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研究室は、ピリッと空気が凍りついた。
「・・・本当に単刀直入ですね。」
大久保さんは、困ったように目を逸らした。
俺は、彼の様子をジッと観察した。
挙動不審な感じはしない。
だけど、忍への愛情もまだ感じることは出来ない。
まあ、見ず知らずの相手に、そうそう心の内は曝け出さないわな。
「そこを認めて頂かないと、これから話すことは忍にとってデリケートな内容になります。真っ赤な他人に、彼のことを話すつもりもありません。」
大久保さんの手が、小刻みに震えているのがわかる。
何に葛藤しているのか、分からなくもなかった。
話し出すのを待つ。
俺には待つことしか出来ない。
だけど、いずれ話してくれることは分かっていた。
「あの子は、大丈夫ですか?」
「不安定です。一度、全てを投げ捨てて遠くへ行こうとしました。」
大久保さんは目を見張ると、ギュッと拳を作った。
「・・・あなたは、忍の・・・?」
「友人というより、恋人候補ですね。あの子を守りたいと思っています。」
膝の上の拳が白くなるほど強く握られた。
そして、ゆっくりと解かれた。
「彼女は、いつ・・・?」
「おばあちゃんですか?日曜日に亡くなりました。」
「・・・そう、ですか。」
それっきり、沈黙が支配した。
ジレるほどの長さに、俺は胸が苦しくなった。
壁かけられた時計の針が静かに回っていく。
しばらくして、大久保さんは立ち上がった。
「・・・コーヒーはいかがですか?」
「いただきます。」
壁際に置かれた電気ケトルのスイッチを入れた彼は、紙コップを一つ取り出した。
奥の机に置かれた自分のマグカップを取ってくると、見慣れたインスタントの瓶の蓋を開けた。
「・・・私は留学から帰ってきて恩師のもとで働き出した春に、あの子の母親と出逢いました。」
お湯がコポコポと沸騰しだす。
大久保さんは俺に背を向けたまま、話し出した。
「彼女が22歳、とても綺麗な女性でした。」
ちょうど卒業の歳か。
「恋に落ちるのは早かった。」
カチリとケトルの電源が切れた。
大久保さんはスプーンでコーヒー粉を掬うと、ゆっくりとカップに入れた。
「・・・砂糖は?」
「いりません。」
ケトルを持ち上げた彼は、そのまま動きが止まった。
「愛していたんだ。だけど、」
大久保さんはケトルを元に戻した。
「・・・ある日、わたしの前から消えてしまった。」
ほんの少し責めるような言い方に、俺は眉をしかめた。
でも、口を出さずに話を行方を窺うことにした。
「理由は、・・・分かっているんだ。」
大久保さんの左手には結婚指輪が嵌めてある。
その指輪を、彼は触った。
「わたしに見合いの話が持ち上がったからだ。」
「・・・その人と?」
大久保さんは振り返って頷いた。
「結果的には結婚しました。」
つまり。
「お見合いの話が出た時点では、断るつもりだった?」
「当たり前です。赤ちゃんも授かって、このまま籍を入れるものだと思っていました。」
また背中を向けた大久保さんは、ケトルに手を置いた。
「そのお見合い相手は、力のある方だったということですね。」
明らかに肩が落ちた。
大久保さんの背中が、断れなかった現実を伝えていた。
「・・・恩師のお嬢さんでした。」
その恩師とやらに、大久保さんの能力を見込んで、多額の留学費用を出してもらっていたのだそうだ。
「それでも、断るつもりだったんです。」
断ったら、彼の未来が潰れる。
そうすみれさんは感じたのだろう。
「本当に、いきなり消えました。妊娠5か月目のことです。実家は都内の喫茶店だとは聞いていたので、それこそインターネットで調べて、片っ端から彼女を探してまわったんです。」
20年くらい前だと、まだスマホは無い。
インターネットも有線で繋いでいた。
「彼女を見つけたのは・・・。」
肩が震えていた。
「彼女が亡くなった後でした。」
毎月の5万円。
その入金が始まったのは、亡くなってから半年後だった。
つまり、その頃に彼女の死を知った。
「忍とは?」
「会わせて貰えませんでした。でも、通ったんです。」
すみれさんと、大久保さんの子どもである忍は、小さな小さな赤ちゃんだ。
「・・・名前は、ふたりで付けたんです。」
男の子でも女の子でも、しのぶという名前は素敵だ。
それに、困難を乗り越えて最後までやり通す強さを持って欲しかった。
「始めて姿を見た時、わたしは泣いてしまいました。」
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