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神格を持った魂として何万年か前に誕生した。
なんてことは普段はすっかり忘れて生きている。現世にいる間はたいてい、ふつうの人としてふつうに生きてるからだ。
ただし人生ごとにミッションがあり、
「いじめられてる子を庇っていじめられ出来るだけ壮絶な方法で自殺しニュースになりなさい」
「この虐待親の子として産まれ耐え抜いて体験を世に知らしめなさい」
「○○というクズ行動をし憎まれ役となって全世界から恨まれなさい」
というハードな人生を要求される。人類に問題提起させるスイッチ、それが俺だった。
最後の世界はなんだったか、そう。性同一性障害の少年となって女装をし、それを同級生に見咎められ、社会問題になって発言を発信し続ける人間として生きた。
ゲイ社会の中で生きるのではなく、ありのままの自分で社会に溶け込んで生き、そうすることでその権利があるのだと主張する。これがミッションだった。
いや別に構わない。これが俺の使命だ。
ただ大神さまよ、どうせなら本当の性同一性障害にしてほしかった。ノーマルノンケの男として産まれてこれを遂行せねばならなかった俺の気持ちがわかるか? それも現世にいる間、俺は何もかもを忘れているのに。俺は何故したくもない女装をここまで……とずっと首を傾げながら生きていた。魂のミッションゆえに止めるという選択肢はない。
敵も多かったが味方も多かった人生は「テメーきめぇんだよ!」という半グレ集団のリンチによって幕を閉じた。
「頑張ったね、今回もいい仕事だった」
お褒めに預かり有難うございます。ウェールズでガミガミ女だとか有色人種差別だとかその他もろもろよりは楽な人生だったし、女装もそこそこ楽しかったですよ。応援してくれる人も多かった。
「君の魂もボロボロだね。ボロ雑巾だね。そろそろ休暇にしようか。何にも考えず、ゆっくり休養してくるといいよ」
「本当ですか」
「神様はうそつかないよ」
はい。いっそ嘘だったらいいと思うような仰天ミッションを数々受けてきた身の上なので、神様が嘘を仰らないことは魂まで染みて存じております。
という訳で神様に転生した。
どうやら馴染んだ世界とは別の、いわゆる異世界のようだが、日本と中国の文化を混ぜたような大陸の国の神域を任されたようだ。
「何をしようかな」
ここでは何でも望みのままに好きにしていい。俺は神様なんだから。
しかし、何でも思い通りというのは却って不自由で、どうしたものだか分からない。
「花」
悩んで悩んだ末にぽつりとつぶやいた。ここはあまりに寂しいところだ。草木が欲しい。
俺は瑠璃の花や桔梗など、青い花が好きだ。青い花を基調に、紫、赤、桜などをところどころに咲かせていった。
その花々に精が宿って命が満ちる。まだ幼い魂が、俺を慕って纏わりついた。
他者を認識すると、裸はいかんだろうと気づく。とりあえず服だ。
着物は好きだが動きづらいのがいけない。
大胆な渦巻の瑞雲の着物に、蝶帯を前結びにして、下は洋装にブーツを履いた。長い漆黒の艷やかな髪を結い上げ、瑠璃石を嵌めた簪や、瑠璃の花簪を四つ挿した。
ちゃんと出来ているか確認したかったので、滝を作った。磨かれた鏡面のように流れる滝と川に、細面の男の姿が映っている。なかなか、いいんじゃないか?
