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クロネのことは知っていた。最近の客の殆どがクロネのファンだったからだ。アエロはクロネに似ていると父親が触れ回った。
仮想次元には過激な信奉者がいるために敬遠されがちだが、当の本人はのほほんと志摩王子とトークしており、惟一他所のトークルームに登場した時も「えーとうーと」と口べたぶりを披露した。
「クロネは好きだがファンが嫌い」
という声も少なくない。というか多い。
クロネとアエロは片親に育てられた私生児だ。顔も似ているし年齢も近い。
しかし、クロネは王族と交流があり、菊蛍というとても美しい人に大切にされていた。
「どうして自分と彼はこんなに違うのか」
というロマの嘆きもよく見かけた……というより、そういうところにアエロがよく出入りしていた。中にはクロネを侮辱したいだけの奴もいたし、彼を認めながら「悔しい」と言う者もいた。
認めたくない気持ちを抱えながらも、異国の楽器を巧みに奏でるクロネはアエロの目から見ても格好よかった。
ある時、アエロは二人の似た顔の少年と引き合わされ、にこやかな中年の元へ送られた。父親に売り飛ばされたのは明白だった。しかし、あの父親から開放されたことへの安堵のほうが強かった。
「クロネは菊蛍に拾われて、王族と引き合わされたんだよ。三味線小僧も鷹鶴が仕立てた。君たちも彼らと共に行けばああなれる」
甘い言葉に他二人は目を輝かせていたが、この男が私欲のために自分たちを菊蛍に売ろうとしているのが分かるだけに、素直に喜べない。
ただ、実際に会ってみると菊蛍は本当に美しく、視線や表情の動き、ゆったりと動く繊細な手指までが上品で、今まで見た誰とも違った。
他二人は菊蛍の関心を引こうとしたが、アエロにはどうしていいか分からない。
「なにか、悩みがあるか」
気にかけてはくれるのだが、少年たちを抱こうとはしない。思っていたのと違う。それは他二人も同じだろう。
同じ顔の少年が集められたにも関わらず、菊蛍はクロネの人形を愛でる素振りがあった。アエロたちの前で堂々とはしないが、毎日着ているものが違う。少し揺れて体勢が崩れると、そっと髪や姿勢を整え、いとおしげな目を向けるのだ。
「ああいうとこ、ちょっと気持ち悪いよね。ま、なんでもいいよ。今よりマシな暮らしが出来るんならさ! クロネみたいになれば大金持ちっしょ」
などと言っていたハルナはクロネにあしらわれて強制退場。
「ハルナには悪いけど、クロネになれるなんて僕は思ってなかったから……だってそうでしょ、僕はあんなふうに楽器も弾けないもん」
カナカはハルナよりは現実的だった。
そう、クロネが現れたのだ。独立して船から離れたというクロネが。物言わぬ、菊蛍に愛でられるだけだった人形が目を覚まし、三人の少年を集めた。
「ロマだからという理由で性的虐待を行う者を制裁する。蛍の願ったことだ。お前たちは、蛍が救いきれなかった子供だ。だから次の世代である俺には守る義務がある」
呆然とした。
他二人は何も思わなかったのだろうか? まだ幼いからか。クロネを妬んで嘆く輩は何も彼のことを分かってはいかなかった。つまるところ、彼は、ヤマト王を狙うやり手の志摩王子と同じ目線で物事を見られる人間で、だから志摩王子と友人だった。仮想次元にはティーン同士で他愛のないトークをするデータしかアップされていなかったから、分からなかった。
どうしようもない差を感じる。絶望する。
そして、集められた三人の中で、一番クロネになりたかったのは自分だったと気付いた。心の底で「自分だってチャンスがあれば」と信じていた。それが打ち砕かれた。
菊蛍との接触を禁じられはしたが、クロネが去った後、どうしても会いたくて菊蛍の元を訪ねた。
