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コワイユメ
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深夜二時、数年に一度の大豪雨で一日中バケツがひっくり返ったような大雨が続いている。それなのに繁華街の近くにある古びたラブホテルは今日も客の足が引かない。
ホテルの一室の壁には余計な装飾はなく、天井の間接照明には薄紫のネオンが灯りエロティックな雰囲気が扇情的で悶々とさせる。
セックスするためのこの部屋でゴッと鈍い音がベッドの上から聞こえてくる。この部屋に似つかわしくない音は人間が殴られている音だった。
それに隣の部屋から女の悲鳴のような甲高い声とベッドが軋む騒音が鳴りやまず、異様な空間だった。
佐田幸人は薄暗い部屋の中で自分より二回りも太った男に殴られている。男と幸人は裸のままで、直前まで抱き合おうとしていたのが分かる。けれどなぜか今は、巨漢が貧弱な幸人の体を抑え込み一方的に殴っている。
「おい、ガキ!調子乗ってんじゃねよ」
―――グッ、ゴキッ…ゴッ……――――
男の凄まじい暴力は幸人の体が大破しそうなほどの勢いだった。
幸人は頭を殴られた勢いで、一瞬意識が飛んだがすぐに冴えていき自分の置かれた状況に笑い始めた。
自分にのしかかる巨漢。血濡れた男の腕。体中が軋むほどの激痛。男の鬼のような形相。
幸人は、男と目を合わせると「あはははは」と狂ったように声を上げた。
「なに笑ってんだよ」と巨漢の顔は怒りでさらに歪んだ。
幸人は男に怯えるどころか、むしろ楽しそうにニタニタと笑っている。
「うるせぇんだよ、デブっ。てめぇのデケエ声で耳が痛ぇよ」
幸人は抗おうとせず、挑発的な態度で男を煽った。それを聞いた巨漢はコノ野郎と激怒し、暴力は勢いを増した。
それなのに幸人は痛みを感じていないかのように笑って、男からの暴力を楽しんでいる。
「誰がお前とセックスなんかするかよ。自分のツラ鏡で見てから俺のこと誘えよ」
ゴフッと血を吐き出して喋る。苦しそうに見えるが幸人の笑みは止まらなかった。
「おまえみたいなキモくて肉の塊みてぇな男と寝る奴なんかいねぇよ。せいぜい一人でその汚ねぇの扱いてろよ」
幸人は挑発するように巨漢の性器を握ると、激痛だったのか男は悶絶している。しかしそのせいで巨漢の怒りが頂点に達し、男の太い腕が幸人の顔をめがけて振り落とされた。
ガツッと脳が揺れるほどの衝撃が再び幸人の頭を直撃した。
幸人はあまりの衝撃にベッドの上でしばらく動けなくなった。それでも巨漢の怒りは収まらず、人形のように動かない幸人を間髪入れずに殴り続ける。
「クソっ!俺のこと馬鹿にしやがって!寝てんじゃねぇよガキガァ!」
ゴキッ!と頭をもう一度思いっきり殴られると幸人の視野は少しずつ狭さくしていき、最後に聞こえたのは男が吐く罵詈雑言だけだった――。
朝日が顔に当たる感触で幸人は目を覚ました。まぶしさのあまり目をつむると顔に激痛が走った。痛みのおかげでの昨日のことを思い出し、自分の体を見ると痣や血痕で赤くなり腐敗した果実のように痛々しくなっている。
室内には昨日会った巨漢はおらず、裸で傷だらけの自分がベッドの上に居るだけだった。
幸人は体中に痛みを感じながらも起き上がり浴室に向かった。
鏡を見ると原型をとどめないほど顔はパンパンに腫れ上がっている。
しかし幸人は不敵に笑い床に座り込んだ。
――ッッククク…アアハハハハッハ――
浴室に異様な笑い声が響く。
「…最高」
すると徐に自分の性器に手を伸ばすと歪められた自分の顔を見ながら扱き始めた。
「ん…ぁっは…あのデブの顔…マジでよかったなぁ…あんなキレちゃってさ…」
女の体が鏡に映ったわけでもないのに男の性器は完全に勃起している。
この興奮を誘発しているのは昨日の巨漢の顔だった。
幸人は殴られるのが趣味のマゾな男。昨日もゲイのサイトで知り合った巨漢とセックスする体でホテルに入った。けれど幸人はいざセックスしようとした直前に男の容姿を侮蔑し、男の怒りを買おうとした。自分の容姿にコンプレックスに抱えていた巨漢は簡単に激怒し幸人に殴りかかってきた。幸人の狙いはこれだった。人から向けられる怒りと暴力が幸人にとっては快感だから。
「んぁ…あっ…まじぃ…痛過ぎる」
いくらマゾとはいえ痛覚がなくなったわけではない。体中が痛過ぎて腫れた瞼に涙を浮かべるが、辛そうではなくむしろ痛みすら快楽に変換されている。痛みと快楽が同居している幸人の体は絶頂が目前に迫っていた。
「…イっ…いく…」
手の動きが速さを増して一気に果てた。雷のように体を駆け巡る快感に男は恍惚とした表情を浮かべる。この異常な性癖は幸人の幼少期が原因だった。
物心ついた頃には両親の存在は知らず児童養護施設で育った。
