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朱い水 第1章①
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確信したのは中学1年の夏。
暑い夕暮れだった。
でも背筋は凍り付いて、二度と戻れないと頬に涙が一粒、また一粒と零れる。
その人の背中を見つめると涙が溢れ出る。
一度も拭わない。拭うことができない。
戻れないことへの後悔か
愛おしい感情の高鳴りか
だって僕たちは血が繋がっているからね。
「智希(ともき)ー」
バタバタと走りながら名前を呼ぶ声が家中に響く。
ここは泉水(いずみ)宅。2階建ての平凡な一軒家だ。
朝8時を過ぎ自転車通勤の高校生がいるこの家では遅刻を心配し父親が悲鳴に似た声を張り上げていた。
しかも今日は始業式。
自分のことのように焦る父親は再びネクタイを締めながら返事のしない名前の主に、先ほどより少し怒り気味で声を出す。
「ともー!早く出ないと本当に遅刻っ」
「あーもううっさい、わかってるって。携帯探してたの」
「携帯なんかいいから」
「もう見つけました〜いってきまーす」
階段を降りる息子の智希と、階段を見上げながら途中まで上がる父親。
途中で目が合い、智希は若干馬鹿にしたように見つめながら携帯をプラプラと見せつけ、玄関へ体を滑らせた。
俺が好きなこの人は、好きになってはいけない人。
禁忌中の禁忌。
「忘れ物ない?今日は俺も仕事昼までにしてもらったから、学校終わったら連絡して」
「おー」
玄関でスニーカーを履き、先ほど見つけた携帯を鞄に押し込む。
玄関扉についている鏡で前髪をチェックすると、振り返り心配する父親にニコリと微笑んだ。
「部活がどうなるかわかんないけど、たぶん12時ぐらいだと思う」
「ん、いってらっしゃい」
俺の、好きな人。
この世に二人だけでいい。そしたら悩まなくていいのに。
他人や世間の目を気にしなくていいのに。
好きになってはいけないとわかっていても、もう止める術を無くしてしまったこの感情。
好奇心や、家族愛なんかじゃない。
止めれるもんなら、止めてほしいよ。
「いってきます。父さん」
父、有志(ゆうし)に笑顔を向けると、ガチャリと扉を開け家を出た。
「おっす」
「はよ」
始業式も終わり、新2年生となった智希は教室へ向かい黒板に貼られている座席表の場所へ向かった。
座った早々大きなアクビをしていると、親しい声が聞こえる。
「俺等にはクラス替えとか関係ないからいまいち新クラスって言われてもパッとしねーよな」
「だな」
智希の前の席に座り低い声で笑う短髪のスポーツマンは、智希と1番仲の良い友達、真藤渉(しんどうわたる)だ。
きりっとした眉とややつり目気味な顔立ちは大人っぽさを感じさせる。
智希はバスケットボール部の特待生だ。
高校はスポーツ推薦と普通科があり、智希はスポーツ推薦でこの高校に入った。
マンモス校ではないので、特待生のクラスは2クラスしかなく、理系と文系に分かれる。
そのため特待生が普通科に変更しない限り3年間ずっと同じメンバーだ。
担任も3年間同じで教室が変わるぐらいなので、智希のクラスはぎこちない空気もないまままるで昨日もこの教室で勉強していた様に和やかだ。
「智んとこ、今日部活ある?」
「ミーティングだけ。真藤は」
「俺がっつりあるんだよー」
大袈裟なため息をつき智希の机にうなだれる真藤。
苦笑いをしながらつむじを向ける真藤の肩をポンポンとたたいた。
「まあ野球部は期待されてるからな」
「そういうおまえだって期待されてんだろ、一年のくせにレギュラーだし」
「別に、期待なんかされてねーよ」
智希は自己肯定力がとても低い。
自分のことを凄いと思ったことは一度もなかった。
特待生としてこの高校に入ったのも、家から近くて学費が免除されるからだ。
他にも何校か誘いがあったが、全て寮生活や往復2時間以上かかるため断った。
いくら特待生制度があるといってもまだまだ無名校。
智希を誘った監督が逆に何故うちなのかと疑問に思う。
それは智希にとって簡単なこと。
あの人の負担を少しでも軽くしたい。
一分一秒でもあの人の近くにいたい。
正直、バスケで生きていくつもりは全くないし大学でも続けるか不明だ。
本当は部活だってしたくない。
朝練や試合前になると土日返上で部活がある。
合宿だってある。