「どうした? 泣きそうな顔をして……」
クロネに何も言われてはいないのか、彼はアエロを部屋に招き入れてくれた。
きれいな、やさしい菊蛍。こんな人に愛されてみたかった。そうすれば自分だって。そう思う。その資格自体ないのだと頭では分かっていた。
「クロネは親切にしてくれなかったか?」
「……親切だった。二年から五年は勉強をしろ、そういうプログラムを組んでおくって」
「良い子であろ?」
菊蛍は誇らしげに微笑んだ。まるで自分が褒められたように、嬉しそうに。いや、この人は自分が褒められたところで、きっとこんな顔はしない。クロネだからだ……
「どうしてクロネはあんなに特別なんだ?」
「特別、というほど特別では……俺やお前より少し恵まれた環境で育ったのは確かである。三味線の腕やウィッカーとしては特別と言えば特別か。
しかし、初めはお前より口べたで、偉い人には気後れし、部屋にとじこもって仕事をして社員と顔を合わせず、自信がなく、もじもじしている子だったよ。様々な経験をして、最近ようやっと大人びた。お前はそんなクロネしか見ていないだけである」
「俺もああなれるのか」
「なれるとも」
「じゃあ」
菊蛍の肩を掴み、自分の目を見させる。何の警戒もしていない目だった。クロネと同じ顔の、クロネと似た子供としか思っていないからだ。
「今日から俺がクロネになる」
「………?」
合わせた瞳と瞳の間で何らかの反応が起こる。
クロネとは土台が違う。だが、ウィッカーとして特別なのはアエロも同じだ。
人の記憶はとても曖昧で、簡単に消えたり書き換わったりする。都合よく解釈し、補完される。
ここまで大掛かりな催眠を行うのは初めてだ。上手く行くかもわからない。
それでもアエロにとって、これだけがクロネに対抗できる惟一の手段だった。
***
既存のクラウドソーシングは、プロジェクトがあっても単価が安すぎてまともな人材が集まらない。集めるほうも期待なんざしちゃいない。プロはちゃんとした金をとって成果を出す。
また、仮想次元で可能な業務しか委託されないのも現状だった。
搾取されにくい形態とユーザーの痒いところに手の届くシステムを。
うん、すごいベンチャーらしい。鷹鶴社長のアイデアだけど。
『いいよいいよ。だって別に稼ごうと思って考えたわけじゃない。むしろ君が最高の形で昇華してくれてよかった。それに俺たちはウィッカプールをどうこうしようと考えてなかったから』
『なかったのか』
『ロマと言えばロマだろうけど、あそこはもうウィッカプールという国だからね』
彷徨ってもねえしな。根があるなら、ロマの語源からも遠い。
『とりあえず一段落ついたんで中型船購入とクルー集めに動く。私掠船活動に関わった後、皇宙軍で訓練を受けるつもり』
『アクティブだなあ。でも、そういうことなら電脳ワーカーの船を売らずに残せば良かった』
『あの時は独立のことなんか考えてなかったから……なんか親戚のおっさんにでも報告してる気分』
『ははは、クロートみたいな甥っ子ならほしかったよ。俺には親族なんかいないしさ』
『ごめん』
『ロマなんて殆どそうだ―――と、あんまり君に言いたかないことなんだが、放置もしておけない報告がある』
『なに』
『蛍がアエロと寝てるみたいだぜ。何か知ってるか?』
……そりゃおかしいな。
アエロたちと会う前なら心変わりしたかと思うが、接触禁止を言い渡したし、蛍には手を出すなとも言っておいた。もし彼らが惹かれ合う結末になるなら、そりゃ俺から何も言えんが、すくなくともアエロたちの教育が終わるまでそういう事はさせたくなかった。蛍のためにも、アエロたちのためにも。それが分からない蛍じゃない。