さて次は、どうしようか。
生き物は自然に生まれてくるもの、運命を定めるのは可哀相だ。
本当を言えば手伝いをしてくれる者や話し相手が欲しかったが、それ以外の生き方が出来ないなんて、不憫だろう。それも、俺のようなものの為に。
特に作りたいものもなし、無理をすることもないだろう。どうせ俺の魂の力なんか、たかが知れてる。
しかし、なにをしよう。この世界に興味はあるが、外に行けば新入りの神などきっと苛められるに決まっている。
前世までのことは曖昧だが、何万年もの間、転生しては世界名作劇場のような、時にはゴーリーの絵本のような酷い目に遭ってきたことだけは覚えている。きっと神様になったところでそれは変わらない。
俺の魂は、苛めたくなる汁でも出てるんだろう。
何がしたいか。何が望みか。
うーん…? まあ旨いものが食いたいが、それは毎日の楽しみなので、脇に置いて、だ。
理解してくれる友達が欲しい。しかしそんな都合のいい存在がいる訳もなし、創れば虚しいだけ、俺なんかを相手にするそいつが可哀相だ。
愛してくれる家族が欲しい。親はまあ今更望めないが(既に産まれてしまっている)子供は…どうだろう。俺なんかを親に持てば、きっと子供が虐められる。子供は俺を恨むだろう。それは、つらい。
恋人がほしい。だが俺なんかと恋をしてくれる奴は存在しないだろう。
すごいぞ、何万年も転生を繰り返したのに、俺を好いて愛してくれたやつは一人もいないんだ。筋金入りだろう。
しかし、恋をするのだけは、自由だった。
失う恋しか経験がないものの、恋をしている間だけは俺みたいなものでも幸せだった。
見るだけなら、想うだけなら、接触さえしなければ…
観光には行きたかった。見つかれば虐められるかもしれないが、ばれなければいいんだ、ばれなければ。
そのついでに恋をする相手を見つけよう。
どうやらこの神域のある大陸はミヒネヤサカの国というらしく、神々は土着神や天帝として君臨しているようだ。
地上を見る池を創って覗き込むと、なにやら盛大な祭が行われている。いったい、何の祭りだろう。瑠璃の花が乱舞し、人々は藤の房を模した細工を手に持って、歌い踊っていた。
楽しそうだ。これだけ人が多ければ、俺が混じっても見つからないかな?
そわそわして、居ても立ってもいられず、雑面を額から下げて顔を隠し、一番華やかな場所へと降り立った。
「いやさか、瑠璃の神、豊穣、甘寧天音、鈴の声。かしこみかしこみ、いでませ、いでませ」
不思議な神楽を巫女が舞う。
しかし、それより量りの菓子売りに興味を惹かれた。色とりどりの、まぁるい手毬柄の砂糖菓子。俺は素朴な砂糖の味が好物だ。
袖をまくった菓子売りの男が、紙袋を持って愛想笑いをした。
「へい、こちら五捻になるよ」
「ごねん?」
「捻硬貨だよ、金がないのか? ひやかしなら帰っとくれ」
男は嫌な顔をして俺を追い払った。そうだそうだった、人の国ではお金がいるんじゃないか。そんな当たり前のことも忘れていた。
金は、作れるけれども、それでは迷惑になるだろう。稼がねば。何をして稼げばいいだろう。なにかを売ればいいのか。
俺のすきなもの、それは簪だ。
この国の神域に産まれたのも、漆黒の長い髪を望んだのも、元はと言えば簪が好きだったからだ。冠よりもリボンよりも、簪がよかった。
簪なら喜んで買って貰えると思い、思いつく限り豪華なあしらいの簪を作って、道行くお嬢さんに声をかけた。
「簪はいらんかね。五捻でいいよ」
「この簪が、五捻!?」
三人連れのお嬢さんはひどく驚いて簪に見入った。
「たとえ玩具でも、これが五稔なんて、あんた、子供のお小遣いじゃあるまいに。いったいこれはどうしたの」
「どうした…って」
売り物を疑われると思わなかった。俺はただ、砂糖菓子が欲しかっただけだ。
「泥棒だよ! 誰か捕まえて」
物売りをしただけなのに、あっという間に盗人にされた。俺は驚いて簪を取り落し、神域に逃げ帰った。
「…………」
雑面をはがし、滝の側で膝を抱える。
やっぱり何処に行っても俺は苛められるんだ。お祭りなんか、行くんじゃなかった。恋の相手を探すときは、今度こそ誰とも関わらないようにしよう。
何だか、眠たくなったな。
藤棚の下にふかふかの寝台をつくり、下履きとブーツだけ脱いで、その上で体を丸めた。
ひどく悲しい気持ちだ。忘れるまで、夢も見ずに眠っていたい。
西方と違って東方には神域がなく、冥府のみがあった。神々は人に混じって暮らし、神格を高めるために神同士で争い、つぶしあい、土地の争奪を繰り返していた。
そんな折、突然東方に神域が生じ、そこから瑠璃の花を始めとした精霊が溢れた。どうやら神域に座する格と力を持つ神が現れたらしい。
東方の神々はこぞって瑠璃の神に目通りを願い、祀り、供物を捧げたが、なしのつぶて。
御姿は時折、神々の夢枕に現れた。水鏡を覗く様子らしく、同じ特徴を口を揃えて言うので間違いない。
瑠璃神はほっそりした背の高い男神だという。その姿は極めて端正だが笑顔に愛嬌があり、高嶺の花のように高貴ながら無邪気に見えるとも言う。
今を時めく帝神は臍を噛んだ。これほど巫女舞や供物を捧げているというのに、瑠璃の神は夢枕にも現れてはくれない。
そこで、国を挙げて盛大な祭を開いた。素気無い彼の神も、さすがに御降臨なさるだろうと。
すると、どうやら、本当に現れたらしい。
但し最悪の結末になった。
「御顔は紙の面で隠してらっしゃったんですがね、確かにお聞きしたままの御姿で、すらっとした男性でありながら髪を結って簪を、瑠璃の簪を四つ挿してました。けど、瑠璃神さまのお祭りですから、金持ちの道楽か験担ぎだと思ったんですよ。
そんな立派な簪と、立派なお着物なのに、五捻がないと言うんです。どこかのお屋敷の箱入りがお忍びで抜けてきたかと思いました。
その御方は少し離れると、手の中で立派な玉ぎょくの簪を作りました、何もないところからですよ!
