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(9)とある事件の記録-2
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病室のベッドの上。まぶたを閉じたルイが横たわっている。その細い腕にはそぐわない無骨なギプスがつけられていた。
あれから三日。右腕にひどい裂傷を負ったルイは幸いにも一命はとりとめたが、いまだ目を覚まさない。
事情聴取はもう終えた。自分でも何を話したか覚えていないが、見たことをそのまま話したと思う。あの日は午前中からエディと一緒にいたから事件の容疑者だと疑われることもなかった。
病室の扉が開く音がした。看護士による巡回の時間にはまだ早いので、おそらくエディだろう。
「……鑑識の結果が出た」
レイジの部屋に残されたおびただしい量の血痕。その調査結果が判明したら教えてほしいと言っていた。しばしの沈黙の後、エディは告げた。
「……あの血痕は、レイジ・ステイ・カリアのもので間違いなかった」
何も言わないクルベスに「それともう一つ」と続けて言う。
「周辺で目撃情報がないか、条件が一致する急患が運ばれていないか調べたが……何も見つからなかった」
できる限り手は尽くしたが……と苦々しい声でエディは告げた。
「……あんなの、そのままにしてたら死んじまう」
掠れた覇気のない声で呟く。あの場で見ただけだが、それだけは確証を持って言えた。
「なぁ、なんで……あいつらが何したっていうんだよ」
力なくおかれたルイの小さな手を握る。
「俺が、俺がもっとはやく行っていれば!みんな、あんなことにならなかった!なぁ、そうだろ!?なんで、なんで俺は……」
声を震わせてエディに、ベッドに横たわるルイに叫ぶ。涙がベッドのシーツを濡らした。
もし、あの日劇を見に行く予定ではなかったとしたら。いつもと変わらないあの家で一緒に過ごすだけの日だったら。そしたら、もう少し早くあの家についていたのに。
「ルイ、目ぇ覚まさないんだよ!あれから何日も経つのに!!どうしよう、もしかしたらルイもこのまま……っ!」
みんな、みんな俺の前からいなくなる。
その言葉は声にはならず、宙へと消えた。
◆ ◆ ◆
……体が……すごくおもい。
でも、歩かなきゃ。
ぼくが、助けを呼ばないと。
お兄ちゃんにお願いされたんだ。
お兄ちゃん、足を怪我してるから。
ぼくしかできないんだ。
だから、はやく、はやく。
あれ……前が、よくみえない……体も、うごか……な……
重いまぶたを上げる。……しらない部屋だ。なんで、ここにいるんだっけ……?頭が、ぼーっとしてる。……伯父さん?なんで、泣いてるの?ぼくを見て、なにか言ってる?なんで、そんなにあわてているの……?よく分からない……体も、うまくうごかないや……
ルイは目を覚ました。覚ましてくれた。状況が理解できていない様子だが、意識はある。
「……お、さ……ど、ぉし……」
青い瞳で俺を見て、切れ切れに何か言おうとしている。
「ルイ、いいから……!大丈夫……もう大丈夫だから……!」
左手を握ると弱々しい力だが、確かに握り返してくれた。
あぁ、この子だけは、いなくならないでいてくれた。
そのことを実感して、ルイの前だと言うのに涙が止まらなかった。
ルイが目を覚ましたことを聞きつけて急ぎ、主治医が駆けつけた。ベッドに横になったままのルイは何が起こったのか分からず、呆然とした様子だ。
「意識もはっきりしている。あとは治療に専念すれば大丈夫でしょう」
ルイの容態を確認し終えた主治医はこちらを振り返った。
「ありがとうございます……本当に、よかった……っ」
『意識もはっきりしている』その事実を噛みしめ、主治医に心の底から感謝を述べる。
「怪我のほうは、痕は残りますが日常生活に支障はでないかと。……キミもよく頑張ったね」
そう言って主治医はルイに笑いかけた。
「……けが?」
そう小さく呟き、次第に何かを思い出したようにルイは目を見開く。
「ルイ、どうした。どこか痛む――」
「伯父さん助けてっ!お兄ちゃ、お兄ちゃんが!!」
途端に叫びだすルイ。まだそこまで動けないはずなのに、無理に体を起こそうとするのを必死に押し戻す。
「ルイ、ダメだ今は動くな!お前本当に危ないところで――」
「お兄ちゃん、足怪我してるのに!ぼくが、助け呼ばないと!お父さんとお母さんもまだ……!」
「――!」
こちらに助けを求める様子から、何かを見たのは明らかだった。
「……これは」
主治医はどうしたものかと呟く。その間にもルイは涙を流しながら訴えかける。
「俺から、話します」
その発言に主治医はクルベスを見る。
「……まだ目を覚ましたばかりですが」
「どっちにしても、いずれ知ることになる……申し訳ありませんが、二人にしてもらえますか」
