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君を幸せにしたいから
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ガタガタと揺れる、鉄格子がついている荷馬車に乗せられボロボロのおれは酷い体の重さと息苦しさに、もうそろそろ死ぬんだろうなと漠然と考える。座っていられなくて冷たい床に倒れこめば容赦なく鞭が降ってきた。
しかしもう起き上がれる程の体力がない。劣悪な環境で管理され、時には貴族たちの慰みものとして使われる。おれはそんな奴隷だった。
──────────
大人よりも子供の数が多いくらい、今の時代は子供で溢れかえっている。しかし働き手が少ないため景気はどちらかといえば不景気。だから子供でも働きに行かされることは珍しくなかった。
だが、職場はそう甘いものでは無い。使えない子供はすぐに他に回され、最悪の場合クビなんてこともある。
おれには兄弟が他に4人いて、到底養えないからと5歳くらいからほぼ住み込みで働きに出かけていた。雇い主はすごく優しくて、覚えの悪いおれをクビにすることなく、むしろ手をかけて面倒見てくれた。
おれの仕事はお金持ちの家…所謂貴族といわれる人の家のお手伝いさん。いつもお皿を割ってしまったり洗濯物が上手く干せなかったりしたけど、掃除だけは得意でよく褒めてもらったのを覚えてる。
そしてそんなおれと歳の近い子供がいたことも覚えてる。名前はハヤトくん。すごく仲良くしてくれた。たしかおれよりも5歳年上だった気がする。
落ち葉の掃除をしていたら大量の落ち葉のあるところに手を引いて連れて行ってくれて、掃除する前に一緒にダイブしたり、掃除し終わって集めた枯葉で焚き火したりした。おれが他のお手伝いさんに怒られている時はさりげなく近づいて怒るに怒れない状況にしてくれた。
そんな優しさに気づいたのは随分あとだったけど、5年も働かせてくれたから沢山成長できたんだ。
最初は喋ることも、感情を持つことすらも難しかったおれはハヤトに片想いをするくらいにまで成長した。してしまった。
おれは必死に気持ちを隠した。だっておれは雇われの身、はたまたハヤトは貴族だ。身分が違いすぎて、そんな感情を口にすることが烏滸がましく感じたんだ。いや、実際そうなんだと思う。
おれは本当の気持ちを隠したままハヤトくんと仲良く過ごした。好き、なんて言えなくったって十分すぎるくらい幸せに過ごせたんだ。
でも、おれは10歳で売られた。
その雇い主じゃない。親にだった。
親には愛されなかったしいっぱい叱られたけど、仕事の時だけは幸せな時間だった。
でもそれも終わり。突然家に押しかけてきた奴隷商人によっておれは連れ去られ、今や奴隷運搬車や荷馬車に詰められて揺られる日々だ。
連れてこれられた初日、まずは服を全て取り払われた。ハヤトくんが選んでくれたシルクのシャツが目の前でビリビリに引き裂かれる。やめてくださいと泣き叫べば頬をはたかれた。
全身をくまなく触られ、その気持ち悪さに今度は静かに泣いた。しかしそれでも気に入らないのか今度はお腹を殴られた。泣いてはいけないのだと馬鹿なおれでも分かった。
その後は首輪、手錠、足枷を嵌められその冷たさと重さにまた涙が溢れそうになって唇を噛んで耐える。
そして与えられた服は薄っぺらくてボロボロで丈の短いワンピース型の服。横にボタンが付いていて手錠を付けたままでも着脱出来るようになっていた。
食事は1日1回、パンとスープだけ。育ち盛りの体は当然それで満足することなど無く、同じく連れ去られてきた青少年たちは他人のご飯を奪い合う。おれは奪うことはしなかったけれど奪われることは多々あった。だから体は上手く成長しなくていつまでも小さいままだ。
少しでも気に障ることをすれば容赦なくぶたれるこの環境で小さい体はあまりにも生きづらい。的が小さい分同じ場所にダメージが蓄積されるからだ。
それに力も弱くてよく他の子の餌食にもなった。おれはやってないのに、あの子たちがした失敗を押し付けられても否定すらさせてもらえなかった。否定したらあとでどんな目に合うか分かりきってるから。
