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その日は朝から曇りで、雨は降らない予報だが鈍色の雲が空を覆いつくし、青空の見える隙間はどこにもなかった。
おかげで昨日までの暖かさはどこへやら、花冷えの一日になりそうだ。
暦の上では4月は春だが、それも名ばかり。
朝晩はコートが必要だ。
久しぶりに袖を通した薄手のコートに身を包み、海音爽(あまねあきら)はゆっくりと通いなれた道を歩いていた。
街路樹の桜はすでに葉を出している。
桜の開花は年を追うごとに早まっている。
爽が子供の頃は、この辺りは入学式シーズンが桜の開花時期だった。
といっても彼の生まれはここから遥か西。
飛行機で2時間。空港までのアクセス、空港からのアクセスを入れると5時間はかかる。
大学入学を機に上京し、就職のためにこの街に引っ越した。
10年ほど前のことだ。
長かったような気もするし、短かったような気もする。
爽はふと立ち止まって灰色をバックに咲く薄紅色の花を見上げた。
あと少し歩けば小さな十字路で、そこを曲がれば目的地が見えてくる。
大丈夫だ。
爽は自分に言い聞かせると、止めていた足を再び動かした。
そっけない看板が爽に目的地到着を知らせる。
会社名が書かれたその看板は、爽がそれを最後に見た時と何も変わっていなかった。
相変わらずしゃれたデザインでもなければ目を引く色でもない。
とても化粧品会社とは思えぬ地味さだ。
それもそのはず、この会社は大した歴史も知名度もない小さな会社なのだ。
社長はもともとは皮膚科の医師で、現代医療に疑問を持ち、独学で東洋医学やアーユルヴェーダのみならず、世界各地の民間療法や伝統医療、哲学に近い思想的観点から病をとらえた古来の医療、その他もろもろを学び、ここを起業した。
様々な失敗を経て現在は漢方を取り入れた化粧品を出している。
だから看板に割く予算などないというわけだ。
そして、小さな会社だから組織がフラットで緩やかだ。
おかげで離職率は低く、それが社長の自慢でもあった。
その社長の部屋も看板同様にそっけない。
爽は社長室と書かれたプラスティックプレートが貼ってあるドアをノックした。
社長への挨拶を済ませた後、爽は自分の部署、総務課へと足を向けた。
爽は法学部の出だ。
といっても何しろ小さな会社だ。
法務部などというものは存在しない。
所属は総務課で法務を担当するという形だ。
この会社は化粧品の開発を行っている。
当然、医薬品を扱うこともあるため、法に定められた設備の有無、取り扱うのに必要なライセンスを会社で保有してあるか、資格を持った人間はいるか、様々な手続きなど、面倒なことが多い。
以前は外部委託をしていたが、会社の成長に合わせて法務専任者を雇う必要が出てきた。
そこで、とある大企業を定年退職した経験者を雇い、彼女の指導を受けて後任となるべく育成されるために爽が採用された。
爽を育てた人物は今はパートタイマーとして勤務している。
しかし、ここ半年ほどはフルタイムのような状況だった。
その彼女に爽が挨拶をし、続いて周囲の一人一人に挨拶をする。
総務課といっても専用の部屋があるわけではない。
部署ごとに机の島があるだけで、他の部署とも顔なじみだ。
所属を超えて、皆が笑顔で「お帰り」と爽を迎えた。
そう、彼はしばらく休職していたのだ。
そして、4月から慣らし勤務ということで週に3日だけ出勤する。
今日はその初日。
そこで彼は初めて見る顔に出会った。
「おはようございます」
『久しぶり』でも『お帰り』でもない言葉。
上司が彼を紹介してくれた。
情報システム担当という彼は爽より10歳以上年下だった。
「潮海雅です。よろしくお願いします」
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