第一、蛍がアエロと寝る理由がない。愛人の誰かなら、利害関係でやむにやまれぬ理由でもあったんだろうと思う。でもアエロ抱いて得られるものなんかない。船に同乗すれば蛍とヤリ放題と思い込んでいたクレオディスでさえ「身内になったなら寝る必要ない」って突っぱねられてんだからな。
『おかしいとしか言いようがない。そっちの状況知らねえし』
『だよねー。俺も変だと思ってさあ。なんか蛍のほうからアエロを呼び出したりしてるみたいなんだよ』
『……アエロだけ? 他の二人は』
『全然。なんかクロートみたいに可愛がってるっていうか? 例のチョーカーもアエロが着けてる。それで、毎日着替えさせてたクロート人形は部屋の隅で雑にされてた。いいのかって聞いたらさ、何がって言うんだよ。どういうこと? 喧嘩でもした?』
なんだ? 本気で心変わりでもしたのか。蛍を束縛するつもりはなかったんで、してもいいとは言ったが、アエロたちの保護責任は俺にあるって宣言したのにな。
悔しくないと言ったら嘘になる。胸はざわつくし不安だ。だけど、それ以上に約束を破った蛍に腹を立てた。
俺と蛍は恋人じゃない。でも、蛍の仕事を引き継ごうとしてるのに、それを裏切るのは酷いだろ。
ぱっと人形に意識を移す。隅に追いやられた椅子の上で、壁に凭れてた。髪ぼっさぼさ。
蛍はデータリンクルームにいるようだった。
「蛍、入るぞ」
「今いそがしい。後にしてくれ」
うるせぇ。それこそ後にしろ。セキュリティに同化して扉を開けた。
蛍はこちらを見もせず作業を続けている。かなり機嫌悪い。
「今作業をやめると誰か死ぬ状況か?」
「死にはせんが……」
死なないならいいや。
蛍の見ている情報を全て仮想次元で拾ってきた可愛い子猫ムービーに変えてやった。
「くっ……クロネ! ああもう、なんだ、怒るに怒れんこのかわゆさ!」
「なんでアエロを抱いた」
「ん? そんなの前からであろ」
前からなのか? 前からって、俺がアエロに会う前からか。そんなに期間なかったはずだが。
「恋人を抱いて何が悪い? みな知っていることだろう、何をいまさら」
なんだこの違和感。いつもの優しいまなざしじゃなくて、鷹鶴に向けるような、割と男らしいというか信頼の勝る表情だ。
こいつ変だな。
そう直感した俺は、蛍を引っ張ってミチルさんのところへ連行。
「なんかアエロと恋人なんだってさ」
「へえ? いつから」
「かれこれ一年以上ではないか?」
「はへえ??」
ミチルさんも変な顔をした。アエロが船に乗ったのはつい最近で、ありえないことだ。
ミチルさんの問診により、蛍が俺との記憶の大部分をアエロに置き換えていることが分かった。蛍は何も疑問を抱いていない。矛盾を指摘しても、不思議なほど都合よくすり替え解釈している。
「ああ、こりゃ誰かに弄られたね。ヤバイね。プロ呼ぶね」
「蛍は基本的に人を信用しない。催眠が可能なほど親しい術士はいたか?」
「僕が知る限りではいないねえ。そういう訓練も受けてたはずだよ。だって菊蛍や鷹鶴が簡単に催眠にかかっちゃ困るもん。とはいえ、最近は人に会う回数も多かったし……どっかで何かの洗脳受けててもおかしくはないかなあ」
『鷹鶴。緊急事態。蛍が記憶改竄されてる。アエロたちをよこしてきた奴と、関係者のデータくれ。出来れば身柄を確保してくれ。出来ないならこっちで手を回すが』
『はぁあー!? 記憶改竄!? そ、お、ぼぼぼ』
動揺しすぎ。わかるけどな。大問題だ、この時期に。
「俺が何かおかしいのか?」
きょとんとする蛍に何とも言えない顔を向ける。
「ま、君は状態がはっきりするまで入院ですねえ」
「仕事がある!」
「こんなデタラメな記憶で仕事されちゃ僕らが困る! 今の君に仕事されるくらいなら、黒音くんに代理してもらったほうがいいくらいだ」
「や、蛍と鷹鶴の仕事よく知らねえから」
