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瑠璃神の噂はこの大陸最北部の凍土まで届いていた。なにより、瑠璃や藤の精はこのような凍りついた土地にまで遊びにきていたのだ。
氷の皇は、その色素の薄い姿ゆえに中央の神々から鬼子として見捨てられ、追放された神である。ゆえに、中央が瑠璃神や東方神域について浮足立っていても、我らに関わりなしと過ごしてきたのだが。
「あのね、瑠璃神さま、この土地の端っこに住むんだ。いーい?」
瑠璃神の使いの藤の子がやって来てそう言った時には、氷宮の住民はひっくり返るほど驚いた。
しかしその直後、中央で「瑠璃神は神域を見捨てた」という噂が流れ始め、どうせまた偏屈で欲張りな神々が瑠璃神に失礼をして拒絶されたのだろうと納得した。
氷の皇と氷宮の住民こそ、中央に振り回されてきた被害者である。このような土地に逃げ込んできた瑠璃神に同情こそすれ、彼が見捨てたなどとは思わない。
そればかりか、凍土には瑠璃の竜が住み着くようになった。それは凍土の民や城、シロイカネの出る炭鉱を守り、時に旅人を守った。
瑠璃神は何もおっしゃらないが、明らかに彼の神の使いである。
「これは是非にも御礼申し上げたいですね」
皇の眷属である雪花が言うと、皇は静かにうなずいた。
この皇、いかにも冴え冴えとした威風があり、生半な者では視線ひとつで凍りつくほどの神力を持つが、実は―――大変な照れ性である。
民の殆ども知らない。ただ無口で優しい皇とだけ思われている。
皇の意向は全て、この雪花が伝える。眷属だけあって皇の意向は何でもわかるのだが、皇がなぜ何も仰らないかはわからなかった。
長い時をかけてようやく聞いたのが、
「気恥ずかしく……」
これである。
凍てついた美丈夫の神が恥じらう姿にあっけにとられたものだ。
ただ、決して臆病ではなく、勇ましい一面もある。中央の神がシロイカネを狙って襲ってきた際には、猛々しく兵を率いて追い返した。
また、瑠璃神の居場所を嗅ぎつけ、あるいは瑠璃の竜に目をつけた不届き者には容赦をしなかった。
そういう御方であられるから、民も雪花も不安を抱いたことはないのだが。
「瑠璃神さまにご挨拶できますか?」
雪花が訊ねると、皇はこれまた静かに頷く。しかし、どことなく緊張しているのが、雪花には分かった。
彼の神がいらしてから十年経つが、今はどう過ごしているか分からない。便りもない。
そこで、皇と僅かな従者と雪花は瑠璃神を訪ねて西へ西へと吹雪の中を目指すことになった。
神域を所有するほどの神であるから、さぞ立派な御殿を建てたのだろうと思いきや、氷で作ったこぶりな屋敷があるのみだった。屋敷の前には篝火があり、ブリザードの只中でも陽気に火の精が舞っている。
扉のたぐいはなく、結界で風を断絶しているようだった。
なので、来客が見えると知るや、藤の子が駆けてきて「いらっしゃいませ!」と元気よく叫んだ。
「瑠璃神さまに御用?」
「そうなの。いらっしゃる?」
十代半ばの少女の姿をした雪花より更に幼い藤の子に言うと、彼は頷いて招き入れてくれた。
「寒かったと思うから、お風呂どーぞ!」
まず通されたのが五種の温泉だった。色によって温度や香りが違うらしい。雪花は雪の精で、女精なので遠慮したが、皇と従者は旅の疲れを癒したようである。
温泉は素晴らしいものだったようで、常に厳しい表情の皇も心なしか寛いで見える。
「瑠璃神さまはね、こっち!」
案内されるままに部屋へ入る、と。
そこは寝室だった。まさか寝室に通されるとも思わず、従者たちが慌てて部屋の外で待機する。
しかしそれ以上に皇と雪花も仰天した。
柔らかな寝台に沈むようにして横たわる瑠璃神は、艷やかな髪を流し、着物の合わせから白いすらりとした足を覗かせていた。
しかもこれは、
(はいて、ない…)
履いてらっしゃらない。腿のかなり際どい部分まで見えている、というより真珠のように丸く輝く尻がほぼ見えている。
