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「機嫌がよいな、蛍」
座敷で三味線を爪弾く菊蛍に、男がそう言った。
「わかるか」
「わかるさ。長い付き合いだ」
「船で猫を飼ってな」
「ほう」
「警戒心が強く、なかなか懐かない。懐くものかという顔をするが、撫でると喉を鳴らして喜ぶ。とても可愛い」
「お前が猫好きとはなあ」
盃を傾けていた男の節くれだったふとい指が、菊蛍の顎に触れた。
「お前さまも喉を鳴らして喜んでくれよ」
菊蛍は笑み深め、頬に登った手に己の手を重ねた。
ねこ、ねこ。
かわいい、ねこ。
***
あの黒子おっさんがしょっちゅう開く緊急プロジェクト、いちいち付き合うのも腹が立ってきたんで原因調べた。
ショッピングモールの土台からして間違ってんだ。ここ直さないと永遠にバグ製造機だろうが!
新人がやっていいのか悩んだけど、とりあえず新規プロジェクト作成して人員募集。タイトルと理由と設計書いて、必要パーツを区分けして……
こりゃ大工事になるな。現行のバグ取りも続行だ。
俺なんかがプロジェクトリーダーだったから人が集まるか不安だった。対して知識も技術もないし。何より人望がない。
長期作業は完了も遅いからその間、やった作業の金入らねえし。このシステムもよくないと思う、だから今まで誰も着手しなかったんだ。
だからこれが終わったら、その経理体系の改善プロジェクトも作成する。誰かがやってもいい。TODOをオープンにして掲載しておいた。
分からんことだらけで調べながらだったが、とにかく取り組んだ。そのうち、ちょぼちょぼ参加者が増えた。
不思議なんだが、ノルマがないほうが夢中になって作業しちまうんだよな。いつまでにって納期すらないのに、夜も昼もなく合成食のパウチ齧って挑み続けた。
三ヶ月その状態が続いて完成した時は、達成感で「うおっしゃあ!!」って部屋で叫んで拳振り上げたさ。
達成報告の信号送る快感は他の比じゃなかった。
まだ昼だったんで、勢いで次の、例の経理体制のプロジェクトを具体的なパーツ分けして作成し、人員募集だけして、飯を食いに外へ出た。いくらなんでも、たまにはまともな味のする食事がしたい。
出た先でぶっ倒れた。
夜はちゃんと寝てたし、実働18時間くらいだったかな、洗浄ポッド入る時間含めて。
ただ、宇宙船の中、日光のない慣性装置の中での作業は生物にかなりのストレスを与えるものらしく、船医のミチルさんに怒られた。
「まったく、若くてやる気あるのも問題だ。せめてサンルームで日光浴はして。それに長期に渡って休日とらないのも禁止事項。こういうの僕の責任になるからね。やめてよね」
……さーせんした。
作業に没頭しすぎて、ラリってたんだと思う。すんごい楽しかった。ゲームやるよりずっと楽しかった。
へろへろと医務室を出て、窓の外見て初めて気がついた。ステーションじゃん。宇宙じゃない。どっかに停泊してるんだ。
仮想次元で会社状況を調べると、志摩。
志摩にいるんだ!
ちょっとでも風景を楽しめないか、ボーディングブリッジのほうへ走ってった。入り口にはなんでか菊蛍と鷹鶴がいる。発言せずにいるところを見る限り、クローズドの通信トーキーで会話してるんだろう。
二人の邪魔をしないよう外に身を乗り出し、ステーションの奥を見る……ああ。
すごい。ステーションの奥、透過装甲製になってて、黄金の稲穂がずっと続いている。
植物なんて観葉くらいしか見たことない。星の子バイオームは地下に潜るし、あれ粘菌だし。住宅街や公園に僅かにある並木がせいぜいの星で生まれ育った俺には、衝撃的な風景だった。
「行きたいか?」
蛍が優しい声をかけてきた。
行きたい。そりゃ行きたい。でも、下りると金がかかる。今の俺の貯金じゃとても足りない。みんなの住居である宇宙船にかかる費用は、給料から天引きされるんだ。だから稼いでも、あんまり手元に残らない。まだ大した仕事も出来ねえしな。
「鷹鶴。せっかくである。次にいつ志摩へ来るとも分からん。社員旅行ということで、数日ほどバカンスへ行こう。差し迫った仕事はあるか?」
「いや。提供サービスは船外からも監視できるしな」
「ならばそうしよう。志摩は観光地ゆえ、少し都心から離れても、いくらでも宿泊施設はある。それに今回はオオタチに会ったのみ、志摩王子にご挨拶する暇もなかったでな」
「志摩王子と知り合いなのか」
思わず口を挟んでしまった。志摩王子って言ったらあれだぞ、今一番勢いのある王族だ。たった17歳で傾きかけた志摩を立て直し、シヴァロマ皇子を婿にとって、ヤマト王を狙ってるって話だ。最近は結婚のことも相まって、ばんばんニュースが出回ってる。
それだけじゃなくて、凄いウィッカーでヤマト文化財に指定されてんだ、妹姫ともども。
見た目からしてそれっぽいけど、菊蛍ってやっぱ王族に所縁があるのか?
