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遠い過去
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「オレは、より強い兵士を生み出すため、国の研究の実験台として、王が国中から集めたうちの一人だった……」
当時、隣国同士の戦争は終わる事を知らなかった。
孤児だと差し出せば、差し出した者には幾らかの報奨金がもらえた。
ほとんどの子どもたちは、戦争で親兄弟を亡くした孤児達だったが、中にはオレのように、金目当てで親に差し出された子も混ざっていた。
一人、また一人と部屋の子ども達が減っていく。
自分の親がどんなふうに自分を庇って死んだのか。
部屋に残された子ども達は、そんな話を語り合っては自身を慰め合っていた。
目の前の恐怖から逃げることも出来ず、ただ死を待つような日々。
自分がいかに、親に愛されていたのか、思い出したかったのだろう。
だがオレにはそんな経験もあるはずがなく、そいつらの話も、ただの自慢話にしか聞こえなかった。
愛されていた話を耳にする度、自分だけが愛されていないのだと言われているようだった。
「実験に呼ばれたときには、正直ホッとした。これで、こんな人生ともおさらばだと、そう思った……」
語る毎に、徐々に人の形を失ってゆく少年の輪郭を、リンデルはなんとか人に留めたくて、なぞる様に撫でていた。
しかしそれ以上にどろりとした闇が滲み出し、リンデルはぎゅっと少年を抱き締める。
ハッと少年が顔を上げる。
金色の髪を闇に染めながらも、金色の瞳はあたたかく少年を見つめていた。
リンデルは、淡い緑の瞳に自分の顔が映っているのを見て、安心したように微笑んだ。
「……っ」
と、その微笑みが一瞬崩れる。
ケルトの脳裏に、ずっと昔の友達の顔が鮮烈に浮かんだ。
自分の闇に触れ、痛いと、怖いと泣いて離れていった仲間達。
思わずケルトは青年の胸をぐいと押した。
自分から、少しでも遠ざけるように。
止められない。悲しみが胸から溢れてしまう。どろどろの闇になって。
この優しい青年を灼いてしまう。
しかしリンデルはそれを拒んだ。
「大丈夫だよ。落ち着いて……」
ぎゅっと青年のあたたかい胸に寄せられ、耳元で囁かれる。
けれど心を抉る思い出に、悲しみをすぐには押さえられず、少年が悲痛な声で叫ぶ。
「出来ないっ! オレから離れ……」
首を振る少年の顔を、リンデルが両手でしっかり掴む。
そのまま、少年は唇を塞がれた。
「!!??」
少年の瞳が驚きに見開かれる。
少し離れた場所で、ロッソが魔物を地に沈めた音がする。
指示がなくとも、やるべきことを理解し実行してくれる従者を、リンデルは誇らしく思う。
俺は俺のやるべきことを、全力でやろう。
決意も新たに、リンデルは未だかつてないほどに艶やかに微笑んで、そっと唇を離した。
「おっ、おま、え……っっっ」
ふるふると、小さく震える指でこちらを指す少年。
その顔は真っ赤だったが、闇はどこにも残っていなかった。
「急にごめんね。……嫌だった?」
「い、や、とか、そんなんじゃなくて、だな、お前っ!」
「うん?」
真っ赤なまま、プルプルと震えつつ必死に訴えるケルトに、リンデルは笑顔のまま首を傾げる。
「こーゆーのはっ、恋人同士で、やる事、だろ!?」
至極真っ当な意見をもらって、リンデルはしゅんとする。
「そうだよね。ごめん。他に方法が思いつかなくて……」
素直に謝られて、少年が言葉に詰まる。
「……っ」
「嫌な気持ちにさせちゃったね。ごめんね……」
少年よりも、ずっと大きい図体をしておきながら、言われるままにしょんぼりと反省している青年の姿に、少年が罪悪感を覚える。
「べ……、べつに、嫌とか、言ってるわけじゃ、ねぇけど……」
「ケルト、許してくれるの?」
ほわっと青年が期待に満ちた目で少年を見る。
「え、ええと……今度からは、急に、するなよ」
ケルトは金色の瞳が眩し過ぎて、目を逸らしながら答えた。
「うん、約束する。ありがとうっ」
ぱあっと咲くリンデルの花のような笑顔に、思わず顔を上げたケルトが心を射抜かれる音が、ロッソとカースには聞こえた気がした。
「お、お前……、この……」
「リンデルでいいよ」