造形は美しく整った男神なのだが、寝顔は子供のように無垢に緩み、睫毛を震わせ、果実のような唇から健やかに寝息を漏らす様は、なんともいとけない。
まさに目の毒そのものの寝姿に硬直し、雪花がぎしぎしと首を動かして皇を窺うと、案の定、鬼子として不遇な立場にあった皇は瑠璃神のあられもない姿に釘付けになっていた。
「こ、こら……だめでしょう、お仕えする神の寝姿など晒しては!」
藤の子を叱ると、彼は目をまんまるにし、しょぼんと肩を落とした。
「だって、瑠璃神さまは一度寝るとなかなか起きないんだ。前なんか百年も寝た」
「そんなに?」
「だから今度もいつ起きるかわかんない。起きたら、来たってちゃんと言う!」
藤の子は、雪花に何を叱られたのかよく理解していないようだった。だが、彼なりに一生懸命、答えを出し、訴えているようである。これを更に叱ることなど出来ない。きっと瑠璃神も、そんなこの子が可愛いのだろうから。
「ん、ぅ……?」
鼻から抜けるような甘い声が聞こえ、皇と雪花は固唾を呑んだ。いま、瑠璃神が起きるのは不味い。撤退すべきかと困惑する中、瑠璃神は睫毛を震わせてぼんやりと瞳を開ける。
(きれいな神様……)
雪花は一瞬、見とれてしまった。氷の皇や帝神ともまた違う、柔らかで清涼で無垢な……美しい、という言葉よりも「きれい」がよく似合う御方だった。
「ふじ……どうした」
「あ、あのね」
「おいで」
寝ぼけているのか、瑠璃神は此方を認識せず、藤の子を手招いて抱き寄せると、再び寝入ってしまった。藤の子のほうも瑠璃神に抱かれて背を撫でられると、客がいるにも関わらず眠りに落ちてしまう。
ついに家人は全て夢の中へ旅立ち、客分は取り残されてしまった。
皇と雪花はとにかく物音を立てぬよう寝室を去り、顔を見合わせる。
「いけません。いくら何でも不用心すぎまする」
雪花が訴えると、皇も重々しく、そして苦く頷いた。
ここは神域とは違う。全く無防備なただの屋敷だ。瑠璃の竜も此処を守っている節はなく、ただ険しい自然があるのみ……それが最大の防御であるとも言えるが。
(警備兵を置きたいけれど……でも、瑠璃神があのご様子ではおかしな気を起こす者が出るわ)
それに瑠璃神は十年単位で眠るという。人の寿命では瑠璃神の守護のみで終わりかねない。それはそれで不憫だ。
仕方なく、帰還することになった。
目覚めた暁には御礼をしたい旨、歓迎したい旨の書き置きを残して。
***
寝てる間に氷の皇さまがいらしたらしい。
いや起こしてくれ。起こしてくれよ。起きるから、意地で起きたから……! せっかく生でお顔を見るチャンスだったのに。
「あのね、おれ、しかられた」
藤の子がしゅんと唇を噛んで俯くもので、どうしたのかと聞いたら、
「えと、瑠璃神さまが寝てるとこに……えと、さらす? だめって」
「……し……寝室に、お招きしたのか?」
愕然とした。誰も来るはずがないと油断しきって、下履きを脱ぎ、だらしのない格好で寝こけていた姿を見られたのか。
あまりの衝撃に目眩がした。彼の方の目に俺はどう映ったろうか。きっとぐうたらでどうしようもない、みっともない奴だと呆れられたろう。
「でもね、おてまみくれた! 御礼を言いたいからおしろにおいでって!」
あー! お優しすぎる、が! 俺の馬鹿、瑠璃の竜を創ったからあちら側としてはどれほど嫌でも礼を尽くさなければならない。善意の押し付けの上に、恥を晒し……何のミッションも受けていない休暇に何をやっているんだ俺は。
「ところで、俺はどれほど寝ていた?」
こちらに来てから時間の感覚が曖昧だ。人と接触していないとこうなりやすい……特にここは四季がないからな。
藤の子は「んー」と首を傾げて考え込む。
「十二年くらい?」
「じゅ……」
「氷の皇さまが来たのは二年前! そのまえはよく覚えてない」
休暇だからと寝すぎだろう。頭を抱えた。ああ、もう。とにかく風呂だ。この体は余計に汚れたりはせず匂いが酷いことになることはないようだが、とにかく風呂だ。十二年ぶりの風呂とは、恐ろしい。必死になって体を擦った。
