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本編
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「そうだ、訑灸。今度お出掛けしようか」
「お出掛け?」
彼にいろいろあってから二週間が過ぎた。実家との和解も多少は進んだようで、たまに電話で連絡しているのを見かけるようになった。行くのはめんどくさいからとギリギリまでそれで済ませようと画策しているみたいだけど、いいのかそれで。
あれから大きく魘されることもなくいつも通りの日常に戻ったかなと判断して、お誘いを仕掛けてみた。はっきりいう、訑灸と出掛けたことは近所以外ほとんどない、デートというデートをしたことがないんだ。
仔猫たちと遊んでいた彼は不思議そうな顔をしている。
「そう、お出掛け。水族館行ってみない?」
「水族館? ……魚がいるところ!」
わーいと黒い仔猫をかがけて喜ぶ姿に微笑ましくなる。そんなに喜んでもらえるならもっと早くに誘えば良かった。
「聞け、クロ! 魚がいるところぞ! おいしいかなぁ?」
「待って、訑灸。水族館は鑑賞するところで、食べるところじゃないからね」
「なん、だと」
水族館をなんだと思っていたのか。その理論でいくなら、動物園は動物の肉を食うつもりか。
驚き落ち込む姿を見ると彼の一般知識に不安を覚える。これは今度彼の認識チェックをしなければならない。
「それじゃあ、なにしに行くんだよー?」
クロを抱き直し、不服そうに口を開く。あれ、もしや、デートの概念がない?
「僕が訑灸とゆっくり出掛けたいから、水族館へいろんな魚やイルカのショーを見に行こうと思ったんだけど」
「……」
ものすごく考えている。こいつなに言ってんだって顔から、ものすごく考えだした。彼の辞書に、デートも鑑賞するための水族館も載っていない。なんてことだ。
「訑灸は僕と出掛けるの、嫌かな?」
「イヤじゃない」
ここは即答してくれた。それなら、なにを悩んでいるんだろう?
「俺、そういうとこいったことないからさ。楽しいの?」
「僕は訑灸と一緒ならどこでも楽しいけど」
「答えになってない」
口を膨らませる彼の髪をくしゃくしゃにする。
確かに出会ってから今日までそういう場所に出掛けたことはないし、彼も学校行事をとことん不参加にしていたことは知っている。学校と家の往復だけで、それ以外で家から出ることもしなかった。そもそも楽しむことが大きく欠落しているんだ。行って楽しむという感覚がないのは、なかなかの問題である。
「いろんな発見があって、楽しいと思うよ。一度行ってみよう?」
「わかった」
あまり気乗りはしてないようだったけど、行けばきっと満足してくれる。
僕は水族館のチケットを確認するためにスマホを開くのだった。
◆ ◆ ◆ ◆
「ここに魚がいる?」
「そうだね」
建物を見上げて彼が口を開く。人が少ない平日を狙ってそこへ僕たちはやって来ていた。普段は置物状態の車を動かすこと一時間。ドライブデートも兼ね備えている、と見せかけて帰りに彼が寝ても問題ないための対策だ。絶対に疲れて寝る、僕はそこまで読んでいる。
「あいつらもこれたら良かったのになー」
「さすがに仔猫は無理だよ」
魚がたくさんいるという理由だけで、仔猫たちの参戦も訊ねてきたがそこはしっかり説明して断った。だから仔猫に美味しい魚を持ち帰ることを約束してたけど、帰りに魚屋寄ればいいかな。ここで魚は買えないんだ。
入場口に向かい二枚のチケットを受付のスタッフへ見せる。キョロキョロと周りを見ながら着いてくる姿が完全に子供の動きそのもので小さく笑みを浮かべる。彼にとっては不思議な世界だろう。
「十二時からイルカのショーだから、それまでは適当にまわろうか」
「任せるー」
現在時刻十一時。ここへ来る前に腹も満たしてきた。すべての魚を見て食べたいという発想にはならないだろう。