施設長が言うには幸人の両親はすでに死んでおり、天涯孤独の身らしい。
しかし10歳の頃今まで音信不通だった叔父の佐田隆文に引き取られることになり、生まれて初めて血の繋がった人間と住むことになった。
隆文は風が吹けば飛んでいきそうなほど華奢で、顔には覇気がなく今にも死んでしまいそうな風貌だった。そのせいかまだ40代くらいだろうけど幼い幸人には老人のように見えた。
「じゃあ行こうか。幸人。他のみんなも家で待っているよ」
隆文に手を握られ長い間暮らしていた施設をあとにした。
「みんなって誰?どうしておじいちゃんは僕を連れていくの?」
幸人は男の歩幅に会わせようと小さな足で必死に歩いた。
叔父とはいえ初めて会う大人の男に警戒するのは仕方がない。幸人は訝し気な表情で男に聞いた。
「誰って幸人の家族だよ。幸人はこれから俺の家族になるんだ。だから俺の家に行くんだよ。それに俺はおじいちゃんじゃないぞ。幸人の親になるからお父さんって言ってほしいな」
幸人は名前を呼んでくれた隆文に少しだけ胸がキュッとなった。
孤独になれきった幸人には家族という存在がよくわからなかった。けれど学校行事で他の子が両親を連れて楽しそうにしているのを見ると、家族というものは温かいものなんだなと思っていた。みんなは当たり前のようにその存在を感じて生きているのに、なぜ自分には与えられなかったのか不思議でたまらなかった。
世界の不平等さを感じつつも、まだ幼い幸人には自分の当たり前は親が居ないことのだと受け止めるしかなかった。
しかしその思いも隆文との出会いで払拭されるのかもしれない。
そんな期待も勘違いと気づくのにそう長く時間はかからなかった…――
隆文には『秋彦』という息子がいた。優秀な進学校に通っていたが中学の時のいじめのせいでひきこもるようになり高校にも進学できなかった。いじめの精神的トラウマのせいかひきこもりと同時に、隆文や母親の正美に暴力を振るうようになった。息子を宥めようと優しく接するが、親の思いも空しく秋彦の攻撃性はさらに増していき、それ故に隆文と正美は秋彦からの暴力のせいで心も体も疲弊していった。秋彦はよく食べるうえに一日中家にいて体を動かさないせいで、丸々と太り隆文の二倍以上もの大きさの肉塊と化した。父親として暴君な息子をなんとか矯正しようとするが、隆文は元々体が弱く男にしては貧弱すぎるくらいだったために巨漢の秋彦に太刀打ちできるわけもなかった。隆文たちの悪夢のような生活は三年続いたが、その生活も悲惨な出来事をきっかけに変わり始めた。
ある日隆文は仕事から早めに帰ると、正美が手首を切ってリビングに倒れているのを見つけた。その後すぐに救急車を呼び、一命を取り留めるが正美は死ねなかったことを悔やみ、助けた隆文を責めた。
正美は秋彦を愛しているが、いつかその愛情も冷めて息子の暴力に耐えられなくなったあまり秋彦を殺しかねないと考えた。それならば自ら死んでしまうほうが良いと、残酷な愛憎を抱いていた。
この時隆文は自分たちが限界に来ていることを悟り、このままいけば正美の妄想も現実になってしまいそうだと考えた。この現実を打開しようと自分たちの身代わりになるような人物を秋彦に与えることを考えた。それが幸人だった。
幸人は隆文の兄である隆幸の息子で、10年前に生まれたが生後間もなく両親を亡くした。不幸な甥を引き取えるほど当時の隆文の経済状況はよくなく、さらには祖父母にあたる隆文の両親たちもすでに死んでおり、幸人の引き取り手は養護施設に決まった。
そんな天涯孤独の幸人を養子に、自分たちのかわりとなって秋彦の相手をしてくれれば暴力の恐怖から逃げ出せて少しでも安寧した暮らしを取り戻せると考えた。
隆文の思惑通り幸人は隆文の家に連れてこられた日から秋彦の暴力を受けた。
幸人がいくら叫んで助けを乞うても隆文は助けず、むしろ「お前がうちに来てくれてよかったよ。これからはずっと家族でいような」と安堵した表情をして言った。
隆文たちは息子の暴力を黙認し、虐待ともいえる卑劣な考えをまだ10歳の幼い子供に実行したのだった。
幸人は家族になるのだと言われたその日から隆文に見捨てられ、兄だと紹介された秋彦には殴られた。一体自分の何が悪かったのか内省をする間もなく、訳が分からないまま暴力を受ける毎日が続いた。幼く小さな幸人、一方は怪物のように太った秋彦。体格さで負けてろくに抵抗もできず、大人たちは誰も助けてくれない。幸人が唯一できたことはこの生活が当たり前なのだと親が居ないことを受け入れたように、不幸な自分にはしょうがないのだと思うことだった。しかし暴力を受け入れるようになると次第に快感に変わっていった。秋彦が嬲ってくれるたびに内心では興奮しきって、もっと欲しいと欲張る自分が居た。痛々しいくらい荒んでしまった幸人だが、これは処世術だったのかもしれない。
