アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
10.分際
-
ああ、背後で兎洞はどんな顔をしているだろう。
気持ち悪いと思われているだろうな。でも、そんなことどうでもいい。彼を守れないことに比べたら。
「す、ストーカー!? 咲仁っ、危ないからこっちにおいで!」
「遠慮します」
「何されるかわからないでしょ! 早くおいでったら!」
「それはA山さんも同じです」
「同じじゃないでしょうがよぉぉ! ボクの言うことが聞けないの!? お互いこんなに愛しあってるのに!!」
A山が発狂して襲い掛かってきた。前を見据えたまま兎洞を後ろ手に庇う。
A山の体重が乗ったタックルの勢いを利用して地面に転がし……たらよかったのだが、生兵法なのでそう上手くはいかない。
一緒にすっ転んでしまったが、A山が次の行動に移るより素早く回り込んで腕をひしぐ。
「ほぎゃああ!」
「黙って聞いてりゃ、勝手なことをベラベラと……ストーカー風情が『愛してる』なんて笑わせるな!」
「ボクはストーカーじゃない! お前と一緒にするなあ!」
「いいや一緒だ。ストーカーの分際を弁えているか否か、その違いがあるだけだ!」
A山への叱責がそのまま自分にも刺さる。最初から勇気を出していれば、きっとこんな状況にはならなかった。兎洞は究極のいい奴なのだから、恋人になれないまでも、普通の友達にはなれたはずだ。
ストーカーとしてのストイックさを極めるより、もっと前向きな努力をするべきだった。今となってはもう、何もかもが遅い。
「痛い痛い! 極まってるから! ギブギブギブ!!」
「そんな奴に兎洞咲仁の淹れたコーヒーを飲む資格はないっ! 違いのわかる男になるまであのカフェに寄りつくなよ、嘘ついても僕にはわかるからな!」
「コーヒー淹れてるのはマスターだってば。常連がいないと困るから変なことしなければ来てくれて構わないですからね、A山さん」
「ひい〜!!」
A山はほうほうの体で去っていった。念のため、しばらくは監視が必要か……と思ったが、慌ててその考えを打ち消す。思考に染み付いたストーカー根性が嫌でたまらない。
遠回りをして家に帰ろうとその場から立ち去ろうとした時、兎洞から「あの」と呼び止められた。
「あの、あなた『いつものストーカーさん』ですよね? 公共料金を勝手に払ったり玄関前とかポスト前をやたらきれいに掃除してくれたりする」
「えっ、あっ……な、何のことやら……私はただの通りすがりです」
「さっき自分で名乗ってただろ!」
そうだった。
正体がバレないよう帽子を目深にかぶりなおし、電灯の光を避けて暗い場所に立つが、この至近距離だ。どこまで効果があるのか定かでない。
「ストーカーってあんまりいいことじゃないと思うけど、今のは守ってくれたんだよな? ありがとう」
いくら兎洞が人を疑うことを知らないと言っても、さすがにこれは自分に都合のいい妄想じゃないかと思ってしまう。胸が湯に浸かったかのように温かくなり、足が地面から三センチくらい浮いてしまったのではないかという錯覚に襲われた。
「ストーカーさんって、他の人にもこんなことしてんの?」
「す、するわけない! 兎洞くんだけしか見てない!」
わたわたと手を振って必死に否定すると、兎洞はほんの少し笑ったような気がした。
「あ、そう。それはそれで、嬉しいかも……」
ストーカーの分際を忘れて、兎洞を抱きしめてしまいそうだった。けれど、彼の前で宣言した手前、そんなことはできない。不自然に持ち上がった手を握りしめて後ろ手に隠した。
「あ、でも公共料金はその……親が払ってくれたのかと思って、しばらく放置しちゃってすいません……」
「アッ、イエ……」
てっきりさんざん詰られるかと思ったのに、ストーカーの心配までするなんて、一体どこまでお人好しなのか。
公共料金の支払いはお布施のようなものなので、口座引き落としに移行せずそのままにしておいてほしい。あ、でも兎洞用のクレジットカードを作ってマイルを貯めた方が……とブツブツ言っていると、兎洞が気遣わしげに言葉を続けた。
「正直助かってるけど、あなたの負担になってるならやめてほしい」
「負担なんて思ってない! こ、こっちこそ、あなたを怖がらせてすみません、もうやめます……」
「……俺以外の人に迷惑かけてないならまあ、別にストーカーさんの好きなようにしたらいい」
電灯がちょうど兎洞の背後にあり、まるで後光が差しているかのようだ。発言も相まって神々しさすら覚える。
四六時中彼のことを追いかけていたが、盗聴込みで兎洞が誰かを悪く言うのを聞いたことがない。兎洞はどんなに卑しい者でも一度は心の中に招き入れて、座る場所を作ってくれる。
その優しさにどうしようもなく惹かれた。そして彼を知れば知るほど、さらに強く惹かれていく。
兎洞を好きになったのは、ストーキングするより前だったように思う。待鳥自身と幸せになるビジョンがまったく見えず、傷つくのが怖くて、本心から目を逸らしていただけだ。
「でも、もう本当にストーカーなんてやめます」
「なっ、何で?」
「あなたのことを、好きになってしまったので……」
「好っ……ストーカーってそういうもんじゃないのか!?」
「そういうもんに成り下がりたくないからやめるんですっ。いつか、あなたを本当に傷つけてしまうかもしれないから」
辿々しい言葉に常人には理解し難い論理だったが、なんとか意図は伝わったようだ。兎洞は肩を落としてため息をついた。心なしか残念そうに見えるのは、気のせいだろうか。
「……まあ、あんたがそうしたいなら止めないけどさ。また今回みたいなことが起きるかもしれないし、できればたまに様子を見に来てくれないかな」
「えっ、でも」
「だめ?」
だめじゃないです、と即答してしまった。あまり人に要求しない控えめな兎洞が、何かを頼んでくるなんてよほどのことだ。断る選択肢はなかった。
ストーカーという負い目のある奴なら頼みやすかったのかもしれない。
まだ兎洞を好きでいていいんだと言われているような気がして、涙が違う味に変わっていく。
これからのストーキングはきっと一味違ったものになる。
「好き」によってストーカーセンスは更に磨かれ、より強く、より温かく、より柔らかなストーキングができるようになるだろう。そんな予感がする。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
10 / 11