苦言を呈するも、クルベスの意を決した表情を見ると「何かあったらすぐ呼んで下さい」と言い残し、看護師と共に退室した。
再び二人だけになった病室。ルイは変わらず助けを求めている。
「伯父さん、どうしよう、ぼくどれくらい寝てたの?はやく、はやくしないと!ぼくが助けを呼ばなきゃ……!」
「ルイ」
起き上がらないよう、押さえてくるクルベスの腕にすがり付く。
「お兄ちゃんも、お父さんも怪我してるのに!お母さんは――」
「ルイ、聞いてくれ」
いままでになく真剣な眼差しで見つめられ、ルイは動きを止める。
「おじ、さん?」
見たことのない表情におかしいと思ったのか、クルベスの様子を窺う。
まだ状況が分からずこちらに首を傾げるその顔を、これから曇らせてしまうのかと歯噛みする。
「俺が今から言うことを、落ち着いて聞いてほしい」
◆ ◆ ◆
あれからルイは昼夜問わず、ずっと泣いた。涙が出なくなってからはあまりしゃべらなくなった。
「ルイ。ごはん食べられそうか?」
「……」
運ばれてきた朝食のプレートを見せるも力なく首を横に振るだけ。
「そっか、食べたくなったら言ってくれな」
朝食に埃が入らないようカバーを被せ、少し離れたテーブルに置いた。
あの日以降、食事を喉に通さない。差し出しても口を開こうともしない。点滴でかろうじて栄養を採っているという状態だった。
ルイを一人にはしておけないので病院の許可を取り、同じ病室で寝泊まりしていた。病室に併設されている手洗いに行こうとするとルイは強く引き留めた。「いやだ、ひとりにしないで」とひどく怯えた顔で。
クルベス以外の人間に怯えるようにもなった。特に大人の男性に対してはそれが顕著に表れた。おそらく事件と関連があるのだろうが、到底聞き出せる状態ではなかった。
扉が開く音にも、何か物音が聞こえることにも。その全てに怯えて震えていた。
あの笑顔はもう見られないのだろう。嫌でもそう実感させられた。
――ある日のこと。
病室の扉をノックする音が響いた。それにルイは体を大きく跳ねさせて不安そうにクルベスを見る。
「大丈夫。伯父さんの知り合いだよ」
すぐに戻るから、と泣きそうな顔をしたルイの頭を撫でてから扉へと向かう。
「……悪いな。頼まれてくれて」
扉の先にはエディが立っていた。彼に一つ、頼み事をしていたのだ。
「どうってことねぇよ。それよりほら。これだろ」
渡された袋の中を見る。
間違いない。いつも嬉しそうに大事に持っていたそれだ。
「あぁ、合ってる。ごめんな、あそこから持ってくるの結構大変だったろ?」
「尋常じゃない量の手続きだったな。まぁ結局あの日との関連性とか証拠になりそうな感じはなかったから、こうして持ち出せたわけだが」
それでも相当な苦労だったろうに、エディはそれを何でもないように言う。
「……おじさん?」
「あ、ごめんなルイ。大丈夫だよ」
俺が話し込んでいるのを、何かあったのと不安そうに呼び掛けるルイを振り返り笑みを向ける。
「そうだ、できればお前も来てくれないか?」
エディに向き直り、これをお前も一緒に渡してほしい、と言うとエディは意外そうな顔をした。
「いいのか?」
エディのその問いかけは、彼がルイの状態を知っていたため下手に接触するのは良くないと思って出た物だった。
「怯えない人間が俺だけだと、この先俺がルイから少し離れないといけない時にちょっと大変だからさ」
「でもお前……」
『ルイを守るとか言ってたのに』と眉をひそめるが何か考えがあるのだろうと察し、それ以上は何も言ってこなかった。
「ルイ、ちょっといいかな?紹介したい人がいるんだ」
エディを連れだってルイの元に戻る。
「……だれ?」
クルベスの隣にいるエディを怯えた瞳で見る。
「伯父さんのお友達。エディくん」
くん付けで呼んだことなど一度もないが、そのほうが警戒心も薄れるだろうと思い、そう紹介した。
「エディ・ジャベロンです。君の伯父さんとは学生の頃から仲良しでね、よくお話してるんだ。よろしくね」
「よろ、しく……お願いします」
膝をつき目線を低くしてから挨拶するエディに、ルイは少し警戒を弱める。その様子にエディはオリーブ色の瞳を細めて微笑む。
「うん、『お願いします』まで言えて偉い。それでね、今日は君にこれを渡しにきたんだ」
クルベスが差し出した袋から取り出した物、それは。
「あ、これ――クマさんっ!」
目を見開き、信じられないといった様子で声をあげた。
「よかった、やっぱり君のだったんだね。この子少し迷子になってたから君の元に帰してあげようと思ってたんだ」
はい、とルイに差し出す。
渡されたそれは、ルイが5歳の誕生日にもらった母手作りのクマのぬいぐるみだった。
「クマさ、クマさんだ……ぼくの……」
エディからぬいぐるみを受け取るとぼろぼろと大粒の涙をこぼしながら、ルイはそれを強く抱き締めた。
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