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魔物
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「主人様! 後ろです!!」
「任せた!」
ロッソが腕を振る。
投げナイフがリンデルの背後の魔物に突き立つ。
リンデルは振り返らずに、ロッソの斜め後ろから飛びかかる魔物へと裂帛の気合と共に剣を振り下ろした。
ギャウッと潰れるような悲鳴をあげて、四つ足の魔物が地に伏す。
まるで流線を描くように、二人は最低限の動きで流れるように五体の魔物を倒していた。
見事な連携に男は感嘆する。
カースは、足元の魔物が完全に沈黙したことを確認すると、魔物の口を縫い止めるように地に突き立てていたダガーを引き抜いた。
「流石、元勇者様にその従者様だな」
カースの言葉にリンデルは破顔し、ロッソは謙遜する。
男に出来たことといえば、ロッソの投げたナイフの毒が回るまでのほんの少しの間、魔物を一体押さえていた程度の事だった。
それでも、ロッソはカースが予想以上に動けることを歓迎してくれたが、リンデルは心配だから下がっていて。と無茶を言った。
鬱蒼と茂った森の中、視界は悪く、囲まれてしまえば下がりようもない。
男は二人の荷物にならずに済んだ事にホッと胸を撫で下ろしながら、山道を進んだ。
ここまでも魔物に会うことは度々あったが、この森に足を踏み入れてからは出現頻度が格段に高まった。
何とか日が暮れる前に開けた場所を見つけることができた三人は、そこを野営地とした。
「お前達は先に少しでも休め」とカースに言われ、まだ日は暮れたばかりだったが二人は横になっていた。
魔物は、野生動物ほど火を怖がってはくれない。
それでもこの山の中、何が出てくるかもわからない場所で、火を焚かずに過ごす選択肢は無く、カースはその番をしていた。
火を挟んで反対側に、ロッソが背を向けて横になっている。
リンデルは、はじめ男に膝枕をねだっていたが「いざって時に足が痺れてちゃ洒落んならん」と却下され、ロッソにまで「主人様、あまり我儘を仰らないでください」と嗜められ、しょんぼりと男の隣で横になっていた。
リンデルが寝付くまで、カースは宥めるようにその髪や頬を撫でていたが、すぅすぅと静かな寝息を立て始めたのを見て、そっと手を下ろした。
火はまだしばらく、このままでいいだろう。
男は木に背を預けると、目を閉じる。
眠らないよう気は張り詰めながらも、体の力を抜いてゆく。
こうやって体を休めるだけでも、多少は疲労を回復できる。
これも、盗賊時代にあいつから教わったことだった。
どのくらい経っただろうか。
じわり、と斜め後ろから嫌な気配を感じた。
目を開けば、木々の隙間から僅かに見える空の星は、目を閉じる前より手のひら分ほど傾いている。
ロッソとリンデルはまだ寝ているようだし、相手は気配から察するに一体だ。
男は音を立てずに立ち上がりながら、ぐいと髪を掻き上げた。
鳥を降りてから、男はもう左目を隠してはいなかった。
術の効く相手であることを祈りつつ、男が魔物の方へ歩を進めた瞬間、リンデルの声がした。
「俺が行くよ」
「いえ、主人様はお休みになっていてください」
ロッソの声も続く。
まさか、この二人は眠っていてもこの距離から魔物の気配に気付けるのか?
