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はらからの紲
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眞琴(まこと)が自分を、特別な意味合いを持って好いていることに、そしてそれを確かに嬉しく思う自分に、月野(つきの)が勘づいていないわけはない。にも関わらず、見て見ぬ振りを何年も続けているのにはわけがある。
第一に、自分と眞琴は、腹も種も同じ兄弟である。第二に、両者、男である。これだけでももう十二分に結ばれることは不可能と思えるが、さらに都合の悪いこと。
月野は、葛城(かつらぎ)家の嫡子である。であれば適当な家柄の女を娶り、後継ぎを作らねばならない。実際、すでに許嫁は決まっており、あと一月(ひとつき)もすれば、正式にその女と婚姻を結ぶこととなる予定だ。
ーーーこれで、よいのだ。
月野は、自室の文机に向かって、今日終わらせるつもりで終わらなくて持ち帰った仕事に取り掛かっている。このままいっていいのだろうかと、何百回目か呟き出した己の中の己を、皆まで言わせることもなく心の底の混沌へと沈めた。
季節は冬、陽はとうに落ち、月が高く昇っているような刻限である。近くに火桶を焚き、衣を幾重にも着込んでなんとか寒さをやり過ごしているものの、筆を握る手がかじかむのはどうしようもない。灯りも横に置いた灯火一つ分しかなく、常よりも幾分か汚い字になるのを微かに不快に思いつつ、思うところまでやり続けるしか。
「………」
眠さと寒さと疲労で、朦朧としてくる頭。限界を自覚し始め、しかしここで眠ったら、確実に朝まで目が覚めることはない。
観念して、切り上げた方がいいのか。明日の自分のために、もう少し続けた方がいいのか。今の月野には、判断することができない。
きし、きし、
静寂の中、障子の向こう、廊下から床板を踏み締める音が聞こえ、月野は手を止めた。音を立てる主とその者の行き先は、考えなくとも分かる。
とんとん。
案の定、障子を軽く叩く音。誰か聞くこともなく、月野は「入ってくれ」と言ってやる。す、と開く障子、姿を現したのは、手に灯火を持った弟であった。
「兄上。やはりまだ起きていらしたのですね」
ちろちろと灯火の赤い光に照らされて、弟のーーー眞琴の顔がぼんやりと見える。自分と同じく母に似て優しげな面差しが、一日の疲れと月野への心配から、少し翳っている。
「それくらいにしておかねば、身体に障ります」
「はは、入ってきた途端お小言か」
「戯れで言っているのではないのですよ。近頃、こういった日が増えたではありませんか。こちらが心配になるのも、分かって頂きたい」
言いながら、眞琴が隣へ腰を下ろしてくる。
「そう言うお前も、まだ眠っていないようだが?」
「実は夕餉の後、少しだけ寝たのです。だから今、眠ろうとして眠れなくなって」
「いつものやつ、だな」
と、ここでふああと出る欠伸。「眠ってください」懇願するように言われて、月野は筆を置かざるを得なくなった。昔から、月野は眞琴のこういう眼差しに弱いのである。
「手もかように冷たくされて。腐り落ちたらいかんとします」
言いながら、眞琴が手を包んでくる。もはや感覚のなくなった皮膚では、彼の手の温度や感触を感じ取れない。
「それはない。そうなる前にお前が止めに来てくれるからな」
「……。ですがそれも、来月までですよ」
…………、
しばし降りる、沈黙。すぐに「淋しくなるよ」と笑いながら言えばよかったと思った。黙ってしまうといけない。俺を心配してくれるのは、どこぞの女ではなくお前であって欲しいよと、言っているみたいで。
「……さあ、兄上。眠りましょう」
あちらもあちらで何か言いたげなのは分かりながらも、何を言いたいのかは、聞かず。「分かったよ」、ただそう答えて、月野は火桶の火を消すと、灯火を手に持って眞琴と共に立ち上がった。向かうは彼と、自分の寝所である。
畳の側に着き灯火を消すと、当然のようにそこへ二人で寝転がり一緒に衾を被った。
ーーー二人で寝る理由は、その方が温かいから。それ以外の理由など、ない。あっては、ならない。
お休みと言おうとすると、「月野兄上」小さく呼びかけてきた眞琴に、先を越された。
「一つ……だけ、頼みがあります」
「…………」
言わせてはいけない、この先を。
かなり強く、思った。「駄目だ」と言おうとした。それなのになぜか、動かない唇。疲れのせいか眠気のせいか、それとも。
「一度でいい。口づけさせてください」
ーーーああ。
確かに感じた絶望。それなのに、胸の内は薄ら寒くなるどころか熱を帯びて、是の返答を月野の唇に紡がせる。
むくり、眞琴が畳に肘を立てて上半身のみで起き上がった。ごそごそと布擦れの音をさせながら、頬へ添えられる手。暗がりの中にもはっきりと、痛切な瞳と目が合った。
眞琴の顔が、迷いなくこちらの顔へ近づいてくる。互いに、目を瞑った。しっとりと重なるのは唇である。月野は腕を伸ばし、弟の首の後ろへ伸ばした。
眞琴が、やがて名残惜しげに唇を離していった。と思えば、こちらの胸に顔を埋めて、小さく身体を震わせた。「兄上」と口にする声は、揺れている。
「好きです。幼い頃よりずっと、お慕いしておりました。……すみません。すみません、許して……」
「眞琴」
月野もさすがに、起き上がった。涙ながらに謝罪の言葉を繰り返す眞琴の背中を抱き締めてやりながら、
「謝るな。悪いのはお前だけではない」
見ていられない。いとしい弟の、泣く姿は……。
「兄もお前を愛しているよ。お前が兄を愛してくれるのと、同じように」
ーーー後悔は、ない。
やめてしまおう、無意味はことは。
互いに、ただ、言っていなかっただけ。醸し出す雰囲気、送り合う視線、触れた箇所から、こんなにも分かりきっていたのに。それを今、言葉にしただけ。月野も、眞琴も。
「嬉しい……、」
言いながら背中へ腕をまわしてくる眞琴に、月野は応える。
凍るような部屋の温度など、もはや気にならなかった。そんなことよりも、互いの体温を感じている方が、今の月野と眞琴には大事なことだった。
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