それを道行く娘に売ろうとすると、娘たちも驚いたんでしょう、あの方を泥棒、と言ってねえ。
その瞬間、彼の方は消えちまいました。体は瑠璃の花が弾けるように舞って、簪がしゃらんと音を立てて落ちました」
簪は回収され、帝神の手元にある。見たこともない美しい青と紫の玉が嵌る緻密な金細工だ。これを五稔で売ると言われ、同情はするが、娘たちと一族には重い罰が与えられた。
そもそも確証もないのに人を盗人呼ばわりすれば、その者は無実でも首を落とされる。してはならないことだったのだ。それも、よりによって瑠璃神を糾弾した。瑠璃神の降臨を心待ちにしていた国中を落胆させ、神々の怒りを買った。
その上、この事件の後、百年もの間、神域から花の精すら現れず、瑠璃神は神々の夢枕に立つことすらなくなったのだった。
明らかに寝すぎた。頭がいたい。
何でこんなに寝たんだか? まあ、いいか…どうせ嫌なことでもあったんだろう。思い出すだけ辛くなる。
とりあえず皺くちゃになった着物を脱ぎ、温泉を創って浸かる。ああ、これはたまらん、熱すぎずぬるすぎず、ちょうどいい温度だ。自分で創ったんだから当然だが。
匂いはバレリアンで、色は青。とことんに青が好きだな。
風呂を浴びたら腹が減った。そういえばこの体になってから何も口にしていない。
しだれ桜の下に食卓を造り、さて何を食べるものかと悩む。
「鮭が食べたい」
川に太った鮭が泳ぎ始めた。卵を孕んだメスを一匹頂戴して捌き、卵を水に漬け、身を刺し身に、残りを塩漬けにして桐の箱に詰めた。
そこではたと気づいた。調味料はどうしようか。創れないこともないが、味のほうは……
買いに出るのが一番だろうが、外界は怖い。そこで俺は藤の精を一人選び、七つほどの子供の姿に変えた。
「買い物を頼まれてほしい。この玉で交換してくれると思う。しょうゆと、酒。酒はさっぱりしていて飲み口のいいもので。買い物が終わったら、あとは好きにしていい」
「わかった!」
藤の子はいいお返事をしてぱっと姿を消した。
あの子が無事に買い物できるか心配で、池から様子を覗く。
「瑠璃神さまのお使いできた! しょうゆとおさけちょうだい!!」
ああー!!
神様のお使いと言ってしまった! いやしかし、どこの神様かは分からないだろう。大丈夫、まだばれていない、セーフだ。
店の者は神様の使いと聞いて大慌て。なんだか立派な醤油と酒の瓶を持ってきたが、その子のサイズを考えてくれ。抱えきれないだろう!
