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太陽のような君
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高校一年の夏。
クーラーから放たれた温い風、そしてカビの匂いと
クラスの誰かが体につけたであろう清涼剤の香りが混ざって、より一層、夏の教室が嫌いになりそうな淀んだ空気が僕の周りを支配していた。
(気持ち悪い…)
自分の額から、良くない汗がジワジワと滲んでくるのが分かる。
僕の汗で湿った体に、纏わりついて離れない白いシャツ。
古典の授業
低くて聞き取りづらい先生の掠れた声が脳内をぐるぐると、僕を弄ぶように駆け巡って、あぁ、もしかして…このまま死んじゃうのかもしれないとさえ思った。
口一杯に唾液が、正確には胃液かもしれないが、それがジワジワと溢れ出てきて止まらない。
(あ、これ、吐くな……)
そんな諦めと断定を心に決めて、口を手で押さえた瞬間だった。
「気分悪いのか?」
少し、気怠げな、先生の声とはまた違う低い声が隣から聞こえてきたのは。
首を横に向ける力もない僕は、眼球だけを右に動かした。
(あぁ…)
栗色の髪、色素の薄い目、少しだけ日焼けをした僕よりも大きくて健康的な体。
まるで、窓から入ってきた夏の日差しをそのまま体現したかのような彼。
日向卓(ひなたすぐる)
僕のことをジッと、ただ真っ直ぐ見つめていた。あまりにも純粋な瞳で。
その目を見た瞬間、僕はなんだか居た堪れなくなってただ一言
「ごめん…死ぬかも…」
独り言のように 軽い遺言のようなことを呟いた。
そのあとのことは覚えていない。
目が覚めた時には、
まるで僕だけが生き残ったかのように、取り残されてしまったかのように静まり返ったところにいた。
気持ち悪い教室の匂いから、医薬品の匂いに代わり
生ぬるくて硬い場所から、涼しくて柔らかい場所に僕は移動していたのだ。
「…あ、ここ…」
「気がついた?」
さっきの気怠げな、低い声とはまったく違う。
爽やかで高くて、だけど僕にとってはとても残酷で冷たい声が足元から聞こえてきた。
「…せん、せ」
昔から、体は弱かったけれど
そのことに対して劣等感を抱くことはなかった。
体を存分に動かしたいと思ったことがないし、スポーツにも対して興味がなかったからだ。
走ると人よりも息が上がり、体が熱くなって、動けなくなる。
だから、走ることはもちろんバスケもサッカーもバレーも…体育の授業のほとんどは見学だった。
でも、自分のことを一度だって可哀想とか、思ったことはない。なかった。
この保健室に住む、悪魔のような先生が僕に触れてくる前までは。
「…あ……っ…」
男の、骨張った手が、白いシーツ越しに僕の右足首から太ももまでを撫で上げる。
体中に電気が走ったみたいに、動けなくなったと同時に血の気が引いていくのが分かった。掌から嫌な汗がフツフツと滲み出てきて止まらない。
全身の熱を奪って、震え、歯がガチガチと音を立てて当たり、唇が青ざめていく。
「しばらく来てなかったよね…?辛い時はいつでも来ていいよって言ったのに。」
爽やかで、カッコよくて、良い先生。老若男女問わず、誰からも好かれる人気者。
入学してすぐの春、体育の見学中、サッカーの試合を見ていたら少し気分が悪くなったので保健室に行ったことがすべての始まりだった。優しくて、良い先生だった。
それから、見学の時は毎回保健室に行くようになった。
だから、ある日、先生が「寒い?」と熱を含んだ声でそう問いかけて、僕の頬に触れ、唇を重ねてきた時は体が硬直して動けなかった。
動けなかったから、同意と思われたのだろう。
そんな先生が、僕を見る。その時の目は、誰よりも欲望に塗れた目だった。
こんな目を僕は知らない。知りたくなかった。
震える僕の太ももを撫でる先生の手は、僕の股関節の付け根まで到達していた。シーツ越しでも分かる。熱いのに、冷たい手。
「先生、寂しかったな。東くんが来てくれなくて。」
ゆっくりと、大きな手が生き物みたいに、侵食するように、陰部に触れる。
「………ん…っ‥‥‥‥」
ねっとりとじっくりと、僕の同意もなくそれを撫で回してくる気持ち悪い動作と欲情した先生の目にまた僕は吐きそうになって、自分で自分の口を押さえた。
その僕の仕草を見て、少し荒くなる、先生の息と手。その動きは次第に大きく早くなっていった。
「ハァ……ハァ……なんで…?ハ…ァ…なんで来てくれなかったの…?あんなにいっぱいしたのに。ハァ…東くん…俺としたくないの?…ん…っ?…どうしてこんなに…可愛がってるのに…大きくならないの…?」
「…‥‥‥‥っ…うぅ…」
ねぇ?なんで?どうして?しつこくそう聞いてくる先生が怖い。
なんで?どうして?