ここにいる誰よりも傷ついてボロボロのおれにさらに襲いかかったのは烙印だった。突然服を取られ丸裸にされたおれは診療台のようなものに寝かされ手足を固定され、真っ赤な烙印を肋のあたりに焼き付けられた。熱くて痛くて耐えきれず喉がはち切れんばかりに叫んだ。この時だけは無くことを許されていたのか泣き叫んでも鞭が飛んでくることは無かった。
奴隷の烙印が押されたおれは本格的に売りに出すための調教をされ始めた。
今まではただ働いていただけだったけど、商品としての振る舞いや貴族の慰みものになるための練習をさせられたのだ。言ってしまえば股を開く練習。辛くない筈が無かった。
いつでも股を開けるようにワンピースの下に下着を付けることを許されなくなり、レイプが当たり前の生活に変わり果てる。貴族や奴隷商人に犯されるならまだしも他の奴隷たちにも犯され、心身共に疲弊しきっていたおれはいつの間にか抵抗することすら出来なくなった。
そこまできてようやく買い手を探すための荷馬車に乗せられた。普通に座っているだけで性器が見えてしまいそうな程短いワンピースを着たおれたちは街中で沢山の人の目に触れ、おれたちを人とすら認識してくれない人たちに無遠慮に触られ、またも心がすり減る。けれど代わりに他の子から与えられる苦痛は殆ど無くなった。なぜなら周りに見られているから。なるべく行儀よくして買って貰えないと一生このままの生活になってしまう。荷馬車に詰められ揺れている間が1番平和だった。
しかしそれも2年続けばどれも全て同じくらいに苦痛でしか無くなった。
座り続けることを強制される体は痛くて堪らないし、でこぼことした整備されていない道では振動が体中に響いてうめき声が漏れるくらい辛い。それに2年も売れないとなるとただの穀潰しだと商人から見放され、売り物としての最低ラインすら守られず痛めつけられた。人の目を憚らず繰り返される暴力と陵辱が当たり前になっていた。
だからだろう、もう体がもたないんだ。
倒れ込んだおれに放たれる鞭も、倒れたことによって丸見えになっているであろう性器も何も気にならないほどに体が重い。白む世界にあぁ、死ぬんだなと漠然と思った。瞼が段々と下がっていく中、最後に見覚えのある姿が見えたような気がした。
「は、やと…くん……」
「そこ、勝手に喋るな」
最期くらい幻を見たっていいよね…
バシンと鞭が振り落とされると同時におれは完全に意識を失った。
────────
「…………シュン?」
一瞬だけ自分を呼ぶ声が聞こえたような気がして振り返る。
その声はずっと探し求めていた俺の大事な人の声だった。
「そこ、勝手に喋るな」
パシンと乾いた音が鳴り響き思わずそちらへ目を向ける。そして見覚えのある髪色が目に入った。
鼓動が一気に早くなる。もしかしたらそうかもしれない、と逸る気持ちをそのままに荷馬車へと駆け出した。
「ッあの、!」
奴隷商人と思われる男に声を掛けると、「なんでしょうかぁ?」と吐き気のする猫なで声を出される。
そりゃそうだ、俺は一目で金持ちだと分かる服装をしているのだから良い金蔓にでもしたいのだろう。
ならば、お望み通りなってやる。
「その男、買います。いくらですか?」
俺はもうこの子がシュンだという確信があった。柔らかくて色素の薄い茶髪、目元にある泣きぼくろが昔から変わってなくて泣きそうになる。
一体こんなにボロボロになるまでどれだけの苦痛を与えられてきたのかと目の前の男に殺意が沸いてくるが、そんなことを言っている暇は無さそうなので怒りを込めた睨みで何か言いたげな男を黙らせる。
こんなに痩せこけてみすぼらしい奴隷をなぜ?とでも思っているのだろう。だけど、その子は本来すごく綺麗な子だ。お前らに見る目がなくてここまで穢したみたいだけど。俺の愛し子に傷を付けたこと、後悔するがいい。
「早くしろ、いくらだ?」
「え、ぁあ、」
「2倍払うから今すぐ拘束具を全て取ってくれ」
「は、はい!ただいま」
男はニマニマと気持ちの悪い笑みを浮かべながらシュンに触れる。
それだけで頭に血が上るが、そのあとに無理矢理目を覚まそうと1発殴った瞬間発狂しそうなくらいの怒りが全身を巡った。