慌ててあちらに神器を出した。包んだものが軽くなる風呂敷だ。突然に現れた包に店子は驚いていたが、子供のほうは分かっているのか「これにつつんで」と小さなおててを突っ張って風呂敷を渡した。
かわいいなあ。俺の作った藤から産まれた子だから余計に……動いても歩いても可愛い。おおきなおめめにきりっとした眉、むっと引き締めたぷにぷにの唇。はあ、可愛い。
「もどった!」
帰ってきた藤の子は褒めてと言わんばかりに頭を差し出してきた。かわいい。かわいいっ。もちろん撫でてやる。風呂敷包みを受け取り、醤油と酒を混ぜて鮭の卵を漬けた。
藤の子は、食卓に手と顎を乗せてじっと様子を見ている。
「もう自由にしてていいんだぞ」
「ここにいる!」
ふすんと鼻息を漏らす。そうしたいなら、構わないが。
二人で鮭づくしの食卓を囲んだ。刺し身に、焼き物に、汁物に、卵。俺は料理にも使った酒を呑む。うん、これはいい酒だ。すっきりしていて爽やかな味わいをしている。鮭も脂が乗っていて最高に美味い。桜の舞い散る下で藤の子がほっぺたをいっぱいにして食べる様を見ながらの酒は至福だった。
「んー」
腹がくちくなった藤の子は眠くなってしまったのか、座ったまま船を漕ぎ始める。慌てて支え、口周りを拭ってやってから、藤棚の下の寝台に寝かせてやった。俺は寝すぎたせいか眠くなかったので、寝台のそばに椅子を出して子供の寝顔と景観を眺めて過ごす。
子供は、それほど長くは眠らなかった。ぱっちり目をさますとむくっと起き上がり、俺を見上げる。
「夢で遊んでたら、瑠璃神さまをよぶこえが聞こえた。おれが遣いのものだと言ったら、瑠璃神さまは何をお望みだって聞かれた」
「瑠璃神とは俺のことでいいのか?」
「うん。瑠璃の花が神域から漏れるから、そういうふうに言われてる。俺たち藤や瑠璃の精は外界にも遊びにいくんだ」
そうだったのか……知らなかったな。俺より花の精たちのほうがこの世界に詳しいのかもしれない。
しかし、何で俺の望みを聞かれたんだろう。そもそも、誰に?
「望みと言われても……恋の相手を探しているんだが、どうやって探したらいいのか分からない。探す方法が、俺の望み、かな?」
「つたえてくる!」
あ、はい。いってらっしゃい。藤の子は勇んで外界へ降りていったようだった。なんとなく様子を知るのが怖くて池は覗かなかった。落ち着かない時間が過ぎ、暫くすると藤の子が帰ってきた。
「あのね、恋人候補がいっぱいいるから、瑠璃神さま来てって」
「こ、こいびとこうほ?」
戸惑う間に藤の子に手を引かれ、外界へ飛ぶ。そこは大きな広い座敷で、見事な天井絵があり、様々な神が詰めかけていた。俺はもうびっくりした、とにかく人目につかぬよう、誰にも会わぬようしていたのに、急に大勢の前に晒されてしまったのだ。
この状況が何なのか訳も分からず呆然としていると、神々がわあわあとわめき始める。順番に話すという発想はないらしい。何を言っているのか聞き取れない。武神らしき大柄な鎧の男神が近づいてきて俺に手を伸ばす。怖い。後ずさると、藤の子が俺の前で手を広げた。武神は、それを乱暴に払い、藤の子が吹っ飛んだ。
「なんてことを!!」
腹は立ったが、藤の子のほうが心配で、駆け寄る。
「大丈夫か? 怪我は?」
「いたい。けどだいじょうぶ!」
だけど、ちいさな頬が腫れている。かわいそうに……手を当てて傷を癒やしてやる。大したことはしてやれないが。
こんなところにはもう居られない。そう思ったが、武神の振る舞いは流石に向こうも想定外だったらしく、揉めている。彼は他の神に取り囲まれ、引きずり出されていった。
「無礼を働きました」
古代中国の皇帝のような風体の男が膝をついて頭を垂れる。
「田舎の無作法ものゆえ礼儀を知らぬ男です。望みの罰を与えましょう」
「いや、罰は……とにかく弱いものに手を挙げるなど言語道断だ」
「そのように言い聞かせます。瑠璃神よ、私はこの大陸の神を統べる帝神でございます。これまで幾度となくお呼びいたしましたが、応じてくださらず……恋神をお探しと御使いからお聞きしましたが」
「恋神、というか」
ひっそり遠くから恋をする相手を探していたのであって、恋人を探していた訳じゃない。
しかし、それを説明する前に、