そんなの、決まってるじゃないか。気持ち悪いんだよ。怖いんだよ。嫌なんだよ。
「ハァ…全然大きくならないね……?もしかして俺の手を忘れ…ちゃったのかな……?直接触ってあげるよ…」
「………っ‥‥‥」
嫌だ。やめろ。叫べよ僕。なんで声が出ない?嫌だって言えよ。気持ち悪いって 今すぐ僕から離れろって…誰か助けてって…
誰に…誰に言えばいい…?誰が僕のこと、助けてくれる…?
奈落の底に突き落とされたような絶望で、目の前が真っ暗になって、なのに目からは塩っぱい水が溢れ出て止まらなくて
「ゔ…っ」
息が詰まって動けなくて、震えが止まらない。また…僕はこの暗くて怖い場所から…先生から…逃れることはできないのだと、シーツを捲ろうとしているその憎い手を見ながら諦めかけたときだった。
「何してんの」
ベッドと僕と先生を囲う青いカーテン越しに見える大きな影と気怠げな低い声。
すぐに…隣の席の、あの彼 日向くんだと分かった。
ピクッと止まる先生の手。
「な…っ…授業中だぞ」
先生は焦った様子だった。
ピシャリと、大きな音を立てて開かれた青いカーテン。
僕の目に映ったのは、電球の光を背に姿を現した彼。
正しく太陽のように明るくて、温かい光だと思った。
栗色の髪と色素の薄い目、少しだけ日焼けをした、僕よりも体が大きくて健康そうな彼は、誰よりも強くて勇ましかった。
「先生こそ授業中に何してんの?」
「な…っ、別に…!看病をしていただけだ。」
「へぇ…看病って、ちんこに触るのが?」
冷めた目で僕の下半身に目線を移した彼は、今まさに僕のそれに触れようとしていた先生の骨張った手を、ただじっと…疑いようもないと言っているかのように見つめていた。
「こ、これは…」
慌てて引っ込めた先生の手は、少し震えていた。
「あと録音もしてある。」
そう言って、表情一つ崩さずにスマートフォンの再生ボタンを押す彼。
『ハァ……ハァ……なんで…?ハ…ァ…なんで来てくれなかったの…?あんなにいっぱいしたのに。ハァ…東くん…俺としたくないの?…ん…っ?…どうしてこんなに…可愛がってるのに…大きくならないの…?』
『ハァ…全然大きくならないね……?もしかして俺の手を忘れ…ちゃったのかな……?直接触ってあげるよ…』
保健室内に響く、先ほどまで行われていた生々しい行為の声。僕はまたさっきのことを思い出して、恥ずかしさと恐怖と絶望感を感じて身震いをした。
先生は慌てた様子で彼からスマートフォンを奪おうとする。
「お前…っ!こんなことして…!どうなるか分かってるのか…!」
先生よりも少し背が高くて、体格の良い彼は、先生の抵抗をものともせず、するりと交わしながらハッと乾いた声で喉を鳴らした。
「先生こそ…“こんなこと”してどうなるか分かってるんですか?今の状況…確実に先生が負けますよ。」
「なっ…!」
「いいんですか?先生が抵抗できない生徒に手出して。これ、公になっても「…や、やめて!!!!!!!!」
思わず声を上げてしまった。
困惑したような先生の顔と、少しだけ驚いた表情の彼。
「公には…しないで…お願い…」
だって、おかしいでしょ。
男子生徒が、男の先生に、保健室で……なんてことが公になったら、それこそもう僕はこの場所に居られなくなる。生きていることが恥ずかしくなる。怖い。もうこれ以上、辱めを受けるのは無理だ。耐えられない。