「いい!お前はそれ以上シュンに触れるな!」
今まで出したことの無いくらいの大声で叫ぶ。男はビクリと体を震わせると俺に鍵を差し出した。最初からこうすれば良かったのだとまだ収まらない怒りに息を荒らげながらシュンの拘束具を解いた。
一体いつからされていたのか、どれだけ激しく抵抗したのか、外した後も痣が色濃く残りその残酷さを物語っている。
「ハヤト様、お知り合いでしたか…?」
一部始終を静かに見守っていた執事がそう問いかけてくる。
「あぁ、俺の大切な人だ。早く屋敷に連れ帰って治療を受けさせないと」
「そうでございましたか。承知致しました。」
察しのいい執事は恐らく俺が俺以外の者にシュンを触らせたくないことを察し、俺にシュンを抱かせたまま車へと案内してくれた。
安定して早い運転ができる優秀な執事なので揺れも少なくすぐに屋敷にたどり着く。
腕のいい医者も既に手配してくれていたようで、到着した瞬間シュンを診てくれた。
「頑張れ、生きろシュン」
抱えた時の異常な軽さと冷たさを思い出して冷や汗が背中を流れ落ちる。もう少し見つけるのが遅かったら死んでいたのではないかとすら思えるくらいの衰弱っぷりに先程から震えが止まらなかった。
──────────
「シュン、もう夜だよ。シュンはねぼすけさんだね」
そんな温かくて優しい声が聞こえてふと真っ白な世界から意識が浮上する。
ふかふかな布団とすぅすぅする首元、重たくない手足……一体なにが起こったのかと飛び起きようとすると全身に鈍い痛みが走って思わずうめき声を上げた。
「わ、目覚めたんだね?まだ安静にしてなくちゃいけないからゆっくり寝てな」
懐かしい声の主がそっと体を支えてもう一度寝かしてくれる。
もしかしてあれは幻覚ではなかったのかと恐る恐る声の方を見ると、意識が落ちる直前に見たままのハヤトくんが座っていた。
ハヤトくんは嬉しそうに微笑む。
「シュンで間違いない、よね?」
「う、ん…っ、ほんとにハヤトくん?」
「そうだよ。…助けるのが遅くなってごめんね。生きててくれてありがとう」
ハヤトくんは目に水の膜を貼りながらおれの傷に障らないように優しく抱きしめてくれる。
その温かさに胸が締め付けられ、2年間我慢していた涙がこぼれ落ちた。
泣いちゃだめだ、泣いたら殴られる、と必死に唇を噛み締め涙を止めようとしたらハヤトくんの指が唇の間に入ってきて強制的に口を開けさせられる。訳が分からなくて困惑しながらハヤトくんを見ると、彼も困ったように眉を顰めていた。
「シュン、そんなに噛んだら唇が裂けてしまうよ?どうして我慢しようとするの?」
「だ、だって…泣いたら殴るでしょ?酷いこと、するでしょ?」
思わず声が震えてしまってマズイ、と口を押さえる。これじゃあまるでハヤトくんを怖がってるみたいだ…折角助けてもらったのに最低だ、おれ。
「ご、めんなさいっ」
「……謝らないで」
口を塞いだ震える手にハヤトくんの手が添えられる。昔よりもずっと大きく、骨の隆起が見えるようになった手に思わずドキッとしてしまった。
「シュン、覚えておいて?人間は感情を表に出すことを禁止されてない。シュンは人間でしょう?だから泣いたっていいし、笑ったっていい。大丈夫だよ」
「で、でも!おれは奴隷、だから…」
「奴隷だって人間だよ。…それと、シュンのことは俺が買った。だからシュンのことは俺にも決定権がある。それでね、1つ今決めたいルールがあるんだ」
「ルール……?」
そっか、ハヤトくんがおれを買ってくれたから今おれはあの馬車から抜け出せているんだ。
全く現状整理ができてなかった頭に少しだけ情報が加わった。そして一気に安心感に包まれる。もうあの場所に戻らなくていいんだって。
それならなんでも聞くよ。ハヤトくんが何を望むのか分からないけど、あの場所に戻らなくていいのならなんだってやる。
「…何か勘違いしてるみたいだけど、俺はシュンに酷いことはさせないよ」
「……え?」
「当たり前でしょ?俺はシュンを大切に想ってるんだから。あの商人たちとは違うよ」
「たい、せつ」
「そう、大切」
心の中で何度もたいせつ、と繰り返す。
その度に温かさがぽわぽわと浮かんできてくすぐったい気持ちになった。
