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結末(後編)
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しばらく進んでいくと、突き当たりの独房に辿り着いた。他の独房よりかなり広く、それがかえって寒々しい空気を醸し出している。
その鉄格子の向こうに、ツグはいた。ベッドに腰かけて、前かがみの姿勢でじっと俯いている。その姿は監禁された重罪人のようだ。
「……ツグ」
「呼んでもねえのに来るな」
足音で気付いていたのだろう、突然の呼びかけにツグは驚かなかった。
「ツグ。俺、あんたと話がしたいんだ」
「必要ねえ」
作業着を肘まで捲った腕は露わで、古傷の痕がいくつも残っている。刃物のような細い痕、煙草の火先のような丸い痕。それだけで歩んできた人生の違いを思い知る。
だが、そのどれも引き返す理由にはならない。意を決してマスターキーをねじ込み、軋んだ扉を開く。
無言で足を踏み入れたが、ツグの表情に拒絶の色はなかった。そっと隣に座っても何も言わない。ベッドだけがギィ、と鳴く。
「前代未聞の暴行だって騒がれてる」
「そうかよ」
「懲罰房に二回入れられたのも、前代未聞だって」
「ふん、言ってろ」
革靴の下で、砂礫がジリ、と音を立てる。
「酷い有り様だったって聞いた。被害者は全員、病院送りだそうだ」
「……」
「ツグ。どうして……あんなことをしたんだ」
「てめえには関係ねえ」
「でも、あんたが理由もなくそんなことをするなんて信じられない」
ツグの横顔からは何の感情も読み取れなかった。鋭利な刃物のように鈍く光る眼は、次の獲物に飢えている獣のようだ。
不意に、ツグが顔を顰めて舌打ちをした。当時のことを思い出したのだろう、荒い口調で吐き捨てる。
「理由なんてあるわけねえだろ。あんなやつら、殺されなかっただけマシだと思え」
「だからって、どうして殴られなきゃ……」
「てめえ、あいつらを庇うのか!」
「そうじゃないっ、こんなことになった理由を聞いてるんだ!」
ツグの瞳が怒りで燃えている。だが、俺も昂る感情を抑えられない。
「だから理由なんてねえっつってんだろうが! 前からあのクソどもにはうんざりしてただけだ!」
「そんな言い訳、信じられない! あんたはそんなことで手を出したりしない!」
「てめえに俺の何が分かる! 知ったフリして粋がってんじゃねえぞ!」
「あんたが嘘を吐いてるかどうかくらいは分かる! 俺は本当の理由が知りたいんだ!」
怒りが空気を震わせる。ツグは急に立ち上がると、地面に落ちていた南京錠を蹴り飛ばした。
「黙れ! 黙らねえとこの場で犯すぞ!」
「好きにすればいい! でも俺は、あんたから本当のことを聞くまで諦めない!」
鬼のような形相でツグが迫ってくる。思わずたじろぐが、有無を言わさず突き飛ばされた。背中に固いベッドの感触が当たる。
「勘違いしてんじゃねえぞ、看守。いつからてめえは俺に口出しできるようになった?」
「……っ」
「てめえは何様だ? てめえの質問に答える義理がどこにある?」
「ツグ!」
制服を肌蹴られ、ボタンが飛んでいく。瞳孔の開いた眼は爛々と光り、ドスの効いた低声は鎖のように体の自由を奪っていく。
「調子に乗るな。てめえは黙ってやられてりゃいいんだよ」
ひんやりとした外気が肌に触れる。その肌をツグの手が這い始める。
――だが、突然ツグの動きが止まった。薄っすらと目を開けると、呆然として俺の体を凝視している。
ツグの視線の先にあったのは、生々しい輪姦の痕だった。ロープで縛られた痕、噛み付かれた痕、殴られた痕。思い出したくもない夜が脳裏に蘇る。
彼もすぐその答えに辿り着いたらしい。鋭い目に激怒の炎が燈る。
「あいつら、こんなになるまでやりやがったのか! あのクズどもが、てめえをこんなにしやがったのか!」
「ツグ! 落ち着け!」
「生かしておく価値もねえ! 今すぐ殺してやる!」
「ちょっと待て! ツグ、落ち着くんだ!」
「あいつらの居場所を言え! 全員ぶっ殺してやる!」
「やめろ! どうして……どうしてあんたが怒るんだ!」
その瞬間、懲罰房が水を打ったように静まり返った。ツグは辛そうに顔を歪めて俺を見ている。
心臓が激しく脈打っていた。ツグの表情が、言葉が、信じられない真実を暴こうとしている。
ツグは一際強く顔を顰めると、視線を外した。そのまま体を起こし、顔を背ける。追いかけるように俺も起き上がる。
