アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
35
-
翌日も昨日同様、ゴールデンウィークには良くある、夏を先取りしたような天気だった。
湿度は低く、気温は半袖でちょうど良いくらい。
空には雲が所々に浮かび、日差しを受けて白く光っている。
爽に海に行くと言われた時、雅は聞き間違えたかと思って聞き返した。
しかし、聞き間違えなどではなく、爽は再度、一緒に海に行ってくれないかと繰り返した。
理由を聞けば爽は運試しと度胸試しだと答えた。
「いつとは決めてないけど、小出が俺んち来るんだ。すごく緊張してる。だからさ、苦手な海を見れたら大丈夫かな、とか思っちゃったんだよ」
雅の実家で冬の海を見ることができて、爽は少し自信をつけた。
だからといって一気に頑張りすぎではないか?
雅は心配になった。
しかし、爽はチャレンジしてみたいと決意を表した。
だから雅は、心配だからこそ見届けたい、そばにいてあげたい、そう思った。
そして、固い表情の雅の緊張をほぐそうと茶化した。
「いつまで俺を頼るんですか? 早く卒業してくださいよ」
言ってから雅は自分の言葉で胸に隙間風が吹いたような感覚を覚えた。
それは一瞬のことだったので、特に気にすることもなかったが…。
「まだ5月なのに暑いな」
「そうですね」
海までは駅から歩くことにした。
有名な名前がついた通りの割に細い道を車をよけながら歩いていく。
まだ海も見えず、波の音も聞こえないうちは、特に何も起こらなかった。
しかし、少しずつ潮の香りが強くなるにつれ爽の笑顔が徐々に失せ、顔も体も強張っていく。
歩みは段々とゆっくりになり、ついに止まってしまった。
「爽さん?」
振り向いた雅の腕を爽が強く握る。
「…ごめん」
「無理しないでください。帰りましょ」
しかし、爽はうつむいたまま首を横に振る。
「いや、行く」
「でも」
「どこかつかまらせてくれ」
倒れそうなのかと心配になった雅は、タクシーでも通ってないかと見まわした。
そうまでして海に行く必要はないと雅は判断し、駅に向かおうとしたが爽が再び雅を呼ぶ。
「わかりましたよ。はい」
爽の意志は固いと諦めて、雅は手を出した。
爽がその手をぎゅっと握る。
繋がれた手を伝って爽の緊張が、まさに手に取るようにわかる。
指は強張り、冷たくなっているのに掌が汗ばんでいる。
その手を引くようにして、雅はゆっくりと海までの道を歩いた。
「爽さん、見えてきましたよ」
爽がうなずき、深呼吸する。
「俺はここにいます。離れませんよ」
雅はそう言って爽の手の甲を、つながれていないほうの手でぽんぽんとタップした。
自分の足と路面しかなかった爽の視野に違うものが入ってくる。
まだ波音は聞こえないが、少し緑がかかった青い色が見えた。
爽の足が前へ出る。
それに合わせて雅も歩みを進める。
何度も雅が確かめ、何度も爽がうなずき、ようやく砂浜に到着した。
爽がただ海を見つめている。
風に吹かれながら無言で。
何を感じ、考えているのか表情からは読み取れない。
だがおびえた様子はない。
聞いたことも見たことも無いものを目の前にして放心しているようにも見えるし、大きすぎる景色に意識が追い付かない時の表情にも似ている。
美しいと感動しているようには見えないが嫌悪しているようにも見えない。
ひたすら海を見つめる爽を、雅は隣でじっと見ていた。
爽の横顔は儚さと脆さを見せつつも、芯には細くとも筋の通ったものが垣間見える。
青く光る原石のように、隠された輝きを内に秘めているようで、雅は爽の横顔を心配からではなく無心に見つめた。
見とれるのとは少し違うが、それでも飽きずにいつまでも見ていられるだろうという感覚があった。
爽の弱さと強さがせめぎ合うような横顔を、雅は風に髪を遊ばれながら見つめていた。
そんな彼の足元に何かが当たる。
麦わら帽子だ。
風に飛ばされたのだろう、持ち主と思われる少女がこちらに駆けてくる。
雅が拾おうと手を伸ばすと、風にさらわれて砂浜の上を転がっていく。
雅は帽子を追いかけて走り出した。
今日は風が強い。
結構な距離を追いかけて、やっと捕まえた帽子は濡れてしまっていた。
波打ち際でそれを拾い上げた雅は靴だけだったが波をかぶってしまった。
少女に渡すと屈託のない笑顔でお礼を言われる。
どういたしましてと返し、爽を探すと思いのほか遠くにいる。
案外走ったんだなと思いながら爽の元に戻ると彼はひどい表情をしていた。
青い顔で雅に縋りつく爽は痛いほどに雅の腕を握り、肩に額を押し付けた。
「行かないでくれ」
「すいません、ひとりにして」
「行かないでくれ」
か細い声で爽が繰り返す。
「帰りましょう、爽さん」
うまく足を動かせなくなっている爽を、雅は抱えるようにして砂浜を後にした。
時間をかけて雅の家に着いたものの、爽を椅子に座らせようとすると落ちそうになる。
雅は爽を、ベッドに寄りかかるようにして床に座らせた。
何か飲み物を取ってこようとする雅を、しかし爽は離さず、雅は彼の隣に腰を下ろした。
子供のように雅に縋りつく爽。
なだめるように雅は爽の背を優しくタップする。
「行かないでくれ」
「大丈夫です」
「行かないでくれ」
「ここにいますよ」
独り言のように繰り返す爽の目は雅を見ていない。
「行かないでくれ」
懇願し続ける爽に困惑しながらも雅は答える。
「ひとりにしてすみませんでした」
「行かないでくれ」
そして、雅は気付く。
爽が単に今日、海辺でひとりにされたことを言っているのではないことに。
単に海が怖かったと言っているのではないことに。
「死なないでくれ」
…ああ、そうか―。
おそらく雅は怯えているのだ。
海へ近付き、海水に足を濡らされてしまうほど海に近寄った雅が、亡くなった妻のように海に奪われると爽は感じたのかもしれない。
雅は爽の背をさすりながら言った。
「俺はそう簡単には死なないですよ。言ったでしょ? 俺は人魚の血を引いてるんですよ? やすやすと死にません。ましてや海でなんて、絶対に溺れませんよ」
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
35 / 49