「だからね、ルール。シュンも、シュン自身のことを大切にしてください。」
「……?」
「俺が大切に想ってるシュンのことを他でもないシュン自身が縛って傷つけてたら俺はつらいよ」
「…でも、おれ、この2年で大切を忘れちゃった。上手くできないかもしれない、どうしよう」
上手く出来なかったらまた捨てられる?不安でたまらなくなってハヤトくんを縋るように見つめると、ハヤトくんは優しく笑っておれの頭を撫でてくれた。
「上手くできなかったら俺が教える。大丈夫、大丈夫だよ」
「ほんと?」
「うん。約束する」
ほら、指切りって細長い綺麗な指を差し出される。対しておれは絆創膏と包帯だらけの手で酷く汚く感じた。
「あ、今また自分を貶したでしょ?…その手当はね、俺がシュンを大切にしたくてお医者さんに頼んでやってもらったんだよ?だから俺からシュンへの愛。分かった?」
「…おれ、汚くない?」
「何言ってるの、汚いわけないじゃん。大丈夫、傷は治るよ」
「だい、じょうぶ」
「そう、大丈夫。」
固まっていたおれの手にハヤトくんの小指が絡みついて、指切りの形になる。
約束…あったかい響き。
また1つ心が温かくなって、先程から自分だけ貰ってばかりなことに気がついた。そしてサッと血の気が引く。
傲慢な人だと思われただろうか?嫌われないだろうか?って心配事がグルグル頭を回って、なんとかしないとって口を開いた。
「さっきから、おればっかり貰ってる」
「…なにを?」
「なんか、あったかいの」
「……!ふふ、あったかいの?」
「うん、優しさ…とか」
「良いんだよ、シュンは大切だから沢山あげたいし優しくしたい」
「でも!貰ってばかりは怖いよ」
怖い、とスルリとその言葉が自身の口から落ちたのに自分でもびっくりする。この2年間感情を言葉にすることがずっと出来なかったからもっと弱音を吐けるようになるのは後だと思ってた。
でも出てきたってことはきっと…ハヤトくんが信頼できる人だってことだ。
嫌われたく、ないなぁ
そう思って視線を逸らすと、それと同時に「じゃあ、」とハヤトくんの声が降ってきた。
「ここでまた働く?」
「……え?」
「人手は足りてるからシュンの自由にしたらいいけど、何か俺のためにしたいってことでしょ?だったらまたお手伝いさんやってよ」
「……いい、の?」
「勿論だよ。またシュンに掃除してもらえると思うと嬉しい」
柔らかいハヤトくんの声にもう一度顔を上げると、嬉しそうに微笑むハヤトくんと目が合う。
少し恥ずかしくてやっぱりし線を逸らせば小さく「かわいい」って言われてしまった。
かわいい、なんて身に余る言葉だ。
「そうと決まったら早速お屋敷を案内するよ。久しぶりだから忘れちゃったでしょ?」
「…うん、お願いします」
本当はここに戻ってくることを何度も望んだから忘れられなくてちゃんと覚えているけど、それを言ったらハヤトくんと一緒にいられる時間が少なくなってしまうような気がして嘘をつく。悪い子だ。
「ここが談話室で、ここが──」
次々と広い屋敷の中を案内され、記憶と殆ど変わらない姿に緩く口角が上がってしまう。
今この場所に居られるのが夢みたいで幸せだった。
「あ、ハヤト様!お帰りになっていらっしゃったんですね!」
「うん、ただいま」
「お帰りなさいませ!」
書庫みたいな部屋に案内された時、丁度掃除中だったらしくお手伝いさんが挨拶をしに駆け寄ってきた。そのお手伝いさんはおれと同い年くらいの少年で少し驚く。
そしてその後も何人かお手伝いさんとすれ違ったけれど、みんなおれと同じくらいの年齢で流石に気になってしまった。
「ねぇハヤトくん。どうしてここのお屋敷のお手伝いさんはこんなにおれと同い年くらいの子なの?」
「あ、気づいちゃった?」
「……ごめんなさい、もしかして聞いちゃいけないことだった?」
「ううん、全然そんなことないよ」
ただ、聞いたらシュンはびっくりしちゃうかも。と言われ思わず身構える。
そんなおれを見てハヤトくんは楽しそうに笑ったあと、妖美に微笑んだ。
「理由は簡単だよ。……俺がシュンのことを忘れられなかったから。同じ年齢の子を集めていたらいつかその中にシュンが混ざってくるんじゃないかって変な期待して求人出してたんだよ」