お……おめかしをしなくては。どうしよう。何を着ればこの世界的にはお洒落なんだ。俺にある和装の知識は、あちらの世界のもので此方の美的感覚は何も知らない。
俺の思うきれいな瑠璃色に金の波模様を裾に入れた着物を着て、袴は……どうするか。いっそ無いほうが良いか。何枚か重ね着て。帯は黒に。簪は特に気合を入れて新調した。
土産、手土産は何にしよう。何が喜ばれるだろうか。寒いから……寒いし、そうだ、氷にも咲く花なんてどうだ。食用にもなれば一石二鳥だろう。
いきなり向かうのでは不躾だろうから、雪鳥を創って文を持たせた。それが届いて三日してから藤の子と共に出発する。
この大吹雪の中、藤の子を連れて歩くのは流石に無理なので、目的地まで転移した。目の前に現れた俺たちに門兵の獣人が仰天して、武器を構えかけたが、一瞬のことで、慌てて矛を収め平伏されてしまった。何やら申し訳ない。
氷の宮殿の巨大な扉がゴンゴンと音を立てて開く。俺は出来る限り見窄らしく見えぬよう、腹の前でゆったりと指を組み、少し目を伏せた。
「…………」
左右を兵たちが囲んでいる。その奥には女官や神官らしき者が並び、中央に氷の皇と、その脇に眷属らしき少女の精がいらした。
誰も口を利かない。入っていいのか。このまま挨拶だけして門を潜らず帰ったほうがいいのか。どうしたらいい。
誤魔化すようにへらりと笑った。前世の癖で曖昧な愛想笑いが出てしまう。口を噤んだ人々は、ますます動揺したようで、目の焦点がおぼつかない。落ち着かない様子だ。泣きたい。帰りたい……
「皇さま、こんにちは!」
藤ぃ! お前はどうしてそうなんだ。何の空気も読まずに走り出してしまった。仕方がないので俺もおずおず、建物の中に入る。このままでは宮の中が冷え切ってしまうだろう。俺が中へ入ると、門が再び閉ざされる。
「此度は、お招き頂き感謝いたします……」
引きつりそうな口元を懸命に堪えながら挨拶をすると、氷の皇は目を伏せた。それはどういう反応なのですか。もしや、あの失態を思い出して俺の顔も見られない状態でしょうか。許しを乞いたいが「汚いものをお見せして申し訳ございませんでした」とも言いにくい。それを言ってしまえば、あちらは許さざるをえなくなってしまう。
俺も皇の顔を見られなくなってしまった。互いに目を伏せ、気まずい空気が漂う。
「……ようこそおいでくださいました、瑠璃神さま! 氷の皇は歓迎しておりまする!」
状況を打破するように、少女の精が明るい声を張り上げた。
「氷の皇はあまりお話になられません。お気を悪くされないでください」
「うん、俺も皇さまのお声、聞いたことない」
藤の子も請け合うので、おそらく彼が無口なのは本当だろう。
しかし、目を合わせてくださらない……此方を見たかと思えば硬い表情で視線を逸してしまう。
ああ、どうしていつもこうなんだろう。俺が好きになった相手は、俺を嫌い、疎む。会うべきではなかった。こんなに悲しい気持ちになるのなら。
「此方へいらしてください」
少女に促されるまま、暗澹たる気持ちで氷の宮を行く。建材は、やはり氷だった。俺がしたように神力で溶けないようにしているのだろう。内装はなかなか華やかで、外つ国の意匠と思しきエキゾチックな垂れ幕や、絨毯が伸びている。寒々しい印象は受けなかった。
大広間では、絢爛豪華なご馳走が並べられた宴席が用意されていた。氷の彫像は此方にもある文化なのか……瑠璃の竜の礼だからか、竜の彫像だ。なかなか手が込んでいて感激した。歓迎はされていないのかもしれないが、心づくしはされているようだ。本当に優しい方だ。
氷の皇が上座の席へ向かい、振り返って俺に手を差し伸べた。触れて、いいのか……? まごついていると、皇は俺の手をそっと大きな両手で包んだ。
あまりのことに顔が熱くなり、思わず彼の顔を見上げてしまう。けれど、彼はやはり目を逸した。
