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第十七話
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食器を片付けたあとは、休日らしく音楽を聴きながら、ベッドの上でごろごろとしていた。そのうち何かしら答えが出るだろうと思ったが、どんなに考えても「自分の歌」をどうしたいかなんてなかった。
バンドの生音で歌うのは楽しかった。出来るなら、もう一回、今度は楽しい歌が歌いたいと思った。けれどそれは、今日明日どうしたいの話で、瀬川が訊いてることの答えじゃない気がした。
上手く歌えたら嬉しい。もっと上手になったらもっと嬉しい。誰かに喜んで貰えたら嬉しい。子供の時から変わらず、それだけだった。
結局、瀬川には「来週会ったとき」と返事をして結論を先延ばしにした。
昼になって、多少の気まずさから母親のお土産を口実にして純の家に行くと、純の機嫌が悪かった。
機嫌が悪いといっても出会い頭に怒鳴られた訳でも、無視をされた訳でもない。
地下の部屋に行くと、純のピアノの演奏が荒れていた。
――リストの鬼火? だよな……?
昔、純が弾いた時と雰囲気が違った。
『鬼火』という曲名は重々しいが、音の粒が転がるようなどこか楽しい曲だった。それが、なぜか今にも人を殺しそうな曲になっている。意図的に遊んでいるようには見えず、結斗はそんな純を見るのが初めてで、戸惑っていた。
(俺、いつもどうされてたっけ?)
結斗の機嫌が悪いのは、日常茶飯事でよくあることだった。純はそんな結斗を見るといつも「どうしたの?」と笑いながら訊いてくる。そうやって純に構われて、関係あることもないことも話しているうちに、最後にはどうでも良くなる。
自分のチョロさを改めて自覚して恥ずかしくなる。とにかく、純に何があったのか聞いてみようと思った。これから先も許される限り、純と対等な関係でいたいと願うのなら、自分ばかりではなく、純の悩みも同じように解決したいと思った。
純は、結斗が部屋に入ってきて隣に立っていることに気づいても、演奏を途中でやめずに最後まで弾いた。結斗は曲が終わったタイミングで恐る恐る声をかけた。
「純、どうしたの?」
「ん、なにが?」
笑っているのに、目が笑っていなかった。
「え、なにって……なんか、嫌なことでもあったのかなって思って。考えてみたら、俺、いつも純に聞いてもらってばっかりだし、俺も……」
自分も純の話を聞きたいと思った。
「ふぅん、結斗がね……聞いてくれるの?」
「なんだよ、俺だって」
俺だって、といいながら「純に依存してばっかりのお前に何が出来るんだよ」ともう一人の自分が指差して笑っている。
昨日歌ったときと同じ「俺だって出来る」と思った。
――で、なにが?
歌える、それがなんだと思った。ただの趣味だ。
「俺、結斗の方が、俺に話あると思ってたんだけどな、昨日のこと」
純は、結斗に向き直り、座ったまま結斗の手をそっと握った。その手の温度に心臓が深く波打った。
「は、話って、純が機嫌悪いのってそれ? 昨日は来れなくて悪かったけど、クリスマスなら、今年も純と一緒に」
一緒にいたいと思っている。ずっと、この先も一緒にいてほしい。そう思っているのに。罪悪感がずっと心の中にある。
「違うよ」
多分、逃げられないように、手を握られていた。純は、最初から知っていたのかもしれない。ずっと結斗が逃げていること。答えを出せないこと。
「あの動画のMOMOって、結斗でしょ」
「え、何で……知って、瀬川にきいたの?」
「ランキング上がってたし、お前の声なんて聴けばわかるよ。それでさ、俺も、結斗と同じこと訊いてもいい?」
「同じ、こと……」
純に唐突に手を引かれ向かい合わせで膝の上に座らされた。小さな子供みたいに近い距離でそばにいるのに、純の視線は、もう小さな子供の目をしていなかった。ずっと見ていたのに、自分と同じように大人になったのを知らなかった。
(違う、知ってる。ちゃんと、全部見てた)
幸せな、今のままがいいからと、ずっと目をそらせて向き合わなかった。
気のせいだと、自分が一瞬みた絵は夢だと思い出す度に何度も自分に言い聞かせた。高校生のとき、ピアノの前に座っていた純の唇の動き。自分にとって都合のいい妄想。
――ゆ、い。
純が何を思ってシていたのか。知らないままでいたかった。そうすれば……。ずっと。
「プロになるの?」
「……プロって」
「歌手になるのかと思って、結斗、動画のこと何も話してくれなかったし」
ぷつん、と頭の中で何かが切れた。もし純が怒っているんだとして、それ以上に自分も怒っていた。
「歌手なんて……なれるわけ、ないだろ」
「ほら、やっぱり俺と同じこと言うし、お前分かってくれないから、もう一回言うけど、俺だってピアニストになるつもりはないよ」
「――じゃあ、お前、何になるんだよ」
「ピアノの調律師になりたい」
そっか……お前、ピアノ好きだもんな。うん、知ってるよ。
――いつ決めたんだよ。
言うべき言葉が口から出てこなかった。昨日は約束破ってごめんって言って、いつも通り笑えれば、このまま幼馴染として、親友の顔をしていられた。
もう、無理だった。
はっきりと、自分の夢を言葉にする純を見て悔しかった。何もない自分が悔しかった。
――なぁ、その夢決めたとき、少しは悩んだ? 俺の顔は浮かんだ?