「……へ?」
「ふふっ、変な顔」
思わぬ答えに開いた口が塞がらない。
そんなおれを見て笑ったあと、ハヤトくんは「次行くよ」と踵を返した。
よかった、すぐに前を向いてくれて。じゃなかったらおれの顔が赤いことがバレてしまう。
ハヤトくんが昔みたいに接してくれるせいで忘れていたけど、すれ違うお手伝いさんたちの態度で思い出した。この人はすごく偉い人なんだって。
だから、奴隷なんかのおれが恋していい相手じゃないんだ。
─────────
「今日はこのくらいにしておこうか」
「……え?」
「シュン、すごく疲れた顔してる。もしかしてしんどかった?」
「ぜ、全然だよ!」
「本当に?」
「うん、本当に大丈夫」
「そう?ならいいけど…」
本当に大丈夫。少しだけ目が霞むけど、こんなのは序の口だ。もし今もまだあそこにいたらこんなんじゃ済まなかった筈だし。
──今まで散々こき使われ異常な空間にいたおれは、なにが普通でどこまでが大丈夫なのか分かっていなかった。
その弊害が今まさにやってくる。
「シュン!?」
「……へ?」
体がグラリと揺れて床に倒れ込む。
ヒヤリとしたその床の感覚にあの牢屋のような奴隷小屋を思い出してしまった。
「ひ、っ…はぁ…っ、はぁ、っは、」
嫌だ、こわい、
一瞬にして目の前が真っ黒になる。
倒れちゃだめだ、また痛いことされてしまう。
動かしづらい手足をなんとか動かして立ち上がろうとするも上手く力が入らない。
「シュン、シュン!落ち着いて!!」
「ーーッ!?」
パニックに陥って周りが見えなくなったおれに届いた唯一声。ハヤトくんがおれを呼ぶ声が聞こえてハッと意識が戻ってきた。
「大丈夫、怖くないよ。ここはあの場所じゃない。俺が絶対守るからね、大丈夫。大丈夫」
トン、トンと背中をさすられ、やっと自分がハヤトくんに凭れかかっていることに気づく。
こんな汚い人間がハヤトくんみたいな綺麗な人に支えられている。その事実にまた怖くなって息がしづらかった。
「シュン、何も考えなくていい。安心して息を吐こうか」
「っは、…はぁっ!」
「大丈夫、シュンなら出来るよ」
「はぁっ…っ、はぁ、…はぁっ…」
「そう、その調子だよ。ちゃんと出来て偉いね」
ハヤトくんはすごく温かくて優しくて、安心して指示を聞いていたら少しずつ呼吸が楽になってきた。
でも力が入らないのは回復しなくてぐったりともたれかかってしまう。
「ん、よく頑張ったねシュン。疲れたね、今日はこのまま寝てもいいよ。部屋まで連れていくから」
「で、も…」
「何も気にしなくていい。今は自分を大切にしてあげて」
「……ごめん、なさ」
耐えきれず意識を手放す。
緩く頭を撫でられてふわりと安心感が広まった。
─────────
「酷い取り乱しようだった。」
「左様でございましたか」
「あの場所から遠ざけてもなおこの子を蝕むあの荷馬車が、商人が憎すぎて夢にまで出てきそうだよ」
「…ほんとうに、酷でございますね」
濃い隈を携えたシュンが眠っているベッドを囲み執事に少しだけ愚痴る。
あまり表に感情を出さない性格の執事だが、今日は悲痛そうに顔を歪めていた。それだけシュンの状態が酷いものなのだ。
「俺はシュンを幸せにしたい。」
「……。」
「ねぇ、それっていけないことかな?」
執事は読みづらい表情で目を伏せる。
あまりいい答えではないのだろう。
「幸せ、と言っても種類がありますが、どれにしたってそれなりの覚悟は必要ですよ。」
「そんなのは分かってるよ」
「いいえ、分かっていません」
「本当に分かっているのですか?彼はもう一般家庭に産まれ育ったシュンさんではありません。奴隷のシュンさんになってしまったのです」
「……っ、」
「一般人なら奴隷を買って幸せにしてあげる選択肢もあったでしょう。しかし貴方は貴族。階級制度があるこの国で最下層に存在する奴隷を上位に君臨する貴族が匿うのはおかしいことではありません。……しかし、幸せにするとなると話が変わってきます」
執事の言いたいことは痛い程分かった。言われて漸くシュンが奴隷という身分に成り下がったことを自覚したのだ。