ああ……
これはあくまで、瑠璃の竜の礼で、社交なんだ。期待してはいけない。胸が絞られるように痛んだが、必死に自戒し、気持ちを抑え込んだ。これ以上、彼の方を煩わせてはいけない……
氷の皇に手を引かれ、上座に腰掛ける。
女官たちに透明なグラスにお酌をされた。皇がぐっと盃を傾けると、それを見てから皆も呑み始める。乾杯の作法はなく、これが合図らしい。俺もちび、とグラスに口をつける。
「……花の、香りがする」
ほんのりと爽やかで、蜜の味。思わず呟くと、氷の皇が微笑んだ。驚いて息を呑む。そうすると彼も口を引き結び、目を逸してしまった。俺はどれだけ彼に嫌われてしまったのだろう。
民たちは楽しそうに飲み食いしているが、上座は静かなままだ。唯一、藤の子だけが、
「おいし、おいし」
勇ましくむっちゃむっちゃと肉に齧り付いていた。小さな頭を撫でる。この子の可愛さだけが救いだ。
俺は意を決し、盃を飲み干して氷の皇の方を向いた。
「あの、その節はお見苦しいところをお見せしてしまい、誠に申し訳ございませんでした。許されようとは思いません。ただ、本当に……」
「使者も立てなかった此方が悪いのです!」
少女の精が慌てて言った。
「あ、申し訳ございません。わたくし、皇さまの眷属でございまして、雪花と申します。お言葉の少ない皇に代わって発言しておりまする。私の申し上げることは、皇が思っていることでございます」
「そう、なのですか」
「はい。その……皇はこの御姿なので、中央では苦境にあらせられました」
わかるでしょう、と言わんばかりの少女の視線に、俺は首を傾げた。皇の御姿……? 神々しくて美しく男神らしい、素敵な方だと思うが。俺が一目惚れしてしまうくらいには。
しかし、何となく理由は察した。彼は、いわゆるアルビノなのだ。文化が発展していないと、理解を得られず、鬼子や悪魔の子として扱われることが多い。
「そのせいで、お話することが、その、とても不得手でいらっしゃいます」
「そうですか」
「ですが、本日は瑠璃神さまの御為に精一杯のご用意をさせて頂きました。皇は心から瑠璃神さまを歓迎していらっしゃいまする!」
「そ、そうですか……?」
握りこぶしで熱弁されたが、当の皇に表情の変化はなく、むしろ強張り、冷たい様子だった。藤の子に見せた柔らかな微笑みはどこにもない。
会話がないので、酒を呑むしか無い。食べ物はあまり喉を通らない気がした。時折、皇の視線を感じては、逸らされるの繰り返し。きまずい。どうしたらいいんだ。とにかく呑もう。呑まねばやっていられない。
口当たりがいいせいか、するすると呑んでしまう。女官が次から次へと注いでくれるので、わんこ酒状態だ。なんだかふわふわしてきた。
「あ」
ついに身が傾いだ。皇とは逆の方向だったが、彼は素早く長く逞しい腕を伸ばし、その袖の中に俺を包んで引き寄せる。
「………!?」
咄嗟に状況を理解できなかった。柔らかなファーが頬にあたる。おそるおそる、顔を上げると、心配そうな、いっそ悲しそうな皇のお顔が間近にあった。
自制など頭から吹き飛んで、頭に血がのぼる。酔も手伝って何がなんだか分からない。それに、妙に体が熱くて……
『やあ。元気に休暇ライフを楽しんでるかい?』
唐突に大神さまのお声が頭に響いた。これは幻聴だろうか。いっそ幻聴であってほしい。
『君ね、とっても奥手だからね。きっと恋とか難しいと思ったのね。だから体を特別仕様にしたよ。好きな人の前だと、敏感になっちゃう助平な体だよ』
なんで? なんで大神さまはそうなんですか? いっつも余計なことしかなさらない。
「は、はぁ、はぁ……」
まずい。そうと意識したら余計におかしな気分になってきた。この体になってから色事を一切していないというのも思い出す。性感帯になりうる様々な器官がびりびりし始めた。
「瑠璃神さま? いかがなされましたか」
少女に覗き込まれ、いたたまれない。こんな幼気な娘の前でなんという体たらくだ。二年前のことも、今も!
