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あたたかいもの
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「ケルトも食べる?」
一番星が姿を見せる頃、リンデルの手にはロッソが注ぎ分けたばかりの、ふわふわと湯気があがる器があった。
誘われて、しばらく悩んだのち少年は答えた。
「……食べてみる」
「いつもは何を食べてるの?」
とリンデルに尋ねられ、少年は躊躇いながら口を開く。
「石とか、葉っぱ……」
「ええっ!?」
リンデルが思わず聞き返す。
少年はもう空腹を感じなくなっていた。
けれど、時折何かを口に入れたくなって、そこらのものを口に詰め込んだ。
「どうぞ。熱いのでお気を付けください」
ロッソが、まだリンデルの膝の上に陣取ったままの少年へ、器とスプーンを差し出した。
「ん……。あり、がと……」
泣き腫らした腫れぼったい瞼を瞬かせて、少年がそれを受け取る。
「紹介がまだだったね。ケルト、この髪の長い人はロッソ、僕に仕えてくれてるんだ」
紹介を受けて、ロッソが胸元に手を添え一礼した。
「ロッソ……」
ケルトが、その名を覚えようと繰り返す。
「向こうのかっこいい人はカース、優しくて、頼りになる人だよ」
リンデルの不意打ちに、水筒を傾けていたカースが激しくむせる。
「カース……って、それ、名前なのか?」
「うん。本当の名前はもう捨てちゃったんだって。俺はずっとカースって呼んでるよ」
「……ふーん……」
ケルトが、何やら言いたげな顔をして、やめる。
少年の手に包まれた分厚い木の器はあたたかく、じっと握っていると熱いほどだった。
木製のスプーンで掬うと、リンデルが「熱いよ、ふーふーってしてね」と心配そうに言った。
言われるままに吹いて、ひとくち口に入れる。
あたたかくて、柔らかくて、味がついていて。
人の食べ物だと、思った。
「……っ」
思わず息が詰まる。
「熱かった!?」
リンデルの焦るような声。
すっかりゆるんでしまった涙腺が、またじわりと少年の目元を濡らした。
「……いや、美味しいなと、思った。だけ……」
少年はゴシゴシと目を擦って、もうひとくち、口に運ぶ。
「そっかー。びっくりした」
とリンデルがホッとした様子で言う。
「ロッソ、美味しいって」
話を振られて、小柄な男が頭をさげた。
「光栄です」
しばらく夢中で食べていた少年が、ふ。と顔を上げ、三人を見回す。
それに気付いて、三人はケルトを見た。
「なあ、お前らは、オレを殺しに来たんじゃないのか……?」
少年の言葉に、黒髪の二人はリンデルを見る。
リンデルは皆の視線を受けて、柔らかく笑った。
「違うよ。俺は君を助けに来たんだ」
実際、王から受けた依頼は『魔物の根絶』だ。
この少年を倒せとは言われていない。
「でも……、お前、勇者ってやつじゃないのか? 前来たやつも、その前に来たやつも、その前のもそう呼ばれてたし、お前の着てたのと同じような鎧を着てた」
しょんぼりと俯きかけるケルトの頬を、リンデルは指先でそっと撫でる。
「俺はもう、勇者は辞めたんだ」
にこりと笑うリンデルに、少年はまた戸惑う。
「で、で、でも、オレを、助けるって、どうやって……」
少年の言葉に、リンデルはほんの少し困った顔をした。
「そこなんだよねぇ。うーん……どうするのがいいんだろうね」
たいして深刻でもなさそうに、くりっと首を傾げる金色の青年に、少年は呆気にとられる。
「かっ、考えてなかったんですか!?」
ロッソの珍しい大声に、リンデルは肩をすくめてみせる。
「いや、だって、行ってみないとわからない事だらけだったからさ。
ほら、ここは臨機応変に……」
「臨機応変ではありません! 主人様は行き当たりばったり、無計画なだけです!!」
叱られて、リンデルがしょぼくれる。
「……うう」
「大体主人様は……」
ロッソが、ここまでのリンデルの無計画さを挙げ連ねようとしたところで、カースが宥める。
「まあまあ、今はその辺にしといてやれよ」
「……ですが……」
まだ不服そうな従者を、カースは手で呼び寄せる。
カースに視線で先を促され、リンデルは少年に向き直った。
「まだ今はわからないけど。どうしたら、ケルトが幸せになれるのか。俺と一緒に考えてもらってもいいかな?」
ケルトが、淡い緑の瞳に驚きを浮かべる。
「俺が……? 幸せに……?」
もうずっと、そんなことは考えたこともなかった。
そんな叶いそうにもない願い、遥か昔に忘れてしまっていた。
「俺は、皆を幸せにしたいと思ってるよ」