「…はは…はははは…そうだよね。
東くん…っありがとう…!ほら、君も満更でもなかったんだよね?だから、さ、穏便にね。」
そう言って、ほっと胸を撫で下ろして安心したような表情を見せる先生に、僕は恐怖と失望で、拳を力一杯握りしめることしか出来なくて、何も言い返せなかった。
「何が穏便にだよ。こいつのこの顔が、喜んでるように見えるのかよ。」
「いいじゃないか!東くんも公にしないでほしいって言ってるんだから。合意だよ、合意。」
ふざけるな。
もう…これ以上、僕のことを傷つけないでほしい。苦しめないでほしい。ごめんね。日向くん。折角僕を庇ってくれてるのに。
でも、もう無理だ。
頭が痛くて重くて辛くて、ベッドのシーツに顔を埋めた…そのときだった。
「おい。お前、それでいいのかよ。」
少しだけ、怒りを含んだ低い声がシーツ越しに聞こえてきた。
(いいわけないだろ…
悔しいに…決まってる。)
「…合意だったんなら、これは消すけど。」
(合意な訳ない…いつも無理矢理…僕は辛かった。苦しかった。)
「…チッ…なぁ!聞いてんのかよ!お前はそれでいいのかって、おい!」
(聞いてるよ…!聞こえてるに決まってるだろ…!いいわけがないじゃないか…!)
「うるさい!!!!!!!!!!!」
気がつけば僕は、勢いよく起き上がって、ふらつく体で、先生の胸ぐらを掴んでいた。涙でグチャグチャになった顔。赤ちゃんの時以来、初めて出した大声は掠れていて、喉の奥が切れるくらい痛かった。
「………くそっ…!!!!合意なわけないだろ…!!お前のせいで……僕は……っ…かっ、体が弱くても、運動ができなくても別に良いやって思えなくなった……っ!気持ち悪いし痛いし辛いし…最低だよ!!」
先生の表情はみるみるうちに青白く、強張っていった。
「レイプなんて‥‥‥‥誰にだって…知られたくないに決まってるだろ…っ!!!もう…っ!一生!金輪際‥‥‥‥僕に近づくな……触れるな………っ!!!!」
ハァっハァっと、息を切らせながら、ちぐはぐだったけど、今まで言いたかったことを全部言えた。すっきりした。あぁ…逃げなくて、良かった。言い終わった後、全身の力が抜けていくのを感じた。
頭に血が上り、フラフラして、自分の黒目が上を向いていくのが分かる。視界が徐々にぼやけていって真っ暗になる。
(あぁ…こんどこそ死ぬかも…)
体が大きく振り子のように動いて倒れそうになったとき、僕は大きくて硬いものにグワっと包まれた。
(あぁ…彼は…匂いまで太陽みたいだな…)
そこからの記憶はもちろんなかった。
さっきの保健室とは違う薬品の匂い。
すぐに病院だと分かった。
病室のベッドの上。そして、僕の横にいるのは太陽のような彼。
僕が起きるのを待っている間に眠ってしまったのだろうか。
栗色の髪はよく見ると癖っ毛なんだな。
そう思いながら、無意識のうちに手を伸ばして髪に触れていた。
「んっ…」
「あ…!」
彼は、気怠そうに起き上がり、小麦色の骨張った手で目をガシガシと擦るとギロッと僕を見つめた。ただ、純粋に。起きたのか?とでも言っているかのように。
「安心しろ。あいつはいない。」
「あ…うん…」
(髪、触ったことバレてないみたいで良かった…。)
「とりあえず、あまりにも具合悪そうだったから担任と病院連れてきた。救急車で」
「え!?きゅっ…!?…ああ、えあ…っ…!?…なんか…ご、ごめん。色々と…」
