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第三十一話【叫喚地獄】
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ある日、裁きの間では陀津羅が苦い顔で予定表を睨み、頭を抱えていた。そこへ昼休憩を終えた夕立、丑生、月出が戻ってくる。
「どうしたんですか、陀津羅様。随分とお悩みのご様子ですけど」
「陀津羅さまが怖い顔するなんて珍しいですねー。そんなに嫌なお仕事なんですか?」
「ええ……まあ……。仕事なので致し方ないのですが……見るのも嫌と言うか、出来るだけ関わりたくない人が居ましてね……」
夕立は陀津羅が睨んでいた書類を覗き込むと、ああ、と納得した声を上げた。
「叫喚《きょうかん》地獄の視察か。なるほど、そりゃそんな顔になるわな」
「叫喚って、お酒関係の地獄ですよね。陀津羅様、酔ってやらかした亡者がそんなにお嫌いなんですか?」
「いえ、亡者ではなくてですね……」
「あそこの副獄長は、なんつーか、ちょっと癖が強くてな。陀津羅が唯一、顔も見たくないほど合わないやつなんだよ」
夕立の説明に、丑生たちは驚きに顔を見合わせた。
陀津羅と言えばどんな業務もそつ無くこなし、人当たりも良いオールラウンダーというイメージが定着している。そんな陀津羅でさえ手を焼く鬼とは、いったいどれほどの悪鬼なのかと月出が考えていると、夕立が書類をひらひらさせながら言った。
「俺が代わってやるよ。視察なんて、別にお前じゃなきゃ駄目って訳でもねぇし」
「うーん……でもなぁ……それはそれで、逃げてるみたいで癪に障るんですよねぇ……」
「お前も結構、自尊心強いよな。良いじゃねぇか。いつも俺が行ってんだから、いつも通りって事で。暇なら丑生と月出も行くか?」
「わーい! 行きまーす!」
「お供します。その副長さんも気になりますし、叫喚地獄は行った事がないので、見学したいです」
「2人もこう言ってるし、任せろよ」
「そうですか……。じゃあ、お言葉に甘えてお願いします」
獄卒とひとくちに言っても、職場によってその性質は大きく異なる。
閻魔庁で業務をこなす者は、デスクワークや掃除などの軽作業が主で、頭脳派の鬼が就く。一方、地獄で亡者の呵責《かしゃく》を担当する者は重労働が主になるため、肉体派の鬼が就くのだ。
勤務地も役割も異なるため、一般の獄卒が職務上の交流をする事はほとんど無い。夕立や陀津羅の視察などに同行しない限り、丑生らが地獄へ赴く事は少ないのだ。
「着いたぞ「ヒ──ハ──!!!! 亡者ぶっころ──す!!!!」ここが「ぎゃああああ────!!!!!!!!」叫喚「逃げんなコラァ──!!!!!!!!」地獄だ」
「おお……「助けてくれぇえええ!!!!!!!!」なんと言うか「死んで死んで死に晒せェ──!!!!!!!!」凄まじいな……」
「耳が「ひぎゃぁ゙あ゙あ゙ア゙ァ゙あ゙!!!!!!!!」痛い「ぎィ゙い゙イ゙イ゙ア゙ァ゙ぁ゙ア゙──!!!!!!!!」ですー!」
会話もままならないほど、獄卒の怒号と亡者の悲鳴が飛び交っている。文字通りの叫喚に、月出らはドン引きしながら血しぶきを避けていた。夕立は会話を諦め、手振りで行く先を示して先に進む。
周囲の喧騒が薄れた辺りで、岩肌が剥き出しになった小山が現れた。山頂近くに入口らしき穴があいており、そこから細い道が下まで続いている。
夕立は登り口の前で足を止め、煙管を取り出して一服する。
「ふう……相変わらずうるせぇな、ここは」
「……なんか、ただ歩いてるだけでめちゃくちゃ疲れました……。叫喚地獄でこれなら、|大叫喚《だいきょうかん》はもっと凄いんですか……?」
「まぁな。けど、こことはまたちょっと違う。叫喚は亡者より獄卒がやかましいんだよな。奇声あげなきゃ呵責できねーのかね、あいつら」
「確かに、ヒャッハーしてましたね! ちょっと楽しそう!」
「おやぁ、新入りを連れてきてくれたのかい? 夕立くん」
「うわぁっ!!??」