天上の人を想像して硬直する俺に、鷹鶴が笑う。
「気さくな御方でな、ロマにも仕事を回してくださる。うちの会社にソーシャルファンドワーキングってシステムがあるだろ? その地域の人たちがやってほしい仕事に投資して、それを誰かが引き受けるってビジネスモデルだ。クラウドソーシングの派遣版だな。あれを最初に導入してくださったのが、志摩王子なんだよ」
ああ、画期的だとは思ったけど、導入するほうの準備が大変だって話になってたやつ。
あれも改善点あるよな。バカンス終わったら着手しよ。先に経理システムだが。
「でも、俺、服……これしかない」
簡素なシャツとスラックス。着の身着のままこれ一着だ。寝てる間にランドリーボットに託して、備品のバスローブで寝てた。
仕事に必要なデバイス幾つか購入したから、金もないし。そうだ、せっかく下りても金ないんだ。切ないほどデジットマネーない。換金できるものもない。
テクスチャでごまかしてもいいが、こういうところだと恥かく。貧乏人の見栄はすぐ見抜かれるもんだ。
ステーション歩いてる観光客は、富裕層ばっかりだから身なりがいい。あそこに混じってお上りさんする勇気は俺にはなかった。
俯いて諦めようか悩んでると、鷹鶴社長にぐりぐり撫でられた。
「そんなの、蛍に買ってもらえ!」
「え」
「そうさな」
蛍は自分の羽織を脱いで俺に被せた。紫に夏草の柄だ。そういえばいつもより派手……というか女ものみたいだな。
それ以前に、蛍とは体格が違いすぎて、羽織に着られてる状態だ。ぶっかぶか。裾なんか引きずりそうだよ。
「荷物がないなら丁度よい。このまま行こう」
肩を抱かれてボーディングブリッジのエアフロートに乗る。
ステーションだけでも俺の故郷より立派で、出口から目抜き通りの奥に聳える五重の志摩の朱城が見えた。
商店がさ、木造なんだよ。木造って金かかるんだ、今は安くて建築のラクな資材があるから。木は老朽化も早いしな。格子窓なんかが二階にあったり、瓦屋根の下に重厚な彫り看板があったり……何でもつるぺか殺風景の建築物に慣れた目には、完全に異世界だった。
で、連れてかれたのが、着物問屋。
金糸雀友禅。
ヤマト最大の和装ブランドです。王皇族御用達。
もしかすると今かぶってる羽織も金糸雀友禅か。マジか。道理で立派なお仕立てだと思ったよ。今日びの勘違い女子が着る安っぽくてケバくて下品な着物とはモノが違うもん。
ぽかんとする間に黒インナーが引き立つ、品のいい小袖袴着せられた。前は少し着崩して、インナーが見えるようにされる。
「なんで黒インナー?」
「ファイバースーツが支給される。お前のはまだ届いていなかった。小袖をもう何着か見繕ってもらおうか。それと裏地が市松柄のマントも頂く」
それいくらするんだ?
怖くて聞けなかった。請求に対して仮想次元通貨デジットマネーで済ませたからな。
機嫌よく俺を着せ替え人形にして買い物を終えた蛍は、店を出てから軒先でトーキーのパネルを呼び出した。
「鷹鶴。宿泊先は決まったか」
『志摩王子が離れ貸してくださるってさ』
正気かよ志摩王子。
金糸雀友禅の店に入るだけでブルっちまう庶民の俺に、王族様のおうちにお邪魔する肝っ玉はなかった。
「か、かえる……」
「ん? 観光したかったのだろ」
「セレブこわい………」
「ふうん」
ぽんと蛍が俺の頭に手を置く。そして例の脅迫笑顔を見せた。
「慣れろ?」
入社してから社員とも碌に話さず引きこもって仕事してたコミュ障に何を慣れろと。
「離れを借りるということは、宴席になる。この際だからいい加減に社員と顔を合わせろ。大きなプロジェクトを成功させたのだろう? そうした時はプロジェクトリーダーが祝の席を設けるものである」
うえっ、そんな面倒なことしなきゃいけないの? だったらもうプロジェクト立ち上げんのやめようかな。
まごついて渋る俺に、蛍がふっと苦笑する。
「おかしな子である。あれほどの闘志があるのに、人は怖いか」
「怖い訳じゃない。人付き合いが本当に苦手で」
「軍人には向いているかもな。意外にお前のようなのが劇的な戦果を挙げるものである」
それはあんたも軍人だったからそう言うのか?