「……もうてめえに用はねえ。帰れ」
「な……」
「邪魔だ。失せろ」
「ツグ!」
「うるせえ! いいからさっさと出ていけ!」
「……っ!」
――さっさと出ていけ。今まで散々言われてきた言葉が俺の体を縛る。抱かれた夜は、いつもこうやって追い出されていた。
まるで魔法の言葉だ。スイッチが入ったように思考が止まり、途端に何も言えなくなる。
ツグが帰れと言っている。いつものように言っている。
でも――でも。
「……帰りたくない」
「……ああ?」
「ツグ。俺、もう帰りたくない。あんたの傍にいたい」
「……っ」
「好きだ、ツグ。俺は、何があってもあんたが好きだ……」
心は凍ったように動かないのに、涙だけが淡々と流れていく。遠くで、南京錠に繋がれていた鎖の束が僅かに崩れた音がする。
「……っう、わ!」
突然、体がぐらりと揺れた。はっとして顔を上げると、ツグの力強い腕が背中に回る。そのまま体を引き寄せられ、少しの隙間もないほど密着する。
「……ふざけんなよ」
「つ、ツグ……?」
「てめえは……てめえは、あんな目に遭っても……まだ、そんなこと言ってんのかよ」
耳元で聞こえてきた低声は、もう怒気を孕んではいなかった。苦しそうな、どこか昂っているような、微妙な感情が混ざっているように思える。
流れる涙もそのままに浅い呼吸を繰り返していると、ツグは俺の体をさらに強く掻き抱いた。何が起こっているのか理解できず呆然とする。
「……俺のせいだ」
「え……?」
「あいつらがどこで嗅ぎ付けたのかは知らねえが、てめえとのことを知られたのは、俺がしくじったせいだ」
腕の拘束が強くなる。必死で首を横に振る。ツグの熱い吐息が耳にかかる。
ふと、ツグが言葉を切った。しばらくすると低い唸り声が聞こえ、肩を抱いたツグの指先に力が入る。
「……好きだ。てめえが好きだ」
「……っ!」
「それなのに、俺はてめえを守れなかった。それどころか、俺のせいであのクズどもに好き勝手やられちまった」
「……ツグ……」
心臓が、生命の強さを漲らせて早鐘を打った。思い出したように体が火照り、感情が、心が、ツグの告白に激しく呼応する。
「……てめえがここに来て、もう終わりだと思った。あのうるせえ看守と同じように、俺を責めに来たんだと思った」
「……」
「言い訳は必要ねえと思った。てめえを守れなかった俺にできることなんて何もねえ。だからせめて、てめえを解放してやろうと思った」
ツグの口から弱々しい溜め息が零れ、沈黙が流れる。初めて見る傷付いた姿に胸が締め付けられる。
「だが……もう、それもできねえ」
「……」
「てめえが俺を許すなら、俺はてめえを離したくねえ。俺の方から離れていくなんて……もう、考えられねえ」
ツグの声は震えていた。
冷たく暴力的で残虐非道なツグと、不器用ながらも愛してくれるツグ。二極化した性格は、どちらが本当の姿なのだろう。
だが、ツグの本心を知って、ツグの心に触れて、惹かれた理由が分かった気がした。きっと、受刑者という枠を超えて征木敏嗣という一人の男を知ったとき、俺は彼を好きになったのだ。
俺は震える手で拘束を解くと、そっとツグの頬に触れた。ツグが息を呑む。
「……ツグのせいじゃない」
「……」
「好きだ、ツグ。大好きだ。だから……そんなに自分を責めないでくれ」
ツグが顔を歪めて俺を見ている。そして何か言いたそうに口を開きかけたが、俺はそれを咎めるように口唇を押し当てた。
角度を変えて何度も口唇を重ねていると、ツグの舌が口唇の間を割って入ってきた。純粋な想いが淫靡な空気と混ざり合っていく。
キスの合間に息を吐くと、ゆっくりと体が傾いた。自分とは違う大きな体に圧し掛かられ、優しくベッドに縫い付けられる。
ツグの手が、肌蹴られたままの素肌に触れる。一瞬彼の表情が強張ったが、ツグは躊躇いなく胸元に顔をうずめた。忌々しい痕を消すように、強く肌を吸われる。身を捩って喘ぐと、顎を掴まれて口唇を奪われた。
「……もう、絶対離さねえ」
暗い懲罰房に、ツグの低い声が溶けていく。許されない関係に臆していた過去が、瓦解するように解けていく。
ツグの言葉に小さく頷いてみせると、再びキスの雨が降ってくる。俺は、口唇に乗せられたツグの想いを感じながら――ゆっくりと目を閉じた。
end
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