「私は広大な土地で祀られる神で……」
「妾の歌声は瑠璃神さまもお気に召すはず」
「もし私を選んでくだされば、どんな敵もたちどころに滅ぼしてみせます」
自己アピールが始まってしまう。上記などはまだいいほうで、他は「自分はこんなに凄い」という自慢話ばかりだった。それらを聞いていると、彼らにとって俺はどうでもいいのだと悲しくなり、藤の子を抱いて庇う。
「神域が欲しいのなら、差しあげるので、そちらで相談して頂きたい」
どうせそれが目当てだろう。
案の定、神々は目の色を変え「自分のもの」「いや自分のもの」「少しでいいから分けてくれ」と欲をむき出しに言い争い始めた。こちらに注意を向ける奴がいなくなったのでそのまま逃げた。
「お待ち下され!」
帝神の呼び止める声は、無視した。
もう神域には戻れない。どこか誰も居ない、他の神も寄り付かない場所に居を構えたい。そう思ったら、なぜか氷と雪まみれの大地が広がる海のそばに出た。
「さむい、いたい!」
藤の子が悲鳴を上げる。
そう、耳が千切れそうなほどの寒さ。息を吸い込めば肺が凍ってしまいそうだ。
俺はとにもかくにも篝台を出し、そこへ尽きぬ炎を産んだ。火の粉から精が躍り出て炎を煽る。それから、藤の子に毛皮の服やコート、耳あてに手袋、ムートンブーツを与えた。
「瑠璃神さまはさむくないの」
「俺は体温調整ができるから……」
この体は便利だ。不自由しないようにと、大神さまに創って頂いただけのことはある。
次に、溶けない氷で風を防ぐ家を作った。ようやく身を切る風から逃れ、ほっとする。抱いていた藤の子を離し、何もない氷室の中にあれこれ家具を増やしていく。暖炉やラグ、絨毯、ソファ。
しかし、それでも藤の子は震えていた。もう芯から冷えているんだ。俺は裏手に温泉を作った、藍色と紫、赤紫と青緑に輝く温泉を。藤の子をそこへ放り込んでから、風がやはり強いので、風よけの壁を作る。
「ふやぁ、あったかい。かゆくて、じんじんする」
「寒暖差のせいだよ。その緑の湯はすこしぬるめだから、そこで慣れたら赤紫に移るといい」
「ここは氷の皇の住処かな」
藤の子が雪に閉ざされた土地を見回す。もちもちのまるいほっぺは赤く染まっていた。
「ここは誰かの領域なのか?」
「よくはしらない。でもあっちのとおくに、大きなお城がある。ここは端っこで誰も来ないから大丈夫」
本来であれば、挨拶に出向き、了承を得るべきだろう。そうしなければきっと、後で揉める。けれども祭に加えて先程の衝撃が強く、俺はますます誰にも会いたくなくなっていた。
「おつかいなら、おれがいく!」
「……頼まれてくれるか?」
子供に頼るなんて情けないが、どうしてもどうしても怖い。
この地を治める方はどんな存在なんだろう。
氷の屋敷に一部屋増やし、床に氷鏡を張る。そこから周辺を窺うと、確かに巨大な雪の城がそびえていた。
そこには白い毛並みの狼獣人や、白いケンタウロスのような者たちが住んでいて、釣りをしたり、狩りをしたり、ハウス栽培をして暮らしているようだった。
少し先の岩山に炭鉱があり、鉱夫たちが働いている。これで貿易などもしているんだろう。こんな氷の土地とは考えられないほど、彼らの食卓は豊かであり、また内装は暖かで、みな表情は明るかった。楽しそうに暮らしている。
と、彼らが不意に跪いて頭を垂れた。その間を風のように何かが歩き去った。
それへ焦点を当てると、なんと、まあ。
豊かになびく白い髪。均一ではなく不揃いで、髪先がそれぞれ桃色や緑、薄青に染まっている。若々しく立派な体躯をしていて、顔は端正で凛々しいが、まだ大人になりきらないようでもあった。かといって、幼くもない。絶妙な年頃の色香がある。
白狼のような威風を持ち、孤高の獣の品格を漂わせていた。
「………!」
俺は、一目で彼に恋をした。
東方神域は瑠璃神が去った後、荒れ果ててしまった。
瑠璃神を慕った精は嘆き、花々は枯れ、水は濁り、他を受け付けない。
帝神はこうなることを予期していた。瑠璃神を失えば神域は朽ちるだろうと。だというのに愚かな土地神どもは神域に目が眩んで瑠璃神を軽んじた。
祭の盗人呼ばわりに続き、遣いの童を傷つけ、おまけに瑠璃神の望みを叶えるどころか私欲のために罵り合い、瑠璃神は行方を晦ました。今度こそ、二度と会ってはくださらないかもしれない。