周りは誰も助けてくれない状況をどうにかするには、自分の身に降りかかる不条理を受け入れるしかなかった。そして快楽に変換し暴力が自分にとって害のあるものではないと認識することで、幸人はこの絶望的な生活を乗り切っていたのだろう。
他人によって歪められた幸人はもう普通の人間に戻れなくなっていた…――
幸人がホテルを出ると、昨日から続く雨は降り続くがそれでも昨日のような豪雨でなくなっていた。持っていたビニール傘をさして、水たまりのような道路を歩き始める。
しかし今は雨よりも人の視線の方が強いくらいだった。ビニール傘は雨を凌げるが透明なゆえに,幸人のありのままの姿を映す。
男に殴られた顔は適当に傷を洗って止血しただけで、風船のように膨れた顔はそのままだった。それのせいで行きずりの多くの人はみな,恐ろしく変形した幸人の顔を見て不躾な視線を向ける。
けれど幸人は慣れたように気に掛けることもなく駅に向かった。
秋彦から殴られるようになってからは顔に傷がないことはなく,毎日負傷した顔を世間に晒していた。そのせいで他人はいつも汚いものでも見たかのように幸人を見る。それが何年も続けば慣れていき,人が自分に向けてくる視線は決していいものではないのだと思うようになる。
順応性の高さが幸人の長所でもあり,自分の好きな所だった。そうでなければ悲惨な過去をかいくぐり今生きていられるはずがなかった。
数分歩くとすぐに駅の外観が見え、人通りもさらに増して幸人の姿は人の間に紛れていく。
無数の視線を感じながらも駅の構内に入り改札を抜け、止まっていた目的の電車に乗車した。
電車の中は朝方ということもあり、スーツを着た大人や学生で溢れている。幸人は出口近くの角に身を落ち着かせて、発車時刻まで外を眺めた。それと同時にガラス越しに醜い自分の姿が映る。これでは人が嫌な顔するのも分かる気がした。おぞましく普通の状態でないことは、見ず知らずの人間が見ても分かる。ガラス越しに自分を見ると、視界の端に髪を一つに束ね眼鏡をかけた真面目そうな女子高生が映った。制服は隣町の私立高校で傍から見ても家柄の良さが分かった。
女は反対の扉側にいて幸人の顔を見ると驚いた顔をし、目が合うとサッと目を逸らした。警戒しているようだ。
『まもなく電車が発車します。揺れにご注意ください』
車掌のアナウンスが聞こえるとサイレントともに乗り遅れそうな乗客たちが波のように押し寄せくる。車内の中は息がしづらくなるほど苦しくなった。
二、三十分乗ると幸人が下車する駅まであと一駅となり、そのころには床も見えるくらいに人の密度も減っていた。
扉に寄りかかりスマホをいじる。
向かい側にいた女子高生は、未だに幸人の反対の窓側にいて本を読んでいる。けれどその視線は本ではなく幸人に向けられている。
先程から顔を上げるたびに女と目が合う。見られるのには慣れているが、ここまで露骨なのは初めてだった。
再びスマホを見ると高校のクラスメイトの神崎から『今日は学校来るの?』と連絡が来た。
幸人はここ一週間ろくに学校に行っていない。健全な学生とは程遠く、頭の中には常に人を貶めて快楽を貪ることばかり考えているので、勉強などまるっきり興味が持てず足は遠のくばかり。そのせいで三年に進級は出来たものの卒業できるのか、不確かな状況だった。
幸人自身は高校に進学する気など全くなかったが、秋彦のできなかった高校卒業を毎日クズのように扱ってきた自分が全うしたら、どれだけ絶望して自分を痛めつけてくれるのだろうと考えていた。
何とも自虐的な動機だったが、その秋彦も去年、家の階段で足を踏み外し、転落死した。
『今日斎藤来てるよ。もし幸人くるなら”あれ”やらない?』
画面の文字を見て、ニヤリと口角があがる。ニンマリと笑う幸人の顔は何かを企んでいる様子で不気味だった。近くにいた若い女が幸人の異変に気づき、眉を寄せて傍から離れていった。
秋彦が居なくなってから高校に居る意味もなくなりやめようと思っていたが、神崎と数人の男子生徒たちが斎藤をイジメているのをたまたま見つけた。
斎藤はいかにもガリ勉といった感じで眼鏡に薄い体つきで、いじめの標的にされやすそうな男だった。
幸人も暇な学校生活が楽しくなればと、斎藤のいじめに加わった。今までは人から嬲られることに喜びを感じていたが、初めて自分が嬲る側になり他人を貶める感覚に歓喜した。まるで世界が自分を頂点として回っているかのように錯覚出来た。哀れに鳴いて、歪む斎藤の顔がとてつもなく幸人の奥底にある嗜虐性を刺激する。幸人たちのいじめはエスカレートし、時には金を巻き上げ、強制的にレイプした。性器がたてば誰でも抱ける幸人は、男の斎藤を抱くのに苦労はなかった。
神崎たちも見る分には楽しいようで、幸人が学校に来るたびに斎藤を抱かせようとする。