聞きたかったが口を噤む。俺はいつも大事なことを聞けない。
母さんのことだってそうだ。何処かおかしいと思ってた。父親は死んだと聞かされたが、ずっと再婚しないシングルマザーも珍しい。
誰とでも寝るってほんとなのか。
何で俺を連れてきたのか。
どうして俺を抱くのか。
どういう出自だとあんたのようになるのか。
聞きたいことは山程あったが、それを聞くほど俺と蛍は深い仲じゃない。
鮫顔の言う通り、俺は蛍に惹かれた大勢の中の一人に過ぎないだろうから。
志摩王子に借りた離れは離れってか、もはや御殿?
広い、でかい、部屋いっぱい、天然露天風呂つき、全部木造で畳張り。柱や欄間に見事な鳳凰や龍の細工が施されている。下手な宝石美術館より値が張るんじゃないか。
「ここ、シヴァロマ皇子が志摩王子と休暇を過ごされた場所だよな。てことは温泉えっちとかしたのかね?」
「いやあ、どうだろう。シヴァロマ皇子は潔癖症だしな」
こんな凄いとこに招待されといて、そんな下世話な話しか出来ねえのか、うちの社員は。
広間にずんどこ料理と酒が運ばれてくる。
「芸者さんはいかがしましょうか」
「うちは自前のがいるからいいよ」
「そうでしたわね」
女中さんと鷹鶴社長がそんな話をしてた。自前って、蛍と和楽団のことか。この会社、出張接待もやるって言ってたもんな。
そろそろ宴会が始まんのかなって隅っこで膝抱えて観察してたら、縁側から和装の三名が現れる。俺でも知ってる顔で硬直した。
志摩当主カサヌイ。タカラ・シマ王子。ナナセハナ姫。
三人ともヤマトが誇る能力者ウィッカーだ。カサヌイ様は王族じゃなくて、入婿らしい。仕事しない飲ん兵衛でも有名で、ほとんど志摩王子が当主みたいなもんだってさ。俺より年下なのにすげえな。
カサヌイ様は大柄で貫禄のある気の良さそうなおっさん。
志摩王子は、志摩特有の可愛い狐顔で、目尻にさした志摩伝統の朱が色っぽい。顔ちっせぇな、おい。
ナナセハナ姫はもう可愛い。凄く可愛い。もちろん顔立ちは整ってるけど、超美少女って訳じゃないのに、雰囲気が可愛いというか、内面から滲み出る可愛さ。愛くるしさの暴力。
カサヌイ様が手を上げた。
「よう、蛍ちゃん! おじさん、蛍ちゃんに会いに来ちゃったよ!」
「やめてくれ、親父どの……」
「恥ずかしいですわ」
親子関係を象徴するやりとりだった。
蛍と鷹鶴がやってきて、すっと正座をする。
「ご好意に甘えさせて頂きまして」
「固いことはいいっての。さ、宴にすんべ」
「……あら」
王族さまがたが行ってしまうまで、気づかれないようやり過ごそうと思ったが、ナナセハナ姫と目があってしまった。
彼女は大きな瞳でじいと俺を見つめ、履物を脱いで屋敷に上がった志摩王子の袖を引く。
「兄さま、あの方」
「ん? ……」
志摩王子までこっちを見た。なんだ。何か挨拶すべきなのか。居住まいを正していいのか? そもそも動いていいのか!!