「な……情けないことですが、酔ってしまったようです……すこし、休ませていただき、」
言うが早いか、皇は力強く俺を抱き上げて立ち上がった。なんという膂力。そのまま有無を言わさず広間を過ぎ去り、通路を歩いた。風のような速さだ。足が長いので一歩が大きく、しかも速い。
客室とおぼしき立派な寝所につくと、控えていた女官がその扉を開き、照明をつけて部屋を後にした。皇は俺をそっと寝台に横たえた。彼は寝台の側に膝をつき、俺の顔を覗き込む。ああ、心配してくださっているのですね……しかし、顔が、お顔が近いです。やたらとお美しく凛々しいご尊顔が近いでございます!
「あ……」
俺の体はますます意に反して燃えるように熱くなり、地獄のような焦れる熱に脅かされた。乳首やら、あそこやら、あらぬ処が疼いている。
変な声がでないよう歯を食いしばり、身じろぎをする。喉を締め、膝と爪先に力を入れてやり過ごそう、やり過ごそうと努力はするが、皇の視線を感じてはますます酷くなっていく。
「あ、あ……見ない、で………」
ついに眦から情けなく涙が溢れた。
ああ、どうして俺の人生はいつもこうなんだ。
***
瑠璃神から訪問の知らせを受けた城は大騒ぎとなった。食料庫を空にする意気込みで贅を凝らし、彼の神をお迎えするためのお部屋をご用意した。
氷の皇は、瑠璃神の寝姿を見た日からぼんやりすることが多くなり、訪問の知らせを受けるや落ち着かなくなった。それは雪花にしかわからない程度の変化ではあったが……
皇は、この凍土から出ることなく数百年の時を過ごした。
あのように雅やかな、神気を漲らせた美しい神は皇には刺激が強い。劇薬だった。鬼子の神とされた皇は、他の神と交流したことがなかった。そこへ突然に瑠璃神が現れ、好意を示してくれた。これが嬉しくないはずがない。
気持ちは痛いほどに分かるが、他人と会話すらおぼつかない皇が瑠璃神とまともに交流出来るのか……不安が募る。
使いの鳥が現れ、指定された三日後、到着を今か今かと待っていた一同は、扉から姿を現した瑠璃神に息を呑んだ。
まず神格そのものが違う。帝神どころの話ではない。神力など測りようもないが、圧倒的であることだけは肌で伝わってくる。
その名に相応しい瑠璃の衣装を纏い、儚げに微笑む姿は夢まぼろしの如く……
歓迎の言葉を述べるはずだった雪花までもが雰囲気に呑まれてしまった。皇に至っては言うまでもない。凝視しては、目をそらす。不躾極まりないが、皇にもどうしようもないのだろう。不憫になるほど、皇は狼狽えていた。
目を逸らされるたび、瑠璃神の表情は曇る。どうにか取りなしたいが、雪花にもどうしようもなかった。
無言で進む上座の宴。雪花はいっそ逃げ出したかった。藤の子だけが元気いっぱいにご馳走を頬張っていたのが救いである。瑠璃神もやはりこの子が可愛くて仕方がないようで、微笑み頭を撫でている。
しかし、いくら神でも呑み過ぎなのでは……という速度で、瑠璃神は杯を重ねた。案の定、頭がふらふらとしはじめ、傾いだところを皇が支える。
瑠璃神は驚き目を見張り、酔いのせいだけではなく頬を上気させた。これはもしや、脈があるのでは。
潰れてしまった彼を抱き、皇は宴会を後にする。これを追うのは流石に野暮と思い、雪花は藤の子と共にその場に残った。
瑠璃神を抱いた皇は、半ば混乱状態にあった。傍から見れば危なげない足取りに見えたが、彼はこれ以上ないほど動揺していた。
瑠璃神が腕の中にいる。すらりと細くしなやかな身が、腕の中に。自分が何か、途方もないことをしている気がした。彼を寝台に寝かせた時にはやり遂げた勢いで脱力する始末。
「はあ、はあ、は、ふ……」
それにしても、様子が少しおかしい。瑠璃神は悩ましげな吐息を繰り返しながら、体を強張らせ、眉を寄せている。身じろぐ姿は艶かしく、妙な気分に陥りそうになるが、気を奮い立たせて様子を窺った。