だから神崎が『”あれ”をやろう』というときは斎藤をレイプすることだった。
幸人は人から嬲られること同様に、人を嬲ることにも快楽を覚えていた。
『了解。午後から行く。俺が来るまでに斎藤捕まえとけ』
三つの短文を返し、スマホをポケットにしまう。
「あの…」
声のほうに視線を向けると、あの女子高生が白いハンカチを渡してきた。突然過ぎてハンカチと女を交互に見る。
「なにこれ?」
女と目を合わそうとするが、眼鏡の下からのぞく瞳は伏し目で捉えられない。
「血が垂れてます」
女は幸人のこめかみのあたりを指差している。女が差す部分を触ると、赤い鮮血が指先に付着した。
止血できていなかった傷があったようで、じわじわと疼き始めた。
「迷惑だったらすみません。でもずっと気になってて。いらないハンカチなので使ってください」
ハンカチを持つ手をグッと幸人に近づけた。幸人を凝視していた理由は血が気になっていたからだった。見ず知らずの奴を心配するなど、不思議な女だと幸人は思った。しかし他の気持ちも芽生えてくる。
「どうぞ」
中々受け取らないので遠慮していると思ったのか、少しだけ声が強くなった。
「いらねぇよ。邪魔だ。ブス」
幸人は冷たく言い放った。女は思わぬ返答に困惑した表情を見せ、捉えられなかった瞳も今は揺らいでいる。
女に抱いた気持ちは不思議以外に、不愉快だった。
人からの慈悲に慣れていない幸人は、他人から優しくされると気持ち悪くなる。
幸人は冷ややかな視線を女に向けた。
自身を嫌悪するような目つきに女は動揺して、訳が分からないといった顔をしている。
一般の人間なら人の親切を快く受け取るはずだが、この男はそうではない。
優しさよりも怒りを――
愛よりも痛みを――
幸人が与えられたすべてはこれだけだった。それ以外、幸人は知らない。
『まもなく〇〇駅に到着です。揺れにご注意ください』
アナウンスが流れると乗客たちがゾロゾロと動きだす。
駅に着くと、他の乗客とともに幸人も扉をくぐり電車を出る。振り返り女を見ると、何とも言えない切なそうな表情をしている。傷つけたかもしれないが謝る気持ちは微塵もない。
女を一瞥した後、改札に向かった。
ああいう育ちも良く大切に育てられたような奴を見ると、その純粋切った性根を耐えがたい現実をつきつけてぶち壊してやりたいと思う。斎藤のようにぐちゃぐちゃに壊してやれたらと、残酷な考えが頭をよぎった。
改札を出て煌びやかに光る駅前の繁華街を抜けると、急に人通りが減り閑静な住宅地が見えてくる。その一連の中に赤い屋根で二階建ての木造の家がある。幸人は鉄製の扉を開けて、家の私有地に入っていく。玄関近くには手入れのされていない花壇があり、何年も前に植えた花が美しさの面影がないほど枯れている。
義母の正美は花が好きだった。この花壇には正美が手入れした花々が咲き誇っていたが、今はその正美もこの家にはいない。いくら暴君な息子でも、腹を痛めて産んだ子供が自分より先に逝ったために、思い悩む日々が続いた。その果てに酷い鬱病になり、今現在は精神科病院に入院している。
隆文に引き取られてから七年経っていたが、家に居る間はほとんど秋彦の相手をしてろくに義母と関わることなどなかった。そのせいか、義母が病気になろうが心配する気など微塵も起きず、むしろ家が広くなった気がして晴れやかな気持ちだった。
「ただいまー」
広々とした空間に幸人の声だけが響く。
「って誰もいないか…」
雨で濡れた傘を隅に置き、家の中に入っていく。
リビングに行くと茶色の封筒が置かれており、中を見ると万札が10枚入っている。
「あいつ来てたのかよ…」
置いて行ったのは隆文だった。
隆文は秋彦と正美が消えたこの家に寄り付かなくなった。帰ってきても金だけを置いて、幸人に顔を見せることはない。幸人自身も隆文の顔が見られなくても構わないくらい親子関係は機能していないので、寂しいなんて思わない。
むしろ干渉してこず、金を置いていってくれるのでこの距離感が気に入っていた。
冷蔵庫の中に合った適当なものを胃の中に入れて腹を満たすと、二階の自分の部屋に上がり服を着替えてベッドに横になる。
壁についてある時計を見ると時刻はまだ朝の8時。余裕で3時間くらいは眠れそうだった。
静かな部屋に雨音だけ聞こえて、徐々に意識は遠のいていく……。
薄暗い倉庫の中で異様な集団が裸の男を取り囲んでいる。
「おい、もっと舌使えって。全然気持ちよくねぇよ」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった斎藤は、膝立ちで幸人の性器を咥えて苦しそうにしている。
両腕と両足は神崎たちが抑えて身動きが取れない。鳩のように頭だけを動かし、幸人に奉仕している。
「何回もやってんだろ。そろそろ慣れろよ」