「別に。
あと、担任にはあのこと言ってないから。
もうすぐお前の親、迎えにくるけど」
「‥‥‥!い、言わないで…」
「うん」
言わないよ。
そう言って、彼は、少し眉間にシワを寄せた。
しばらく流れる沈黙。
でも不思議と気まずいとは思わなかった。
「保健室…知らずに連れて行ってごめん。」
「え…?そんな…知らなくて当然だよ。あんなこと。」
「…今日のは、未遂?」
彼はまるで責任を感じているかのように、僕にそう問いかけた。
「あ、うん…今日は未遂だよ。…ありがとう。」
それを聞いて安心したのも束の間、彼は何かを悟ったかのようにまた表情を歪めた。
「“今日は”ね。
あのクソ教師…
やっぱ、アイツから金取れば?」
「えぇっ…!?金…!?いや、無理…無理だよ。そんな恐喝みたいなことできないよ」
「いやできるだろ。できるくらいのことされてただろ。」
何言ってんだこいつ、という目を僕に向けてくる。それはそうだ。こんなの絶対おかしいし、普通なら事件として処理しなければいけない大事だということも頭では理解している。でも、公認されたくない。隠したいんだ。
「…っ!ううん、本当にいいんだ…バレたくないし。自分の身を守れなかった僕も悪いし…それにあんな人からもらったお金…それこそ気持ち悪いし…」
震える手を見つめながら、小さく、呟くように言うと彼は無愛想な声で「お前が悪いことは絶対ない」と言い放った。
本当に真っ直ぐな人だ。
偏見や興味の目で、僕を見ることもなく
あの状況で動揺もせずに冷静に動いてくれた。もしも彼がいなかったら、僕は今頃またあの先生にレイプされてたかもしれない。
「…あの、本当に…助けてくれてありがとう。色々、ごめん。ずっと、誰かに助けて欲しかったから。だから…ありがとう。」
今にも涙が溢れそうで、やっとの思いで絞り出した声は震えてしまった。カッコ悪いな…僕。顔中に熱が集中して、熱い。今、どんな顔してるんだろう…きっとひどいんだろうな。
「別に。俺はただ録音しただけだし。それにクソ教師に言ったのはお前だろ。」
顔を上げると、そこにはフッと、目を細めた彼がいて。その顔を見た瞬間、次は僕の心臓がみるみる内に熱くなっていった。
「カッコよかったよ。」
そう言って、彼は大きな手で僕の頭を撫でようとしたが、スッとその動作を止めた。
触れるか、触れないかの距離。
「俺は、知ってる。お前に今日起こったこと。」
「…っ…うん。」
「誰にも言わないから。」
「…うん。」
「…だからお前が抱え切れなくなったときは俺でよければ…いつでも話聞く、から」
「……… っ!」
彼はそう言って、僕の頭上から手を退けるとそのまま何事もなかったかのように病室を後にした。
「ありがとう…!」
届いたかな。届いていると良いな。
僕はさっきまで彼の手があった頭上に、手を乗せた。
おかしいな。触れられてないのに。
頭皮が撫でられたあとみたいに熱い。
心臓も、顔も。
その瞬間、僕はベッドにドサっと倒れ込んで、それはもうまるで本当に死んでしまったのか?というくらい眠った。不思議だった。あんなに怖かったのに、今は怖くない。なんなら、心が嘘のように軽くてスッキリしている。
その日は、久しぶりに、よく眠れた一日だった。
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