すると、瑠璃神は濡れた瞳で皇を見上げ、
「あ、あ……見ない、で………」
なだらかな頬に、一筋の涙を零した。
何かがぶつりと音を立てて切れる。
皇は瑠璃神の頬に触れ、覆いかぶさった。驚き目を瞠る彼の胸の合わせに手を這わせると、びくびくとほそい身がしなる。
「あ、は………ッ…だ、だめ、だ…め」
駄目と言っても、あまりに辛そうだ。衣装の中に隠された胸の尖りは硬く膨らみ、指が掠るだけで切ない吐息を零す。下の合わせに手を差し込もうとすると抵抗の気配はあったが弱々しく、そしてやはり、穿いてらっしゃらない。何故この神はいつも穿かないのか。妙に興奮した。
「お、皇……」
怯えるような声音を呑むように、口づけた。甘い唇を舐め、舌を差し込んで絡め取ると、瑠璃神も懸命に応じてくる。ちゅうちゅうと吸い付くさまが、赤子が乳を吸うような無垢さで、思わず心が和んだ。
きれいだ。きれいな、神だ。こんな存在は見たことがない。
だが、彼は深く傷ついていると皇は感じた。きれいなままで、曇りないままで、深く多く、彼の魂は傷ついている。彼の身に何があったのだろうか。こうまで彼を傷つけたのは誰だろうか。焦燥と怒り、嫉妬が湧き上がる。
「あ、はぁ……っ、んっ、だ、め…んァ」
張り詰めた熱い性器を掌で包む。綺麗なものは、こんなところまで綺麗なのか。思わずしげしげと見ながら愛撫を重ねると、瑠璃神は「見るな」と涙声で必死に着物の裾で隠そうとする。なんともいじらしく、扇情的な仕草で、皇は溜息をついた。
「あ、だ……め、だめ、汚れ、る……あぁっ」
汚されることに怯えているのだろうか。だとすれば、やめるべきだ。分かってはいる。瑠璃神の不調につけこんだ、卑怯な行いだ。だが、もう、止まらない。
「そこ、は……ッ!?」
足の奥の肉の合わせ、その最奥を指先が突くと、窄みが柔らかくひくついた。たまらない心地がする。胸がざわざわとして、乾いた喉を鳴らした。
性急に入れては傷つけてしまう。照明用の油に指を浸し、ぬめりを纏った。瑠璃神はその動きを不安げに目で追い、皇を見上げる。完全に怯えきった小動物の表情だった。
皇は眉を下げ、濡れていないほうの手で、彼の頬に触れる。
「……こわがら、ないで」
声を出したこと自体、いつぶりか。掠れたような低く小さな囁きが漏れた。
「ひどく、しない」
「………」
それで安心した訳ではなかろうが、強張った瑠璃神の体から、少しだけ力が抜けた。
「あっ、く」
窄まりに指先を押し入れると、油のぬめりけで第一関節がくぷりと呑み込まれた。指に纏わりつく薄い襞が怖がってヒクヒクと震えていた。
この硬さ。初めてなのかもしれない。皇は慎重に指を運んだ。
「ふ……ァ、く、ふぅ…ッ」
瑠璃神は着物の胸元とシーツとを掴み、必要以上に堪えている。痛くはないはずなのだ。ただただ、怯えているのだろう。
可哀相だと思う以上に、嗜虐心を煽られた。
「あァう…ッ!?」
探っていた凝りを指の腹が掠めた。元より熱に脅かされていた瑠璃神の肢体が跳ねる。瑠璃の立派な仕立ては、今や帯に留められるだけとなり、彼の体を守ってはいなかった。まるで縫い留められた蝶のような姿だ。
「はっ、はっ、んぁ、ぁ…そ、こ…」
逃げたいのか、もっと欲しいのか。それとも両方なのか。
瑠璃神は腰を捻って自分で弱点を刺激してしまっている。だが、あえて決定的な刺激は与えず、粛々と油を足しては塗り込める作業を繰り返した。
内部へつぷりと指が入るたび「ん、ぅッ」と小さく呻く瑠璃神を見るのが、途方も無い悦楽だった。いつまでも眺めていたいほどに。
しかし、皇も瑠璃神の痴態と甘やかな声に昂り、限界だ。乱暴にせぬよう自制してもがっついたように腰を抱き寄せ、息も荒く腰をあてがう。
「あ、あ……」
