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『…私が紅貴様と幸せになるだけで、今までお世話になった遠瀬院家のみんなも笑顔になる。…とてもよい話だと思いましたの。』
紅貴にしてくれたあの話は、きっと本心からの言葉だったと信じたい。否、例え嘘だったとしても、紅貴は勝手に信じようとするだろう。
「…あなたに、本当の幸せが訪れますように。」
紅貴の台詞に、遠瀬院は目を丸くして…それから、ほろりと涙に頬を濡らしつつ、困ったようにはにかんでみせた。
紅貴が屋敷の玄関に足を運ぶと、元執事は背後で軽やかに動いて扉を閉める。扉が締め切った音が室内に響き渡った、直後だった。
「…紅貴様。」
後方…後ろ頭に吐息を感じるほどの至近距離で漆は主人の名を呼び、相手の肩に額をくっつけた。…紅貴は、顔を前に向けたまま動かない。いや、その場から動けなかった。主人は自分の肩が、相手の温かな雫でじんわりと濡れていくのがわかったからだ。
「…源、どうして泣く。」
少し前に、キスマークを指摘すると困惑した瞳を潤ませて。
数分前に、主従をビジネスと言い切った唇を戦慄かせて。
紅貴には、元従者の思惑が不可解だった。手を取ろうとするとするりと逃げていく癖に、遠い位置に佇めば誘うような目つきで追いかけてくる。
「…ごめんなさい。」
あどけない子供のように、漆の唇から零れ出た謝罪の言葉は気持ちがたくさん籠っていた。
だからだ、と紅貴はそっと目を伏せる。…漆に惹かれる。どうしようもなく。紅貴自身でも制御できないほど、魅了されていく。
「ごめんなさい、僕が…っ。」
泣きじゃくる元執事に対し、紅貴は何もできない。指一本でも触れようものなら、お前の所為じゃないと答えようものなら、漆はその場から去っていきそうな気がした。否、去ってしまうという妙な確信があった。
だから、紅貴は棒立ちになって、縋る元従者の好きにさせる。嗚咽の隙間から僅かに聞こえる声に耳を傾ける。
「…僕が、婚約を握り潰したも同然です…っ。」
さっきまで小男を力で押さえ込んでいた年上の男が、背を縮こませて肩を震わせ、悲しみに暮れる様は紅貴の心を酷く掻き乱す。…主人の心を知らず、漆は訴え続ける。
「…僕は、紅貴様に幸せになって欲しかったのに…っ」
男の啜り泣きを聞きながら、主人はゆっくりと垂らしていた手をゆっくりと握り込んで拳にする。
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