まずは、入ってすぐにある海の魚コーナーからだ。
「俺は今、楽しい! ここ、好きー」
「それはよかった」
フロア一階にある水槽を周り、イルカのショーが行われる特設会場の席に座っている。目をキラキラとさせ、あれが良かったこれが良かったの話す姿に笑みが溢れる。水族館は動物園とは違った癒し効果や圧巻さがある。観る者の心を惹き付けるには十分すぎる力を秘めていた。
「イルカも楽しみだなー。飛ぶんだろ?」
「驚くくらい飛ぶよ」
一階では水槽に潜ったイルカを見ている。人馴れしてサービス精神旺盛なイルカたちは、何度も僕たちの前を泳いでくれた。それが、とても楽しかったようだ。
「早く始まらないかなー」
ここまで楽しそうにしている彼の姿を見るのは久しぶりに思う。仔猫を見つけたとき以来かもしれない。そう考えると僕、なにもしてないな。
『こんにちはー! 本日はご来場いただきありがとうございます』
悩んでいる間にショーの時間が始まった。マイクを持ったトレーナーの合図で、イルカたちが次々と上空へ跳び跳ねる。ボールに触れたり、輪を潜ったり、イルカの上に乗って一緒に泳いでみたり。次から次へといろんな姿を見せるイルカに場内の歓声は止むことがない。
横目で隣を見ると、真剣な眼差しでイルカを眺めている。
(もっと早く連れてくれば良かったな)
彼のことを気にしすぎて出掛けることを躊躇いすぎていた。彼の心を惹き付けるものが多ければ多いほど、あんな思いはさせなくて良かったかもしれない。すべてたらればの話になるけど。
『以上を持ちまして……』
あっという間にショーは終わり、観客が移動していく。落ち着くまではその場にとどまろうと動かずにいると横から声をかけられる。
「なぁ、しゅう」
「どうかした?」
「かっこいいな、イルカも。あそこにいた人たちも」
堂々としててかっこいいと口にする彼の視線は、水槽のイルカたちへ向けられている。真剣に見ていると思っていたけど、そんな風に考えていたのか。
「興味湧いた?」
「無理に決まってんだろー。俺、泳げねーもん」
「……ほんとに?」
ここにきて初めて知る新事実、泳げないのは聞いてない。よかった、彼を海やプールに誘う前にわかって。確実に機嫌を損ねていた。
「次行こうぜー?」
残すは僕たちだけになり、席から立ち上がる。次に向かうのは、クラゲと深海に生息する海の生物コーナーだ。そのあとに浅瀬に棲む生物の触れ合いコーナーもあったけど、彼がそこに乗るかどうかはわからない。気持ち悪い生き物は避けてるような気がする。
照明の薄暗い室内へ入るとそこには明かりのともされた水槽で浮遊するたくさんのクラゲがいた。クラゲは刺されるとろくなことにはならないけど、こうやって眺めるには癒し効果が高いのって不思議だよね。
「こいつはおっきい、あいつはちっさい。お前は変な形してんなー」
水槽を覗きながら呟く感想が、極端すぎて笑みがこぼれる。癒されるよりも以前の問題だったみたいだ。
「クラゲはお気に召したかな?」
「ふわふわしてるのは、嫌いじゃない」
「そっかー」
実は刺されると生死に関わる話までしようと口を開きかけたがやめることにする。彼の性格上、直接クラゲと触れ合う機会は絶対にないのだ。そのうちわかればいいだろう。
クラゲの部屋を出た先には深海に棲む生物の水槽がある。基本的に、深海にいる生物は見た目が特徴的なものが多い。彼はその姿があまりお気に召さなかったようで、ちらりと見てはすぐに次の水槽へ移動していた。厳つい顔の魚が多いからなぁ。
「訑灸?」
とある水槽の前でその動きは止まった。水槽に手を付けて食い入るように眺める生物がいったいなんなのか、気になった僕は隣に並ぶ。なるほど。これは、深海のアイドルといえばアイドルだ。
「こいつら、おもしろいんだけど!」
「チンアナゴとニシキアナゴだね」
「細くてちっこいのに、アナゴ?」
彼が眺めていたのは十数匹飼育されているアナゴの水槽で、土の中へ出入りする様子が楽しいらしい。
