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第二章 父の悩みは尽きないのです ⑪
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僕は何を言われるのか疑問に思いながら、サラリーマンの方を見つめた。
彼は二度、咳払いをした後
「実は私、飲食店を幾つも経営しているのですが…」
そう言って、一枚の名刺を差し出した。
蔦田グループ 代表取締役
蔦田尚寿
と書かれた名刺を見て、僕は相手の顔と名刺を何度も見てしまった。
蔦田グループ
都内のデパートや一等地に、数々の飲食店や洋菓子店を出す大手の企業。
何でそんな大企業の社長が?って、首を捻って考えていると
「きみの接客、コーヒーの味が素晴らしく、失礼かと思ったが少し調べさせて貰った」
そう言って、一枚の切り抜きを差し出しされる。それは10年以上前。
まだ、製菓の専門学校に行っている時に参加したコンクールの記事だった。
僕は二度ほど、優勝は逃したものの、審査員特別賞を受賞していた。
「随分、古い記事を探し出しましたね」
苦笑いを浮かべた僕に
「私はこの時、審査員で参加していたんだ。きみの味に惚れ込んで、是非、我が社に来て欲しいと学校側へ打診したのを覚えてはいないか?」
そう言われて記憶を辿る。
確かに、学校から凄い大手企業からスカウトが来てると聞いた気がするが、興味ないと断ったような気がする。
「あぁ…あれですか…」
ぼんやり答えた僕に
「きみの腕は、こんな小さな喫茶店で終わるには勿体ない!」
そう叫ぶと、社長の蔦田さんに両手を握り締められた。
真剣に見つめられて、僕は溜息を吐いてから
「あの…、僕のお菓子を褒めて下さるのは本当に嬉しいです。でも…僕は最初から、両親が作り上げたこのお店でしか働くつもりは無いんです」
そう答える。
「こんな小さなお店で、きみの腕は活かせないんじゃないのか?」
食い下がる蔦田さんに
「僕は…僕と息子を育ててくれたこのお店が、常連さんが好きなんです。だから、ここから離れるつもりはありません」
僕の気持ちを分かってもらう為に、蔦田さんを真っ直ぐに見つめて答えた。
そんな僕に、蔦田さんが口を開こうとした瞬間
「社長、しつこいと嫌われますよ」
隣で黙って、僕と蔦田さんのやり取りを聞いていた秘書の美女がピシャリと言い放つ。
「我が社としては、あなたの作るお菓子を売り出したいと思っているけれど…。きっとあなたは、無理やり環境を作られたりしたら作れなくなってしまうのでしょうね」
彼女はそう呟くと、小さく微笑んだ。
「私は、あなたの優しさが溢れ出したここのお菓子が大好きです。でもそれは、あなたがお世話になっている常連さんを思って作っているからこその味なんでしょうね」
彼女の言葉に、僕は思わず泣きそうになった。作り手の、そんな自己満足な感情を汲み取って食べてくれているなんて思わなかった。嫌、知ろうとしなかったんだろうな。
「ありがとうございます」
情け無いけど、今の僕に返せる言葉がこれしか浮かばない。
こんな人が、僕と一緒にお店を切り盛りしてくれたら…って一瞬脳裏をよぎる。
僕に奥さんが出来たら、蓮は今の関係を諦めてくれるのかな?
そんなずるい考えに、思わず苦笑いを浮かべる。
「…という事で、社長。諦めましょう」
彼女の言葉に、はっと我に返る。
「諦めるって…」
「納得いかない」という顔の蔦田さんを無視して、彼女はお財布を出すと
「お時間を取らせてすみませんでした。おいくらですか?」
と聞いて来た。
「あ!はい。お2人合わせて1,200円です。」
慌てて答えた僕に
「嫌な想いをさせて、すみませんでした」
彼女はそう言うと、2,000円出して
「おつりは要りません。社長、行きますよ!」
と言って、蔦田さんの首根っこを掴んで去って行った。
まるで嵐のような2人に
「な…何なんだ?」
と、思わず呟いてしまう。
すると、心配そうに小島さんが近付いて来て
「本当に…断って良かったのかい?」
そう呟いた。
「はい。僕は興味有りませんから…」
テーブルのグラスとカップを片付けて笑う僕に、小島さんは顔を歪める。
「俺達はハルちゃんのコーヒーが好きだから嬉しいけど、あんな大手からのお誘いをあっさり断って後悔しないかい?」
両親を亡くしてから、本当の子供のように可愛がってくれる小島さんに笑顔を返す。
「僕は、顔も分からない人にお菓子を作る事に魅力を感じないんです」
僕の言葉に小島さんは悲しそうに笑うと
「ハルちゃんがそれで良いなら、俺はこれ以上何も言わないけど…」
そう言って、俺の頭を大きなゴツゴツした手で撫でた。
「ありがとう」
僕が小島さんに微笑むと、小島さんは優しい笑顔を浮かべて僕の手にお代を支払うと出て行った。
僕は溜息を吐き、テーブルを拭き始める。
片付けを終えて一息着いた時、荒々しくお店のドアが開いた。
驚いて視線を向けると、蔦田さんが息を切らせて立っている。
思わず驚いて声を失っていると、突然、僕の両手を握り締め
「好きです!付き合って下さい」
そう叫んだのだ。
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