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結弦が透と顔を合わせたのは、二ヶ月ぶりのことであった。
彼の家の玄関、出迎えてもらって会った瞬間。「久し振り」と明るく愛嬌のある笑顔の中に覗く、影。台所と洗面所を兼ねた廊下を抜けて部屋へ通され、こたつ机の定位置に腰を下ろした。座布団を、敷いてくれてある。結弦の位置は正方形の机、廊下から正面にあたる辺のところ。その右斜め前には、透が座った。
連休あってよかったねという話もそこそこに、結弦は聞く。
「ところで。何かあった?」
「ん、なんで?」
「元気ないなって思って」
「んー、……」
透の目が、逸れる。笑顔が剥がれて、出てきたのは複雑な表情であった。
「やっぱり、分かる?」
「何年一緒にいると思ってんのさ」
「……。そう、だよね」
明らかに下がった、透の声のトーン。
「あの、さ……」
「うん」
「………」
それほどに、言いにくいことなのか。透がここまで何かを言い淀むのを、久しぶりに見た。結弦も身構え、彼の言葉を待つ。
すう、と透が息を吸い込み、口を開いてーーー
「俺達、別れない?」
ええ?
あまりにも、突拍子もなかったので。その言葉の意味を理解するまで、数秒を要した。
ーーー自分は何か、透が嫌なことをしてしまったっけか。思い出すも心当たりはなく……。
「どう、して?」
口の中がからからに渇きながら、聞く。
もしかして、他に好きな人でもできた?
俺じゃ、結婚ができないから?
それか普通に、俺に飽きた……?
自分が嫌なことをしてしまったわけでなくとも、理由になりそうな事柄などいくらでもあることに、気がついてしまった。その中のどれかなどは……透と別れる気などさらさらなかった結弦には、皆目見当がつかない。
絶望的な気分で聞くと、透が悲しげに口角を上げ、
「やー、その。結弦、やっぱりいいやつだからさ。俺にはもったいなく感じて」
「そんな。そんなの理由にならないよ。僕は、これからも透と」
「駄目だよ」
透の、固い声。目線はーーー合わない。
「結弦には、その……もっと、いい人がいるなって、思って。俺じゃこの先、迷惑かけると思うし。時間って有限だからさ、こういうのは早いうちにやっといた方が」
「透」
思わず、遮っていた。
そんな言い訳、聞いてられなかったから……では、ない。つらそうながらも口元には笑みを浮かべながら話す透の手が、微かに震えていたからだ。
その手を取ると、それを追って視線を落とした透が「えっ」と呟いた。手が震えていたことに、初めて気がついたようだ。
「会ってない間に、何があったの」
「そんな、大したことは」
「だけど、ちょっとしたことで手なんか震えないんじゃない」
「…………」
黙り込む、透。それで結弦は、悟った。透は本気で結弦と別れたくてああ言ったんじゃない。言わされているんだ。彼をここまで追い詰める、何かに。
きゅ、と透が唇を引き結んだ。俯いて、溢れてくる涙。彼が嗚咽を漏らす前に、結弦は彼を抱き締めないではいられない……のに。
結弦が腕を上げかけたところで、透がすっと身を引いてしまった。
今まで抱擁を拒絶されたことなどない。「え」と結弦が動きを止めると、透が「俺にはもう、結弦に優しくしてもらう資格がない」などと言う。
「おれ……俺は、結弦を裏切ったんだよ」
「どういう、こと?」
こんな様子で、浮気ということはないだろう。じゃあ何なんだと結弦が考え始めると、透が右手で左腕の袖を少し捲った。当然ながら左手首が覗くわけだが、
「っ、」
その手首を見て、結弦は思わず息を呑んだ。ーーーそこに、明らかに切り傷と思われる傷痕が複数本、横へ走っていたからだ。
まずは驚きが勝って、ばっと顔を上げ透の顔を見た。泣き顔の透が、心底申し訳なさそうに口を開く。
「我慢、できなくて」
「…………、」
「俺には、結弦がいてくれるって分かってたのに」
ぽたり、彼の袖の上に涙が落ちて、
「………ごめん………」
濡れた声で謝ってくる透。結弦は今度こそ、抱き締めた。
「駄目だって」、透が腕の中から出ようと微かにもがいてくるが、離さない。逆だと思ったから。彼に必要なのは、独りになることじゃない。誰かに、そばにいてもらうこと。
「透は、何も悪くないよ」
「な、なんで。おれ……俺は」
「大丈夫。僕が……そばにいるよ」
「……。う………」
透がひとつ嗚咽を漏らして、堰を切ったように泣き出した。
つらかったねとそのまま彼の背中をさする手。彼のつらいのがほんの少しでも楽になればいいと、そんな思いで。
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