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さて時間は遡る。
早朝、歩の部屋を出た忍は、堪えていたため息を、エレベーターの中でそっと吐き出した。
「・・・迷惑、かけちゃった。」
胸に重くのし掛かるのは、後悔の念だ。
利用しようと拾った男が良い人すぎて、苦しくてならなかった。
酔い潰れた情けない男。
その辺で座り込んで飲む、ダメな大人。
そんな人だから、きっとどうしようもないヤツだと思った。
家にひとりでいるのが辛くなって、ただ人の気配が欲しくて拾った人なのに、一生懸命働くし、美味いと言って幸せそうにご飯を食べるし、あまつさえぼくのことを褒めて、もう何なんだ!って思った。
良い人っていうのが分かったから、おばあちゃんのために芝居に付き合わせた。
どこまで合わせてくれるか不安だったけど、ちゃんと母親の婚約者のフリをしてくれた。
やっぱり良い人で、やっぱり優しい人で。
優しくされるのに慣れてないから、胸が痛くて仕方が無かった。
だから、だから!
・・・やっぱりあの時、サヨナラしてれば良かった。
ご飯に誘われて、嬉しかった。
ひとりにしないでくれて、泣きたくなるくらい嬉しかった。
・・・もうすぐ、本当の意味でひとりになるのに。
おじいちゃんも、おばあちゃんも厳しかった。
お母さんを捨てた人みたいになるなと、呪いのように聞かされ育てられてきた。
少しでも気に入らないことがあれば、手を抓られたり父親を罵られたりすることは日常だったけれど、そんな生活が嫌だと思ったことは不思議と無かった。
だって落ちこんでいたら、おじいちゃんはいつもあの玉子サンドを作ってくれた。
だって泣いていたら、おばあちゃんも抱きしめてくれた。
大切な人は、ぼくの前から消えていく。
お父さんは、どんな人かも分からない。
お母さんも、ぼくは顔すら覚えていない。
分かるのは、おじいちゃんがいなくなって、おばあちゃんももうすぐいなくなるってことだけだ。
・・・おばあちゃん。
あんな風になって、一度もぼくの名前を呼んでくれない。
忍は、ぶるりと体を震わせた。
寒くて寒くて仕方がない。
おばあちゃんの記憶には、もうぼくのことは残っていないのだ。
怖い。
ひとりになってしまう。
怖い。
ううん、もうすでに、ぼくはひとりなんだ。
だから、縋ってしまった。
いっときの温かさを歩さんに求めてしまった。
そんな汚いぼくだから・・・!
『最悪だ・・・。』
セックスが終わったあと、歩さんが呟いた言葉は、ぼくの心をビリビリと引き裂いた。
ああ、胸が痛い。
痛くて痛くて、泣きたくて仕方ない。
あんな良い人を困らせた。
おっさんの言うことを聞けと言って、優しくしてくれた歩さんを・・・ぼくは最低な手段で利用した。
歩さんは、おっさんなんかじゃないよ。
凄く良い人で、魅力的で。
だから、だから。
だから、ぼくになんか振り回されても、笑いかけてくれた。
・・・ぼくは汚くて最低な人間だ。
マンションの外は、まだ薄暗い。
新聞配達の自転車とすれ違った。
店、・・・空け渡す準備しなくっちゃ。
常連のおじちゃん、おばちゃんたちの顔が浮かんだ。
ごめんね、おじちゃん、おばちゃん。
もう帰ってこないおばあちゃんを待って店を開けるの、苦しいんだ。
全てを捨てて、リスタートしたかった。
奥田忍を知らない人たちのところで、一から始めたかった。
大学、辞めたの知ったら怒るかな。
正しくは、休学届けを出した。
その上で、就職活動を始めた。
おばあちゃんが亡くなったら、東京を出る。
どこか地方に行って、静かに暮らしたかった。
胸がズキズキと痛む。
今、頭に浮かぶのは、歩さんの笑顔だ。
・・・忘れなきゃ。
ぼくと一緒にいたら、不幸になる。
『最悪だ・・・。』
だよね、分かるよ。
『最悪だ・・・。』
本当だね、ぼくは最低なんだ。
退学届けじゃなくて休学届けを出すのも、誰かに止めて欲しいから。
歩さんの家に行ったのも、ひとりになりたくなかったから。
黙って店を閉めるのも、常連のおじちゃんおばちゃんたちにサヨナラを言いたくないから。
最低!
最低、最低!
自分勝手、ワガママ。
全部自分のため・・・。
本当はどうしたら良いのか分からない。
正解が、全く分からないのだ。
「・・・っ!」
勝手に涙が溢れて、慌てて袖で拭いた。
ごめん。
ごめんなさい。
弱くて、ごめん。
もっと自分が強ければ。
もっと力があれば、店を続けられた。
ごめん、ごめんなさい。
今の自分に出来る事は、全てを放り出すことだけだ。
涙を拭って、地面を睨みつけた。
とにかく、仕事見つけなきゃ。
おばあちゃんの葬式が終わったら、ここを出て行く。
大切な人が目の前から消えるくらいなら、自分から消えてしまえばいいだけなのだ。
店までもう少し。
世界が動きだす時間に、忍はひとりで孤独に歩いていた。
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