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***カイル***
地図上でのこの村は把握しているが、実際に立ち寄るのは初めてである。だから不躾なのを承知でついいろんな箇所を目で追ってしまう。
ミル村。勇カレから最寄りの村で、ジョギングの折り返し地点として立ち寄ってはいたものの、村人との面識はなかった。
こうして見てみると実にのどかな村だ。戦乱の真っ只中にある俺の故郷とは雲泥の差で、火の粉の代わりに蝶が舞っている。このまま木陰に寝転んでしまえば、今が魔王討伐の旅の途中だということを忘れてしまいそうだった。
「魔王討伐、かぁ……」
確かに魔族を退けることは人類にとっては悲願であることは間違いない。諸悪の根源は優先して断つに限る。
だがその目標はやけに抽象的すぎる。見上げた空の果てが目視できないのと同じように、旅のゴールが遥か遠くにあるため具体的なイメージが湧かないのだ。それよりももっと身近な戦いーー我が祖国グレイルでの戦争に身を投じたほうが先決ではないのかと思えてくる。
それほど目の前の光景は平和過ぎた。だって第一村人発見よりもそこいらに放し飼いにされている家畜との遭遇が先だった。自由に放牧ができるということは、周囲に脅威となる魔物が生息していないことを意味する。ここまでの道中もスライムしか出なかったし。
何か人の役に立つことをしたい。
この気持ちは焦りに近いんだと思う。自警団だったり傭兵団だったり、はたまた勇者だったり、悪を滅する立場の者に仕事が舞い込まないというのは歓迎されるべきことなのに、何かを成さなければと気持ちばかりが一人歩きしている状態だ。
俺は富も名声もいらない。ただ一人でも多くの人が笑顔でいられる世界を作りたいだけだ。なのにこの村は予想以上に治安がいい。こんな場所で勇者としてすることなんてあるのか。勇者の出る幕などなく、単に俺が知らないだけであって実はどこもかしこも平和なのでは……?
勇者なんて、いないほうがーー。
「うわあぁぁぁーー!」
今……悲鳴のようなものが聞こえたような。思考に徹していた意識が浮上してくる。
「わー! だめーー!! ちょっと、誰かぁあああーー!!」
間違いない! こんなのどかな村には不釣り合いな断末魔。ただならぬ様子を察知する。
悲鳴の主は牧畜の仕事中だったと思われる少年だった。オーバーオールと麦わら帽子が特徴的な彼は、俺よりも年下に見える。
「どうしたっ! 何かあったのか」
「ああ旅のお方! 助けてくれよー。うちで飼ってたやつらが柵突き破って逃げ出しちゃってさー。あーー! そっち行っちゃだめー! ケイン!! 戻って来い!」
「なるほど」
ひとまず人命に関わることではないことに安堵する。
「分かった。俺にも手伝わせてくれ」
「恩に着るよ。逃げ出したのは乳牛が12頭。羊が102匹」
「随分多いな。牧羊犬はいないのか」
「うちの牧羊犬がチキンなうえに羊どもがここんとこ反抗期というか先祖返りしちゃってるみたいでさ。さっきも羊どもに牧羊犬がリンチされてて。だからそっち行っちゃだめだってばーー! 1匹でも逃したら父さんに怒られる」
「あまり猶予はなさそうだな。牛は遅いからまずは羊からだ」
「だね。俺ちょっと荷馬車引っ張ってくる! お兄さんは羊を見ててちょうだい」
俺たちはそれぞれの方向に走り出した。
メェーーメェーー。
メ゛ェェェェェェ。
逃げ出した羊は、それはそれは元気よく動き回っていた。草を食むやつ、仲間と戯れるやつ、木に頭突きをする武闘派なやつと個体によってやることは様々だった。これはもう羊たちの沈黙というより、羊たちの喧騒。自由を謳歌できる喜びの現れか。
「落ち着けお前たち。いるべき場所へ帰れ。飼い主をあまり困らせるな、痛ッ! ……言って通じるわけないか」
何しろ俺は羊を飼った経験がない。それどころか牧畜自体に無縁な生活をしてきた。羊ってどうやったら従えることができるんだ?