細い三日月のように口角を吊り上げ、にんまり笑う鬼が丑生の背後から気配もなく現れた。
「ちげーよ。そいつらは俺の連れだ。ちょっかいかけんな」
「なぁんだ。久しぶりに赤毛が来たから、ちょっと味見しようと思ったのに。残念だなぁ」
「え、味見……?」
冴えた瑠璃色の髪に涼しげな目、黒光りする2本角、白煙のような白い肌、すらりと長い手足に均整の取れた筋肉、と肉体美の集大成のような美しい鬼は、しゃなりと夕立に撓垂《しなだ》れ掛かって煙管をくゆらせる。
「こいつが叫喚の副獄長、茨木童子《いばらきどうじ》だ」
「この方が、あの有名な茨木童子様……。副長さんだったんですね……」
「うわぁ、すっごい綺麗な髪と目! 珍しい五蓋の青だー!」
「ハハ、可愛い子たちだねぇ。夕立くんも良い玩具を手に入れた様じゃないか」
「玩具じゃなくて部下な。生憎、俺にゃお前みたいな趣味はねぇんだよ」
蛇のようにまとわりつく茨木童子に、夕立は鬱陶しそうな顔をしながらも拒絶しない。
「じゃあ、今日も君が私の遊び相手になってくれるのかな?」
「後にしろよ。こっちは仕事しに来てんだ」
茨木童子は夕立の耳へぴったりと唇を付けて艶《なま》めかしく囁き、時折、赤い舌を這わせている。そんな事をされても拒まない夕立の言動に、月出はなんとも言えない違和感を覚えた。
「で、獄長は中に居んのか?」
「ああ、居るよ。どうぞお上がり」
茨木童子がふうっと紫煙を吐くと、夕立らの体が煙に巻かれて押し上げられ、あっという間に入口に着いた。
洞穴の中は無数の蝋燭に照らされて明るく、洒落た天蓋と敷布の中心に1人の鬼が机に向かって座している。
「邪魔するぞ」
「おお、夕立殿。来られていたか。気付かずに申し訳ない」
「いや、忙しい所へ悪ぃな。視察に来た」
文机《ふづくえ》から顔を上げたのは、褐色の肌に真朱《しんしゅ》の短髪と凛々しい目、黒い2本角の先は赤く染まっており、左頬に刀傷がある逞《たくま》しい体格の鬼だった。
「こいつがここの獄長、酒呑童子《しゅてんどうじ》だ」
「は、初めまして。月出と申します」
「こんにちは! 丑生です!」
「うむ。礼儀正しく、気骨のありそうな若者らだな。やはり、夕立殿は見る目が肥えておられる」
酒呑童子は闊達《かったつ》に答え、夕立に視線を据えた。
「それで、何か変わった事や陳情《ちんじょう》したい事はあるか」
「ない、と言いたいが、深刻な人手不足に悩まされているのは事実だな。近頃、ここに堕ちる亡者が増え過ぎて、獄卒の手が回っていない。この問題は次の泥梨《ないり》総会に持っていく予定だが、前もってお伝えしておく」
「ああ、そりゃどこも同じだから争点になるだろうな。総会前にいくつか打開策を案出するから、もう少しこらえてくれ。いつも苦労ばかりかけるな」
「なんの。夕立殿はわざわざ現場に足を運び、下々の声を聞いて下さっている。そんな官僚は少ない。万事が上手く行かずとも、その心遣いは感謝に尽きる」
「相変わらず気風《きっぷ》がいいな。さすがは悪鬼の頭領だ。俺も頼りにさせてもらうぜ」
夕立と酒呑童子の醸し出す雰囲気に、月出らは圧倒されていた。閻魔庁の右大臣と高名な獄長が相対《あいたい》すと、これほど貫禄があるものか、と格の違いに感動すら覚える。
「じゃあな、また来る」
「夕立殿」
と、踵を返しかけた夕立を、酒呑童子が思案げに呼び止めた。
「その……茨木には、会って行かれるのか」
「ああ、さっき下で出くわしちまったからな。なんとか巻けりゃいいんだが、期待できねぇわ」
「そうか……。いつも夕立殿には申し訳ないと思っているのだが、あれは俺にも止められんのだ。陀津羅殿も、さぞ気分を害しておられるのだろうな」
「なんて事ねぇよ。俺らの事は気にしなくて良い。あんたはあんまりストレス溜めんなよ。今度、また飲みに行こうぜ」
「ああ、是非とも。心遣い、痛み入る」
「おう」
ひらひらと片手を振り、今度こそ夕立らは岩山を出た。
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