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六章 5
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だから尋ねたが、彼女は苦々しい表情になった。
「私は唯の看護師ですわ」
「士官学校には行っていたのかね?」
「いいえ、他のここにいる看護師と同じ。一年間の訓練を受けただけですわ」
「なら、生まれつきそんなに神通力の扱いが上手いのか?」
そんなわけがない、リースは質問しながらそう思った。神通力の使える量は天性のものだが、扱い方は努力しなけば上手くなるものではない。
困ったように暫し黙ってから、ナターシャ。
「……父は軍人でした。神通力の扱い方は父から教わりましたわ」
「ああ…………なるほどね。お父さんは今は軍人じゃないのかね?」
ナターシャの暗い顔つきから、父親に何か良くないことがあったことは伺える。また暫く黙ってから、彼女は言う。
「大戦中、悪魔に捕まって暴行され……仲間に助けられて生きて帰っては来ましたが、心に受けた傷が大きかったんです。軍には戻りませんでした」
「…………君、まさかエゴール・クリベーク少尉の娘さんか」
リースのその言葉に、ナターシャは何も言わず俯いた。
彼は神妙な表情を作る。
「だから言わなかったのか……顔を上げなさい。君のお父さんを責めるつもりはないよ」
柔らかい口調で彼に言われ、彼女は泣きそうな顔を上げた。
「軽蔑しないんですか。悪魔に命乞いした男の娘ですよ」
「君がどこまで親御さん達から聞かされているか知らないが……クリベーク少尉は悪魔達に両手両足を切断され一晩中暴力を受け……陵辱された。天使としての尊厳も男としての尊厳も傷つけられ、最後には命乞いをするしかなかった。命乞いするくらいなら殺されればよかったなどという者もいるが、私は仕方がなかったと思うよ」
リースの話に、ナターシャは驚愕した。そんなに詳しいことは聞かされていない。父親の両手両足は神通力で元どおりになっていたし、暴行だけでなく強姦までされていたなんて知らなかった。
「……リース大尉は、優しいんですね」
小さな声でナターシャにそう言われ、リースは絶句して少し照れたように頭を引っ掻く。
悪魔に深く傷つけられた父親を持つナターシャ。悪魔に対する嫌悪が他の天使よりも強いのかも知れない。ニコライを助けたいと思うのもそれが理由か。
俯き気味の彼女の顔を眺め、リースは彼女の父親、クリベーク少尉を思い出す。
当時三十代半ばで、リースより少し年上だったクリベーク少尉。目の前の彼女同様、金髪で端麗な顔の男。彼が悪魔に暴行を受けた時は別の中隊だったが、一度同じ中隊にいたことがあり、気の合う良い仲間だった。
彼は少し変わっており、銃弾を具現化することと一時的に視力を上げる神通力だけが得意な遠距離攻撃専門の兵士だった。スナイピングの腕はかなりのものだった。
彼は元気にしているだろうか。そう思ったとき、唐突なノスタルジアに包まれた。湧き上がる気持ちを押さえつけるように口を開くリース。
「それじゃあ、ヴィノクール特務曹長があの任務を与えられたもう一つの理由を教えよう」
「ええ、教えてください」
顔を上げたナターシャに、リースは一拍置いて言う。
「あの任務を出したポリトコフスカヤ大佐は、ヴィノクール特務曹長を好いていなかった」
「え……?」
「元々、彼が強いのになかなか昇進できないのもポリトコフスカヤ大佐のせいだった。彼に出世欲がないのも理由だったがね。そして大佐は思ったんだろう。〝実験的にヴィノクール特務曹長をミハイルの所に行かせてしまえばいい。本当にミハイルを殺せれば儲け物だし、ヴィノクール特務曹長は勝手に殺されてくれるかも知れない〟とね」
「そんな、酷いっ!」
ナターシャは拳を握り締めた。ただのポリトコフスカヤ大佐の私情でニコライはあんな危険な任務に就かされたということか。今回のことでミハイルの情報は多く得られ、ニコライはこの軍から消すことができた。ポリトコフスカヤ大佐の思う壺だった。