言われて、少年はようやく伏せた目をチラと上げる。
ニコッと微笑まれて、慌てて視線を逸らしながら、ケルトは続けた。
「リンデルは……、この黒いやつに触ったら、痛い、だろ?」
その言葉に反応したのは黒髪の二人だった。
ざわり。と二人の気配が背後で膨らむのを、リンデルは背で宥めつつ答える。
「うん、少しね。でもほら。どこも怪我してないよ?」
リンデルが、何度も闇を撫でた手を広げて、少年に見せる。
ケルトは目の前に差し出された自分よりずっと大きな手を両手で握ると、表面を撫でたり、ひっくり返したりして、確かめた。
「そうか……怪我は、しないのか……」
少年のホッとした様子に、背後の二人がホッとした気配が重なり、リンデルは苦笑を堪えた。
「ケルトも痛いの……?」
「いや、オレは痛くもなんともない。……いい気分では、ないけどな……」
と眉を寄せるのを見て、リンデルはその赤い髪を撫でる。
ようやく落ち着いた様子のケルトに、リンデルは話の続きを促した。
ケルトは、渋々実験後の話を始める。
「よく分からない薬を飲まされて、体の何箇所かに針を刺された」
しばらくしてオレが目を覚ますと、やった、成功だと、研究者達は大騒ぎしていた。
結局、あんなに沢山集められていた子ども達のうち、生き残ったのはオレを入れて五人しかいなかった。
オレと同じ実験で生き残ったのは三人。
けど実際にそれができたのは、オレだけだった。
最初はアリで試した。
少しずつ、大きなものも魔獣化出来るようになった。
でもそれは、結局、コントロールのできないただの獣だった。
「それを操るための実験が、あの紫の目だ」
ケルトの言葉に、カースが小さく反応する。
けれど口を挟む気はないようだ。
「そっちの実験の生き残りのうち、術が使えたのはアイラだけだった。
けど、アイラはオレと違って、実験の後も成長した」
ケルトは一呼吸置いてから、ぽつりと呟いた。
「……あの獣は、オレの悲しみとか淋しさから生まれるんだ……」
リンデルの長い指が、ケルトの頬をそっと撫でた。
まるで涙でも拭うかのような動きに、ケルトは思わずリンデルの手へ自分の手を重ねた。
リンデルの手はあたたかい。
ケルトは、もう自分に体温がないことを分かっていた。
自身の両手を重ねても、物と物が触れ合った感触が伝わるだけだ。
いつからだったのかは、もう思い出せない。
研究者たちはオレを丁重には扱ったが、人とは思ってはいなかった。
淋しさが募るほど、オレの生み出す獣は大きく育った。
……戦争には勝ったよ。
大人達は、これで平和になるって言ってた。
皆幸せになるとか言って喜んでたよ。
でも戦争がなくなったって、オレのとこには幸せなんかこなかった。
オレの体は成長しない。
それに、オレは魔獣の発生を制御できなかったから……。
どこにいたって……邪魔者だった。
周りに生き物がいない建物の中に、オレはいつも入れられてた。
国の職員がいつもオレを見張ってた。
何人目だったんだろうな。もう覚えちゃいないが。
そいつがあまりにも嫌なことばっかり言うやつで、闇が敷地の外まで漏れたんだろうな。
魔獣はそいつも、建物も、そこに住んでたやつらも、全部壊した。
オレだけが、魔獣に襲われずに残った。
沢山恨みを買ったみたいでさ。
後はただ、追われる度に逃げてきた。
オレが通った後には、魔獣がいくらでも生まれた。
魔獣はどんどん強くなって、オレに向かってくる奴らも、だんだん強くなっていった。
ここに逃げ込んでからも、時々人間がオレを倒しに来たよ。
ものすごい大勢、束になってきたこともあった。
「オレはどうやら、人間の敵らしいな……」
ケルトは、吐き捨てるように呟いて、小さな肩をさらに小さく縮めた。
リンデルがその背をさすりながら言う。
「それは違うよ」
否定の言葉ですら、青年の口からはとても優しく響いた。
「ケルト、知ってる? 君がここに篭ってから、この国はずっと、戦争をしてないんだ」
ケルトは不思議そうに青年を見上げる。
それは、そうだろう。
そのために、自分はこんな体になったのだから。
「この国だけじゃない。ケルトが居るこの山は国境に近いから、隣国にも沢山魔物が……あ、君の言う魔獣だね。魔獣が降りてるんだ」
「……っ」
リンデルの言葉にケルトが顔を背ける。
「ケルトを責めてるんじゃないよ?」