兄妹がじーっと俺を見る。もう居た堪れない。助けてくれ、社長、蛍。
「クロート! こっちに来てご挨拶!」
「あ、えと……」
鷹鶴社長に言われて、ようやく何とか立ち上がった。が。
「君はウィッカーか?」
挨拶するより前にウィッカーか否か問われて怯む。なんか悪いのか? 志摩宙軍にもっと凄いウィッカー沢山いるだろ。
「微弱な機械感応、で、ゴザイマス、が……な、なにか」
「いや。ふうん」
「ああ、こりゃまずいな」
カサヌイ様も子供たちの視線に気付いたのかこっち向いて、顎を撫でながら俺に眉を顰める。
膝を抱えて首を窄め、皆を上目に見上げた。
「で、出ていったほうが、い……い?」
「違う違う。驚かせたな。もう行っていいぞ」
お許しが出たのでお辞儀だけして逃げた。作法なんてわかんねえよ。
社員総出の賑やかな広間まで行ったはいいが、何処に座ったもんか困った。目立たない場所、目立たない場所。少なくともおっさんと鮫顔の側は嫌だ。
長い食卓の隅の隅。部屋の角のところに腰を落ち着ける。
どうしてか隣に、入社の日に見たっきりのエキゾチック美青年が座ったけどな! 確か名前はバサラさん。言葉通じるのか不安な人。人類共通言語のはずだが、なぜか異国語を話しそうなイメージがある。肌が黒いからとかじゃなく、周囲の言葉をノイズとして聞き流してるみたいなんだよな。
御殿の持ち主であり、招待されたお志摩様たちは上座に並んで、鷹鶴社長がはるか向こうの対角上にある席で立ち上がり、こっちまで通る声で音頭を取った。
「それでは、志摩の栄光を願いまして!」
「イヨーッ!」
誰かの掛け声と同時に、全員が手を叩いた。隣のバサラさんまで。やってないの俺だけ。不敬罪になったりしないよな?
王族のいる宴の席ってんで緊張したが、みんな慣れてんのか無礼講だ。席は移動するし踊るしラッパ呑みするし。一番はっちゃけてんのがカサヌイ当主だし。御子様二人はお行儀いいのにな。
「蛍ちゃん、踊ってー!」
カサヌイ様のリクエストに応え、鷹鶴の隣にいる蛍が扇をとって立ち上がった。これに備えていたのか、和楽団人員がさっと楽器をとって部屋の隅へ移動した。なんという訓練された無駄のない動作だ。
笛と鼓と三味線の音が響く。蛍が袖と扇とを翻す。ああ、本当に絵になる奴だな。改めて溜め息が出る。ここからじゃ顔なんてそう見えもしないのに、ただいるだけで美しい。
蛍の舞踊が終わると、今度は宴会芸大会。嘘だろマジかよこっちまで来んなよ。
「新入りー! なんかしろー!!」
鮫顔。お前覚えてろよマジで。
「あー、噂のプロジェクトの鬼くん」
「リーダー、お世話になりました!」
「やれー!」
野次がとんできて涙目。頼む。目立つのは苦手なんだ本当に。
縮こまっていると、隣からすっと陶器の酒瓶を差し出された。バサラさんだ。彼は真顔でぐっとサムズアップする。うおお、あんたそういうキャラだったんだ。それとも酔ってる?
素面で何か出来ると思わなかったんで、酒瓶受け取ってその場で煽った。あんまり呑まないから耐性がなく、すぐ酔った。めっちゃフワフワする。なんだこれ。
とにかく覚悟はキマった。ガンギマリした。
机跨いで中央を歩き、王族様の並んだ御膳の前にどっかりあぐらで腰を落とした。
「三味線、よこせ」
和楽団の一人に手を出す。三味線とべっ甲撥を受け取って抱えた。
「へえ、三味線弾けたのか」
目をきらきらさせる鷹鶴社長を一瞥。
「初めて持った」
「え」
本物はな。
後はもう、気の赴くままにかき鳴らした。
なんか弦楽器をやろうと思春期の時に思い立って始めたのが三味線。ヤマト人ならギターでもウクレレでもなく三味線だろうと。
ただし本物を買う金はなかったんでテクスチャで仮想三味線の質感出して、音源は仮想次元で組んだシンセ。
正直、王族様のお耳に入れるモンじゃない。自分で音に酔いしれるためのヤマトロックだ。基本的な弾き方と譜面の勉強もしたが、響きとリズムを重視して、好きな音を出すことばっかり追求したから。あと速弾き大好き。
酔ってるから何演奏してるかも分かんねえ。
気が済むまで三味線啼かせて、終わりのコード(自前)で締める。糸が弾け飛んだ。
「お粗末さまでした」
ぺこってかガクっと頭下げて、糸きれたまんまの三味線返して背を向けた。
が、そのまますっ転んで気絶したらしい。記憶はない。
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