斎藤の頭を掴み性器をグッと喉の方につくと、斎藤は嗚咽交じりのこもった声を出し、苦しさゆえ涙がまた溢れだした。
しばらくそのままにすると息が出来ないようで、口から離そうと頭を動かすがそれを抑えてむりやり止める。
「ぐぅぅっ、ごぼぉっ」
上目遣いで幸人を見る斎藤の顔は真っ赤で、もう限界だと言わんばかりだった。
幸人はこの顔にたまらなく興奮する。
ひと眠りし午後から学校に向かった幸人は、神崎たちに体育館裏の倉庫に呼び出された。そこは生徒が寄り付かない場所で、いじめをするには打って付けだった。行ってみると裸にされた斎藤が、神崎と二人の男子生徒に取り抑えられていた。暴れたようで体のところどころに傷があった。嬲られて虚ろな目をしていた斎藤が幸人を見た瞬間、自分が何をされるのか察し再び暴れ出した。毎度毎度同じように抱いているが、慣れるどころかいつも絶望した顔を見せてくれるので、斎藤のいじめはたまらなく楽しいものだった。
「んぅ……グっ…ゴフッ」
性器の先端が喉にあたる。飲み切れなかった唾液が斎藤の口から床に零れていく。とっくに限界をむかえているのに幸人は未だに頭を掴んだまま離さない。苦しさのあまり斎藤は性器を咥えたまま暴れ出した。このジタバタと暴れる男が、陸にあげられた魚のようで面白いと幸人はほくそ笑む。しかしこのままでいて、自分のモノを噛まれても困るので斎藤の口から性器を離した。
「がはぁっごあぁッ、げほぉっ」
斎藤は大きな咳をして、床に崩れ落ちる。
今にもむせ返りそうになる胃を必死に止めて、吐くのだけは我慢しているようだった。
「おいおい吐くなよ。汚物まみれのセックスはごめんだぞ」
幸人は冷ややかな目で斎藤を見る。しかし心の内では沸々と興奮が湧きだっている。
はぁ…はぁ…と息を整える斎藤の息づかいが空間に響く。
「あーあ、もう本当にトロいな。もっとしっかりしろよ」
神崎たちは息が絶え絶えになっている斎藤の髪の毛を掴み、幸人のほうに顔を向かせる。
「いやだっぁ!もう苦しいのは嫌だ!!」
渾身の力で暴れるが、男たちは斎藤の四肢を抑えて自由を奪う。
「もう…やめぇ…てぇよ」
幸人の前でむせび泣き懇願する。ニタニタと笑う男たちは斎藤を見下し、あざ笑う。
「他の…ことぉ…ならなん…ンでもするぅ…から」
紡ぐ声がちぎれそうなほどに弱弱しい。
斎藤は哀れに、聞き入れられるはずない願いを幸人に求めた。
幸人は斎藤の顎を掴み上を向かせると、じっくりとその顔を見つめる。
恐怖と痛みで歪んだ顔は、幸人の中の嗜虐性をますます煽った。
昨日のヤラれる側とまた違う楽しみがある。この手で傷つけて、泣かせて、暴いて、骨の髄まで恐怖を与えられることがたまらなく楽しいのだ。
秋彦もきっと幼い自分を殴った時こんな気持ちだったのだろう。
今では、こんなふうに自分を歪めてくれてありがとうとさえ思う。もし秋彦と出会わなかったら、暴力から快楽を得られることも分からなかったし、人を痛めつけることに楽しさを感じることはなかった。
「神崎、コイツの足抱えてケツが見えるように俺の方に突き出して」
斎藤の懇願を聞き入れることなくことを進めようとする。それもそのはずで、可哀そうだと感じていたら何度も斎藤を抱いたりはしない。初めからこの一連の行為は、幸人が満足いくまで終わることはないのだ。
神崎たちはニタニタと悪い顔で、斎藤の細い体を押さえて恥部をさらけ出す。
M字開脚のカタチになり、斎藤の肛門は幸人から丸見えになる。けれど男の蕾は度重なるレイプのせいで裂けてしまっていた。真っ赤に腫れ上がり傷跡からは薄っすらと血が滲んでいる。
前回セックスした時は一週間以上前のことだがまだ完全には治っていなかった。
「嫌だぁ!!離してぇ!!」
ジタバタとするが取り押さえられた状態では逆に体力を使い、疲れさせるだけだった。
「お前が他のことならなんでもするって言ったんだぞ」
斎藤の硬く閉じた蕾にろくにならしもせず、幸人は自分の性器を押し付けた。
「まってぇ…本当にいまはダメなんだ。もうそこは…せめてならして…」
危機迫る状況に斎藤は青白い顔した。
「お前の痛がる姿が見たいんだよ。だからならしたら意味がないだろ」
幸人は身も蓋もないことを言って、硬い肉を裂くように斎藤の中に無理やり押し入る。
鬼畜以外の何物でもない。
「イタイぃ!イダァい!」と泣き叫ぶ男をよそに、どんどん中へと浸食していく。
激痛のあまり斎藤は男たちの手を振り払おうとするが、より強い力で押さえつけられ徒労に終わる。女のように濡れないはしないので、幸人は自分の唾液を接合部分に垂らし潤骨剤の代わりにした。自身も肉を食いちぎられそうな圧迫感はあるが、痛みに耐性のある幸人にはたいしたことではなかった。
――グチャっグチャっっグジョジョ――