知っていた。
純が自分に相談なんかするわけがない。
頼るばかりで何も返せていない、純の邪魔しかしてこなかった。自分が、ピアノをやめて欲しいって言わなければ、純は演奏家になれた。ずっと、怖くて聞けなかったことの回答を訊く前に突きつけられた。
「……同じじゃない、よ」
純に握られていない右手が、衝動的に純の服の胸元を掴んでいた。
「どうして? 同じだよ、これからだって」
「なぁ俺、お前のなんなの……幼馴染で、親友じゃないのか、お前だって、動画のこと教えてくれなかったじゃんか……バイトのことだって」
「訊かれれば言ったよ」
「嘘つき」
言うつもりのなかった言葉が、代わりに口から溢れた。寂しいだけなのに。寂しいと言えない。代わりにムカつきすぎて、頭がくらくらする。
もっと話をしたかった。けれど思い通りに口が動かない。
親友でも、言いたくないことだってある。自分だって、純へのあてつけのように歌った動画のことなんて、知られたくなかった。恥ずかしかったから。話せば分かること。それだけの話だ。けれど、言う必要のない言葉ばかり言っていた。
「……嘘つきって、あのさ、俺も怒ってるんだけど。なんで、昨日、俺じゃなくて瀬川くんのところに行ったの? あの動画撮ったの昨日だよね? 俺、先に約束したのに」
「それは……お前が」
「俺って、お前の都合のいい時だけの親友? 結斗こそ、俺のなに? 抱き枕? 安定剤? まぁ、それでもいいよ、結斗はずっとこのままが良いらしいし」
ムカムカする。そうやって人をバカにして全部分かったような顔をする。実際、純は結斗のことを全部分かっている。
今日まで、分かっていないふりをしてくれただけだ
結斗がそう願ったから。
「ッ、人のせいにするなよ、純、お前は、どうなんだよ」
「いつも思うけどさ、ほんと、王様かよ。訊きたいなら自分から言いなよね」
次の瞬間、頭の後ろを押さえられて、強引に唇を重ねられた。中学のときに純が頬にした温かいキスは確かに親友のキスだった。
親友じゃなくなった、二度目の優しさの欠片もないキスは、気持ち良くてたまらなかった。こんなに、腹がたつのに、怖いのに、悲しいのに、大好きで嫌になる。
「好きだよ。結斗のこと」
花も実もある。そんな完璧な純が嫌いだ。
これ以上優しくしないで欲しかった。もっと優しくされて、甘やかされて、抱きしめて欲しくなるから。
もっとキスがしたかった。こんなにしたくないのに。
ずっと、純の気持ちを聞きたくなかった。怖かった。これ以上、純の未来をめちゃくちゃにする自分が許せなくなる。
「こんなの、嫌だ……」
嫌なところがないところが嫌だった。
「もう、いい加減諦めろよ。結斗のこと大好きだけど、そうやって、すぐ逃げるところは大嫌いだ。ねぇ親友とキスしたら、お前は勃起すんの?」
「ッ、分かってるよ! 俺が、変なことくらい! 俺の変にこれ以上、純を付き合わせたくねーんだよ!」
「誰も変とか言ってないだろ、この分からず屋!」
「っ、ぅ……」
純の大きな声を初めてきいた。純の言葉に一瞬で、涙腺が決壊していた。人ってこんなに涙が出るんだって初めて知った。純の家の帰りみち自転車でこけて骨が折れた時だってこんなに泣かなかった。
初めて、大嫌いって言われた。初めて怒られた。初めて喧嘩した。
純と同じくらいにすごい才能があれば、音楽をすれば、同じように動画を上げれば、何か変わるかもしれない。自分の純への歪んだ気持ちも何か変わるかもしれない。昔に戻れるかもしれない。同じに、純の半分に戻れるかもしれない。
何も変わらない。
「俺だって、お前が、好きなんだよ、分かれよ!」
こんなの、駄目に決まってるだろ!
持ってきた土産の袋を投げつけて、純の家から逃げてきた。何を投げてもいつも当たらないのに、この日は見事に純の上半身に当たった。
自分でも捨て台詞は、どうかと思った。
その日、ごめんなさいって、メッセージを送ったけど純から返事は返ってこなかった。当たり前だ、何に対してごめんなさいか書いていないから。
純の既読スルーも初めてで、その夜は一睡も出来なかった。
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