「……飼い主が、後でお前らを丸刈りにしてやるって言ってたぞ。いいのか、下手をすればモヒカンにされるかもしれない」
羊たちは動じない。
「しかも今日の晩飯は豪華ラム肉の盛り合わせになるとも言ってた! お前たち、確実に食われるぞ」
やはり、動じない。
だめだ、話の分からないやつらだ。人語が理解できない相手に説得は不向きだな。
こうなったら奥の手を使う。震え上がるほどの恐怖心を与えて従順になってもらうのだ。
狼の真似をして。
「……あ、あおーーん」
羊たちには効果がないようだ。
「あおーーん! ……くそっ」
羊たちには効果がないようだ。
俺は群れの中心に立ち、両手を上げて自分なりに狼になりきることにした。
「ガオーー、オオカミだぞー。それも悪いオオカミだぞー。赤ずきんも子豚3匹も腹の中だぞー」
なかなかに恥ずかしい。狼を模したモーションもそれに輪をかけて滑稽の極み。
「なぜ効かない? 狼という動物には家畜特攻があるものだと相場では決まって……って俺に群がるな! 何度でも言うが俺は今は狼なんだぞ! 食べられるんだぞ!」
大挙して押し寄せて来た羊たちに押し倒されてしまった。全身が毛にまみれて気持ちいい……なんて言っている場合じゃない。ちんたらしてたら死ぬ圧力。
テレレッテッテッテー♪ あ、レベルが上がった。嬉しい、けれどこのままだと圧死する。
「くっそーー! もう一度だ! あ、あおーーん」
「旅人さん、だめだめ! そんなんじゃ羊たちはびくともしないよ!」
先ほどの麦わら少年が馬車に乗ってこちらに向かってくるのが見えた。俺の狼のモノマネを見られていたようだ。その事実だけでこの牧場で穴を掘って埋まりたい。顔が赤くなっていると嫌だから、咄嗟に顔を背ける。
「だが、それならどうすればいい」
「狼の真似をするってのはいい発想だよ。見ててよ……アオーーーーン!」
大きく息を吸い込んだ少年渾身の遠吠えは、辺り一面の羊たちを黙らせた。これでようやく羊たちの沈黙達成である。
「これくらいやんなきゃ」
「まだ反抗してる輩もいるみたいだが」
「そういう悪い子には」
少年は不貞腐れたままの羊に歩み寄り
「出荷すんぞ」
たったひと言。残った羊たちも牧場のほうへすごすごと戻っていく。去り際に俺の顔を一瞥して「メ゛ヘッ」と吐き捨てて行きやがった。たぶん、羊なりに舌打ちをしたのだろう。
「おい。今この羊が俺に舌打ちしたんだが」
「えー? 気のせいでしょ」
笛を鳴らして羊を統率している少年に聞いてみたが、取り合ってくれなかった。
「気のせいなものか。今だってメンチ切られてる」
「ん? 挽肉がどうしたって?」
「……もういい」
畜産の世界にもいろいろ事情があるのだろう。そう思い込むことにした。
「牛たちはどうする?」
羊たちと同様に丘の上で我が物顔で草を貪っている牛数頭を指差した。モノクロのブチ模様は何の変哲もない乳牛だったが、油断するなよカイル。やつらはあの柵を破壊した凶暴性を備えているのだ。
「基本的にはみんな温厚なんだけど、1匹だけヒエラルキーの頂点に君臨してる乳牛がいるんだ。名前はケイン。こいつが脱走したら他のやつらも便乗して脱走しちゃう。ケインさえ無力化できれば」
「攻略法は?」
「ずばり、闘牛」
「は?」
俺は彼の言葉に耳を疑った。
「闘牛って、あの闘牛か? 赤い布をひらひらさせてそれをかわすやつ」
「そーそー。実際には赤い色に反応してるんじゃなくて、目の前でひらひらしてるものに興奮するらしいけど」
「ケインって乳牛だよな? 乳牛ってそこまで凶暴になれるのか」
丘の上からこちらを睨みつけてくる個体を発見した。間違いない、あれがケインだ。
「なんだあの牛。もはや魔物じゃないか」
「どうも自分を闘牛の牛だと勘違いしてるらしくてさぁ」
「どんな育て方したらそうなるんだよ……!」
「でもタネが分かっちゃえば簡単だよ。要は闘牛の要領で何度も突進をかわせば、諦めて無力化してくれるの」
「よし、サポートは任せろ」
「あー、それなんだけどね……」
なんだ、歯切れが悪いな。
少年はバツが悪そうに頬をかいた。
「大事なムレータ、おうちに忘れて来ちゃってさ……」
「ムレータ?」
「ほら、闘牛士が振り回してる赤い布あるでしょ? ムレータっていうんだけど、あれないとガッツは見向きもしないよ」
万事休す。このままあの暴れ牛を野放しにしておくしかないのか。
うんうん悩む俺たちをよそに乾いた風がすり抜けていった。逆風吹き荒れる中、俺はある物の存在を思い出す。風を一身に受け、俺の背後でまるで命が宿ったかのようにはためいている大きめの布。
「なあ。布の色は問わないんだったよな」
「そうだけど」
「……ケインの所に行ってくる」
「えっ」
止めてくれるなよ。俺は少年の制止が来る前に走り出していた。
俺が近づいたところで、ケインは顔を上げやしない。警戒される対象ではない証拠だ。
なあ、ケイン。俺の名はカイル。勇者になり立てで、レベルはまだたったの3。スライムと羊としか戦っていないから当然と言えば当然か。
「そこの乳牛。お前に勝負を挑む」
ケインが咀嚼を止めて顔を上げる。不思議だよお前。その貫禄たるやただの草食動物のそれではない。今の俺から見ればダンジョンの最奥に鎮座するボスそのものだ。
俺に追いついた少年は背後で息を乱しているところであった。
「急に走り出さないでよー。どうやって闘牛すんの」
「これを使う」
「え? ……あ」
少年も気づいたようで、口が「あ」の形のまま止まった。少量の風にさらさらと身を預けていたマントの裾を左手で掴み、それをそのまま横に広げた。ちょうど牛一頭分のスペースの赤い布地が左側に広がる。
「ほら、俺の隣りが空いてるぞ」
ダメ押しとばかりにマントをゆっくり揺らしてみせた。効果は抜群、しかしもう一声。
「来いよ」
空いている右手の人差し指で、こちらへ来るようくいくいっと煽ってみる。
「気をつけて、勇者のお兄さん。挑発成功してるから……来た!!」
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