突くたびに裂けた蕾からは血が垂れ、床に滴る。血と幸人の唾液が潤骨剤となり幾分かスムーズに中に入るようになったけれど、血を垂れ流す本人は痛みのあまり気がふれて悲鳴を上げている
「いだあぁぁいぃぃっ!」
男の絶叫を聞くたびにアドレナリンがドクドクと体中に流れ出し、幸人の性器はどんどん熱を持っていく。
待ちわびていた痛みと恐怖に歪む顔が拝めて、幸人は恍惚とした表情を浮かべる。
「いいねぇ。その顔が見たかったんだよ斎藤。もっと痛がって俺を楽しませてよ。」
穴を早く抜き差しし、男に負荷をかける。
「イダぁぁぁいイ!もういやだぁぁ」
泣きじゃくりながら絶叫する。幸人のスパキングが激しくなるほど、痛みから逃れたいがために斎藤は暴れる。そのせいで男たちはますます力を込めて斎藤の体を床に押さえつける。
「可哀想だな。こんなクズみたいに扱われてさ。俺ならこんな事されたら死ぬ気がするわ」
斎藤を取り押さえる男の一人が哀れんだ様子で言った。
「俺も。男にヤラれるとかプライドがズタズタだわ。良く耐えてるよなこいつ」
神崎は斎藤の忍耐力に関心した様子を見せる。
斎藤をこんな目に合わせているのは自分たちだというのに……。
男たちの皮肉な物言いに幸人はクスリと笑った。
「ぐうぅぅあああ!!」
グチャグチャと血と体液が混ざり合い、斎藤の下半身は悲惨なことになっている。
斎藤に関しては、一切気持ちが良いと感じていないのは明らかだった。その表れとして男の性器は力を無くしたように倒れている。
「お前も楽しめよ。ずっとヘニャチンだと、ちっとも興奮しねぇよ。せっかくならいい思いしたいだろ」
何とも無茶な物言いだ。斎藤がこの苦行にどう楽しみを見出すというのか。
痛みに耐えるのに必死だった斎藤は今はもうほぼ失神する手前の様子で、いくら突いても叫んでいた声はうう…としか言わなくなっていた。
「おい、幸人。ちょっと不味くない?こいつあんま意識ないけど」
一人の男が訝し気に幸人に聞く。
「はぁ?今更止められるかよ」
――グジュグジュッ…っグジュグジュ――
ついに意識が飛んだようで、人形のように動かない斎藤の穴を無遠慮に突く。
快楽主義の幸人は血まみれの穴だろうが、自分の性器が立ったままで抜くわけには行かないのだった。
非道で、人として多くのものが欠落している幸人に、他人を優先する考えなどない。
スボスボと吸いつきの良い穴は、幸人の肉棒を擦り上げ快楽を限界近くまで押し上げる。
「はっ…んぅっ」
微かに漏れる吐息。快楽を逃すように息が出る。
終わりに近づくにつれて早くなる腰の動き。ただ揺すられるがままの斎藤は、まだ目を覚まさない。
もうここまで来たら、斎藤の哀れな顔拝むことなど頭になかった。ただ自分の欲望のままに、この熱を発散させたいと、本能的な欲求だけが幸人の頭を埋め尽くす。
「くぅっ…」
束の間耐えるような声をだすと、斎藤の中に自分の精を吐き出した。
イッた後は、ピンと張りつめたものが解かれたように爽快感と脱力感が体を駆け巡り、意識が酩酊する。
斎藤の中から性器を引き抜くと、白い液がドロッと流れ出る。白濁液は血液と交じり、赤と白のグラデーションが何ともグロテスクで扇情的だった。
「ああーまた中にぶちまけて…」
神崎は呆れたように言う。
「別に良いだろ。妊娠するわけでもねぇんだから」
幸人の身も蓋もない言い方に、神崎は呆れ顔で笑った。
「まぁ俺らは面白れぇもの見られたら、それでいいんだけどさ」
男が無理やりに抱かれて、入れる場所でないところに性器を突っ込まれる姿を面白いという神崎たちも、大概自分と似たようなものだなと幸人は思った。
神崎は意識のない斎藤の顔を軽く叩いて起こす。うう…ン…と斎藤は少しずつ意識を浮上させる。
「斎藤終わったぞ」
神崎の言葉に斎藤は自分の置かれていた状況を思い出して、再び顔面を白くさせる。
すると下腹部に違和感を感じたのか、自らその悲惨な箇所を目の当たりにし泣き始めた。
「どうじて…いつもぼぐぅ…なんだぁ…。ぼぐが…なにしたっていうんだぁ…」
泣き崩れ様子に幸人は笑いが込み上げる。
「意味なんかねぇよ。お前が偶々俺らと同じクラスになって、良い玩具になってくれそうな奴だっただけだ。まぁしいて言うなら、運が悪かったんだな。お前が俺たちの近くに居なきゃこんなことにはなってねぇよ」
憎たらしいほどの嘲笑が、ほの暗い空間に響く。
斎藤は俯き、顔に翳を落とす。
「不幸になるのに理由なんていらねぇ。そこにあるのは運だけだ」
幸人自身も今までそう思いながら生きてきた。
悲惨な幼少期もいわば運のせいだ。たまたま隆文の甥として生まれたことで施設から引き取られ秋彦と出会い、家族というものが崩壊した環境で育てられた。そして暴力とともに日々を生き、人間性を歪められここまで来た。確かに悪いのは危害を加えた秋彦、そして暴力を黙認する偽りの両親たち。しかしそれ以前に、佐田幸人に生まれついてしまったこの運がそうさせたのだ。誰もが生まれつく人間を選べない。誰もが予想だにしない悲劇と巡り会う。
