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流浪 (克己side)
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自室のバルコニーにもたれ、夜風を感じながら、克己は月明かりに照らされた夜の森を見るともなしに見つめていた。
『もう、絶対に1人では泣かせない』
繰り返し達也の告白を思い出しては、怒りとも悲しみともつかない苛立ちに襲われた。
恋する男の酔った戯言に、ここまで心を揺らされてしまう自分が情けなかった。
あえて忘れようとしている古傷を、そうとも知らぬままにえぐる達也が憎かった。
望んで……望んで……望んで。全身全霊で求めても、けして手に入らないものがある。
望まない方が日々を安らかに生きられることを知ったのは、遥か昔のことだ。
過去に想いを馳せても、未来に想いを馳せても、痛みや不安しか見つからないなら。
今の自分を少しでも痛みから遠ざけてやる他ない。
愛をささやけば、すべてが許されると思っている達也も、揺さぶられてしまう自分も、すべてが許せなくて、いっそ粉々に砕いてしまいたかった。
自虐的な気分が膨らみかけたその時、視線の先に、ここ数日の間にすっかり見慣れた道着が、白く浮かび上がるのが見えた。
日課のトレーニングなのだろう。毎晩同じような時刻にやってきては、一通りの空手の型を行ってゆく。
二階にある克己の部屋のテラスからは、眼下の庭がよく見渡せた。
(すごい……)
流麗な動きに、いつも見惚れた。
時に静かに、時に激しく、手足が闇を切り裂き、白い道着が鮮やかに宙を舞う。
時折発せられる、はっ、やっ、といった気合いのこもったかけ声だけが、夜の静寂を震わせた。
月明かりの中、はっきりとした顔立ちまではわからない。
どこの誰とも知れない、その距離感が、今の克己にはちょうどよかった。
テレビの向こうのアイドルに熱くなるように、ただただ憧れていたかった。
(シロちゃんと、どっちが強いかな……?)
道場に通い始めたのは同時期だったが、すぐに辞めてしまった克己とは対照的に、士郎はこの学園に入ってからも定期的に、師範のもとを訪れていた。
中学時代には、確かどこか大きな大会で準優勝しているはずだ。
実践で強いかはさておき、士郎と比べても型の演武ではまったく見劣りしなかった。
(案外、知り合いだったりしてね)
武道の世界は、広いようで狭い。
それは嫌だなと、克己は思った。
「なーに、黄昏てンだよ?」
不意に、暗い部屋の背後から響く、毒のように甘い声。
「誰かさんがあんまりほっとくからでしょ。……シロちゃんに、様子見てきてとでも言われた?」
「さぁな」
否定しても、いつになく楽しげな龍之介の瞳から、何らかの裏取引が行われたことは、容易に察しがついた。
同情されて悔しく、情けない上に、龍之介を士郎に、また士郎を龍之介に取られてしまったようで、心が限りなく深く落ちていく。
せっかく道着の彼のお陰で浮上した気分が、台無しだ。
たまらなく独りだと感じた。
不意に、達也の言葉が蘇り、すがりそうになる心を全力で否定した。
「抱くつもりがないなら、消えて」
傲然と見下ろしてくる龍之介に、冷たく言い放った。
来る者拒まずの龍之介だが、誰かにのめり込んだ時だけは、一転、それ以外のすべてに興味を示さなくなる。
はたから見ていて怖くなるほどの執着を見せた。
今までにも何度か、しばらく姿を見せない時期があった。やがて付き物が落ちたように、誘えば乗る、いつもの龍之介に戻っていたけれど。
今回は、漠然とした予感があった。
かつての距離感には戻れない。
克己を抱きながら口説いても、士郎はけして落ちてこない。それがわからない龍之介ではない。
もとより愛や恋じゃない。それを責める権利などないのはわかっていても、この腕なしに、この先、幾重にも重なる長い夜を越える覚悟が、克己にはなかった。
「他で、ンな弱々しい顔見せンなよ。物陰に引きずりこんで、ヤられちまうぞ」
「うるさいな。今さらその程度で傷つくほど、初心じゃないよ」
望まない相手に抱かれるなど最悪だが、こんな夜には数人がかりで思いきり痛めつけられ、何も考えずに眠るのも悪くないと思えてしまう。
「ったく、アイツが泣くな」
「つまんないセリフ」
克己はバカにするように嘲笑った。
「こんなトコで油売ってないで、早くシロちゃんのとこに戻ったら?」
「オマエの匂い、つけたらな」
龍之介が低く笑い、己の手の甲から、人差し指の先までを、ゆっくりと舐めた。
見つめられているだけで、身体の深い部分が泡立ち、濡れてくるのがわかる。
漆黒の瞳は、克己が泣こうがわめこうが、揺らがない。その絶対的な安定感が、いっだって救いだった。
龍之介になら、安心してもたれてしまえる。すべてを晒すことができる。
この男は、けして自分に落ちてこない。何も求めない。
だから、つかの間の快楽だけを追えたし、その間だけはすべてを忘れていられたのだ。
「僕の匂いをまとわりつかせて、シロちゃんに何するつもり?」
「絶望するアイツが見れンだろ? 傷ついて落ちてきたトコを組み敷いて、オレってオトコを刻んでやる。気ィ失うまで、何度でも……な」
「その腕で勝てるの? 傷だらけにならないといいけど」
「そーゆーギリギリの緊張感が、燃えンだろ」
克己は、つかの間、龍之介を睨みつけていたが、すぐに考えるのをやめた。
「勝手にすれば?」
風呂上がりの素肌に羽織ったシャツの前をはだけると、見せつけるようにボタンを外し、春の夜風にはためかせた。
どう? と、挑むように見つめると、膝で乱暴に足を割られた。
「ん…っ」
ダイレクトな刺激に、思わず膝が砕けた。
足元に崩れ落ちた克己にも、龍之介は眉一つ動かさない。傲然と克己を見据え、反応を楽しんでいる。
「こんなんじゃ、足りねぇか」
「……っ!」
敏感な部分を容赦なく踏みつけられ、あまりの痛みに悲鳴すら出なかった。
龍之介は胸元をはだけさせたシャツの胸ポケットからゆったりとタバコを取り出すと、お気に入りのシルバーのジッポで火をつけ、旨そうに煙を燻らせ始めた。
薄くて大ぶりの唇から、紫煙がゆっくりと星空に立ち上ってゆく。
龍之介はかすかに眇めた目で、煙の行く先を悠然と見つめていた。
「……っ」
かたや先ほどの痛みで、克己の身体は泡立ち、夜風にさえ敏感に反応し始めていた。
麻痺しかけた理性に、毒のように甘い声が追い打ちをかける。
「そこじゃ、見えねぇ。立って、バルコニーに身を乗り出しな」
「……!」
「どーした?」
「やだ……っ」
誰に見られたって、かまわなかった。けれど、彼だけは別だ。
あられもな姿をさらして、軽蔑されたら、甘い夢が跡形もなく醒めてしまう気がした。
「やけに頑固だな。まぁ、拒んでもムダだけどな」
龍之介は暴れる克己の腹に、軽く一発拳を打ち込んで、肩に担ぎ上げると、バルコニーに火照った身体をもたせかけた。
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