おまけに奴らは自らの行いを省みることもなく「瑠璃神は不浄の地を押し付けた」などと彼の神へ文句を言う始末。
帝神は瑠璃神にお会いして、彼を讃え、出来ることなら彼の望みである恋神を身内から選んで頂くつもりだった。彼の神が望まれるなら、自らそうなってもよかった。
瑠璃神はきっと、お寂しかったのだと思う。そしてひどく怖がりで奥手であることも、振る舞いで分かった。
どんな金銀財宝よりも、豊かな土地や権力よりも、心を通じ合わせる恋神を望んだ彼の神の傷心を思うと、お労しい。
帝神が一応は頂点であるものの、土地神どもは揃ってお山の大将だ。地元では傍若無人に振る舞い、他者の都合は考えない。その上、まともな見識を持つ神はもう年を召しているので弁えており、此度は不参加だった。
神々の集う席となれば、彼ら年配の神々が若いのへ睨みを効かせるのだが、此度は帝神の不手際と言わざるをえない。というより、あそこまで無作法とは思わなかった。猿の集団ではないか、あれでは。
「なんとしても、気品を備えたあかよろし恋神を見繕い、瑠璃神にお詫び申し上げねば……」
帝神も瑠璃神と懇意になってその力の分前を貰うという、欲はあった。だが、今はそれ以前の問題だ。瑠璃神に神域へお戻り願わねばならない。
まずは犯した愚を知らぬ者どもを片付けねば。
***
藤の子を遣いへやったところ、氷の皇どのは俺が住まうことを許してくれた。どうせ開墾の出来ない閉ざされた土地だから好きにしてほしいと。
藤の子には貢物として氷にも咲く花の株と銀の簪をもたせた。氷の皇はそれに微笑み、凍てついた印象を与える露草色の瞳が優しく和む。厳しい表情をしてはいるが、決して冷たい心の持ち主ではなく、住民に愛される良き王であるようだ。藤の子の頭を優しく撫で、お返しにと宝珠のように輝く五色の砂糖菓子を持たせてくれた。
俺はもう、すっかりのぼせ上がって、ますます彼が好きになった。
彼の為に出来ることはないかと考え、三頭の竜を創った。夜色に輝く星を散りばめた瑠璃の鱗を持つ竜。一匹は雌で、三頭で番。雌が卵を産めば父親がその卵を温め、メスは交互にオスの卵を産む。オスたちが卵を守る間はメスが働くだろう。
「急に現れては驚かれてしまうから、遠くから城と城から出る人、あるいは戻る人を見守り、何かあったら助けてやりなさい。遭難する人あれば背に乗せて届けてやりなさい。使命で縛ってしまうことは申し訳ない。何か望みがあれば叶えるから遠慮なく言いなさい」
三頭に言い聞かせると、彼らはキュオォ、と甘えた声をあげ、俺を舐めたり背に頬ずりしたり。可愛いったらない。だからといって髪を齧るのは勘弁してほしいが。
「そういえば、神域の花が全部枯れて仲間がいなくなった」
三頭が飛び去ってから、藤の子が言うので驚いた。
「あの子たちが死んでしまったのか」
「うん、瑠璃神さまがいなくなったから、寂しがって……でも心配しないで、俺たちは自然に還るだけだ。また花を咲かせてくれたら戻ってくる!」
そうか、そうか。それなら良いんだ。まさか枯れてしまうとは思わなくて、申し訳のないことをした。
すぐにでも花を増やしてやりたいところだが、竜を創ったせいで力が尽きかけていた。彼の方を守る為と思い、気合を入れすぎたんだ。少し休まないと……
暖炉の部屋に創ったふかふかのベッドへ横になり、目を閉じる。瞼の裏には氷の皇さまの涼やかなお顔が浮かんだ。
なんだって俺は、転生する時に男性体を選んでしまったんだろう。いや、経験上、女は女であるという理由で苦い思いをすることが多かったので、特に理由もなく男を選んだ。
この世界では同性愛も禁忌ではないが……どうしたって異性間の方が愛は育まれる。
いやいや、ちょっと待て。俺が女だったところで、なんだ。あんな立派な方が俺なんか相手にしてくれるはずがない。そもそも遠くからそっと見るだけの恋がしたかったはずだ。ならば性別など、関係ない。
ぐだぐだとそんなことを考えながら悶えているうちに、疲れもあって眠りについた。
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