それは、これから自分の身に起こることを諦め、覚悟をした獲物の様相だった。
「あ……」
ぬるりとした油まみれの解した肉口に太い先端が首まで入り、瑠璃神は息を詰める。
「あ、あ」
ずるり、と竿が滑り込み、瑠璃神の顎が上がる。
「あ!」
ずんと根までつながって、瑠璃神は悲鳴を上げた。
中が、うねる。絡みつく。収縮する。しゃぶりつく。瑠璃神の腹が不規則な呼吸とともに上下した。ただ繋がっている、それだけで大変な快楽を齎す。おそらくは、瑠璃神も。
呼吸を整えた瑠璃神が、はくはくと唇を震わせ、涙を零す。
「……ごめんなさい」
一瞬、何を謝られたのか分からず、皇は困惑した。だが、もしかしたら……「ごめんなさい、もう許して」という意味なのかもしれない。不安になり、髪を撫でると、瑠璃神は喉をひくつかせた。
「こんなことを、させて…ごめ、なさ………」
「………」
皇は眉を下げた。瑠璃神は、自分が乱暴されているという自覚がないらしい。しかしそれは、嫌ではない……という意味でもあり。
言葉の下手な皇はなんと言って慰めれば良いのかも知らず、ただ、想いを込めて優しく口付けた。そうすると彼はまた泣いて、顔を隠してしまうのだ。
「いや…か?」
「………!」
尋ねると、瑠璃神は首を振る。簪が痛そうだったので、外してやった。
「は、はずかしく、て」
部屋が暗いの顔色は見えない。しかしもう、涙で濡れた頬も体も熱くて熱くて、瑠璃神の白い肌は茹だってしまっているようだ。もともと酒に潰れてここまで運んできた訳で、彼は酩酊状態にある。ひょっとすると思考もままならないのではなかろうか。
「す、きな方に……触れられるのが、はじ、めて…で」
その告白に皇は息を呑み、目を見開いた。
好き? 誰かと間違えてはいないか。彼と会うのはこれで初めてのはずだ。
「私……を? この、氷の皇と呼ばれる、私を?」
皇の確認に、瑠璃神は静かに頷いた。さもそれが、罪の告解であるかのように、苦々しく、だ。
「お、れの……ような、ものに、好かれるのは、きっといや、だと」
繋がったまま、たくさん泣いて、瑠璃神は心中を漏らす。なんと、なんとしたらいいのだろうか。様々な感情や感覚が湧き上がり、言葉は喉に詰まった。とても言い表せない。
「……ッ!」
その代わりとでも言うように、衝動に負けた。彼の身を抱き、猛るまま腰をぶつけ始める。
「あ……あッ、ひ」
急な律動に驚き、瑠璃神は悲鳴のような嬌声を漏らした。
「あっ、あ…ッ、ァア、い、い……いぃ」
奥に当たるたび瑠璃神は結った髪を振り乱して泣き、喘ぎ、悦がる。皇のほうも彼の神の体に溺れた。その秘壺は生きて蠢く魔性の沼のようで、藻掻くほどに引き込まれる。この美しい生き物を犯しているという恍惚もある。
「は、ぁ……はぁ、も、ぁ、だ、だめ…ァ、ア」
声が掠れるほどに上擦る様に皇も限界を感じる。腰を強く、重く、ゆっくりと、幾度か叩きつけると、瑠璃神の汗でじっとりした裸体が海老反りになる。
「ふァ…は、ふ、ぇ?」
達したことに驚いているか、混乱しているかのようだった。瑠璃神は焦点の定まらない瞳をうろうろとさせ、鋭敏になった感覚が落ち着く頃合いで、とろとろ瞼を落とし始める。
くたりと力を失った体から身をゆっくりと引き抜く。最奥に放った精が、ねっとりと糸を引いて少し溢れた。綺麗なお仕立てを汚してしまったと思う傍ら、立てた脚と尻の肉のあわいから粘液が滴り流れる様子があまりに淫猥で、その対比が堪らなく唆られる。
なにはともあれ清潔な手拭で行為の後始末をし、着物をしっかりと着せ、寒くないよう室温を高めた。
部屋を後にしてから瑠璃神のお言葉が脳裏を巡る。
好きな、方。好かれているというのか。本当に? 鬼子と忌み嫌われ凍土まで追いやられた己を、あのように神格が高く高潔な、優しい神が好きだと言うのか。