「そんなんでぇ…僕の運命を決めつけるなぁ!!」
斎藤は立ち上がると、脱ぎ捨てられた制服のポケットからサバイバルナイフを取り出して、勢いよく幸人めがけて走り出した。
ドン…
斎藤が幸人の腹に体当たりした。すると幸人は腹に違和感を覚える。何かが突き刺さったような感覚のあと、少しずつ痛みが襲ってくる。
誰もが突然のことで何もできずにいた。
だから…
斎藤を止めることが出来なかったのだ。
「ぐぅぁ…」
腹のナイフに気づくと余計に痛みが強くなった。今までに感じだことの無いような激痛。
斎藤はナイフを引き抜いた。ドクドク溢れだす血が垂れ流されていく。
赤く染まる足許は、徐々にその範囲を広げていく。
「幸人!」
神崎は幸人に駆け寄り、腹を抑え止血しようとする。しかし刺しどころが悪かったようで、とめどなく溢れる血の量だった。
「おい!お前ら救急車呼べ!あと保健室いって大人連れてこい!」
神崎が他二人の生徒に指示をだすと、焦りながらも二人は倉庫を出て行った。
もう、一人の命が脅かされている状況で自分たちの悪事が公になることを恐れている場合ではなかった。
「いつかずっとこうしたい思ってた…へへっ復讐が果たせたんだ…僕のせいじゃない…全部お前らが悪いんだ…」
斎藤はうわ言のように喋る。目は死にゆく幸人の顔を見つめたまま笑っている。
「このナイフがずっと心の拠り所だった。もしいつか限界が来たら、その時は刺せばいい。ずっとそう思って耐えてたんだ」
斎藤からは先ほどまでの怯えた様子が消えて、嬉々とした表情に変わっている。しかしそれも束の間で、眉を顰めると次第に怒りに満ちた顔つきへと変わっていった。
「でもやっぱり…お前たちを許せない…。こんなに酷いことしてるのに…っぅ…運のせいにして片付けるなんて…僕をこんなふうにしたのはお前らのせいだぁ!僕のせいじゃない!」
堪えきれなくなった怒りは、ブレーキのない車のように暴走し、幸人に向かって迫りくる。斎藤の目は血走り、興奮しきった身体はもう一度幸人めがけてナイフを振り上げた。
「やめろ!馬鹿!」
すんでのところで神崎が素手で斎藤のナイフを止める。しかしナイフを握るその掌は切れて、血が流れ出ている。
「真面目に生きてきた。勉強も恋愛も叶えたい夢もあった。けどもうそんなことどうでもいい。人を刺したんだ。これから普通に生きられるはずがないんだ。それならこの世で一番憎い相手を殺したい」
斎藤は渾身の力で神崎を押しのけて、神崎に目掛けてナイフを振り下ろす。
「それが君たちだ」
ザク!…
斎藤はついに神崎までも刺した。
腹からナイフを抜くとドサッと神崎は床に倒れ落ちた。
神崎は「ぐぁぁ!」と悲鳴を上げ、腹を抱えてうずくまっている。
「まだ生きてるよね…佐田くん」
斎藤はゆっくりと振り返り、またしても幸人に向かって歩みを進める。
幸人は朧げな意識の中で近づいてくる男を見る。男は殺気立って、今まで感じたことのないくらいの憎悪と殺意が込められた目をしている。
くく…と幸人は薄い笑みを浮かべる。しかし、人の怒りが大好物なはずなのに体は反応しない。
瀕死のせいだけではない。何かが幸人の中で崩れ始めている。
「な…ぁんで…」
好きだったはずなんだ。何よりも人からの憎悪と怒りを向けられることが、この上なく快感だった。それなのに……何かが足りない……。
すると幸人のポケットの中から茶色の封筒が落ちた。
――朦朧とする意識の中で…何かが浮かんでくる――
――隆文の笑う顔…繋いだ温かい手…――
―――――親父…
(どうして今更…)
本当は、隆文が「家族になるんだよ」と言ってくれた言葉を信じきりたかった。
(俺も誰かを大切にしたかった…)
けどそう願えば願うほど理想との差に苦しめられた。
もう自分を壊さないためにも、秋彦の暴力を享受して認識を歪めることで生きる術を見つけた。そのおかげでそれなりに楽しく生きていたはずだった。
それなのに…どうして死に際で、今更自分の人生を苦い気持ちで思い返さねばならないのか…
殺されそうだからではない……。
きっと…これは後悔なのかもしれない。
いままで散々非道に生きてきたにも関わらず、最後に欲しいと感じているものが隆文だったなんて…。
こんな死に際で会いたいと思うなんて最悪すぎる。
手に入らず、一番遠くにいる存在。
もう二度と会えないまま逝く。幸人には幼い頃、隆文と手を繋いで歩いた思い出だけが胸の中に満ちる。
―――『幸人はこれから俺の家族になるんだ。それに俺はおじいちゃんじゃないぞ。幸人の親になるからお父さんって言ってほしいな』―――
(せめて一言でも『父さん』と言えたら良かったのに…)
本当は…愛してほしかった…。
見捨てないで秋彦から救ってほしかった。けれどそれは出来ないのも分かっていた。