男は内心唖然としつつも、魔物のいる方向から目を逸らさぬままに「虫系じゃなけりゃ、追い返しとくよ」と答える。
しかし、甲冑を着たまま寝ていたリンデルの、カチャカチャという足音は躊躇いなく男に近付いて、
「この先、カースに頼る事が増えると思う。だから、今は温存しといて」
と男に告げると、そのまま横を通り過ぎ、暗い森へと消えた。
その後ろに、ぴたりと一定の距離を保ってロッソが続く。
二人の背を見送りながら、男は一つ息を吐いた。
「……敵わねぇな」
元の場所に座り込み、男はまた背を木に預ける。
魔物の気配は、いわゆる殺気とは違う物だった。
なんとも背筋がゾッとする、吐き気を誘うほどの嫌悪感……。
カースには覚えがあった。
昔、まだカースが少年だった頃、あの頃の団に女はいなかった。
団員も若い連中ばかりで、いざこざも多く、時折むしゃくしゃした奴の苛立ちをぶつけられ、嬲られることがあった。
ゼフィアはあの性格だ。
俺から目を離しはしなかったが、男達を止める事はなく、それどころか焚き付ける有様だった。
俺を暴こうとする奴の顔は、どいつも似た様なもんだった。
悔しさや寂しさを全部混ぜ込んだような衝動を、欲望にすり換えて俺に叩き付ける。
そんな時の、あいつらが放っていた気配。
魔物の気配は、それと同じだった。
男は舌打ちをひとつ打つ。
やけに鮮やかに蘇った記憶は、男の胸に次々と暗い感情を呼び起こす。
カチャカチャと向こうから甲冑の音が僅かに聞こえてくる。
こんな顔を、リンデル達には見せたくない。
男は膝を抱えると、腕の中に顔を伏せた。
「ただいま、カース……。あれ?」
戻ったリンデルが、カースの姿に首を傾げる。
「厳しい山道でしたから、お疲れなのでしょう」
ロッソはカースが寝ていると思ったのか、さして気に留める様子も無く、そっと毛布をかけた。
「火の番は私が致しますので、主人様はお休みになってください」
声をかけロッソが振り返ると、リンデルは、まだその場に立ち尽くしたままカースを見つめていた。
「いや……。俺が起きてるよ、ロッソは寝てて」
「ですが……」
「ひとつ頼みたいんだ」
ロッソは主人の声がいつもより低いことに気付く。
「なんなりと」
姿勢を正して指示を待つロッソに、リンデルは「しばらく、俺達の会話は、聞かなかった事にして」と頼むとロッソに睡眠を取るよう促した。
ロッソがこちらに背を向けて横たわるのを視界の端で認めつつ、金色の青年は、男の浅黒い肌へと手を伸ばす。
「カース……、寝てないよね?」
グローブを外したリンデルの長い指が、男のこめかみから細い黒髪を掬う。
「……っ」
「何かあったの?」
耳元で囁くように尋ねられて、男は呻くように答えた。
「……何もねぇよ……」
「顔を見せて?」
「……放っといてくれ」
「ごめん。今は敵地の中だから、それは出来ない」
男は、しばらく沈黙を続けていたが、観念したようにじわりと顔を上げた。
毒に侵されたような男の表情に、リンデルの瞳が痛みを堪えて揺れた。
「……酷い、顔だろ。悪ぃな……」
男が苦笑を浮かべようとして、諦める。
その行為に、ただ痛々しさが増した。
「……どうしたの……?」
尋ねながら、リンデルは男の頬へ、瞼へと口付ける。
「何でもねぇよ……。ただ……ちょっと、嫌な事を思い出しただけだ」
「……話してもらえる?」
男は、真っ直ぐ見つめてくるリンデルに引く気がない事を察すると、仕方なしに話し出した。
「カースの感じた事は、その通りだと思うよ」
男の話を聞き終えて、リンデルはそう言った。
金の瞳が、男の森と空の瞳を順に覗き込む。
先ほどまでそこに浮かんでいた暗い色は大分薄れている。
リンデルに話したことで、少しは心が落ち着いたのだろうか。
金色の青年は、男の頬を両手でそっと包むと、まるで壊れ物にでも触れるかのように優しく優しく口付けた。
リンデルにとって、カースがどれだけ大切な人なのか、カースにもう一度思い出してもらえるように。愛を込めて。
ふ。と男の口端が上がって、リンデルはそっと唇を離す。
「もう、大丈夫だ。ありがとうな」
いつもの苦笑に近い表情を浮かべる男に、青年もまた微笑んだ。
リンデルは男へもう一度口付けると、名残惜しげにその手を離す。
男は、青年の顔が勇者のそれに変わるのを目にする。
リンデルは、くるりとロッソを振り返り、告げた。
「ロッソも聞いてほしい」
声をかけられて「はい」と答えてロッソが体を起こしこちらへ向き直る。
リンデルは、二人の顔を順に見て、周囲の気配をもう一度探ってから、慎重に口を開いた。
「この先で、俺達は魔物を生み出す者に出会うと思う」
「生み出す……者……?」
ロッソが、初めて耳にした単語を繰り返す。
「うん。でも、俺はそれを倒そうとは思ってない。できれば、その人を助けたいと思ってる」
「人……?」
カースが小さく口の中で疑問を唱えた。
「詳しく説明していただけますか?」
ロッソに問われて、リンデルは話し出した。
半年の間、城で調べて分かった全てを。
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