極度の負けず嫌いでやると決めたからには続けたいし、何より試合の日は必ず応援に来てくれる有志に申し訳ない。
全ては父、有志のため。
智希の世界は有志を中心に回っているのだ。
「あ、智。そういやこのあと空いてる?」
「わり、親父と飯行くんだわ」
「また親父かよ」
「なに、泉水ってファザコンなの」
おもしろそうな話題を見つけ声をかけてきたのは、同じクラスの藤屋 俊(ふじやしゅん)。
彼も同じく野球部の特待生で、坊主に切れ長の目が印象的な少し軽い感じの男。
「まじ、重度」
「別に普通だって」
智希と藤屋はそれほど仲良くはないが、真藤がこのクラスのムードメーカーみたいな役割のため真藤と話していると必然的に人が集まってくる。
まだ来ない担任に段々苛立ちを覚えた生徒達は自由に動きだし、好き勝手にやりたいことをやり始めた。
その一人である藤屋も、ポテトチップスを頬張りながら座る二人を見下ろす。
「普通じゃないだろ。この前彼女にフラれた理由父親じゃん」
「あ〜…」
ふと思い出し宙に目を泳がせながら言葉を濁す。
肯定だ。
「なにそれ超気になる!」
お調子者な藤屋はお菓子の袋をガサっと掴みながらしゃがみ込み、今度は二人を交互に見上げた。
教えて教えてと、犬の様に目を開かせ好奇心いっぱいに見つめてくる。
智希はわざと大きな溜息をつくと、机に肘をついて目を閉じた。
「こいつさ、彼女の誕生日より父親の約束取ったんだ」
「約束?」
「……久しぶりに早く仕事終わるから……飯食べようって…」
悪いと感じているのか、顔はうつむき声も小さい。
目はまだ閉じたままだ。
「ドタキャン?」
「うん……」
「さいてー!」
「だろー」
「うっせ。腹減ってたんだよ」
子どもじみた理由を言いながら壁に顔を向けると、まだケラケラ笑う二人に若干の苛立ちを覚えた。
仕方ないだろ。いっちゃあ悪いけど女は性処理のためなんだから。
そりゃあ本命が飯食おうって言ってきたらそっちにいくだろ。
「え〜でもしなびたおっさんより同年代の女の子取るっしょー」
「智んちのお父さん若くてしなびてるって感じしないよな」
「まぁ実際若いしな」
「まじ?いくつ?」
「………今年37」
「えーー俺の親父50だぜー」
藤屋は再び驚くと立ち上がり、背中を向けたままの智希の背中を軽く叩く。
居心地の悪い振動を感じながら智希の口が動いた。
「うち、学生同士のでき婚だからな」
「おっちゃんやる〜」
「あんま人の家庭詮索すんなよ」
「おっと、ごめん」
藤屋は悪い奴ではないのだが若干、頭が悪い。
そろそろ二人に黙れと言おうとした瞬間、タイミングよく担任が入って来た。
すまんすまんと遅れたことを謝ると生徒達からわかりやすくブーイングが飛ぶ。
藤屋はもっと話を聞きたそうだったが、渋々席につきお菓子の袋を鞄に押し込む。
真藤も担任に席につけと言われゆっくり立ち上がり智希の席から離れようとした。
「おい、真藤」
「ん」
「で、今日何があるんだよ」
「あ〜とりあえず怒られそうだからまた後で言うわ」
「ん」
担任の視線を気にしつつ真藤は席に戻ると、少し不服そうな智希は配られてきたプリントに目を通した。
……進路か。
高校2年生になると、こんなことも決めないといけなくなってくる。
だいたいスポーツ特待の智希たちは、推薦で大学へ行くことが多いが智希は迷っていた。
スポーツ推薦で大学を狙うか、就職して父有志の負担を少しでも軽くするか。
早く大人になって、有志と対等になりたい。
しかし就職したからといって心が成長するわけでもなく、自分の気持ちを伝えることは出来ない。
わかっているのに。
それでも今は養ってもらっているということにひどく劣等感を感じ、早くカタチだけでも大人になりたいと思っていた。
心が子供じゃ意味ないけどね。
もちろん、わかっている。
担任の簡単な進路プリントの説明、明日から始まる時間割や校内プリントが配り終わると、早々に解散となった。
ふと、サイレントにしていた携帯にメールが届いていることに気づく。
父、有志からだ。
「……えっ」
「どうした?」
「わっびっくりした!」
真藤だ。
解散となりプリント類を一気に鞄に押し込み部活道具を持ち上げすぐに智希の所にやってきた。
真剣に携帯を覗き込み小さく驚いた智希を不思議な目で見る。
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