じわりと滲んだ少年の輪郭を撫でて、リンデルが胸元に少年の頭を寄せる。
闇が滲んでいるのに、痛いはずなのに、この金色の青年は何度も何度もオレに触れる。
どうしたら良いのかわからなくなって、ケルトは縋るようにリンデルを見上げた。
リンデルは、なんでもないようにふわりと微笑んで、ケルトを優しく撫でた。
「続きを話してもいい?」
尋ねられて、ケルトがコクリと頷く。
「あ、その前に。ケルトの話はあそこでおしまい?」
「ん……」
ケルトがもう一度コクリと頷いた。
「辛い話をさせてしまって、ごめん。話してくれて、本当にありがとう」
リンデルは真摯に頭を下げた。
こんな、膝の上にすっぽりおさまるくらいの、こんなちっぽけなオレに。
今日出会ったばかりだと言うのに、この人は『ありがとう』と、もうオレに三度は言った。
その言葉は、オレがずっと欲しかった言葉だ。
欲しくて、欲しくて、精一杯頑張って、でもずっと手に入らなかった言葉だ。
じわりと滲んだのは、輪郭ではなく視界だった。
「っ……」
ぽろりと零れた涙を、まるで当然のように、リンデルの指が拭った。
しばらくの間、少年の嗚咽がおさまるまで、リンデルは何も言わずに少年の赤い髪を繰り返し優しく撫でていた。
そんなリンデルの後ろでは、ロッソが夕食の支度を始めていた。
日はまだ陰るほどではなかったが、こんな野外では、何にしろ早めにしておいた方がいい。
カースもようやく起き上がれるようになったのか、洞穴のあいた崖の壁面に背を預けて座り込んでいるが、まだあまり顔色は良くなさそうだ。
リンデルは、ケルトが落ち着いてきたことを感じ取ると、自分の胸元に額を押し付けたまま、時折小さな肩を震わせている少年に向かって、ゆっくりと語りはじめた。
「ケルトが戦争をおさめるまで、この辺りはどこも地続きで国が隣接していたから、本当に昔からずっと、戦争が絶えなかったんだって」
ケルトは顔を上げなかったが、リンデルは聞いてもらえていると感じた。
「でも、ケルトが山に篭ってからの百年以上、戦争は一度も起こってないんだ」
リンデルの言葉を、カースも、ロッソも静かに聞いていた。
「現に、俺は戦争を知らないし、俺の両親もそうだったよ。
俺が、人同士で殺し合う、そんな悲惨な戦争を知らずに過ごせたのは、ケルトのおかげなんだ」
少年の肩がピクリと揺れる。
「どこからともなく、不定期に現れる魔物という脅威を前に、人々は一致団結したんだよ。
今では隣国とはどこも友好的な関係を築けてる。
いざ大量の魔物が出た時には、国境を超えて協力し合える協定だってある」
リンデルは知っていた。
魔物に殺された大勢の人達を。
その中には、リンデルの大切な人も沢山いた。
魔物に家族を殺され、残された人がどんなにいるのかも知っている。
自分だって両親は魔物に喰われたし、カースの腕だって、魔物に千切られた。
勇者だった頃は、魔物がいなくなれば、世界は平和になると信じていた。
けれど、そうではなかった。
そして、王や、歴史をよく知る者達は、それを知っていた。
だから、全面的に魔物の根源を退治しようとはしなかった。
ただ、それを生み出した国としての義務感はあったのだろう。
結果、時に条件を満たした勇者だけを、この山へと向かわせた。
リンデルは深く息を吸い込むと、静かに吐き切る。
後ろで話を聞いているカースとロッソの気配を感じる。
魔物がいなければ、カースに会う事はなかった。
勇者という存在もなければ、ロッソに会うこともなかった。
隊長や大勢の隊員達。
リンデルにとって大事な人達は皆、魔物を倒すために集まった仲間だった。
「……全部、ケルトがいてくれたからだよ」
リンデルは心からの感謝を込めて、伝えた。
ガバッと、ケルトが涙でグチャグチャになった顔を上げる。
「な……なん、で……」
リンデルが、ちょっと悩んでからそれを自分の袖で拭こうとするところへ、ロッソが横から布を差し出した。
ケルトはそれを受け取ると、派手に号泣した。
リンデルは、そんなケルトをよしよしと撫でながら囁く。
「今までひとりで大変だったね。よく頑張ったね……。本当にありがとう……」
ケルトの輪郭は、もう滲まなかった。
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