任されたって困る。肉体はウィッカプールだしな。
「まあ、休養だと思ってゆっくりしろよ、蛍。鷹鶴のサポートくらいは俺がする」
「頼もしくなったなあ、クロネ……」
じいん、と言うふうに袖で目元を抑える素振りを見せる蛍。冗談っぽい。これも、俺より鷹鶴によく見せるノリだ。親ばかっぽいが、恋愛感情を含まない。俺をそういう目で見ていないのがはっきり分かる。
次にアエロに会った。クヴァドくんのところ、管制室に入り浸っているようだ。
「クロネ! それ人形? あっは、かっわいー。ねえ、それ僕にも貸してくんない、君が入ってない時でいいから!」
「何する気?」
「ナニする気!」
可愛くウインクされちまった。クヴァドくんはアエロたちと違って精神的に自立しちゃってるから、介入する気が起きない。俺よりよっぽど大人。
「アエロ。蛍と寝てるって本当か」
「え」
クローズド回線にするか悩んだが、どうせ皆の知るところになるだろうと、デリカシー無視して問いかけた。ここにはクヴァドくんしかいないし、クヴァドくんに聞いておいてほしいというのもある。要するに巻き込んだ。
「強要されてる訳じゃないな?」
「……菊蛍に抱かれるのは、うれしい。優しく抱いてくれる」
「わー、うらやましー」
「それどころじゃないんだ。蛍の記憶が改竄されてることが発覚した。あいつの記憶がどう拗れてるか、プロが判断してるとこだ。全部を確認する手段がない以上、彼の持つ人脈やスキルを使わせる訳にいかない。蛍が操られて誰かの益になる、あるいはロマの不利になる行動をとる可能性がある」
「え……?」
クヴァドくんは即座に事の重要性を理解し、表情を改めた。
「このままじゃ蛍を強制引退させるしかない。今この状況でまずすぎる。でも、治療しても完全に戻ったと確認する術がないんだ。蛍に干渉した奴を捕まえて吐かせるしかない。それでも何の作用が起きたかなんて把握しようがないんだ。
アエロを蛍に会わせたやつはどんな奴だ? お前に何か言ってなかったか」
「………」
アエロの顔がどんどん青ざめていく。立ちくらみを起こしたようで、側のクヴァドに支えられた。
「大丈夫だよ! 誰も君が悪いなんて言ってない。悪いのは君を利用した人だからね。クロネが守ってくれるから、話してみて」
「いやまあ、実際守るのは鷹鶴だけど……心配なら咲也さんに護衛のお願いをしてみる。最悪、お前の口を塞ぐために暗殺者が出る場合もあるから」
「ちょっとクロネ、怖いこと言わないでよ!」
「その可能性があるんだ。それくらいまずい状況だ。アエロ、お願いだ、教えてくれ。些細なことでいいから」
「………い」
「ゆっくりでいいよ、アエロ」
「ごめんなさい」
はっきり謝罪を口にして、アエロの目から涙がとめどなく溢れ始めた。泣きすぎて喋ろうとしても喋れないほどだ。クヴァドくんがアエロの頭を撫で、俺も安心させようと肩に触れる。
「怖がらなくていい。心配するな。同じロマだ、仲間だろ。ロマは身内を見捨てない」
「……れが」
「なに?」
「…れが、やっ、た………」
途切れ途切れに聞こえた「俺がやりました」。どう聞いても誰か庇ってるか、脅迫されてる口ぶりだ。クヴァドくんもそう感じたのか、いたましげに眉を下げている。
「アエロ、心配するな。ここは誰も見てない。俺がセキュリティを支配してる。拡散型ナノマシンも放った、誰も介入できない」
「おれなんだ、おれがやった」
「アエロ……! ロマ全体の問題なんだ」
「おれなんだ!!」
アエロの絶叫とともに、クヴァドくんが目を見開いて倒れた。俺もくわんときた。が、マイクロチップに張っておいたリアクティブシールドが作動した。ありがとうカサヌイのおっさん。
こいつ、何かしらの能力者か……能力の暴走?
