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「お母さん、来たよ。」
・・・え?
引かれた手をそのままに、俺は忍さんの横顔とベッドの上のおばあちゃんを見た。
「あら、すみれ。来てくれたの?」
「うん、お母さん大丈夫だった?」
忍さんのおばあちゃんは、お年を召していても若かりし頃の美貌が窺える、ほっそりとした人だった。
病魔のせいか、落ち窪んだ目や顔色の悪さはあるものの、ちんまりと収まるベッドの上で、嬉しそうに笑ってみせた。
お母さんのすみれさん役を演じている忍さんは、俺の手を握ったままベッドに近付いた。
「すみれ、その方は?」
「結婚を申し込んでくれた、歩さん。お母さんに紹介しにきたの。」
ギュッと強く握られて、背筋が伸びた。
合わせなきゃ!
「あの、初めまして!新里 歩と申します。む、娘さんとお付き合いさせていただいております。」
「まあまあ、初めまして。こんな娘だけど、よろしくね。」
俺へと、皺くちゃの痩せ細った手が伸ばされて、慌ててその手を両手で握り返した。
ガリガリで指先は冷たくて、吹き消えそうな命の脈動を感じた気がして、なんだか胸がギュッとなった。
「お母さんの好きな玉子サンドを作ってきたの。食べれそう?」
「ええ、ええ。いただくわ。」
おばあちゃんは、なぜか忍さんのことを娘さんだと思い込んでいる。
女性には見えない体と声の彼を、そう思い込むのは病気のせいなのか何なのか分からない。
分からないけれど、忍さんが望むのであれば、婚約者としての役を演じきろうと思った。
ベッドを起こされたおばあちゃんは、忍さんを見上げた。
「お店は大丈夫?」
「お父さんがちゃんとやってる。」
・・・お父さん、つまりおじいちゃんなんて、いなかった。
そして、父親も母親もだ。
少なくとも俺がいる間は、忍さん以外の人とは会っていない。
もしかすると家族と呼べる人は、この人しか居ないのかもしれなかった。
この、締め付けられるような胸の痛みは、同情だろうか。
唯一の家族の前で、自分ではない母親を演じなければならない彼の心中を想うと、泣きたくなった。
「お父さんの淹れたコーヒー、持ってきたから。」
「嬉しい。」
水筒から湯気のあがるそれをみて、おばあちゃんは花が咲いたように笑った。
おばあちゃんの目には、もう俺は映っていない。
遠くお店の光景を見だしたおばあちゃんは、震える両手を自らの口元へ当てた。
「ああ、お塩を注文しなくちゃ。あなた、レモンは足りているの?」
「・・・注文しといたから大丈夫。お客さんが来る前に、お前食べておけ。」
ああ、ああ・・・。
今度はおじいちゃんの役だ。
忍さんは、おばあちゃんにプラスチックのカップに淹れたコーヒーを握らせて、玉子サンドを一切れ渡した。
「ありがとう。すみれは学校から帰ったかしら。」
「まだだよ。後で迎えに行けばいい。」
おばあちゃんは、過去を彷徨っている。
その過去へ寄り添い、支えている忍さんの顔は、優しくて孤独な瞳をしていた。
音を立てないよう息を殺しながら、ふたりの旅を見つめるだけしかできない俺の無力さ加減に、涙がでそうだ。
小さな口で玉子サンドを口にしたおばあちゃんの目が、また虚空を見つめた。
「・・・お母さん、どうしたの?」
「ああ、すみれ。あなたも良い歳なんだから、そろそろ良い人を連れてきなさいよ。」
忍さんが、ベッドの下で拳を握り締めた。
「・・・お母さん、紹介するね。歩さんっていうの。」
あ!
「お母さん、初めまして。新里 歩です。」
おばあちゃんの世界に入れるように、一歩前に出て頭を下げた。
「娘さんを、わたしにください!」
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