「許さない……! 大体、どうして大佐は特務曹長がそんなに嫌い何です?!」
「私も大佐と話したことなんてほとんどないからよく知らないが……大方、あの完璧さに嫉妬してるんだろう。特務曹長の実力は大佐以上だし、地位を奪われることを恐れていたのかも知れんね。まあ特務曹長に出世する気は無かったからそんな心配は必要なかったと思うが。特務曹長は身分的にも高い」
「身分?」
「ニコライ・フォン・ヴィノクール。貴族の生まれだろう」
昔に比べ、天界に身分差は少ない。しかし一般的に言って、名前に〝フォン〟が付く貴族は生まれつき扱える神通力の量が多く、裕福な家柄の天使が多い。軍でも少佐以上の天使はほとんどが貴族だ。
「ポリトコフスカヤ大佐は大佐という階級にしては珍しく貴族じゃない。だからかも知れないが、あまり貴族を好いていないんだ。本当に努力して上に上がった人だから直ぐに上に上がることができてしまう貴族が嫌なんだろう」
貴族であるというだけでそれ以外の天使を馬鹿にするような天使はいる。しかしニコライは、ナターシャもリースも知っているが、孤児だ。貴族らしい裕福な暮らしもしていなければ自分の優秀さを鼻に掛けるようなこともない。
それなのにポリトコフスカヤ大佐は私情でニコライを実験材料に使ったのだ。ナターシャの中に沸々と怒りが湧き上がる。
「……リース大尉は何も思わないんですか?!」
ナターシャに顔を寄せて強い口調でそう言われ、リースは驚いて少し仰け反った。
「お、落ち着きなさい……無論何も思わんことはないよ。私だって大佐は酷いと思う。おかげで優秀な部下を一人失ったんだ」
「ポリトコフスカヤ大佐に報復したいとは? ヴィノクール特務曹長を助けたいとは? 思いますか?」
「勿論思うよ。しかしね、私にはその思い以上に守るべきものがある」
「何です?」
「家族だよ」
リースの答えに、ナターシャは一瞬目を見開き、次に少し悲しげな顔をした。
「……だから何もできない、と?」
「ああ。軍は辞められないし、何か問題を起こすわけにはいかない」
彼には守るべき家族が、立場がある。養う者も愛する者もいないナターシャのように自由ではない。
自分の感情や思い、信念だけで簡単に動ける者の方が少ない。レオやディーマはナターシャと同じようなものだったかも知れないが、モローゾフ中尉はとても悩んだことだろう。
「わかりました。色々教えてくださってありがとうございました」
ナターシャはそう言って頭を下げた。
漸く引き下がる様子の彼女にリースは溜息をついた。いきなり部屋に来てこんな質問をしてくるなんて、失礼を越して勇敢というべきか。
「ああ、そうだ。君、ヴィノクール特務曹長を助けに行くのかね?」
ふとリースはそう尋ねた。ドアの方にも向かっていたナターシャは振り返る。
「ええ。直ぐにでもここを辞めるつもりです」
「それなら、これを」
リースは本棚から一冊の本を出して彼女に差し出した。
「魔力が天使の体に与える影響について書いてある。君に貸そう」
「魔力が天使の体に与える影響?」
彼女は本を受け取りながら鸚鵡返しをした。その本はハードカバーだがそれ程厚くはない。
頷くリース。
「ああ、天使は結界や神通力封じなどの魔力がかかった場所にい続けるだけでも微弱にだが体に影響を受ける。その本に詳しく書いてあるから、読んでおくといい」
ニコライはずっと魔力がかかった場所にいる。もしかしたらその影響で弱っているかも知れないということだ。
「わかりました」
「ああ、必ずその本を返しに来たまえ。君の手でな」
その言葉には、死ぬなという意味が込められていることがナターシャにはわかった。必ず生きてここに帰ってこい、そういうことだろう。
笑顔を作るナターシャ。
「 はい、必ず。ありがとうございます」
そして彼女は、その部屋を後にした。
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