この国は階級制度が根強く残っている。そのため貴族は貴族らしく貴族と結ばれるのが一般的だ。せめてあっても普通の民衆。それでもかなり珍しがられ、場合によっては批判すらされるのにましてや奴隷。俺は批判されても構わないけれど、それにシュンが耐えられるとは思えなかった。
きっと執事は気づいている。俺がそういう意味でシュンを幸せにしたいってことを。
だから真剣にこうやって話してくれてるんだ。
「ありがとう。言いづらいこと話してくれて。」
「良いんですよ。ハヤト様が気づいてくれたらそれで」
「うん」
シュンは、元々自己肯定感が高い方では無かった。親に優しくされず、仕事もできる方では無い。与えられる愛はかなり少なかったと思う。
だから俺は気にかけた。絶対に寂しいはずなのに、そんな表情1つ見せられない俺より小さい子。
それが可哀想に感じられて声をかけた。そしたら恋に落ちた。笑うと本当に可愛いんだ。すっごく純粋に笑うんだ。たった少しのことで幸せそうに笑ってくれる。こんな良い子がいるんだって、すごく好きになった。
絶対に守ろうって決めたのに。突然いなくなってしまった。ずっとずーっと探し続けてやっと見つけた愛し子。
でも、見つけた愛し子は前よりもずっと自己肯定感も自己庇護欲も人間としての常識でさえも捻じ曲げられていた。どれだけ自分を大切にして欲しいと伝えても、そもそも大事が分からなくなっているのには気づいている。だから、今のあの子にこれ以上負担を増やしたくない。
「どうして俺、貴族なんかに産まれてきちゃったんだろう……」
「といいますと?」
「俺が貴族じゃなかったら、今頃なんの障害もなくあの子を幸せにしてあげられたかもしれない」
「たしかに、否定はできませんね。」
「うん…」
俺は初めて自分の生まれを憎んだ。とても恵まれた人生だと思う。でも、シュンを助けられないのならなんの意味もないと思えてしまう。
「でも、私は違うと思いますよ」
「え?」
「ハヤト様がこの家に生まれてきてシュンさんを見つけたから、シュンさんは幸せな幼少期を送れたと思います。」
「……」
「今だってそう。貴方じゃなければシュンさんには気づけなかったでしょう。十分、シュンさんはハヤト様に救われてるんじゃないでしょうか?」
「そっか」
「ええ。貴方が今すべきなのは生まれを憎むことじゃなくて、どうしたら良いのか考えることです。少し酷なことを言うようで申し訳ないですが。」
「…いや、本当にその通りだと思う。」
ふる、とシュンのまつ毛がゆれる。
眠たそうに開けられる目を見て一層守りたいという意思が強くなった。
───────────
「なぁ、お前奴隷なんだろ?なんであんなにハヤト様と仲良くするの?」
「なんで、って…」
「特別扱いされてさぞいいご身分なことで」
「え?」
「目につくんだよな、お前の存在」
「え、え…っ」
「入ってきたばっかのくせに」
ドン、と背中を押され敷地内の池に落とされた。まだ治りきってない傷に滲みて息を詰める。
おれを押したのは他のお手伝いさんだった。
抵抗しようとすればするほど足が地面の泥濘にハマって抜けられなくなる。痛い、痛くて寒くて冷たくて寂しくて奴隷生活を思い出す。途方もない恐怖に襲われて息が乱れた。
それを可笑しそうに上から覗く他の子たち。
あぁ、これがおれの人生なんだろうな。人から嗤われて虐げられてこれからもきっとそういう人生だ。
唐突にそう理解してしまって体から力が抜けるのが分かった。
このまま沈んでしまうおう。そう思って目を瞑った瞬間だった。
上から短い悲鳴と謝罪の声が聞こえてきた。
何事かと目を開けると酷い顔をしたハヤトくんがこちらを見ている。他の子たちは打たれたのか頬が赤く染まっていた。
「シュン、手を伸ばして」
「っ、」
「ほら、早く。」
「……ごめん、なさい」
「許さないよ。俺はもうシュンを幸せにするって覚悟を決めたの」
「……っえ、?」
「だから手を伸ばして!早く!」
あまりの気迫に気圧されておれはおずおずと手を伸ばす。ハヤトくんはそれを見てグッと口角を上げると信じられない力でおれを引き上げた。
幸せにするって、なに?どういうこと??