「……クロネになりたくて、菊蛍に愛されたくて……おれが、やった。でもこんな大事になると思わなくて」
「お前がやったって、どういうことだ」
「精神感応……だと思う。訓練受けてないから、わからない。仮想次元で調べて……最初はヘマした時に、親父の記憶を部分消去した。でも都合よく操作することはできないし、うまくいかないこともある。相手が警戒してるときはできない。そのことについて相手が軽んじていれば効き目も薄い。
菊蛍は俺をクロネに重ねてて……クロネのことを強く想ってるから、その強さの分だけ強い暗示がかかった。解除の仕方はわからない。
けど! ロマに不利になるようなことはしてない!!」
「………」
んあ。
いま意識一瞬飛んだか。あまりのことに。
精神感応。聞いたことはある。いわゆるテレパス。通信やチャットーキーがある昨今、あんまり意味はないとされている。ただ、能力者によっては感情共有とか凍結とか、人権侵害に繋がる作用を及ぼすことがあるんで、発覚次第、国に保護される。
蛍の尊厳を侵害されたこと、いつもの俺なら怒るし、許しちゃいけないことなんだが。
なんかもう怒れなかった。これ、立場逆だったら、俺ならどうしてた? ……できなかったか。恐れ多くて、触れられもせず、プロポーズすら受け取れない。
「アエロ、お前すごいなあ」
ほんとに間抜けな、感心した声が出て、自分に呆れる。やまでっけー、うちゅうひろーい、みたいな声だった。
「俺、未だにそういう勇気ないから、なんか、あの、あれ、すごい。俺、蛍に迫るとか、できんくて、あれだから」
「クロネ、言語能力……俺の能力へんに作用した?」
「や、もともとこう。最近は背伸びしてたってかつま先立ちだったってか。ちょっと混乱してる。いやあ、へえ、なんか……やるなあ、おまえ。ていうか?」
それもそうだが、クヴァドくん運ばなきゃ。人形の腕力で片腕で担ぎ、アエロの手ぇ引いて、医務室に向かった。蛍が医療ポッドに入ってて驚いたが、
「脳の検査してるだけ」
ミチルさんに言われてほっとした。
「ミチルさん、精神感応の癇癪にあてられた患者の処置できる?」
「基本、気絶してるだけさ。なに、その子、テレパス?」
「らしい。そんで今回の犯人。ただ一応、こいつも洗脳されたり脅されてる可能性もあるから自白剤頼む。乱暴はしないでくれ」
「やれ、仕事が増えるねえ」
「アエロ、側にいてやるから。自白剤っても拷問じゃないからな」
「………」
その後、色々検査だー尋問だー連行だーと色々あったが、アエロの単独犯で間違いなさそうだった。点数稼ぎで俺似のガキ集めたおっさん、陰謀なんか企ててなかったようで、不憫だった。
蛍は鷹鶴監修の元で暫く仕事をしたが、日常生活は全く問題ないらしい。とにかく俺にしていたようにアエロを可愛がる。客観的に見ると、ほとんど依存状態。言っても、鷹鶴から見てもちょっと異常というか、おかしいらしい。
「で、どうする? 本来なら極刑ものだけど」
鷹鶴に問われて悩んだ。
「や、わかるし、蛍の尊厳が侵害されてるし、怒るべきなんだけど、怒りきれなくて。それに子供だろ」
「君と大した年の差はない。こんなの許してたらきりないぜ」
「厳重注意で志摩に送るしかないだろ……」
「蛍が知ったら、蛍はアエロを殺すぜ。アエロが君に同じことをしたとしても、蛍はやっぱり彼を殺す。それだけのことをアエロはやった」
「アエロは暫くマイクロチップ使用制限で能力発動できないようにして、蛍の精神安定を任せる。それで満足してんなら手間もかからんし」
「クロートは悔しくないのかい?」
「悔しいとかそれ以前に訳わかんなくて!! 錯乱してんだよ!!」
「……なんかごめん」
クレオディスからは「えー、なにー? こんな形で乗り換えられちゃうの、プププー」とかいうメール届くし。すれ違ったカナカには「ざっまぁ」とか言われるし。クヴァドくんたち顔見知りのクルーからは腫れ物みたいに扱われるし。俺にどうしろと?
