
この従者とも、今日で主従関係は解消されるはずだった。
この城の地下、何重にも閉ざされたその先に『真の勇者のみが抜ける剣』と言われるものがあった。
勇者は皆、就任時にそれを試す。
けれど就任時に抜けた者は誰一人居なかった。
ただ、退任時にも希望する場合はそれを試せた。
今まで、歴代勇者二十人のうち、三人だけが抜けたらしい。
そして昨日、リンデルがそれを抜いたことで歴代二十一人のうち四人が『剣に認められし真の勇者』ということになった。
『真の勇者』は国王から直々に『最後の依頼』を受ける。
依頼の内容は、不定期に現れては人々を襲う『魔物』の『根絶』だった。
生まれる前から勇者に仕えるべく教育を受けて育ったロッソですら、この依頼を聞いたのは初めてだったらしく、珍しく動揺を滲ませていた。
「……本当に、行かれるおつもりですか?」
背後からかけられた声に、リンデルは苦笑を浮かべながら振り返る。
「ああ、まあ……偵察くらいのつもりで行くよ。
ロッソはまだ仕事が残ってるだろ? 付いて来なくていいんだぞ?」
金色の瞳が労わるように揺れる。
けれど、来なくて良いと言われたことの方が、ロッソには辛く聞こえた。
「お一人でなど、死にに行くようなものです。
勇者様こそ……、剣が抜けたからといって必ず行かねばならないわけでは……」
ロッソは、静かに見つめ返してくる金色の瞳から逃れるように目を伏せる。
こんなことを言ったところで、どうにもならない事は分かっていた。
けれど、行ってほしくないと思う気持ちが、止められなかった。
過去に剣を抜いたという三名の勇者は、全員、魔物の生まれる場所である北の山へと向かったらしい。
中には大隊を伴って旅立った一行もあったという話だ。
けれど戻った者は一人もいなかった、と王は仰った。
王は、リンデルにも好きなだけ連れて行きたい者を指名して良いと仰ったが、リンデルはしばらく考えた後、それを拝辞した。
「中隊全員とは言わずとも、せめて数人……お連れになってくださいませんか?」
俯いたまま懇願するロッソに、リンデルは手を伸ばし頭をそっと撫でる。
「勇者様……」
不安を滲ませた瞳で、ロッソがリンデルを見上げた。
リンデルには、この数年でやっと気付いた事があった。
それまでは、自分より小柄ではあったが、十歳近く年上でしかも自分の教育係であるこの従者の、頭を撫でようだなんて考えた事も無かった。
けれど、カースに撫でられ嬉しそうにしているロッソを見て、自分もこの人を撫でてやれば良かったのだと、ようやく分かった。
過去に、ロッソを撫でる人は居た。
前隊長は気さくであたたかい人で、リンデルがこの隊に入ってから、勇者になって以降も、よくリンデルやロッソ、他の隊員達の頭や肩をポンポンと励ますように撫でていた。
けれど彼は、リンデルを庇って足を負傷し、引退してしまった。
「俺も最初は、誰か連れて行こうと思ったんだよ?