「見えてる部分が少ないだけで、実際には数メートルの長さがあるみたいだよ。長い子で五メートルは越えたんじゃないかな」
「うわべだけかわいいやつか」
そういう訳じゃないと思うけど、彼が楽しそうに見ているのであえて突っ込まない。今日は彼を楽しませるために来たのだから。
「……」
今回、飽きるまでは無理矢理動かないことを決めていた。だから、彼が水槽から離れない限り次に動くつもりはなかったけど、これは眺めすぎじゃない? この水槽に来てから十分は経過している。
「訑灸、楽しい?」
「んー……」
思わず声をかけてしまったけど、返ってきた反応で気付いた。これは夢うつつで水槽を眺めているな。
「訑灸、立ったまま寝ようとしないでよ。まだあるんだから」
「……こいつらが、悪い」
ふあぁとあくびをして水槽から離れる姿に、息を吐く。確かに、不規則に動く姿はかわいいし癒し効果もあると思うけど、寝るほどではない。それだけ、気に入ったということか。
寝惚けている彼の右手を掴む。周りに人は多くいない。手を繋いだところで受ける周りの視線もそんなに感じないし、なにより彼がどこかへ行かないように捕まえておく方が大切だ。
「ほら、次に行くよ」
「……しゅう、手?」
不思議そうに右手を眺める彼に、いたずらっぽく笑って問いかける。
「訑灸は僕と手を繋ぐのは嫌かな?」
「……いやじゃない」
握り返す手が強くなったから、このままいいのだろう。次のコーナーへ向かうため歩き出す。
案の定、彼は触れ合うことをとても嫌がりそこは呆気なくスルーされた。見るのはいいけど触るのは別問題らしい。
「なにか欲しいのがあったら、お土産に買って帰ろうか」
「魚!」
「ここでそれは買えないかなぁ」
仔猫たちとの約束はしっかりと覚えていたようで、帰りに魚屋へ寄ることが確定した。今日の晩御飯は刺身かな。水族館で魚を鑑賞した後に、魚を食べるって背徳感があるのは僕だけ?
繋いでいた手を離して、彼を自由にさせる。狭い店内だから、彼を見失うこともない。キョロキョロと物珍しそうに見てまわる姿が、新鮮で可愛らしい。そういえば、サプライズでプレゼントを貰ったときもこんな感じだったのだろうか。……記念に残るものは大切だよね。ふと思い付いて迷わずそれを二個手にする。
「しゅう、俺、これほしい」
「わかっていたけど、そこまで好きになったの」
名前を呼ばれて振り向くと、そこにいたのは上半身が隠れるほどの大きさがあるぬいぐるみを両腕で必死に抱えた彼の姿で、二つは欲張り過ぎではないだろうか。欲しいなら買ってあげるつもりだけど、どこに置くのそれ。
「こっちは俺の、これはクロたちの」
「猫のお土産もそれかー」
間違いなく彼がどちらも気に入って悩んだ結果だと思うけど、チンアナゴとイルカの巨大ぬいぐるみをお土産に選ぶとは想定外だった。彼のベッドとソファーに置いてればいいかな。
欲しいのがあったら買って帰ると最初に話したので、断るわけにもいかずそのままレジへ向かうことにする。嬉しそうにしているからいいんだけど、ね。さすがに大きすぎるんだよなぁ。
「ありがとうございます」
レジの店員さんにも微笑ましく見送られ、幸せそうに両腕にぬいぐるみを抱える彼が結局のところただただ可愛くて思わず笑みが浮かぶ。さすがに、このままでは歩く彼の足元が覚束ないので、イルカの方を腕から抜き取った。
「わっ」
「危ないから、こっちは僕が持つよ」
イルカを左腕に抱き抱えて右手を差し出すと、キョトンとした顔をしていたが悟ってくれたようで嬉しそうに笑って左手を重ねてきた。
「水族館、楽しいなー」
「そう思ってもらえて良かったよ」
二人で大きなぬいぐるみを抱えて、手を繋ぎながら駐車場までの道のりを歩く。
さぁ、あとは魚を買って帰るだけだ。
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