皇は私室に戻ってから浴びるように酒を一瓶空け、倒れるように眠った。そうでもしなければ、脳が蒸発してしまいそうだった。
目が覚める頃には二日酔いを覚悟してたのだが、さすが大神さまの拵えというか、この体は酒にも負けないらしい。
厚い雲と雪に覆われたこの凍土は昼でも薄暗い。俺は寝台で身を起こし、昨日の出来事を思い返していた。
体に残る痕跡が、あれは嘘ではなかったと訴えている。かなり酔っていたのでどういう遣り取りの末ああなったのかは曖昧だが……皇と性交したのは間違いない。
あの方は優しいから、惨めに熱を持て余した俺を宥めてくれたのだろう。ああ、つくづく迷惑をおかけした。
そういうふうに自分に言い聞かせながら、どこか期待を消せない。
もしかしたら、あの方も俺を憎からず思っていてくださって、抱いてくれたのでは。もしかしたら、あわよくば愛して貰えるのでは。そんな浅ましく馬鹿馬鹿しい思いが消えてくれない。
俺は袖で顔を覆い、情けなく鼻をすすりながら泣いた。
押し殺していた想い。遠くから眺めるだけで満足なはずがない。俺だって好きな相手に愛されてみたい。
現世でのミッション遂行中は、激動の人生になり、早世することが多く(死ねない方が辛いこともある)正確には結ばれそうな機会があっても自分から距離を置かねばならなかった。
でも、今はそんな縛りはない。休暇中なんだ。好きなだけ、休息していいと言われている。この体の寿命も途方もなく長い。
愛されたい。彼の方と結ばれたい。恋をしてみたい。
そうしてさめざめ、めそめそぐずくず泣いていると、何者かが部屋に現れる気配がある。それは実体ではなく、意識体か、分身のようなものだった。本体ではない。
部屋に黒い靄が浮かんでおり、俺は首を傾げた。
「堪えきれぬ願いがあるとみえる……」
ああ、悪魔の類か。
ぼんやりと眺めていると、それは揺らめきながら笑ったようだった。
「魂と引き換えにしても、叶えたいと望むかね」
魂、と。
この魂は言うまでもなく大神さまのものだ。大神さまの下僕である俺が、まさか悪魔の囁きに耳を傾けるわけにはいかない。
それでも、わかっているのにーー
俺の目から、一段と熱く大きな涙が決壊したように溢れた。
「愛されたい……あの方に」
卑怯で、卑劣で、勝手な願いだ。
それでも望まずにはいられなかった。どうかしているのは分かっている。それでも。それでも!
「あい、わかった。その望み、必ず叶えよう。取り立てを急ぐ気はない。心ゆくまで恋を楽しみ、もういいと思ったその時に、その魂を貰い受ける」
ずいぶんと良心的だった。尤も、力そのものは俺のほうが強大で、魂の格も無駄に高い。向こうにしてみれば上客なんだろう。
靄が去り、泣きつかれ、涙も枯れ、ぐったり壁にもたれていると、氷の皇が現れた。
彼は昨日のように目を逸らさなかった。どこか、毅然として見える。
大股で歩み寄ってきたかと思うと、俺を力づよく抱きすくめた。
「あなたが目覚めたら、伝えようと、思った。私は、決して、いい加減な覚悟で貴方を抱いたのでは、ない」
少し身を離し、真摯な瞳に見据えられる。俺はただただ、彼を見返した。
「返事を、聞かせて欲しい……」
唇を引き結んだ、怒ったようにも見える表情。まるで緊張でもしているようだ。
……悪魔の契約は、既に始まっているのだろうか。
だったら。
「好き、です。あなたが好きです」
思い切って思いを伝えた。
氷の皇は、名に相応しくない春のような微笑みをもって応えてくれた。
魂を手放すまでだ。
ほんの少しの間でいい。
彼の心が欲しい。悪魔に魂を売ってでも。
馬鹿なことをしていると、分かっているのになあ。
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