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第二話
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結斗は瀬川に服の袖を掴まれて半ば引きずられるようにして大学のキャンパス内にある『桜花殿』にやってきた。見慣れた白いフランス様式の木造建築物は、大学の設立時に建てられた記念館で、生徒が自由に出入りすることが出来る生徒たちの憩いの場。
昼休憩もおわり午後の講義も始まっている時間だというのに、建物のなかに入ると、多くの生徒たちが集まっていた。入ってすぐのホールの中央には、誰でも自由に弾くことが出来るグランドピアノが置いてる。
普段は、児童学科の生徒たちが、楽しそうに授業の課題曲を歓談しながら弾いているのを目にすることが多いが、この日は、ピアノから少し離れたところで生徒たちが輪になり演奏者を見守るという一種異様な空気に満たされていた。
その輪の中央には、結斗がさっき食堂で想像した通りの姿で純が座っている。
黒のチェスターコートは、まるでフォーマルの燕尾服に見えなくもない。
――やっぱ、かっこいいよ、お前。
結斗は、親友が本当は昔から「舞台人」であったことを思い出した。結斗が、何を言っても言わなくても。純は、いつだってピアノの前に座っていた。目の前に座る人を幸せに、楽しい気持ちにさせる天才。
それが、嬉しいのに悲しい。
好きなものが嫌いになる瞬間には、いつもそばに純がいた。
「お、演奏間に合った」
隣の瀬川はスマホをピアノの方へ向けた。周りを見ると同じように純を撮影している人たちがいた。純は「そういうの」が嫌いなのだとずっと思っていた。
一音目で、周りが引き込まれるのが分かった。コンサートホールでもないのに、ピアノの屋根は全開で、音がよく響く。きっと、風に乗って通りの向こうの校舎まで音が届いているだろう。
「……ショパンの英雄ポロネーズ」
「なに、お前、クラシックわかるの? じゃあ、お前もピアノ弾けたりする?」
「弾けないけど」
いつも、純が弾いているからだ。
純は、ピアノ教室をやめてから、誰かのために弾くピアノが嫌いになったんだと思っていた。
「『純』さ、先週の動画ではアニソン弾いてたんだけど、今日はクラシックかー」
結斗はずっと独り占めにしていた、キラキラ光る音が、たくさんの人に届いていることが嬉しいのに、もやもやする気持ちが抑えられなかった。
音が身体中に響いて、出口がなくて、ずっとぐるぐる回っている、行き場をなくした音がいつのまにか熱に変わっていた。
誤作動。
(……マジでか)
自然と前のめりになってしまう。コートを着ていたよかった。
「せ、瀬川、ごめん、ちょっと用事思い出した」
結斗はその場から逃げるように離れて、講義中で静かな校舎のトイレの個室に入った。
ピアノから離れたのに、まだ耳に純の熱い音が溶けずに残っていた。
身体の疼きが治らない。
(アイツがあんな音鳴らすからだ……)
突然湧き上がった欲の正体から目をそらして、結斗は一人昂ぶった熱を手のひらに吐き出していた。ふと我に返って溢れた白濁を罪悪感と後悔のなか見下ろしている。悔しくて悔しくて、寂しくて堪らなかった。
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