金色の髪を揺らして、金の瞳に決意を乗せて、リンデルが告げる。
その表情は、柔らかな笑みをたたえていてもなお荘厳に見えた。
「……皆ってのは、人間のことだろ。俺はもう、人じゃねぇよ……」
拗ねるような口調に、リンデルは苦笑する。
「もう。皆すぐそういうこと言うんだよね」
リンデルはチラとロッソを見て続ける。
「人として不完全だとか」
ロッソが小さく肩を揺らす。
「呪われてるから死んだほうがマシだとか」
今度は、いつの間にか側に来ていたカースがびくりと反応した。
「皆、今生きてるんだから、生きてていいに決まってるじゃないか。
それに、せっかく生きるなら、なるべくたくさん笑える方がいいし。
俺に出来ることなら、なんだって手伝うよ」
そう言って、リンデルは笑った。
金色の髪が、いつの間にか上がった月の光に照らされて、キラキラと輝く。
「お前は……おかしなやつだな」
ケルトが呟くと、ロッソも呟くように言う。
「そうなんです。本当に。この方は人を憎むことを知らない……。
まあそれでも、人並みに嫉妬はするらしいと、最近ようやく知りました」
「うっ。その話は今しなくても……」
リンデルが呻くのを、小柄な従者はいつもよりほんの少し楽しげな顔で見る。
「いい考えが出るまで、俺達ここで生活させてもらってもいいかな?」
尋ねられて、ケルトは一瞬嬉しそうに瞳を煌めかせた。
それから、恥ずかしそうに目を逸らすと、ぶっきらぼうに答える。
「勝手にしろ。……せいぜい魔獣にやられねーこったな」
「うん、ありがとう。気を付けるね」
交渉の成立にホッとした瞬間、ほんの一瞬、リンデルは気を抜いてしまった。
ぐらりと揺れたリンデルの肩を、まるで分かっていたかのようにカースが支えた。
「リンデル!?」
ケルトの声は、誰の耳にも分かるほど不安に染まっていた。
一瞬遅れて駆け付けたロッソにリンデルを預けると、カースは少年の赤い髪を撫でた。
「大丈夫だ。あいつは、一昨日からずっと寝てなかったんだ」
「……寝てなかった……?」
ケルトの声が震えている。
カースは内心最悪の状況を考えつつも、なんでもない顔で続ける。
「ああ、だから、もう眠くて限界だったんだよ。夕飯を食べたら眠くなっちまったんだろうな」
カースはリンデルの座っていた場所へ腰を据えると、なるべく優しく伝える。
「俺で良ければ、来るか?」
膝の上に呼ばれて、ケルトは一瞬躊躇ったが、先ほどリンデルに『優しくて頼れる』と評されていた男の顔をもう一度見てみる。
浅黒い肌に柔らかそうな黒髪を垂らした男は、右目と左目が違う色をしていた。
先ほど紫色に変わっていた水色の瞳は、アイラの目と同じ色だった。
目が合って、男は小さく微笑んだ。
リンデルの太陽のような煌めきとはまた違う、静かな、月のような優しい輝きに、ケルトは引き寄せられた。
近寄ってはきたものの、なかなか座る気配のない少年に、カースは焦りも見せずそっと手を差し出す。
ケルトはおずおずとその手を取った。
膝の上にちょこんとおさまった少年の姿に、カースは昔のリンデルを重ねる。
あの頃のリンデルは、ちょうどこのくらいの背格好だった。
そう思いながら、赤い髪をゆっくりゆっくり撫でてやる。
「……カース……?」
「なんだ?」
男の言葉は短いが、優しい響きだった。
低い声に、少年はなんだか堪らなく安心する。
「どうして、リンデルも、カースも、オレに、こんな……優しいんだ?」
「……お前が可愛いからだよ」
カースは、今のリンデルの状態を心配をしながらも、リンデルの面影を少年に見ていた事で、うっかり何かを混同したままに答えた。
少年は、それきり黙った。
顔を真っ赤にして。
確かに愛が込められたその言葉に、少年はクラクラと目眩すら感じた。
男はこれをチャンスと見て、少年を寝かしつけにかかる。
あれだけ泣いた後だ。そう難しくはないはずだった。
あの頃、眠れないというリンデルを寝かしつけたように。
鼻筋を撫でるようにして、そっと瞼を閉じさせる。
そのまましばらく、ゆっくりゆっくりカースは少年を撫でていた。
リンデルへの愛を込めて。
目を閉じるとさらによくわかる、男から漂う花のような香り。
薄紫色を思わせる、心が落ち着くようなその香りと、男の体温。
男は何も言わなかったが、その腕にしっかりと守られて、優しく撫でられて、安心していいと言われているような気がした。
ゆっくりとした心音に導かれ、少年はゆるやかに微睡んだ……。
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