「ミチルさん、現代技術でも記憶とかって……」
「無理だねえ。砂糖水は砂糖と水には戻らないの。ゆで卵も生卵には戻らない。脳のどこで何を記憶してるかは分かるけど、外科技術で都合よく弄ったりは出来ないんだよ。催眠なんかで強引に戻すと、今以上にややこしくなるケースもあるしね」
断言されてがっくり。俺と育んだ蛍との思い出、全部アエロに持ってかれた。実感わかなくて喪失感だけがある。
「尤も、本来の記憶はあるんだから何かの弾みで元に戻ることも、少しずつ整合性がとれてくこともあるよ。だから気を長くね」
怒りきれないのは、蛍からの信頼そのものは失われてないから。蛍の頭ん中でどう処理されてるかは分からないが、俺を拾ったこと、目をかけてたこと、独立したことはちゃんと把握してるらしい。
「前も言ったが、ウィッカプールでの仕事は実によかった。いい虫かごである」
「むしかご?」
「低所得者は環境のせいで這い上がれない優秀な者もいるが、大抵は生涯底辺にいる。俺が貧困層を相手にしなかったのもそれが理由だ。益にならない。益を生まねば大勢を救えない。
国が貧困層を保護するのは、彼らを放置すると害を振りまくためだ。謂わば予防のための措置だな。かといって排除しても、そこから格差が生まれて貧困層が出来る。貧困層の子が無益とは限らん、そこから生まれる才もある。そういう意味でも虫かごは必要だ」
ひえ……蛍の本音ヤバイ。人には聞かせられん。けど、じ…事実なんだろうな。昆虫の生態で似た事例聞いたことある。人間でも、エリート集団を作っても二割は無能になる法則とか。
それにしたって貧困層を害虫呼ばわりってものすげえな。個人に対しては別け隔てなく優しいが、全体を俯瞰する時は辛口になるようだ。
ちなみに過保護は健在で、
「中型船もクルーも揃えてやろうか? 社会勉強などさっさと終えて帰って来い。任せたい仕事がいくらでもある。帰ったらこき使ってやるぞ」
甘やかす、というよりバンバン頼れ、みたいな感じ。今の蛍にとって俺は育てるべき後進みたいな立場のようだ。殆ど鷹鶴と同じポジションに考えてくれてるようで、遠慮がない。
当然、肌に触れようとはしなかった。蛍は友人とは寝ないから。
鷹鶴はアエロが嫌いみたいで、蛍の側にアエロがいると「出直す」と言ったり、存在を無視する。こっちが正しい反応なんだろう。ずっと一緒に戦ってきた大切な親友の記憶を弄られちゃ憎悪も沸く。
俺が変なんだろう。というか、変になってしまってるのか……あの絶叫癇癪のときに何かしらの制御を受けている可能性はある。アエロにある無意識の「許されたい」って気持ちが反映されたとかな。
ウィッカプールで活動を続けながら、ちょいちょい人形でこっちの仕事手伝って様子見てたんだが。
「ねえ。なんで取り返そうとしないの? 意味わかんない」
突然やってきたハルナに言われてこっちも意味わかんない。なんでお前が? ざまあとか言ってたろ。
「むかつかないの? 意気地なしなの?」
「……意気地なしの方」
「はっ、やっぱりお前、大したことないんじゃん」
大したことないんですよ。ずいぶん過大評価してくれてるようだが。
思えば、俺のほうからアクションを起こしたことはない。いつも蛍からだった。自分から触れるようになったのすら、最近。気兼ねなく会いに行けるようになったのも最近。
我ながら情けない話だ。
怖い。自信がない。足がすくむ。アエロさえいれば、蛍は満足そうだ。幸せそうだ。俺なんか必要ない。俺は……いらない。
こんな後ろ向きな気分になるの、久しぶりだ。考え出すと不安になるから、目の前のことに打ち込んだ。
とりあえず掲げた目標を目指す。そうしてりゃ楽だから。
それが逃げだって分かってはいるのになあ。
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