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病室は、怖いくらいに静かに感じた。
ぼくは看護師さんと目を合わせると、深々と頭を下げた。
機械が呼吸を助けていて、その動作の音と、心電図の耳障りな音だけがその場を支配していた。
おばあちゃんの痩せ細った腕には、点滴が繋がれて、命を繋ぐべくぽたぽたと雫が落ちている。
「奥田さん、ご家族の方がお見えになりましたよ。」
おばあちゃんの耳元で伝えてくれた看護師さんは、そのまま部屋を出て行った。
最期をぼくたちだけにしてくれた配慮に、いいしれようもない恐怖を感じた。
「お、」
おばあちゃん!
そう言おうとして、口を閉じた。
「お母さん!」
最期は、最愛の娘の前で息を引き取ったほうが幸せだ。
そう思って、おばあちゃんの力抜けた手を握りしめると、その異常な温かさに驚いた。
・・・ああ、ホットパック。
ぼくの到着までを間に合わせるため、体を温めてくれていたんだ・・・。
「お母さん!!」
思わずその手を額に擦り付けた。
「お母さん、お母さん!!」
涙がポロポロと溢れた。
もう本当に最期で、終わりなんだと実感した。
「忍、おばあちゃんが!!」
背後から肩を掴まれて、驚いて顔をあげた。
おばあちゃんの目がうっすらと開いていた。
「・・・何か言ってる!」
慌てて酸素マスクを取ると、おばあちゃんの唇が微かに動いた。
「・・・。」
何か言っているのに聞こえない。
「お母さん!!」
おばあちゃんの目尻から涙が一筋溢れた。
「・・・ぶ。」
「え?!」
口元に耳を近付けると、微かに聴こえた。
・・・!!!
勢いよく体を起こして、両手で自分の口を覆った。
「おばあちゃん、忍のことは任せてください!俺が守ります!」
歩さんが叫んだ時には、おばあちゃんはもう目を閉じていて、何も反応してくれなかった。
それでも閉じられた唇から、ぼくは『ありがとう』と聞こえた気がした。
・・・おばあちゃんの最期の言葉は、お母さんへの言葉ではなく、ぼくへの言葉だった。
歩さんが酸素マスクを戻してくれたけれど、心電図の音は次第にゆっくりと途切れ途切れに刻み始め、おばあちゃんは、やがて眠るかのように静かに逝った。
「お、ばあちゃ・・・っ!」
おばあちゃん、おばあちゃん!
おばあちゃん、ぼくだよ、忍だよ。
看護師さんとお医者さんが静かに病室に戻ってきて、酸素マスクを取った。
「・・・23時19分、御臨終です。」
おばあちゃん!!
歩さんに抱き抱えられながら、廊下に出された。
涙がとめどめもなく流れて、息が出来ない。
背中を摩られるその手の温かさや、頬に感じる歩さんの胸の鼓動に、今は必死に縋るしか無くて。
「わかっ、わかっ・・・!」
おばあちゃんは、分かってた。
ぼくがお母さんのフリをしていたのを分かってた。
「分かっていたのか、分かっていなかったのかは分からないよ。でも、忍のことを愛してるのは分かった。」
うん、うん・・・!
ありがとうって、ありがとうって言ってくれた。
「おばあちゃんも、忍のことを愛してた。」
ごめん。
おばあちゃん、ごめん!
不出来な孫は、おばあちゃんの前に顔を出してなかったね。
ずっとお母さんのフリをしてた。
ずっとおじいちゃんのフリをしてた。
「良かったな、ちゃんとおばあちゃんを送れた。」
うん、うん・・・。
「大丈夫、忍には俺がいるから。」
もう、無理だった。
子どもみたいに声をあげて泣いた。
なんでこの人は、今欲しい言葉を知っているんだろう。
なんでこの人は、こんなにも優しいんだろう。
「いっぱい泣け。根性入れて泣くんだぞ。」
バカ。
ほんと、バカ。
根性入れて泣くって、バカじゃないの?
「大丈夫。おばあちゃんは苦しんでなかったろ?幸せに旅立ったんだ。」
バカ!
バカ、バカ、バカ!
鼻水も止まらないし、呼吸も苦しい。
頭が痛くて仕方なくて、ギュッと握った拳で歩さんの胸を叩いた。
そしたら馬鹿力でぼくの体を抱きしめた。
もう!
もう、もう!
「泣け泣け。ほら、もっと泣け。」
絶対、Sだ。
絶対、歩さんはSだ。
言われるがまま、大泣きした。
『忍、ごめんね・・・ありがとう。』
何に対しての贖罪なのか分からない。
分からないけれど、おばあちゃんはぼくのことを最期に選んだ。
おばあちゃん、ぼくこそごめんね。
もっと大切にしてあげたかった。
大人になったら、おばあちゃん孝行してあげるつもりだったんだ。
おばあちゃん、おばあちゃん!
今更ながらに、店を手放したことを後悔した。
逃げることしか考えてなくて、本当にごめん。
おばあちゃん、ごめんね。
「・・・おばあちゃんの好きなものって、何だったの?」
「た、まごサンドと、おじいちゃんが淹れたコーヒー。」
歩さんが、ゆっくりとぼくの体を揺らした。
「手続きが済んだら、斎場にそのふたつを持って行こう。」
「ん。」
不動産屋さんのおじさんに、おばあちゃんが亡くなったことを伝えなきゃ。
そして、店に入るのを許してもらわなきゃ。
「親戚とか、おばあちゃんのお友だちとか分かる?」
「・・・分かる。」
ぼくは顔を上げた。
歩さんの顎の下を見ながら、勇気を振り絞った。
「・・・甘えて、いい?」
すると、歩さんはぼくの肩を掴むと、顔を覗き込んで笑った。
「ハナタレ小僧め。全身全霊で甘えてこい。」
そう言ってぼくの返事を待たず、頭のてっぺんに音を立ててキスを落とした。
「座るぞ、ハナタレ。」
「なっ!!・・・このおっさんめ!!」
憎たらしい言葉が愛おしくて嬉しくて。
ぼくは泣きながら歩さんの肩を打ったのだった。
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