秋彦の暴力を受け入れるコマになることを隆文は幸人に求めた。
それなら自分はそれを全うするしかない。それが佐田家の家族としていられる唯一の条件だったから……。
「君はいじめる相手を間違えたね。僕じゃない他の奴だったら、こんなふうに殺されることもなかったかもしれない」
斎藤は愉快な笑みを浮かべて、床に倒れる幸人の前に屈む。
「恨むなら僕と出会った、君の運の悪さを恨むんだね」
数分前に斎藤に言っていた言葉が、皮肉にも自分に返ってきた。
「ねぇ、すぐ死なないでよ。苦しめられた分、君を同じくらい痛めつけたい」
幸人の顔を掴み目線を合わせる。
斎藤は笑っていた。どこか嘲笑を含んだ顔で。幸人が数分前まで抱いていた男とはまるで違い、別人のように晴れ晴れとしている。
「命乞いでもしてみてよ。ほらぁ」
刃先を幸人の顔につけて脅す。
しかし、そんなことしてもこの命はもう幾ばくも無い。それなのに命乞いなど無意味だった。
そう思いクスッと鼻で笑った。
斎藤はそれに憤りを感じ、幸人の腹に何度もナイフを刺した。
――グジュッ、グサッ、グジュ、グサッ、グジュ――
「死ね!死ね!死ね!死ね!」
気がふれたように、肉の塊と化した幸人を刺す。
辺りを水浸しにするほどの血の海が広がっていく。血の多さゆえに赤ではなく黒い海のようだった。
幸人は体に入ってくる金属を感じるが、もう痛がることは無かった。すでに死のカウントダウンが始まっていたからだ。
耳は遠くなり、体は動かない。辛うじて動く目は閉じかけて何の景色も移さない。
徐々に真っ黒な闇へと飲み込まれていく。
そして幸人は二度と目を覚まさなかった……。
10歳くらいの男の子が広々とした部屋の中で目を覚ます。
起き上がると視界には自分と同じくらいの年の子供が大勢いて、みなが追いかけっこをしたり絵をかいたりして好きなように遊んでいる。
その少年が膝に視線を落とすと、絵本が開いたままになっていた。どうやら絵本を読みながら途中で眠ってしまったようだった。
しかし自分が殺される気味の悪い悲しい夢を見たせいで、頬を触ると湿った感触がして男の子は自分が泣いていたことを知る。
「ゆきとー、ゆきと―」
遠くで誰かが名前を呼ぶ声がして、声の方に顔を向ける。一人の中年の女が幸人に駆け寄り、話しかけてくる。
「幸人、ほらお父さんがお迎えに来たよ」
父親……施設で育った自分には生まれてからそんな存在にあったことはない。
訝し気に部屋の外を見ると、やつれた中年の男がソワソワと落ち着かない様子で待機している。
夢に出てきた男と似ていた。
「行きたくない」
ふいっと背を向ける。
「どうしたの…ずっと楽しみにしてたじゃない。新しい家族のところに行くの」
女は困ったように言う。
今日は引き取り手の親が迎えに来る日だった。幸人は家族が自分に出来ることを夢にまだに見ていた。しかし今は違う。怖いのだ。夢の映像が鮮明に思い出されて、苦しくなる。
「だって…夢と同じなんだ…。僕があの人の家に行ったら酷いことされる夢だった!あの人と一緒に行きたくない!」
幸人は男を指さして怯えながら言う。
「夢はただの夢よ。大丈夫だから。佐田さんすごく優しい人よ」
女は幸人を抱きかかえると、その男の近くまで歩いていく。
幸人は怖くて、女の肩に体を埋める。
「緊張しなくていいのよ」と女は幸人の肩をさすりながら、どんどん男に近づいていく。
寄っていくと、より男の顔が目に入る。似ているのではなく…同じ顔をしていた。
「佐田さんこんにちわ。ちょっと幸人の方がぐずってしまって」
「きっと施設を離れるのが寂しいんですね」
男は柔和な笑顔で言う。しかしその顔には微かな傷跡がたくさんある。まるで夢の中にいた自分のような顔をしている
「ほら幸人、挨拶しなさい」
偶然とは思えないほど同じ人物で、幸人は怖くて男を直視できないでいる。すると男の方から幸人に目線を会わせようと、かがんできた。
「こんにちわ。幸人君」
「……こんにちわ…」
不愛想に挨拶をする。
「僕は佐田隆文っていうんだ。今日から僕たちは家族になるよ。よろしくね」
―――『幸人はこれから俺の家族になるんだ』―――
夢に出たセリフが頭の中を反芻する……。
言えなかった言葉…。
「父さん…」
幸人は小さな声で言う。すると男はそれを聞いて嬉しそうに笑い返した。
「もう僕を捨てないでね」
涙をこらえながら幸人は男に訴えた。まるで夢で見た可哀そうな幸人の気持ちを代弁するかのように……。
男は幸人の物言いに目を丸くしたが、悲しそうに「うん」と頷いた。
そして二人は手を握り合って、施設を後にした。
もう彼が二度と傷つかないことを祈るばかりだった……。
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