頭の中がハテナでいっぱいになる。
本当に?こんなおれを幸せにしてくれるの?
言いたいことは山ほどあったけど、ハヤトくんはそれを許す隙も与えず汚れたままのおれを抱き寄せた。
「え、ハヤトくん!?ダメだって、汚れちゃ」
「ちょっと静かにしててねシュン」
綺麗なハヤトくんが汚れてしまうのが怖くて拒否しようとしたら、突然唇にキスを落とされる。静かにしててね、なんて言いながらされたキスに動揺が止まらない。
だけどスゥ、とハヤトくんが息を吸い込んだ音が聞こえてきてハッと彼の目を見つめた。
ハヤトくんは誰よりも輝く瞳で周りで固まっている子たちを見渡した。
「俺は!シュンを愛してる!…たとえどれだけ批判を浴びようとも、先代が築き上げてきたこの血が没落しようとも、俺はこの子を守り抜くと誓う」
「…………え、」
「たった1人幸せに出来ないで何が高貴な貴族だ。そんなのは何一つ俺の目指す高貴じゃない。」
「…ねぇ、シュン。俺と一緒に幸せになって欲しい。結婚して欲しい。…まずは、俺と付き合ってくれませんか?」
突然のことすぎて何も頭が追いつかない。
本当にこれは現実なのかすら分からなかったけど、おれの答えはひとつしかなかった。
「よ、喜んで…」
どうしてだとか有り得ないだとか色々と野次が飛んでくる。でも、それを全て煩わしそうに睨みつけてねじ伏せるとハヤトくんはおれを隠すようにコートで包んで屋敷の中へと歩みを進める。目指すはハヤトくんの父様、つまり屋敷主の元らしい。
「どうして、」
「ずっと好きだった。守りたいってずっと思ってたよ」
「でも、おれたちはくっついちゃ駄目でしょ?こんなに身分だって違う!」
「…本来は、ね。でも俺は今日でこの家を出ることを決めたんだ。さっき父様に許可も頂いた。」
「なんで、!父様とは仲良かったでしょう?どうしてハヤトくんがそんなこと!」
「これからも親子仲良くやってくれるってさ。俺たちの幸せも願ってるって。だけど、世間体や体裁があるからね。覚悟があるなら出ていけって言われたよ。まぁ形だけの縁切りだね」
「そん、な」
どうしてハヤトくんがここまでしてくれるのか分からなくてとうとう涙が溢れる。
嬉しいけど、それ以上に罪悪感とプレッシャーが大きい。
「シュンのこと、ずっと忘れられなかったくらい大好きなんだ。もうお前が誰からも虐げられない場所に、2人だけの世界に行きたかった。……それで、あわよくばシュンを独占したかったんだ」
「……!」
「だめ、かな?」
おれのためだけじゃなくて、ちゃんとハヤトくんのためでもある。それを分からせようと緊張を含んだ声で語りかけてくれるのがすごく嬉しい。おかげで少しだけ負の感情が無くなった。
それに、
「ダメなわけないよ。だっておれもずっと好きだった。釣り合う身分じゃないから黙ってたんだ。……でも、ハヤトくんから申し出されたら、そんなの断れるわけないよ」
何よりも大好きなハヤトくんのそばにいられる。それを理解した途端に今までに感じたことの無いくらいの希望を見た気がした。
「そうだったんだね…。ありがとう、シュン。もう嫌な思いはさせない。俺と幸せになってね」
「……っ、うん!」
久しぶりに見たハヤトくんのお父様は相変わらず優しくて、でも威厳があって素敵な人だった。なんと屋敷主直々に車をだしておれ達を見送ってくれるらしい。
つくづく格好良い人だ。
荷物をまとめてお父様の車に乗せてもらい、お世話になった屋敷を出る。
身分違い、禁断の恋。そう言われるであろうおれ達の恋に、ハヤトくんは貴族で無くなることによって身分を合わせることを選んでくれた。
不自由などなかったであろう生活を捨ててまでおれを選んでくれた。
そんな最高の恋人とおれとの幸せを求める新しい生活がここから始まる───
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