でも、顔を思い浮かべたら、その誰もが失いたくない人ばかりだったんだ」
ほんの少し淋しそうに、リンデルは笑ってみせる。
「勇者様……」
ロッソの縋るような声に、リンデルは苦笑した。
「もう俺は勇者じゃないよ」
「……」
ロッソが小さく息を呑む。その先の言葉は、できれば聞きたくなかった。
「だから、ロッソももう、俺に付いて来なくていいんだよ」
「……っ」
『勇者様』と呼ぶことが許されないのなら名を呼べば良いと、頭では解っていても、今まで一度もその名を口にした事のないロッソに、それは難しかった。
「……いいえ、最後までお供します……」
従者の小さな肩は震えていた。
「……どうか……共に、行かせてください……」
俯いたままで、なんとか絞り出すように伝える従者の頭を、リンデルは胸元に抱き寄せる。
「ゆっ……っ……!!」
「付いて来るなとは言ってない。むしろ、その気持ちはとても嬉しいよ。
でも、俺はロッソにも……、やっぱり……生きていてほしいんだ」
「そんな。まるで…………」
そこから先は言葉にならなかった。
死にに行くような……とは、決して言える事ではなかったが、今までの結果を聞く限り、生きて戻る可能性が極めて低い事は事実だった。
「っ……どうしても、行かれるのですか……?」
尋ねられ、今までロッソを宥めるようにあたたかな声色だったリンデルの声から、ふっと温度が失われる。
「俺は……知らないままにしておきたくない。
自分が今まで斬り殺していたものが、何だったのか、を……」
重く冷たいその声に、ロッソは視線を上げてリンデルの表情をうかがう。
リンデルは遥か彼方、北の方角を見つめていた。
もう、今まで何体の魔物を倒したのか、覚えてはいない。
それこそ、数え切れないほど斬った。
魔物の返り血を浴びて、温かいと思った。
剣を伝うそれは、俺と同じ、赤い色をしていた。
戦場にはいつも、人と、魔物の死体が残る。
処理班が地中に埋めてゆくそれは、どこから、どうやって生まれたのか。
なぜ人を襲うのか。
誰も知らないその答えが、北にあるだろうことだけは、なんとなく分かっていた。
魔物の現れる方角は、いつも決まって北からだった。
「北の山はまだ……雪だらけかな?」
リンデルの声がいつもの温度に戻って、ロッソはホッと肩の力が抜ける。
ロッソの耳に、リンデルの柔らかな心音が届いている。
ゆっくり、呼吸と共に上下するあたたかな胸に、自身の耳と頬が触れている事を、ロッソはようやく意識した。
途端、頬がじわりと熱を持つ。
リンデルが、腕の中で黙り込んでしまったロッソを覗き込む。
視線を感じて、小柄な従者は顔を上げようとしたが、どうしても出来なかった。
この温もりを手離したくない。そう強く願う私とは違って、この方は、もう私と二度と会わないつもりでいるのだろう。
そうでもなければ、この方がこんな風に私を抱いてくださるとは思えなかった。
顔を上げてしまえば、そこには別れを覚悟した主人の……いや、元主人の顔があるのかと思うと、たまらなく恐ろしかった。
俯いたまま、顔を上げる気配のないロッソを、リンデルはそっと撫でる。
宥める様に、長年の労をねぎらうように。
リンデルの長い指が自身の黒髪をゆっくりと撫でるたびに、ロッソは息が苦しくなってゆく。
この方のお傍を離れたくない。
本当は、一瞬たりとも離れたくない。
長年胸の奥へ押し込めていた思いが、もう溢れてしまいそうだった。
「もし……」
消えそうなほどの微かなロッソの声。
「……もしも、私が……、貴方に生涯仕えたいと……願ったならば……」
リンデルは動きを止めると、黙ってその先を待った。
髪を撫でていた指が止まり、ロッソは不安に駆られ顔を上げてしまう。
しかし、リンデルは困った顔でも悲しそうな顔でもなく、ただ優しくロッソを見つめていた。
あたたかな金色の眼差しで。
「……っ。貴方は……私の我儘を、許してくださいますか……?」
ポロリ。と転がるように落ちた何かが、自身の涙だったのだと気付く前に、ロッソは金色の青年の微笑みに心を全て奪われた。
「俺で良いのなら、喜んで」
ほんの少し恥ずかしそうに、それでも嬉しそうに金色の髪を揺らして笑う青年。
優しげに細められた金色の蜜のような瞳が、とろりと蕩けるように揺らめく。
もっと、躊躇われるかと、戸惑われてしまうのではと、思っていた。
それが、こんなにあっさり。
こんな風に、笑って許してくださるなんて……。
「あ、でも俺これから無職なんだよな……、お給金はあんまり期待しないでくれるか?」
思い出したように忠告するリンデルに、ロッソは思わず苦笑する。
「貴方の懐事情は、十分承知しております」
「あー…………。それもそうか」
リンデルはもう一度、恥ずかしそうに笑う。
その笑顔に、ロッソもまた微笑んだ。
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